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エレメント・フォース  作者: 雨空花火/サプリメント
一幕『叛逆の異端者』
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『叛逆狂気の異端者』



 第三区の一角に穿たれた直径500メートル、深さ250メートルに及ぶ巨大な穴。

 隕石落下などの天体衝突によって形成されたクレーターだ。

 そう言われても納得してしまうほどの凄惨な窪地。


 ──これは表の話だ。

 一つの超能力の暴走によって引き起こされた前代未聞の出来事。二百人以上の犠牲者を出した大事故。

『一定空間内の全物質の消失』。

 隕石などと言う可愛い話ではない。

 巻き込まれた物、あらゆる物質を一瞬の内に消失させてしまう超常的現象。超常的な力である超能力を一般常識とする天宮島を持ってしても、これはそう呼ばざるを得ないほどの現象だった。


 ──そしてこれは裏の話。

 一つの超能力の暴走によって引き起こされた前代未聞の出来事。

 これは間違いではない。

 ではここに新たな情報を加え、別の解釈で言い換えてみよう。

 一人の魔法使いが故意に能力暴走を誘発し、引き起こされた前代未聞の事件である──と。

 一つの超能力暴走が引き起こした『一定空間内の全物質の消失』。

 これも間違いではない。

 ではここに新たな情報と"願望"を加え、別の解釈で言い換えてみよう。

『空間転移』という超能力の暴走によって引き起こされた『一定空間内の全物質の転移』──と。


 天宮島政府より要請を受け参じた魔法使いの少女と、家族を失った超能力者の少年が導き出した一つの仮説。

 その仮説は真実なのか。

 答えは目の前にある。


そう──二人の目の前に。


 舞川鈴奈と木葉詠真。

 一対の氷翼と四本の竜巻を携えた二人は、クレーター底に降り立った。

 氷翼はバラバラと崩れ地に溶け込むように消え、竜巻も四散する。


「随分な余裕だな」


 詠真が静かな怒りと苛立ちの声を向けたのは、目の前に立つ謎の男。

 サラリとした絹のように繊細な長い銀髪に鋭い金眼。右目には銀縁の片眼鏡。漆黒の燕尾服の上から白衣を羽織った長身痩躯。

 その男は、詠真と鈴奈が魔法によって見せられた"あの映像"に出てきた銀髪の魔法使いで間違いなかった。

 銀髪の魔法使いは白衣のポケットからゆっくり手を出すと、挑発でもするかのように二人へ賞賛の拍手を送る。


「おめでとう。いや、ご苦労様と言うべきかな。僕は君達の全てを見ていた。少ない情報からよくここまで辿り着いたね」


「自分から誘っといてよく言うわ」


「つれないねぇ"氷帝"。君達ならば僕からのサービスが無くとも辿り着いていたと思うけど」


 肩を落として苦笑する銀髪の魔法使いに鈴奈は強く舌打ちをする。

 銀髪の魔法使いは前髪をかきあげて言う。


「まぁとりあえず自己紹介をしておこうか。僕はアーロン・サナトエル。君達も分かっている通り魔法使いだ」


 そして、とアーロンは口角を歪ませる。


「君達が追っている魔法使いは正真正銘この僕だよ。『空間転移』の暴走を誘発させたのも、適当な能力者を操って"君達に差し向けた"のも……全部この僕だ」


「この外道が……!」


 詠真が吐き捨てると、アーロンは腕を組んでやれやれと言った様子で首を横に振った。


「犠牲の上に大義は成るモノだよ『四大元素』の少年」


 詠真は強く舌打ちをした。

 ……俺のこともお見通しかよッ。

 とことん気に食わないアーロンの言葉に自然と拳に力が入る。


「大義だと……? 己の研究欲が大義だとでも言いてぇのかテメェは!」


「たかが研究欲などと同一視して欲しくないねぇ。『多重世界説』……既に君も知っているだろう?」


『多重世界説』。

 四十万十吏という研究者がいずれ発表しようとしていたであろう、世界という概念が物理的にもう一つ存在し、超能力とはその別の世界から齎されたものだとする途方もない説だ。

 アーロンは嬉々と続ける。


「この仮説が証明されることで、この世の常識は一変する。それがどういうことか、歴史に名を刻む? そんなチンケなものじゃあない。だがそんな名誉など僕はどうでもいいんだ。僕は知りたいんだよ、真実をね」


「真実……だと……」


「そうだ、真実さ。君はおかしいとは思わないかい? 超能力という異能がいつの時代から存在したのか、それを正確に知る者は世界中に誰一人として居ない。第一の『忌子』は一体いつこの世に生まれ落ちたのか。果たしてその伝え話は真実なのだろうか……とね」


