『次なる時代への序曲』
「そろそろ休憩を挟みましょうか」
北極に光帝の声が響く。その言葉と共に無数の氷騎士は霧散し、からんと音を立てて二本の剣を地面に落としながら、舞川鈴奈はへたり込んだ。
「つっかれたぁ」
五日間休憩無しの連続修行を行っていた鈴奈は胸の底から息を吐き尽くす。
新たな試みは無事成功したものの、クロワに一勝することは叶わなかった。しかし確実に本来の力を使いこなせてきている手応えはある。その反面、未だ残っている二つの封印を解除した時に戻る膨大な己が力に、打ち勝てるかどうかと問われれば難しいとこだ。
「総軍魔法を完璧にコントロールするには尋常ではない集中力も必要になるからね」
「総軍、超魔法……か。クロワの宮殿は、対総軍魔法としては優秀すぎるわね」
軍隊そのものを顕現させる総軍魔法。一括りに超魔法と呼ばれる魔法の至高に数えられるそれは間違い無く一つの到達点。光帝の必殺はその到達点を奪う到達点。明らかな相性の悪さが鈴奈の勝利を阻んでいるだけで、彼女の力は『最強』へと数歩近付いている。
「超魔法には、総軍魔法、簒奪魔法、独我魔法の大きな三つのカテゴリーがあってね。
無数の兵士を顕現させる総軍魔法は術者の外へ力を広げているゆえに、力のコントロールを奪う簒奪魔法によって容易く奪われ、一個人の内を至高へ高める独我魔法には質より量理論で勝ることが出来るの。
逆に簒奪魔法は、一個人のみを極限とする独我魔法のコントロールを奪うには至れず敗ける。というような三竦みで成り立っている。理解できた?」
「十二分に。マリエルが使用した焔と化す魔法は、その独我魔法ってわけね」
「そうなるね。それも生命力消費の禁忌を犯した、堕天の唯我。強敵よね、あの子も」
そうからからと笑うクロワから、危機感というものは一切感じない。相性が悪い超魔法を扱う相手にすら怯えを見せることが無いのは、彼女が簒奪の超魔法のみで最強に至ったのではない、純粋な実力そのものがあるからだ。ますます鈴奈は頭が上がらない。
「でも、負けないよ。もう、遅れは取らない」
「その為の修行だからね。頑張れ鈴奈ちゃん」
師弟が目を合わせて笑い合ったその時、鈴奈の荷物から端末が着信音を鳴らした。個別に設定している着信音なので相手は分かる。日本に詠真と残っているネコからの連絡だ。
はいはいと言いながら着信を取ると、眼前にホログラムが自動的に投影される。
「うわ、いつの間にこんな高性能なものに……」
『私がちょちょいと改造してたんだよ。数日ぶりだな、舞川』
「変なあだ名を辞めてくれて嬉しいわ。で、何の用かしら?」
空中に投影されたネコの顔には、どこか芳しくない表情が窺える。おおよそ、詠真に何かあったのだろうと鈴奈は予測し、そしてそれは見事に的中する。
『木葉が意識不明に陥った』
「……そう。で、理由は?」
『驚かねぇんだな』
「私に心配されたいほど、詠真は子供じゃないわよ」
『……お熱いことで』
さながら長く寄り添った妻のような表情で言い切る鈴奈へ、つまらなそうな表情を返したネコだったがすぐに切り替えて、詠真に起こった現象についての説明を開始した。
『まず、明かしておかなければならないことがある。それは超能力の到達点についてだ』
「到達点……それは詠真が見せ始めていた成長のこと?」
『そうとも言えるし違うとも言える。木葉の成長は、ただの「成長」に過ぎないが、あれの内にこもっている何かによって引き出された力であることはだいたい察している。要するに強制的に引き上げられたレベルアップだな。だが、あくまで成長の範囲内だった』
「今回は、それを逸したと?」
ネコは暫く閉口して、意を決したようにその果てを口にする。
『……成長の先、それは進化だ。つまり到達点。超能力の果てには、使い手と超能力そのものの同一化――《完全同調》というものがある。かつて片手で数えるほどしか到達していないその領域は、踏み入れれば最後。使い手は人間という枠を超えた「超能力」に変化するんだ。分かり易く例えるなら、もし私がそうなった場合、常に白い虎の状態になってしまうというわけだ。つまり私はそこに達していない』
「……なるほどねぇ」
ネコの言わんとしていることを察することは最早容易だった。
