序章 伝記開放
せい と申します。
こちらのサイトでは初投稿です。よろしくお願いします。
変身モノ、昔から意外と好きですので、書いてみました。
読みが難しい漢字や固有名詞にはルビを振っていますが、読めないものがありましたら、気軽にコメントして下さい。
関西が舞台のお話ですので、方言が多々、出てきます。
標準語への変換表など作ろうかと思っていますが、意味が分からない表現などありましたら、指摘してください。
序章
西暦10XX年。年の瀬の、平安京。
京の夜は、不気味な暗雲に包まれていた。
足元を照らす月明かりもない、漆黒の闇。静まり返った真夜中の大通りに、足音が響く。
ざしり、ざしり。
砂利を擦る、草履の音。
こんな闇の濃い夜に、外を歩き回る者は、誰か。
とある平民が好奇心に駆られ、松明を手に通りへ出た。
人気のない、通りの様子を伺う。突然、平民の眼前に、恐ろしい姿が立ち塞がった。
みすぼらしい着物を纏った人の骸骨が、列を成して歩いてくる。
ぼんやりと青白い光を放つその姿は、とてもこの世のものとは思えない。
餓えで死んだ下人が、悪霊となって迷い続けているのだろうか。
行列が前進する度に、からり、からりと骨がぶつかりあう音が聞こえた。
その音が、まるで「苦しい、ひもじい」と訴えかけている気がした。
平民は恐怖に足が竦み、動けなくなった。
膝が、がくがくと震える。寒さも相俟って、気付かぬ間に失禁していた。
立ち尽くす平民の姿を、骸骨たちが捉えた。
ざしり、ざしり。
足音が揃って、歩み寄る。
骸骨たちは、歯をガチガチと鳴らした。笑い声を上げているのかと思えた。
「食べ物を見つけた、餓えから救われる」と、喜んでいるみたいだった。
骨を軋ませ、音を立てながら、腕を伸ばしてくる。
殺される。
必然的に、最期を悟った。
その時。耳元で、人の囁く声がした。
「死にたくなければ、動いてはいけないよ」
直後、平民の視界に広がったものは、色鮮やかな着物の乱舞。
一生掛かっても、お目にかかれないだろう、豪華な貴族の装束が、松明の明かりに翻った。
目の前に現れたその人は、美しき姫君だった。
頭上で結い上げられた長い黒髪が腰まで伸びて、馬の尾の如く、しなやかに揺れ動いた。
姫君の手には、白銀の剣が握りしめられている。剣のまっすぐな刃は、松明の炎に照らされながらも冷ややかで、ゆらめく水面にも似た激しさを漂わせた。
剣の輝きに恐れ慄いたか、骸骨たちは怯んだ。
一気に、周囲の空気が変化した。
姫君は、華麗に地面を蹴った。まるで舞でも踊るかの如く、軽快で清楚な動きだ。
踝まで見える、丈の短い袴から、白い素足が覗く。
姫君が一回転すると、激しい旋風が周囲を取り巻いた。
風は上空高くに昇り、京を覆う厚い雲を散らした。
空には、美しい満月。月の白い光に照らされて、姫君の美しい姿が、さらに露となった。
その横顔は、笑っていた。
姫君は、妖怪を前にして、実に楽しそうだった。
「空蝉の如く散れ。〝竹水の斬撃〟」
剣から、清らかな水の滴が飛び散った。
剣は閃光を放ちながら、骸骨たちを一掃した。
骸骨たちは、ばらばらに砕け散り、光の粒と化して姿を消した。
一瞬の出来事であったはずだが、下人には時間が止まっていたのではと感じるくらい、長い時間だった。
「闇夜は、人であらざるものを盛らせる。夜歩きは、ゆめゆめ気をつけられよ」
露を払って剣を鞘に収め、姫君は踵を返した。
そよ風を髣髴とさせる、軽やかな歩みだ。
平民は呆然と、姫君の背中を目で追った。華奢ながらも、逞しいと思える背中だった。
姫君が歩いていった先には、三つの人影が待ち構えていた。
青や橙、桃色と、色鮮やかな十二単を身に纏った、三人の姫君たちだった。
月の逆光で、顔は窺い知れない。
「我らの出番は、なかったか。退屈じゃ」
「つまらぬ。せっかく遊べると思うたのに」
「夏姫だけで、充分であったな。夜風は冷える。早う、帰ろうぞ」
小鳥みたいに、高い声でさざめきあう。
四人の姫君たちは、物音ひとつ立てず、並んで静かに去っていった。