「…………、」


 確かに超能力に関しては不明瞭なことが余りに多すぎる。それは詠真も思っていることだった。

 かつてこの世界に超常的な力をその身に宿した子供が生まれ落ち、それを境に世界中で稀に同じような力を宿した子供が生まれ始めた"と言われている"。

 どこの文献を漁っても、物知りそうな老人に話を聞いても、出てくるモノはどれも同じ不明瞭な内容のみ。

 超常的な力──超能力者が生まれ始めた時期と同じくして名乗りをあげたと言われるこの天宮島。その歴史を調べれば何か分かるんじゃないか。

 そう思って詠真は島の歴史を調べようとしたが、何故か天宮島創設に繋がる記述は一切なかった。

 他にもあらゆる面から自分達の起源を探ってみたが、結果として詠真が得られたのは"謎"のみであった。


「不自然極まりないほどに、全てが謎に包まれすぎている」


 詠真はアーロンのペースに引き込まれそうな感じがして、強く首を振って思考を振り払う。


「だとして、魔法使いのお前がなぜ超能力のルーツを研究する必要がある」


「おっと、勘違いしてもらっては困るなぁ。僕はね」


 アーロンはそう言うと、右手の人差し指を立てた。


「"超能力"」


 更には中指。


「"魔法"」


 最後に親指を立てる。


「"呪術"。この"三つの異能"全てが『異世界』の産物だと思っている。あ、呪術は知ってるだろう? かつて十二神将と関わった君なら」


 詠真を心底ウンザリする。

 初対面の人間に自分のことをペラペラと知った風な口で語られるのは当然ながらいい気分ではない。そういえば数日前にも似たようなことがあったな、とデジャヴを感じる。

 そのデジャヴの原因である鈴奈は、詠真の過去に何があったのか気になりはしたが、今はそんなこと聞いている時ではないことも分かっているため何も言わない。

 沈黙を肯定の意思と汲み取ったアーロンは更に続ける。


「年数の不明瞭な超能力に比べ、魔法や呪術の歴史は千年を超えると言われている。そこで"氷帝"に聞こう──そのルーツを知っているか?」


 アーロンは鈴奈に問いかけた。

 魔法や呪術に関しての知識は浅いもいい所の詠真は千年という数字に内心驚きながらも、それほどの長い間存在を秘匿し続けてきたことに僅かながら感心を抱かずにはいられなかった。


「……知らないわ」


 鈴奈は歯切れが悪そうに答えた。

 いつもの余裕を感じさせる表情はなく、ばつが悪そうな表情を浮かべている。

 アーロンはその答えを待っていたといわんばかりに、口角を歪ませた。


「そうだ。しかし悲観することはない。それは()の聖皇女神さえも知らないことだからねぇ」


「聖皇様も……知らない……」


「この世界に存在する異能。超能力、魔法、呪術の起源。何故それは不自然なほど曖昧なのか、伝話のみで文献が存在しないのか。それは僕にだって理解は出来ない。けどね」


 アーロンは白衣の裾を翻しながら両腕を大きく広げ、空を仰いだ。

 感情の昂りを顕に、高らかに叫ぶ。


「だからこそだ! だからこそ僕は馳せることができる! 理解出来ぬモノは理解出来ぬ領域からの産物だと……そう──『異世界』だッ! 物理的にッ! 世界がッ! もう一つ存在するッ! 平行世界? ハッ! 笑わせるなッ! 我らとは異なる生命体が住み、営み、固有の理と概念を有する正真正銘『もう一つの世界』! 異能に満ち溢れた世界が存在するんだよッ‼︎」


 先ほどまで軽い物言いをしていた人間とは思えないほどの豹変ぶり。

 アーロンにとって『多重世界説』とはそれほどの事だと言うことが嫌という程伝わってきた。

 しかし。

 詠真は嘲るように鼻を鳴らした。


「確かにテメェの言ってることはあり得る話かもしれねぇな。でもな、それを理解できるかどうかは別の話だ。たくさんの尊い命を己の研究欲、探究心のために平気で犠牲にするような奴のことなんざ、死んでも理解したかねぇよ」


 まぁ俺は生きている可能性を信じるがな、と詠真は心で呟く。


「ククク、それは仕方ないことだ。いつの時代も先を行く者は理解されないモノなのだよ。だが……それも今に変わる」


 アーロンを中心にクレーター底を覆うほどの巨大な魔法陣が展開され、銀の光が輝き放ち始めた。

 詠真が攻撃に身構えるが、同じ魔法使いの鈴奈は驚愕に目を見開いた。


「……まさかッ!?」


「どうしたんだ舞川、これってそんなやべぇ魔法なのかよ!」


「そういう……ことじゃない……」


 魔法陣は魔法の設計図。

 だが魔法陣を見たからって発動される魔法を読み取ることはできないが、魔法陣の色によって発動される魔法の属性を読むことはできる。

 しかし鈴奈は銀の魔法陣など見たことがない。自分の知る限りでは銀に相応する属性などない。知らないだけ、なんてことはあり得ない。

 ……つまり。


「存在しない……属性……?」


 否。存在"しなかった"属性。

 それはすなわち、存在"しなかった"魔法だという事。

 アーロンはため息を吐いた。


「言ったと思うけどねぇ。適当な能力者を操って"君達に差し向けた"と。あの包帯共も言っていただろう『ミツケタ』ってさ」


 詠真は思い出してハッとした。

 確かにあの時詠真は思っていた。『ミツケタ』というのは俺たちの事を指していたのかもしれないと。

 張り込みを始めて直ぐに事が動いたこと、行動が筒抜けになっていた可能性。

 アーロンは始めに全てを知っていたと言っていたから確実に筒抜けだった。

 そして最後の映像を見せた魔法。

 ……逆だったんだ!