詠真はそこへ踏み入れた――否だ。彼はまだ、そのような到達点に至れるほどに強くはないだろうと鈴奈は感じている。単純な力の話ではない。心の力の話だ。数々の苦難を突きつけられている彼は、それらを受け入れるのではなく保留し、始まりの目的一つを胸に飾って全力疾走しているに過ぎない。今は考えない、それは確かに賢い選択だ。
しかし。魔法使いという戦いに身を置いている存在と違い、超能力者……木葉詠真はつい最近まではごく普通の少年だったのだ。彼をここまで変じさせたのは、彼自身よりも彼の周りで起こる苦難によるところが大きい。破裂する瀬戸際と寄り添っている状態だ。
その弱さが、鈴奈は好きだ。その未熟さには可愛さを感じられる。
でも。でも、彼には成長と進化が起こっている。
彼の力ではなく、彼の中に潜む『悪魔』の手によって。
「苦難と使命感のせいで、盲目になっているのね」
『察しが早くて助かる。ただ一つ、あえて言わせてもらう。そのような形で進化を果たした木葉の身に「代償」が無いとは到底思えない。考えられるそれは……』
「悪魔の欲する代償は、往々にして『命』って決まってるものよ。大方、それすら分かった上で捧げたんじゃないかしら。助けられる力の為なら……ってね」
今の詠真にとって悪魔の囁きはさぞ甘い声だったであろう。彼はそれに敗け……いや身をやつしてしまっただけだ。欲する物の為に代価を払っただけだ。
ただ。北極の分厚い氷が唐突に地割れを起こす。それは鈴奈の感情を表している。
彼は覚えているのだろうか。かつて私が言った言葉を。
『その気持ち、想いは捨てずに持っておきなさい。家族を、命を想うその尊い心は「人間」である証よ。いくら世界から忌み嫌われようが、君達「超能力者」は紛れもない『人』なんだから』
もし、彼が『心』まで代償としていないのなら、それでいい。
それなら君はまだ、悪魔じゃない。人間なんだから。
でも、でもね。だからこそ言いたい。
「別に詠真が決めたことだからいいけど、身をやつすなら私にやつせばいいでしょうに」
「鈴奈ちゃんは割とダメ男に依存されるのが好みなのかな?」
「どこぞの馬の骨とも知らぬ誰かに依存されるよりはよっぽど可愛げはあるわよ。なんなの、男の子ってそういうところでプライド出してくるよね。格好つけたいんだろうけどそれは相手を考えてからにしてほしくない? 私の前で格好つけようなんて千年か二千年くらい早いのよね。やるならやるでせめて私に透けて見られないようにしてほしいわ」
『……初めてお前の人間らしい部分が見れた気がするよ。面倒な女だなマジで』
鈴奈は画面の向こうでカラカラ笑うネコを締め上げたい気持ちをぐっと抑え、
「ひとまず事情は分かった。詳細は合流した時の楽しみにしておくわ。だから――」
空を仰ぐ。そこには空間の歪みが生じ、ねじ曲がり、何かが形を成していく。
初めて見る魔物出現のその瞬間。世界各地で起こっていることが北極でも発生した。ただそれだけに過ぎないものの、現れたのは実に因縁深い『竜』と呼べる八首の化身だ。
「今は私は私の修行に専念する。きちんと詠真を、叱れるようにね」
直後、総軍魔法『神帝騎士団』と八首の竜が世界の最北端で激突を開始した。
☆ ☆ ☆
それに胴体と言える部分は無い。長い尾から分かれる八又の首と頭。色は気味が悪いほどに濃い緑がかっており、毒々しい斑点が無数に浮かび上がっている。全長は一〇〇メートルを優に越すその怪物、竜の魔物は秘匿の結界内に突如として現れた。
地響きを立て氷の上に着地し、尾で地を支え巨大な鎌首を垂直にもたげる。
「竜というよりかは、蛇かしら」
同時に結界内を埋め尽くすは氷の軍兵。剣弓、そして数日の成果として槍と斧の兵士も加えられた総軍は一糸乱れぬ挙動で列を成し、全ての瞳が八首の蛇を捕捉した。
しかし蛇はすぐに動き出す様子は無い。それを良しとしたのか二人は言葉を交わす。
「これほどの巨大な個体は鈴奈ちゃん達が討った例以来かなぁ」
「出現に予兆は無く、どのような空間であろうと関係が無い。それが例え秘匿の超魔法の内部であろうと……確かにどうしようもなく厄介な存在ね。ちょっとびっくり」
じっと見つめるその魔物の容貌に、鈴奈はふと思い当たるものがある。
「私は日本神話には詳しい訳じゃないけど、まるで八岐大蛇みたいな魔物ね」
「あぁ、確か……酒に酔って殺された大蛇だっけ?」
「酒に酔ってくれそうにはないけどね。それにしても、動く様子が無いわね」
「んー……でもこちらを視認はしているみたいだね」