夏姫――。
その名と、終始、顔に浮かんでいた姫君の微笑が、取り残された平民の頭の中に、こびりついて離れなかった。
* * *
人間と同じ世界に住まい、人間に危害を加える異形の者たちに、人々は恐れを抱いていた。
異形の者たちがいつ頃から存在しているかは、誰も知らない。
二百年も昔、天皇がこの地に京を御造りになったときには、悪霊や鬼と呼ばれる存在が、既にいた。
誰が言い始めたのか、その者たちはいつしか、妖怪と呼ばれるようになっていた。
妖怪は、動物や人の姿を歪めた風貌を持つ、奇妙な存在だった。
多くの人間には理解さえできない、怪しい術を使って悪さをした。
天候を操って、災害を起こした。家を焼き、家畜を襲い、人も殺して食った。
天皇は、妖怪の脅威から逃れるために、守護力の強いこの土地に、京を築いた。
だが、帝の平穏への願いは虚しく、妖怪たちは夜な夜な、平安の京に姿を現し、人々に危害を加えた。
人々は夜が明けるまで、己に災いが降りかかってこないようにと祈りながら、家に隠れて脅えているしかなかった。
荒んだ時代だったが、黙って妖怪の脅威に晒されているだけの人間でもなかった。
人間の中にも、妖怪に匹敵する退魔の力を持つ者が存在し、人に危害を与える妖怪を退治した。
決して表沙汰にはならなかったが、噂はひとりでに京中に広がり、誰もが存在を知るところとなっていた。
人々は妖怪から京の治安を守ってくれる者たちを、〝陰陽師〟と呼んだ。
* * *
陰陽月麿は、京に数多と存在する弱小貴族の一人に過ぎなかった。
齢二十四にもなるのに、背が童子なみに小さく、悩みの種だ。体つきは大人たちにひけをとらないほど、でっぷりして、存在感だけは堂々たる貫禄だった。
陰陽家は代々、権力ある陰陽師の一族の下で仕える使命を帯びていた。
月麿も例外なく、成人と同時に、とある陰陽師一族の長を護衛する役目を与えられていた。
陰陽師にも多くの家系、派閥が存在する。
公に勢力がある有名な家柄は、賀茂家や安倍家だったが、月麿の仕える伝師家も、かなりの勢力を誇った、強大な陰陽師の一族だった。
主に男がお役目につく陰陽師の職だが、伝師一族の男たちは、退魔の力をあまり発揮しなかった。
そのため、女性が中心となって力を振るい、中でも特別、強い力を持って生まれた若き姫君たちが、勢力の渦の中心に君臨していた。
姫君は四人。それぞれ、季節に応じた自然の力を行使して妖怪を倒した。
妖怪と戦う姿を見た者たちは、姫君たちを各々、春姫、夏姫、秋姫、冬姫と呼んだ。四人は〝四季姫〟と総称され、敬われた。
さらにもう一人、伝師の頂点に君臨する、絶対的な力を持った姫君が存在した。
姫君の名は、紬姫。伝師の長だ。
月麿は、紬姫の元に仕えていた。
* * *
年の瀬が終わりゆく、新月の夜。
今宵、伝師に仇なす者たちを駆逐する為、一族の陰陽師と妖怪が入り乱れての、激しい戦いがあった。
月麿は、真っ暗な京の大通りで立ち尽くし、足を震わせていた。
手に持った松明の明かりが照らしていたものは、通りを埋め尽くす、たくさんの屍。
妖怪、人間が堆く積み上がり、血を流し横たわり、動かない。
まさに地獄の光景そのものだった。
その場で生きて動いている者は、月麿ともう一人。紬姫だけだった。
紬姫は小柄で、お世辞にも美しいとはいえない、痩せぎすの姫君だ。
体重ほどもある、重い五衣唐衣裳(十二単)を身に纏いながらも、軽やかな足取りで屍の山を踏みつけて、辺りを闊歩していた。
色白で肉付きの悪い顔は生気がなく、何を考えているのか、全く読み取れない。
時折、我に返って、ぎょろりとした大きな瞳に、怒りの色を露にしていた。
「なんたる非業じゃ。此度が最後と、伝師の持ちうる全ての力を使って戦いに挑んだというのに、〝奴ら〟を完全に滅ぼす使命、果たせなかった……」
声は鈴の如く、美しい。紬姫は呟き、歯を食いしばった。
月麿は唖然として、紬姫の背中を見た。
「何を仰っておいでか、紬姫。もはや伝師も妖怪も、全て死に絶えてしもうたでおじゃる。だのに、奴らを滅ぼせなかったとは、いったいなぜ?」