 張り込んで狙っていたつもりが、そこを逆に狙われていた。

 能力者を操ってアーロンがしようとしていたことは詠真と鈴奈にあの映像を見せること。

 ……思考加速系能力者を利用するために捕まえにきたわけではない。


「必要なかったってのか……思考加速系能力者なんて……」


「ご明察」


 ──全て予測通りだよ。


 アーロンのその一言が重くのしかかる。

 自分達の行動が筒抜けだったとか、裏をかかれたから悔しいとかではない。

 それどころではない。

 それどころでは……ないのだ。


「君達が阻止しようとしていたモノは、僕が既に完成させた。思考加速なんて僕には必要なかったんだ、だって僕は天才──いや、"異端者"だからね」


 アーロンはもう一度両腕を大きく広げ、宣布するかのように高らかに告げる。


「さぁ始めようか。僕が成した至高の技を。魔法を。見せてやろう──『別位相空間転移魔法』をォ!!」


 直後。

 浮遊感と共に世界は暗転した。



 ☆☆☆☆



 アーロン・サナトエルは魔法という異能に限界の壁を感じていた。

 千年の歴史上、誰もなし得ていない物質の転移を可能とする魔法。

 物質の転移魔法。

 それはアーロンが密かに唱える『多重世界説』を証明するに際して、絶対的必要不可欠なファクターだった。

 魔法使いを束ねる聖皇をもってしても不可能と言わしめたその魔法。

 完全に八方塞がり状態だったアーロンの元に、一つの噂が舞い込んできた。

 それは『超能力者に転移を可能とする力を持つ者がいるらしい』という、真偽の不確かな噂だった。

 アーロンは小さな光を掴めた気がした。

 超能力による転移を元にすることで、魔法の限界を破れるかもしれないと。

 アーロンは早速、超能力者達の楽園である天宮島へ足を運んだ。天宮島へ入国するには、天宮島政府からの招待状、又は政府の許可を得た国民からの招待状、もしくは超能力をその身に宿している、という条件があった。

 天宮島の中に知り合いなど居なかったアーロンだが、問題はなかった。

 それは彼が持つ特異性にあった。

 アーロンは魔法使いであると同時に、超能力をもその身に宿した極めて稀に稀を重ねた奇跡の異能者だったのだ。

 これは聖皇国ルーンには一切明かしていないことだったが、アーロンは超能力を使うことで天宮島へ入国し、偽名で住民票すら取得してみせた。

 そしてアーロンは見つけたのだ。

 超能力『空間転移』を持つ少女と、自身と同じ『多重世界説』を説く一人の研究者を。

 しかしアーロンにとって、同じ説を説く者など眼中になかった。必要なのは『空間転移』の少女のみ。

 彼は一日かけて方法を考えた。

 導き出したのは、能力を暴走させることで一度に大多量のデータを抽出し、それを元に魔法の術式を構築。

 そして自分の超能力『重力操作』と掛け合わせることで、次元を超える──"位相間の転移"を実現する事が彼の理論上では可能と出ていた。

 超能力、魔法、そして科学を取り入れた最高の術式だった。


 ──二日後。

 同じ説を説く男が『空間転移』の少女が軽い実験にかける時を利用して、能力の暴走を誘発した。

 まともに自身の能力を扱えず、能力制御面、肉体面、精神面共に幼い少女の能力暴走を誘発する事など、魔法を持ってすればなんら難しいことでなかった。少女自身に魔法を使い、使われる機材にも魔法で干渉する。

 そして事は起こった。

 暴走した『空間転移』は黒い巨大な球体の形として現象し、地盤を抉り取るほどの凄まじい暴走っぷりを見せた。

 予測していた以上のデータを抽出することができ、アーロンは歓喜に身を震わせた。

 彼にとって犠牲になった二百人あまりの学生達の命など、大義に必要な犠牲程度のモノだった。

 そこから更に三日。

 アーロンは遂に『空間転移魔法』を作り上げた。そこから細かな調整を行って行こうと思っていた矢先、天宮島に一人の魔法使いがやってきた。

 聖皇に仕える眷属の一人"氷帝"だ。

 ──予測はしていた。

 いくら超能力によって天宮島へ簡単に侵入できようと、それを見逃すほどこの島は甘くはない。だが見つけ出すこともできないだろう。

 そこでこの島は魔法使いに、聖皇国ルーンに要請を出すはずだ。そして派遣されるのは、聖皇のお気に入りである『氷帝』の可能性が高い。

 まさに予測通りだった。

 しかし少し遅かった。

 既に『空間転移魔法』は完成、あとは細かな調整を残すのみだ。

 そこで、アーロンはこう考えた。

『多重世界説』を自分一人で証明しても仕方ない。早い話、証明したい人物を一人一人異世界に連れて行けば良いのだが、そんなことをしていては力の浪費に他ならない。

 ならば誰か証人を用意する必要がある。異世界が存在したという事実を証言する第三者の存在が。

 その標的になったのが"氷帝"だ。聖皇のお気に入りが証言すれば、その発言に信憑性がつく。

 そうこう考えていると"氷帝"は一人の少年と手を結んだ。

 その少年がまた興味深かった。

 アーロンは超能力、魔法、そして呪術、正確には陰陽師に関しても知識が豊富だったため、少年を知っていた。

 その少年は一年前、天宮島の日常の裏で起こっていた陰陽師同士の抗争に巻き込まれ、更にはその戦闘に介入し無事に生き残った経験を持っていたのだ。

 アーロンは、魔法サイドは"氷帝"、超能力サイドは『四大元素』に『異世界』を証言させようと決めた。


「予測通りだよ、聖皇女神」


 ただ予測以上だったのは、二人が持つ頭の回転の速さだった。よもや十代半ばとは思えぬ頭のキレで、着実にアーロン・サナトエルへの道を辿ってきたのだが、彼とていつまでも遊んでいる気もなかった。

 予め手中においていた二人の超能力者に魔法、そして陰陽師が使役する"式神"の技術を応用してある種の人体改造を施し、使い捨ての駒『屍隷人形(サーヴァント)』を作り上げた。

