第八章 秋姫対峙 8
八
柊の家からお暇して、榎と椿は小さな歩幅で、川縁をゆっくり歩いていた。
「だけど、えのちゃん。あの人と戦うって言っても、どこで、どうやって? また、あちこち走り回って、探すの?」
話が纏まったとはいえ、椿はまだ心配そうだ。力の差を考えれば、できる限り榎たちにとって有利な環境を整えたいところだが。
「そうだな……。上手く探すために、一つ考えている方法があるんだけれど、成功するか分からないんだ……。確実性に欠けている気がする。でも、実際どうなのか、確信が持てなくて」
榎は自信なく意見を述べた。せめて、机上の空論のままで放っておくより、確実な、客観的な意見が欲しいところだ。
「頭を使う仕事なら、やっぱり、さっちゃんにお願いするべきよね?」
意地悪そうな顔で、椿が提案した。
榎も笑って、「だよな」と返した。
結局、他力本願で、情けなく申し訳ない限りだが、先日の生意気な発言を謝ってでも、知識人の協力が欲しいところだ。
榎たちは、周の家に向かって歩みを進めた。
「夏姫、春姫! 探しましたぞ!」
突然、進行方向の空から、妖怪――八咫烏が飛んできた。
「どうしたの? 八咫ちゃん」
随分と急ぎ、慌てている姿に、榎も椿も戸惑う。
「実はお主たちを、周どのの家にご招待したく、お誘いに参った! 今から是非とも、いらしてくだされ! 駄目といわれようとも、引き下がる八咫ではありませぬぞ。力ずくでも、お連れ申す!」
やたらと強引に吐き捨て、八咫は榎たちの背後に回りこみ、無理矢理に押し始めた。
「何なんだよ、いきなり!」
別に、今から周の家に行こうとしていたのだから、拒む理由はないし、歓迎されるのならば、願ってもない。だが、いきなりの八咫の態度をそのまま受け入れるには、少し警戒心が勝った。
どしどしと押しに押され、榎と椿は誘われるままに、佐々木家へとやってきた。
「夏姫と春姫の御成りー! 万歳、万歳、万々歳!」
中へ招かれるや否や、小さな下等妖怪たちの大歓迎。どこの宴会場へきたのかと思うほどの、もてなしぶりだった。
いつもの居間へ通された。和室の卓袱台の上に、冷たい麦茶や茶菓子などが運ばれてきた。
「さあさあ、座られよ。ごゆるりと寛いでいってくだされ!」
八咫がサービス精神旺盛に、榎たちの前に茶を差し出す。でも、家の人に断りもなく、勝手に寛いでいいのだろうか。
「どうしてお前らが、あたしたちの接客なんてしているんだ。委員長の家だぞ」
「お主らを歓迎したい気持ちで、心がいっぱいであるからして! さあさあ、外は暑かったであろう、茶でも飲んで休まれよ。すぐに、周どのも来られるゆえ」
八咫の言い分からして、周はこの事態を知っているらしい。ならば大丈夫かと、榎は少し警戒を解いて、麦茶を頂いた。
「何かしらね、このお祭り騒ぎ」
椿も、胡散臭そうな表情をしながら、辺りでどんちゃん騒ぎをしている妖怪たちに視線を向けていた。
まがりなりにも、榎たちは妖怪たちの敵だ。そんな相手を歓迎するなんて、妖怪の心理がよく分からない。
「暑さのせいで、頭がおかしくなったのか? 猛暑には、まだまだ早いぞ」
疑問を通り越して、逆に心配になってきた。
動揺しながら庭のほうに注意を向けていると、不思議な音が聞こえてきた。
鋭く、力強い、何かが突き刺さる音。
縁側に身を乗り出して、音のする方角を見る。庭の端に、木製の弓用の的が立てられていた。その的に、矢が刺さる音だった。
矢は三本、刺さっていたが、どれも的確に的の中心円を捉えていた。他に、外れたものは見あたらない。凄まじい命中率だ。
更に視線を動かして、矢を射ている相手を探す。離れた場所に、身長よりも長い和弓を構えて的を見据える、周の姿があった。側では、宵月夜が庭石に腰掛けて腕を組み、周の腕前を凝視している。
周が矢尻を矢枕に乗せ、弓の弦を引く。寸分の狂いもない構え。静かに矢が放たれる。また、中心に命中。
榎と椿は、無意識に拍手を送っていた。周は榎たちの来訪に気付き、弓矢を片付けて顔の汗を拭き、居間へとやってきた。宵月夜も、背後を無言でついてくる。
「お二人とも、よう来てくださいました」
卓袱台を挟んで、榎たちと向かい合って座り、周は丁寧に挨拶をした。
「委員長、弓するんだね」
「昔からやっとったんどす。けど、弓矢は、人を傷つける恐れのある道具でっしゃろ? その事実に気付いた途端に、なんや、恐ろしくなってしもうて。しばらく、弓からは離れておったんどす」
賛辞を贈るつもりで話題に出したのだが、周は何だか、辛そうな表情をしていた。
「でも、そんな弱気ではいかんと、思い直しましてん。私も弱いなりに、大切なものを守れるくらい、勇気を持つべきやと。一年ぶりくらいに、弓を引きましたけれど、まだ、腕は鈍ってまへんで、安心しました」
弓に対する思いを語りながら、周は寂しげに微笑んだ。
「山の中や川原で、あたしを助けてくれた矢は、委員長が……?」
脳裏に浮かんでいた考えを、口にした。
確信はあった。あの、蝮の頭や、萩の側に的確に射ち込まれた矢は、卓越した腕の持ち主によって放たれたものだ。周ほどの技量ならば、狙って射れたに違いない。
周は頷き、榎に笑いかけた。