大蛇――八岐大蛇は確かに二人を、そして総軍を睥睨している。
しかしながら微動だにする気配も無く、ただただ静寂の時間が流れ行く。
その、刹那のことだった。
突如、乱れることの無かった鈴奈の総軍が列を崩していく。それらの体には無数の小さな蛇が絡みついており、ギリギリと締め上げ氷が徐々に砕け始めていたのだ。更に小さな蛇が鈴奈とクロワの足元にも忍び寄っており、触れられる寸前で二人は空中へ飛翔。その姿を追うように八岐大蛇の瞳が動き、二本の首が二人に向かって飛びかかってきた。
前方に魔方陣を展開することで防御姿勢を取る。だが大人数十人分はあろうかというそれらが音速にも近い速度で繰り出された衝撃は尋常ではない力を生み出し、いともたやすく帝の魔方陣に亀裂を生じさせた。それが砕けるよりも早く攻撃の進路上から脱し、一つの首に剣を突き立てて飛び乗った二人は、焦ること無くきわめて冷静に分析を開始した。
まず現状、最も脅威と感じたのは、行動の前兆が皆無であったこと。小さな蛇を召喚したあれは何らかの攻撃、魔法のようなものなのだろう。だがエネルギーの動きを感知することはおろか、外的な変化も召喚が完了するまで現れなかった。
次に、直接的な力だ。巨躯から繰り出される、ごく単純な怪力。
「前に討った黒竜よりも強い、かも。それにあの蛇の召喚……」
「まるで総軍魔法だね」
首の上を、他の七つの首の襲撃を交わしながら駆ける二人は言葉を交わす。
「それだけじゃない。私の騎士団は蛇に咬まれたんだけど、それを通じて毒の反応を確認してる。氷だから毒の影響は無いけど、生物にとっては致死毒かもしれないわ」
鈴奈は眼下に広がる騎士団を用いて、魔法を発動。騎士団全てを一度水へと変換し、直後に凍結させることで召喚された蛇全てを瞬間凍結。そして砕き、小さきを一掃した。
その間、クロワは光体化させた『白椿姫之剣』を迫る一本の首へ討ち振るった。赤い舌からは毒液のようなものが滴っているがそれ諸共消し飛ばすのが彼女の魔聖剣だ。迫りくる勢いのまま裂くように一刀両断――することは叶った。叶った……のだが。
降りかかる緑色の体液を魔方陣でしのぎながら、クロワはその光景を目にする。
「確か蛇って、不死の象徴だっけ」
縦に両断され、うなだれるように地面へ落下した一つの頭と一本の首は、まるで引き寄せ合うようにして傷口を塞いでいき、斬痕も焼け爛れた痕も残さず再生しきったのだ。
それを僅かに遅れて目にした鈴奈共々、一度首の上から離脱して大きく距離を取る。
首の射程外まで逃れて分かる。八岐大蛇は全身移動そのものはそこまで早くはない。
距離を取り続ければ、ひとまずは戦闘を回避することは可能だろう。
「また無限再生なの……」
「例の黒竜もそうだったって報告があったね」
「でもあれは島の直下を流れる龍脈エネルギーあってのこと……あ、いや……」
「そうねぇ、北極は思いっきりレイラインが通ってるね。それも世界中で北極と南極はレイラインの力が変動しない場所。つまり、うってつけってこと」
「ああもう面倒くさいわね」
「いやいや、でもねでもね。ポジティブに考えてみようよ鈴奈ちゃん。無限に再生するってことは、あの蛇は無限に修行に付き合ってくれるってことだとは思わない?」
「…………、」
ポジティブにもほどがある。
「そんなことしたら、変動しないはずの龍脈エネルギーに偏りが生じて地球がどうなってしまうか分からないのよ? たかたが修行で地球終わらせてしまうとか流石に……」
「それは既に起こってるよ。例の黒竜戦でね。おそらくそれが空間の不安定化と異界からの不確定要素の侵入を許してるんじゃないかな? って私は最近感じてるかなぁ」
「だったら尚更不安定にさせちゃダメなんじゃ……」
「だからポジティブに考えようよ。詠真くんは異世界に行きたいんでしょう? ならいっそのこと不安定を進めればその入り口が開くかもしれない」
「……、」
閉口する。そうかもしれないが、あまりにも無茶が過ぎる考えだ。
その思考を読んだクロワは言う。
「異世界に行くなんて無茶を実現する為には、相応の無茶を押して然るべきだよ」
何事も、何かを犠牲にしなければ成すことはできないんだから。
その言葉は、かつてのアーロンの言葉と重なる。
『犠牲の上に大義は成るモノだよ』
……その通りだ。魔法使いとは元来、そういうものだ。
鈴奈は僅かに目を伏せる。浸りすぎたのかもしれない……平和な日常の中に。