 その『屍隷人形』に自分の居場所を教えるための魔法を仕込み、彼らの計画に乗じるように放ったのだ。

 彼らの計画を成功させたように思わせ、アーロンは自身の計画を成功させる。そして二人はアーロンの目の前に現れた。転移魔法の作成を阻止できたと勘違いしている愚かな子供だ。


 ──後は共に『異世界』に飛べば良いだけ。


 だがアーロンにも幾つかの不安要素は存在していた。

 一つは、異世界へ転移できる可能性は極めて低いということ。

 理由は簡単、座標を特定できないからだ。

 異世界は存在するとアーロンは信じている。

 しかしその座標を特定することは不可能といっても過言ではなかった。

 次元を捻じ曲げ、穴を抉じ開け、その先にあるであろう場所へと飛び込む。目を瞑りながらビルの屋上を走って飛び降りるようなモノだ。

 失敗すれば死は免れない。

 その小さな小さな可能性。

 だがアーロンは、その可能性に命を賭けることを躊躇する気はなかった。

 そして二つ目。

 それはアーロンが持つ唯一の欠点。    

 ……問題はない。命を賭ける以上、唯一の欠点など越えるに容易いことはないのだから。

 ──アーロンは高らかに告げた。


「さぁ始めようか。僕が成した至高の技を。魔法を。見せてやろう──『別位相空間転移魔法』をォ!!」


 直後。

 浮遊感と共に世界は暗転した。



 ☆☆☆☆



「うッ……」


 軽い船酔いのような感覚に目を覚ました詠真は、自分がコンクリートの地面に倒れていることに気が付いた。

 グワングワンと揺れる頭を押さえながら体を起こし胡座をかいてその場に座り込む。


「あぁ気持ち悪りぃ。えっと……そうだ、確かあいつの転移魔法が発動して……」


 詠真は顔をしかめながら周囲を見渡す。


「なんだここは……」


 黒、というより紫に近いだろうか。

 青い空は無く、雲も存在しない。

 天を仰げば広がるのはただ紫の空間。それは天だけに収まらず、周囲一帯は全て不気味な紫に染められている。

 街の喧騒も風もない。まるで360度紫色に染まった空間に浮く、浮島の上にでもいるようだった。

 しかしそれ以上に驚くべき光景は、目の前に悠然と立ちはだかっていた。


「……おい、これって」


 学校の校舎。

 詠真はその校舎に見覚えがあった。

 忘れるはずもない、唯一の家族である妹の英奈が通っていた中学校、如月中学校の校舎だ。

 見間違うはずがない。

 詠真は立ち上がるとその校舎に近づいて行く。校門に取り付けられたプレートには『第三区立如月中学校』の文字が……。


「……間違いない」


 ここは『空間転移』の能力暴走によって失われた如月中学校の校舎だ。

 つまり今詠真が立っているこの陸地は、クレーターに変貌してしまったあの場所に本来あるべき……あったはずの場所だということだ。


「どうなってんだ……まさかここが『異世界』なんて言わねぇよな。……おい、ちょっと待て。ここに校舎があるってことは、中に人がいるかもしれねぇ……!」


 詠真が校舎の中に駆け出そうとした時、別の方向から足音が聞こえてきた。

 足音の主は青髪の少女。


「舞川……」


「ここに居たのね」


 鈴奈はパチンと指を鳴らした。

 詠真の体を魔法陣が突き抜け、気怠い船酔いのような感覚が消えてなくなる。


「あ、ありがとう」


「ここには人はいないわよ」


 鈴奈は校舎を指して断言した。


「まるっきり人の気配を感じられない。人間は別の所に飛ばされたか、あるいは本当に消えてしまったか。そのどちらかでしょうね」


「消えたとか……俺は認めねぇぞ!」


 感情を昂らせた詠真の肩をポンと叩いた鈴奈は囁くように言う。


「認めたら君はそこで終わりよ」


「ッ……」


「とりあえずその事は置いておきましょう。今は状況を詳しく理解する必要があるわ。おそらくこの場所に……アーロン・サナトエルもいるだろうしね」


 二人は今把握できている情報を共有する。

 今立っている陸地は第三区から失われた如月中学校跡であること。居たはずの二百人程度の人間は一切いないということ。アーロン・サナトエルの別位相空間転移魔法によってこの場所に飛ばされたということ。