「ご迷惑かと思うたんどすけれど、やっぱり萩はんからは、危険な臭いがしたもんですから。また、後をつけておったんどす」
「迷惑なんて、とんでもない、ありがとう。あたし、でかい口を叩いておきながら、結局、みんなに助けてもらってばかりだ」
周も、陰ながらに榎を心配して、力を貸してくれていた。何も気付けなくて、一人で頑張っている気になっていたなんて、情けない。
「持ちつ持たれつ、どすえ。私も榎はんには、いっつもお世話になっとりますから」
「椿だって同じよ。えのちゃんは一人で抱え込みすぎなの」
本当に、椿の言う通りだ。人の力を借りなくては何もできないんだから、最初から素直に、頼んでおけばよかった。
榎の心が、また少し軽くなった。
「ぐだぐだと、つまらん話をしていないで、さっさと本題に入ったらどうだ?」
突然、宵月夜が割り込んできた。ずっと周の隣に座っていて気にはなっていたが、痺れを切らしたみたいな表情だ。
「なんで、いきなり話の主導権を握ろうとしているんだ」
呆れて尋ねると、宵月夜は不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「お前らがいつまでも、だらだらと雑談を続けているからだ。俺はできるだけ長く、周と二人っきりでいたい。だから、さっさとお前らとの話を終わらせたいだけだ」
宵月夜は淡々と語り、周の肩に手を回して抱き寄せた。顔を真っ赤にした、椿の悲鳴が飛ぶ。榎は唖然として、開いた口が塞がらなかった。
「二人っきり……!? 委員長、こいつとの間に、いったい何が……?」
かつての距離感はどこへ行ったのか。夏休みに入った頃から様子が変わったとは思っていたが、想像以上に変化しすぎている。流れについていけず、驚くだけで精一杯だった。
「別に、何もないんどすけど……。ただ、秋姫はんから受けた傷を介抱させていただいておるうちに、すっかり心を開いてくださって……」
「懐かれたのか。やるな、委員長」
榎は感心する。病気の男を女が看病している間に、互いに恋に落ちる、なんて展開は、漫画なんかでもよくある話だが。宵月夜も前回の負傷は、かなり堪えたらしい。同時に、本当に周の優しさが、身に沁みたのだろう。
「俺と周は、強い愛と信頼で結ばれているんだ。俺はもっと周について知りたい。だから二人っきりでゆっくりと語らう場が必要なんだよ。な、周!」
周の手を強く握り締め、宵月夜は嬉しそうに擦り寄っていた。貼り付かれた周は、頬を赤く染めて、俯いている。
「じゃあ、じゃあ、つまり、さっちゃんと宵月夜は、恋人同士になったの!? キャー! さっちゃんってば、大人ー!!」
いかにも色恋沙汰が大好きそうな椿は、興奮して歓喜の雄叫びを上げまくっていた。
「とんでもないどす、恋人なんて、そんなもんでは……」
周は控え目に否定していたが、戸惑っていても強引に突っ撥ねないあたり、まんざらでもなさそうだ。
「よかったね、委員長。念願叶って、妖怪と仲良くなれたわけだ」
ずっと、親しくなりたいと頑張って接してきたのだから、想いが通じて嬉しいに決まっている。
「もちろん、嬉いんどすけれど……」
返事をする周の表情は、何だか複雑だった。
「あんまり、嬉しそうに見えないね」
何か、新たな問題でも発生しているのだろうか。榎は少し、心配になった。
「周、さっさと四季姫たちと話を終わらせて、俺の話を聞け! 俺の顔を見ろ!」
ギクシャクと続く会話に痺れを切らし、宵月夜がさらに周に詰め寄っていく。二人の様子を見ているうちに、だんだんと心配が杞憂でない気がしてきた。
「親しくなるに連れて、だんだん、面倒臭いお方やと気付き始めまして。私、自分から責めていくんは好きですけど、言い寄られるんは苦手どす」
「なるほど。委員長の性格だと、分かる気がする」
普通に考えても、こんなにベタベタと張り付かれては、鬱陶しいし、暑苦しいだろう。夏だし、余計に。
周は性格的にも押され弱そうなイメージはある。
だが、記憶を振り返れば、周も宵月夜に対しては似た勢いで強い押し掛けを繰り広げていたわけだから、あまりきつい態度もとれないみたいだ。なんとも微妙な関係になっていた。
「周は命の恩人だ。俺の傷が癒えるまで、寝る間も惜しんで側にいてくれた。周の優しさや真心が、とても嬉しかった。だから俺は決めたんだ。この先、何が起こっても、周だけは絶対に守り抜くとな!」
宵月夜の決意表明に、榎と椿は感嘆の声を上げた。
「気合は認めるけどさ。ぶっちゃけ、お前の存在が一番、委員長にとって危ないって、自覚しているか? また、我を失って暴走でもしたら、真っ先に委員長、死ぬぞ」
酷な話だが、やっぱり宵月夜は妖怪だ。親しくなっても反対はできないが、互いの身の安全を考えるならば、距離を置くべきかもしれない。
「……お前に言われなくたって、俺が一番、よく分かっている。今の状況が続けば、俺はまた、大切なものを守りきれなくなる」
宵月夜は神妙に、榎の意見に耳を傾けていた。きちんと自覚しているらしく、表情には何らかの決意が見て取れた。
その緊張感ある空気に呑まれ、榎も思わず居住まいを正した。
少し時間を置き、宵月夜はまっすぐに榎を見て、口を開いた。
「夏姫。俺と、取引をしろ」