「肉体が死に、滅んだとて、魂は易々とは死なぬ。わらわには見えた。奴らの魂が、この地より逃げ仰せる姿が。やがて、奴らは千年の時を超えて再び蘇り、我らが一族の前に立ちはだかるであろう」
真に倒すべき存在を、仕留め損なった。
遠くを見つめ、紬姫は悲痛な表情を浮かべた。
月麿は幻滅した。目の前に広がる屍の山――命を投げ打って戦った、多くの陰陽師たちの犠牲――は、すべて無駄だったのか。
圧倒的な力を持っている紬姫にも、どうにもならなかったのか。
紬姫の絶望も、色濃く伝わってきた。
「魂は、この世を巡る。転生の輪を断ち切ってしまわぬ限り、永遠に。今この時に、切ってしまわねばならなかったのに、できなかった。力が及ばなかった」
「紬姫の仰るとおりであれば、今の世では麿たちには、何もできないでおじゃる。忌まわしき妖怪も、四季姫たちも、既にこの世にはおらぬのですから」
倒すべき対象は、既に死んだ。
次に敵が復活する千年後まで、何の干渉もできない。
失敗とはいえ、月麿の、紬姫の使命は終わったのだと思っていた。
だが、紬姫の瞳の輝きは、まだ消えてはいなかった。
「月麿。お主に新たなる命を与える。今から千年の時を超え、我らの敵が復活を遂げる時代へと飛べ。千年後に、再びこの世に生まれ変わっておる四季姫を見つけ出し、覚醒させるのだ。以前、教えた術を使えば、行ける」
紬姫の淡々とした指示に、月麿の全身から汗が噴き出した。
「なんと!? 麿に〝時渡り〟をせよ、と仰るか! 時渡りは、危険な術だと聞き及んでおじゃる。成功するかも分からぬし、一度、時を超えてしまえば、二度と今の時代へは戻ってこられぬとか」
時渡りとは、陰陽師の使用する術の髄を凝らして編み出された禁術だった。
術を使用したものは、遥か後の時代にまで、今の姿のまま、一瞬で飛べると言われていた。
実際に、術を成功させた者がいるかどうかは、不明だ。
なんせ、一度別の時代へ飛べば、二度と戻っては来られない。未来へ飛んだ者とは、一生会えない。
ただ、術を使って行方の分からなくなった者は、確かに存在した。
その者が本当に時を越えて後の時代へ向かったかは、今も分からないままだった。
失敗すればどうなるのかさえ、謎のまま。非常に危険な術でもあった。
怖がる月麿を、紬姫が睨みつけた。
「何か、問題があるのかえ? この瞬間、陰陽師としての伝師は、滅びた。伝師に仕えるだけが生きる術であるお主が、この時代で生き続けて、何を成すと申すのじゃ」
紬姫の鋭い眼光が、月麿を突き刺した。月麿は、喉元で言葉を詰まらせた。
陰陽家もまた、この激しい戦いに伝師と共に赴き、命を散らした。
ただ一人、月麿だけがこの時代に生き永らえたところで、御家の再興など叶わない。
そもそも、主である伝師の長に、逆らえるはずもない。
逆らったところで、もはや月麿がこの時代で生きる意味は、とっくに潰えていた。
「……かしこまり候。陰陽月麿、紬姫様の最後の命、全てを賭して、遂行してみせまする」
決心はついた。つけさせられた。
「お前だけが、伝師の悲願を果たせる唯一の存在じゃ。必ずや、四季姫たちの力を復活させ、全ての準備を整えて、憎き敵を倒してくれ――」
紬姫は力なく膝を折り、屍の山の頂上に崩れた。
新たな屍が、平安の京に積みあがった。
もはや、この場所で息づく者は、月麿のみ。
紬姫の最後の願い。生まれ変わった四季姫たちに、何としても会わなくてはならない。力を、解放しなくてはならない。
確認はした。決意も固めた。あとは、実行するのみだった。
大きく息を吸い込み、月麿は紬姫より賜った、時渡りの術を唱えた。
緊張のあまり、月麿は体中のあらゆる穴から水を垂れ流した。
体を震わせながら、世を偲び、平安の世に別れを告げた。
激しい嵐に巻き込まれたかと思うと、体があらゆる方向へ引っ張られた。
徐々に、意識が遠退いていく。
次に覚醒したときには、既に千年の時が経っているはずだ。
月麿は静かに、強烈な波に飲まれる感覚に、魂を委ねた。