 もう一つ、鈴奈は己の見解を述べる。


「私は『異世界』とか位相とかに関して知識を持っているわけではないわ。でも一つの可能性として、この空間は『位相の狭間』と呼べる場所じゃないかと思ってるのよね……」


「次元と次元の境界……いや、世界と世界の境界みたいなものか?」


「そうねぇ、そんな感じでいいんじゃないかしら。ここが異世界だとは思えないし、アーロン・サナトエルの転移魔法は失敗した……ということかしら」


「失敗だとすると、ここから元の世界には戻れなかったり……」


「そうなればここで餓死する他ないわね」


 詠真は半眼で鈴奈を睨む。


「何よ、戻れないとか言い出したのは君でしょ! そんな目で見るな!」


「あー、はいはい。……でもまぁ」


 校舎の方向に何かを感じ取った詠真は校舎の屋上を睨みつけ、首の骨を鳴らしながら大きく息を吐く。


「本人に聞きゃどうにかなるんじゃね」


「……そうね」


 鈴奈が右腕を一振りした。

 するといつの間にかその手には青い鞘に収まった剣が握られていた。詠真の家に押しかけた時に帯剣していた例の剣である。

 四つの瞳の先、校舎の屋上に佇むのは世界を求めし銀の魔法使い。

 静かに三対の瞳が交錯する。

 アーロンがゆっくりと両腕を広げた。

 彼の背後には巨大な黒い魔法陣。


「あいつもヤル気みたいだな」


「……来るわよ」


 鈴奈の警告の直後。

 巨大な黒い魔法陣から無数の"何か"が二人に向かって射出された。

 詠真の瞳は茶に変色。二人を守るように縦幅十メートルに及ぶ硬質な岩壁が迫り上がった。

 続けて来る無数の衝撃音。


「舞川! あれは何の魔法か分かるか!」


「あれは魔法金属の生成魔法よ! 今は飛来してるのは無数の武器!」


「あ? 魔法金属⁉︎ よく分かんねぇけど、んなことまで出来んのかよ!」


 ビシィ! と岩壁に亀裂が走る。このままじゃ防戦一方。

 どう切り抜けるか詠真が考えていると、鈴奈が剣を鞘から抜き放った。

 柄に青薔薇の装飾がなされた美しい輝きを持つ西洋式の剣だ。


「少し持ち堪えて!」


「……了解!」


 亀裂の入った岩壁を覆うように新たな岩壁が形成される。

 鈴奈は青薔薇の剣──剣銘『氷薔薇乃剣(グラキエス・ロッサ)』を体の前で水平に構えた。

 頭上に青い魔法陣が展開される。


「撃ち落とせ 撃ち貫け 天を支配せし 無双の槍──『(そら)氷槍(ひょうそう) 』!」


 頭上の青い魔法陣から無数の氷槍が射出され、アーロンが放っている無数の武器を次々に撃ち落としていく。

 攻撃が止んだ瞬間を見計らって詠真は岩壁を放棄。力を『地』から『風』に切り替える。風が存在していないこの空間でも、『風』の力は問題なく機能する。

 背中に四つの小さな竜巻を接続した詠真は高く飛び上がり、両手の掌をアーロンに翳した。


「吹き飛べ‼︎」


 掌から大きな竜巻が発生し、アーロンへと一直線に襲いかかる。

 詠真が直撃を確信した時、黒い魔法陣は消え武器の射出が止まる。それにより鈴奈の『天ノ氷槍』がアーロンへ攻撃の矛先を変えた。

 竜巻と無数の氷槍がアーロンに迫る。


 銀は口角を歪ませた。


 アーロンへ放ったはずの竜巻が詠真の髪を掠め、全ての氷槍が一瞬にして粉々に砕け散る。


「何……がッ!?」


 突如詠真の体は地面に叩きつけられる。接続した竜巻は機能しているにも関わらず、竜は地に落とされた。


「ぐッ……なん……」


 詠真の体は地面に張り付けられていた。まるで重力に押し潰されているかのように体はビクともしない。

 圧力は更に増加する。地面に放射状の亀裂が走り、詠真の体はギリギリと悲鳴をあげる。

 鈴奈も同じ状況だった。

 両者共に無防備な状態で地面に縫い付けられ、攻撃を受ければ防御することは困難な最悪の状態。

 抗う二人の耳にアーロンの声が響く。


「そんなものか君達の力は」


「く……そッ……!!」


「一応伝えておいてあげよう。僕は君達に、『異世界』が存在するという事実を証言してもらおうと思っていた。だがやはり、そう簡単に異世界へ辿り着くことはできなかった。だがこの『位相の狭間』とでも言うべき場所は非常に興味深い場所でね、僕はここで一通りデータを取りたいと思ってるんだよ」


 アーロンは軽い笑い声をあげ、続ける。


「だがそこには君達が少々邪魔でね。元の世界に戻してあげれなくもないんだが、それは僕自身が戻る時まで使用したくなくてねぇ。如何せん、転移魔法の使用は力の消費が激しいんだ」


「ふざけ……やがって……ッ!」


「ククク、君達もその様子だと僕に自由な時間を与えてくれそうにない。そこで僕は考えた。──君達をここで始末してしまおうとね」


 不意に二人を縛り付けていた謎の圧力が掻き消えた。


「殺そうと思えば簡単に殺せる。でもどうせなら、楽しみたいとは思わないかい?」


 軋む体を起こしフラフラと立ち上がった二人はアーロンを強く睨みつけた。


「あんまし……舐めてんじゃねぇぞ」


「後で後悔するわよ。さっさと殺しておけば良かったってね」


「ならばこうしよう。君達が僕に勝てば元の世界に戻してあげよう。だが僕が勝てばここで死んでもらう」


 詠真と鈴奈は不敵に笑う。

 見せつけられた圧倒的力に怯まず、勝って生き残るために。

 拳を、剣を、構えた。


「見せてやるよ。学生の本気ってやつを」


「氷帝を甘くみないでね。火傷するわよ」



 ★☆☆★



 キリスト教最大の教派、カトリック教会の総本山で知られる南欧の都市国家バチカン市国。

 しかしその真の顔は、千年以上の歴史を誇る異能集団『魔法使い』のみが入ることを許された魔法の国。

 その名を聖皇国ルーンと言った。


「始まったようですね……」


 聖皇国ルーンの南東端にある荘厳な大聖堂、サン・ピエトロ大聖堂最奥の玉座で一人の女性がボソリと呟いた。

 美しくも儚い聖女のようでいて、強く気高い騎士のようでもある長い白髪のその女性は、魔法使いを束ね聖皇国ルーンを統治する偉大なる魔法使い。

『聖皇』ソフィア・ルル・ホーリーロード。


「アーロン・サナトエル……やはり貴方でしたか」


 ソフィアは誰に語りかけるでもなく、瞳を伏せ淡々と唇を動かす。


「魔法と超能力を持つただ一人の強者。孤独なる異端児。……ただ純粋に世界を求めし、我が愛すべき同胞よ。貴方が求めし真実は、貴方が触れるには些か手に余る禁断の領域です。この私でさえも触れることが叶わぬほどに……」