最近、魔法使いとしての一種の冷酷さは薄れている感じることが多くなった。
それが毒されたというべきなのか、あるいは『まっとうになれた』というべきなのか。
……そうだ。私は魔法使いなのだ。詠真が目的の為に何かを犠牲にしたのなら、私も彼の目的の為に、自身の恋心の為に、何かを犠牲にしてでも成すことを成さねばならない。
――そう、たとえそれが世界であれ……自分の、命であれ。
口に出さず、目蓋を起こす。
世界が詠真を苦しめるというのであれば、世界すらも利用してやろう。
そして彼が命を悪魔に差し出してでも叶えたい願いならば、いつか、自分もこの命を投げ打ってでもその大命を叶えよう。そしてその先に、あの日常があるのならば……。
「ポジティブに行きましょうか」
決意を新たに。
冷酷を常に。
恋心を熱と変えて。
「存分に食い尽くしなさい、龍脈を。それだけ私は、強くなれるんだから」
空気を蹴って、八岐大蛇へ飛翔する鈴奈の姿をクロワは慈しみの瞳で眺める。
彼女の視界には、はっきりと映っていた。はっきりと焼き付けていた。
僅かな一瞬だけ、舞川鈴奈の髪が光よりも白い……聖なる純白に染まったその刹那を。
時はまだ遠いかもしれない。だが決して、想像できないほどの時間ではない。
寝て起きたら、もしくは瞬きの刹那。
あるいは、あの子が『それ』を望んだ瞬間かもしれない。
「鈴奈ちゃんが紡ぐ次なる時代は、皆が手を取り合える幻想的な世界が実現するかもしれないね。私はそんな時代で、余生を過ごしたいよ」
光帝の呟きは戦闘音に掻き消され、笑った彼女は更なる言葉を紡ぐことはしなかった。
☆ ☆ ☆
都内のカフェ。そこでは徒架と夏夜がとある人物に関する話をしていた。
それは土御門宗月。元十二神将にして敵対組織『四大絶征郷』の最高幹部の一人。
これより夏夜が相対する、勝利しなくてはならない敵である。
「土御門宗月。元十二神将が一将『月天子』の名を取った強者。確かに夏夜は、彼についてあまり知らなくて当然だね。この私ですら彼の本質を理解できなかった」
「不思議な方だったんですか?」
徒架は少し唸り、
「底を見せない奴だった。気まぐれな性格をしていて不真面目の象徴みたいなね。ただ陰陽師としての力は、その性格さえなければ筆頭すら凌いでいたと思う。彼は類稀な戦闘センスと状況把握能力、いわゆる大局を見れる目だな、それを持っていたんだ。でも不真面目がゆえに本気を出すことは滅多に無かったし、同胞にすら力を隠すような輩だ」
思い出すだけで苛立ちを覚えるのか徒架は眉間にしわを寄せながらもコーヒーを一口含むと、あまり気乗りがしないような口ぶりで「何よりだな」と言葉を続ける。
「宗月は、かの地帝を追い詰めたことがある。現存する聖皇の眷属の中でも、単純な力における最強は光帝だが、実践と人生経験も加味すれば最も厄介なのは地帝だ。こればかりは同胞だからこそ認めたくないんだけど、宗月は地帝の魔聖剣の封を『二つ』解かせたことがある唯一の陰陽師。こう言えば、夏夜でもある程度は事の凄さが分かるよね?」
聞いたことがある。
地帝の魔聖剣には『三つ』の封が施されており、数百年ほど前にそれが一度だけ、全て解かれたことがある。その時生じた被害は、十二神将四人の命。それも遺体の一部すら残らなかったのだ。現在の地帝はその魔聖剣を受け継いでおり、記録では封を一つでも解かれたことは無い――解かすに至れる十二神将は存在しない、というのが夏夜の知識である。
聖皇国で一度話したあの地帝は、『つい本気を出しかけたわい』と言っていた。
その実が明かされ、夏夜は驚きよりも先に恐怖が込み上げる。
「……攻略法は?」
「無い。奴に勝つには単純な力の押し合いで勝つしかないよ。木火土金水全てを高水準で振るいつつ、報告によれば禁忌に手を染めているんだ。夏夜には正直、荷が重い」
「……っ……!」
言葉は重かった。どこまでも現実的に、お世辞の無い、真実の言葉。
しかし。
徒架は誘う。愛に生きる陰陽師だからこそ、夏夜に、伝えられるべきことがあるから。
それが例え、どのような顛末へ歩むものだとしても。
「夏夜、お前が是が非でも愛を貫きたいのなら――」
――踏み出す覚悟はあるか? 愛が為に、勝利と喪失を受け入れる覚悟が。
「この身、元より愛の為に燃やすつもりです。この愛が、焔と成るのなら……ッ!」