 伏せた瞼をゆっくりと開く。

 目に見えぬ心さえも見透かすようなハイライトの消えた緑眼。瞳の中には青い十字架が刻まれている。


「来たるべき戦乱の時。その時に我々は知る事ができるのです。世界を取り巻く三つ巴の"力"の真実を」


 ソフィアは玉座から立ち上がり、傍らに置かれた白銀の杖を手に取る。

 柄が大聖堂の床を叩き、カンッ! と音を響かせた。


「今はまだその時ではない。身の程を弁えなさいアーロン・サナトエル。その身の愚行、我が眷属の粛清によって悔い改めるのです。……さぁ、お行きなさい」


 もう一度、柄が床を叩く。

 ソフィアは愛おしそうな表情を浮かべ、


「必ず勝利するのです。貴女と貴女が選んだ少年の力を信じ、異端を走る強敵を打ち破るのです」


 静かに瞳を閉じて祈る。

 勝利と帰還を信じて祈りを捧げる。



 ☆☆☆☆



 瞳は青へ。『四大元素』第二の力『水』を発動させた詠真は腕を横薙ぎに振るう。無数の水の弾丸が放たれ、飛来する魔法金属の剣や槍などの武器を迎撃した。

 鈴奈の『天ノ氷槍』と合わせて攻撃を防ぐことはできているが、アーロンへ距離を詰めることは依然できていなかった。

 遠距離を保てば飛来する武器、それを掻い潜ったと思えば、『念動力』にも似た魔法で地に縫い付けられるか、後方へ弾き飛ばされてしまう。


「どうした、その程度か?」


「チッ……いちいち魔法で声を届けて頂かなくても結構なんだがな」


「その方が楽しめるだろう?」


 アーロンは校舎の屋上から一歩たりとも動いていない。まさに余裕の一言だ。

 詠真と鈴奈は縦横無尽に展開しているにも関わらず、減っていくのは己の体力と集中力、そして魔力のみ。

 絶望的な攻撃さえないものの、防から攻へ移行が出来ず、ボスのHPを一ドットすらも減らすことができないことに苛立ちを覚える。


「楽しみを増幅するために、一つ僕の秘密を教えてあげようか」


 直後、真上からの強大な圧力に詠真と鈴奈の体は地面に縫い付けられる。


「この力は重力を操るモノでねぇ。実の所、これは魔法ではないんだよ」


「なんッ……ですって……!」


「これは超能力だ。『重力操作(グラビティ)』と名付けている」


 二人は驚愕に目を開くこともできない。

 アーロンは囁くように言う。


「言ったろう? 僕は"異端者"だって」


 二人を縛っていた重力の鎖は解除。

 アーロンの背後に巨大は黒い魔法陣が浮かび上がった。

 ……なんだ?

 詠真はとある違和感を感じた。

 しかしゆっくり考えてる暇などなく、あらゆる武器が襲いかかってくる。

 

「……ふっ……!」


 鈴奈は飛来する武器を魔法で迎撃しつつ、違和感に思考を割いていた。

 ……魔法と超能力?

 魔法を使用可能とする先祖から受け継ぐ血統に加え、個人が先天的にのみその身に宿す超能力。

 確かに両方を持つことは不可能というわけではないかもしれない、天文学的確率ではあるが。少なくとも前例を聞いたことはない。

 ……仮に本当だとして、人の体は二つの異能を許容できるの?

『天ノ氷槍』が撃ち落とし切れなかった剣が鈴奈の制服を掠め、更に二本の剣が眼前に迫る。

 ……奴が使用しているのは魔法金属生成の魔法と造形、操作の魔法のみ。まさかそれしか使えない……なんてことは流石にないだろうし。

 襲来する武器を『氷薔薇乃剣』で弾き返すと、鈍色の魔法陣が剣身に浮かび上がる。

 飛来する無数の武器の合間を縫うように狙いを定め、


「──乗せる音の刃『ソニックムーブ』」


『氷薔薇乃剣』を強く振り下ろす。

 キィィィイン‼︎ と甲高い音を立て、切れ味を有した衝撃波が狙い通りアーロンへと襲いかかった。

 アーロンは魔法で手に一振りの簡素な剣を呼び出すと、鈴奈の放った『ソニックムーブ』をいとも簡単に相殺する。


「同属性の相殺。やっぱり手を抜いているだけのようね、腹立たしい」


 魔法における属性魔法は、同じ属性同士であれば相殺することが容易である。火属性には火属性を、水属性には水属性といった風に。

 しかし、そこに実力差がある場合は容易というわけではない。

 今回の場合、鈴奈の力よりアーロンの力が勝ったことによる相殺、よりは無力化に近いだろうか。

 だが『ソニックムーブ』のような音属性を鈴奈は得意としているわけではないため、さほど悲観するようなことではない。

 ともあれ、アーロンが使用できる魔法は今発動されている"アレ"だけではないということは分かった。

 まぁ当然と言えば当然だろう。

『空間転移魔法』を組み上げてしまうほど、アーロンは天才と呼べる魔法使いなのだから。

 鈴奈は歯噛みする。

 ……何か突破口を見つけないと、こいつにはいつまで経っても勝てない。

 ──それは詠真も感じていた。

 魔法と超能力を有する未知の相手に、真っ正面から立ち向かっても勝てない。消耗戦に誘い込んだところで、先に倒れるのは当然自分達だ。

 だからこそ何か弱点、とまでは言わずとも小さな隙でも見つけないことには埒が明かない。


「やるだけやってみるしかねぇな」


 詠真は発動する力を切り替えた。

 瞳は青から赤へ。更に右目が緑に染まる。赤と緑の虹彩異色。

『四大元素』全四つの力の内、同時に発動できる限界は二つだ。

 赤と緑。つまり、『火』と『風』。

 背に四つの竜巻を接続。上空へ舞い上がった詠真は、両腕に風の渦を発生させ翼を羽ばたかせるかのように大きく腕を振るった。

 前方にひしめいていた無数の武器は巻き起こった突風によって蹴散らされ、アーロンへの道が切り開かれる。

 しかし詠真はそこを進むのではなく、アーロンに向け両掌を翳す。


「消し飛べッ‼︎」


 右手に火の渦が、左手に風の渦が発生し、二つの渦は絡み合うように融合。

轟ッッ‼︎‼︎ という凄まじい音と共に、詠真の掌から炎を纏った巨大火炎竜巻が放たれた。

 黒い魔法陣から放たれ続ける武器を巻き込んで更なる破壊力を伴い、アーロンへただ一直線に襲撃する。

 アーロンは火炎竜巻に掌を翳した。背後に浮かぶ黒い魔法陣は消え、そこから生み出された無数の武器も消滅。


 ──火炎竜巻はアーロンに直撃する数メートル手前で突如方向を変え、発動主である詠真へと牙を向いた。


 それを折り込み済みだった詠真は顔色を変えずに腕を上に振り上げる。

 火炎竜巻の軌道は詠真の斜め上に逸れ、やがて掻き消えた。


「何度やっても同じことだよ。僕には『重力操作』がある。引力と斥力を自在に操るこの超能力がね」


「……そうか」


 詠真は俯いて──笑った。

 アーロン、それに鈴奈にもその笑みが見えることはなかったが、確かに少年は口角を上げて笑った。

 奴にとっては造作もないことかもしれない。

 だが詠真は見つけた。

 違和感の正体を。

 アーロン・サナトエルを切り崩すことができる唯一の可能性を。


「さぁ、もっと楽しませてくれ!」


 無数の武器を生み出す黒い巨大な魔法陣が再展開。

 詠真はすぐさま鈴奈の元に降下、一瞬で力を切り替え、前方を囲うようにして堅牢な岩壁を構築した。

 絶え間無く続く衝撃の中で、詠真は一つの違和感を指摘した。


「おかしいと思わないか? 重力で俺たちを縛り、そこに武器の雨を降らせれば奴は一瞬で勝てる。だけど奴はそれをしようとしない」


「戦いを楽しむため……ではなく?」


「そうかもしれない。だが違うかもしれない。奴は──魔法と超能力を同時に発動することができないんじゃないか?」


「そんなこ…………とあるかもしれないわね……」


 鈴奈の頭を過ったのは先刻の攻撃。

 詠真が放った火炎竜巻を防ぐ際、アーロンは一度"魔法陣を閉じて"から火炎竜巻を跳ね返していた。

 思えば『重力操作』を発動する際には必ず魔法陣を閉じていた。同時に発動できるのならそんな面倒なことはしないはずだ。ただ手を抜いているだけかもしれない。

 だが、可能性はある。


「同時に発動できない事を前提に話す。俺たちにはそこしかないからな」


「えぇ、構わないわ」


 詠真は頷いて続ける。


「作戦自体は簡単な話だ。どちらか一方が奴の攻撃を一身に引き受ける。もう一方がその隙に奴を叩く。奴がそこに反撃してきたとしても、手が空いた片方が攻撃を加える」


「まぁそれしかないでしょうね。でも言うのは簡単でもかなり骨が折れるわよ」


「分かってる……でもやるしかねぇよ、死ぬ気でやるしかねェ!」


 詠真は自分を鼓舞するように、言い聞かせるように力強く叫ぶ。

 鈴奈はしばらく目を閉じたままだった。

 やがて瞼を開けると、『氷薔薇乃剣』を地に突き立て強く息を吐く。

 顔は笑っていた。


「いいわ。君に私の命を預ける」


「どういう……」


「そのまんまの意味よ。私が全力で奴を足止めしてみせる、他に手が回らないほどの力でね。でもそれは一度しか使えない決死の一撃。……私は君に賭ける。だから、君の全力を見せてちょうだい」


 どこまでも真剣で迷いがない鈴奈の目は、詠真への絶大な信頼を物語っていた。

 詠真は思わず一歩退きそうになる。

 たった一度のチャンス。逃せばそこで全てが終わる。

 プレッシャーに押し潰されそうになる。

 だがいつまでも悩んでいられない。岩壁はもうもたない。

 覚悟は決めたはずなのに──鈴奈は震える詠真の手を握った。

 "氷帝"なんて異名が嘘だと思うほどに、暖かく優しい華奢な手。

 出会ってまだ数日。

 いつも詠真を揶揄ってばかりいた鈴奈は、心から──本心で彼を呼ぶ。


「大丈夫、やれるわ。きっと出来る。私達は一人じゃない。だから大丈夫よ……詠真ならきっと出来る」


 迷い、恐怖、悲しみ。

 あらゆる負が一瞬の内に消し飛んでしまうような、少女の心からの笑顔。

 私達は一人じゃない。だから大丈夫。詠真ならきっと出来る。

 その笑顔、その言葉は少年の心に空いた穴を埋める心の欠片となって、何者にも負けぬ最強の勇気と自信を齎した。

 少年は少女の手を握り返した。


「……任せろ、鈴奈」


「うん、期待してる」


 二人は笑顔を交わす。

 もう一度……自分達の世界で笑顔を交わすため、二人は今一度笑顔を消した。

 望むのは勝利。

 臨むのは強大な力を持つ銀の異端者。

 岩壁は遂に限界を迎える。


「詠真、二十……いや、十秒だけ時間を稼いで。合図をしたらその場を離れて」


「了解ッ!」


 爆砕音を放って岩壁は崩落。

 魔法金属で生成された無数の武器が凶悪に二人へ牙を向く。

 詠真の瞳は赤と緑へ。

 放つのは──


「邪魔ッ……くせェェエ!!!」


 火炎竜巻──いや、更に威力と大きさを増した爆炎大竜巻が全てを撃ち落とす。

 それでも勢いは止まらず続けて降り注ぐ金属の雨。詠真は十秒を稼ぐため、金属の雨を全力で薙ぎ払っていく。


「──ふぅ」


 鈴奈の足元には巨大な青の魔法陣が展開し、地に突き立てられた『氷薔薇乃剣』が神々しい光を放っていた。

『氷薔薇乃剣』の柄を両手で固く握りしめ、静かに詠唱を唱え始める。


「我が誓いは永遠の薔薇。氷が魅せる美の献上。皇へ詠いし我が心、穢す輩へ聖なる罰を。誓いの剣よ、其が姿を現し賜へ」


 魔法陣が強烈な光を放ち始め、『氷薔薇乃剣』が魔法陣に溶け込むように消えていく。

 鈴奈はここで全ての覚悟を決める。

 敬愛せし聖皇様より授かった氷の剣。そこに込められし最強の魔法『封解顕現』の使用許可を頂いた。


『あれを使用すれば鈴自身も無事で居られる保証はありません。ので本当に必要だと判断した場合のみに限ります』


 それはつまり、この魔法を使用すれば命の保証はできないということ。

 それでも。

 鈴奈は詠真に命を預けた。


「凍て尽く巨躯、慈悲を裂きし鋭爪凶牙、絶対零度の猛き咆哮。美麗なる彫刻に命の息吹を。

《氷帝》の名のもとに告げる。封じられし獣、此処へ顕現せよ」


 覚悟はできた。

 鈴奈は紡ぐ。


「――極光・招来――」


 上空に七色のオーロラが輝き出し、鈴奈は魔法陣から出た光の柱に包まれる。

 ──今よッ!

 微かに聞こえたその合図に、詠真は信じてその場を離れた。

 鈴奈が最後の詠唱を紡いだ。


「『氷鈴鳴河』――魔聖獣『無慈悲氷狼(リモースレス・レド・ウォルフ)』‼︎‼︎」


 光の柱に無数のヒビが入る。

 直後。

 轟く獣の咆哮が空間を震わせ、光の柱が完全に砕け散った。

 そこから姿を現したのは、全長十メートルに及ぶ猛々しい氷の狼。

 鈴奈の姿はない──否、この氷の狼『無慈悲氷狼』こそが鈴奈自身。

 剣に込められた枷を解く魔法『封解顕現』によって、鈴奈は莫大な力を持つ『魔聖獣』へとその姿を変貌させたのだ。


「グォォォォォォォォォォォオ‼︎‼︎‼︎‼︎」


『無慈悲氷狼』は猛き咆哮を上げ、無数の武器を蹴散らしながらアーロンのいる校舎の屋上へ飛び掛かった。


「いいぞ"氷帝"ッ‼︎‼︎‼︎‼︎ それでこそだ、それでこそやりがいがあるッ‼︎‼︎‼︎」


 アーロンは斥力を操り獰猛な氷狼を迎え討つが、氷狼の勢いは斥力さえもぶち破っていく。

 ゴガァァァンッ‼︎‼︎‼︎ と凄まじい衝突音が轟き、アーロンのたった数十センチ眼前で氷狼は斥力の壁に阻まれた。

 跳ね返しきることはできず、見えない壁と氷狼が迫り合り拮抗する、


「ガァァァァァァアッッッ‼︎‼︎‼︎」


「ククク、キヒヒヒヒヒッッ‼︎‼︎‼︎ 」


 二つの莫大な力が衝突し空間がビシビシと震え悲鳴を上げる。


 ──木葉詠真は校舎の裏手でしゃがみ込み、地面に両手をつけ目を閉じていた。


「二つじゃ足りない。三つ……ダメだ、四つだ。四つ全てを同時に発動させて、俺の全てを叩き込むんだ」


 限界の二つ同時発動を超える、『四大元素』全四つの力全ての同時発動。

 できるか──ではない。

 やらないといけないんだ。

 やる。やるんだ。

 全てを賭けるんだ。

 鈴奈の想いを、無駄にはしない。

 詠真は体の中に眠る己の力を、全集中力を使って呼び覚ます。

 瞳は赤と緑へ。赤と青へ。青と緑へ。緑と茶へ。茶と青へ。赤と茶へ。

 これじゃない。もっとだ、もっと引き出せ木葉詠真!

 自分を奮い立たせ、渦巻く四つの力を束ねるように引き出していく。

 そうだ──いける。


 ──いけるッ‼︎‼︎‼︎


 瞬間。

 木葉詠真の中で何かが起こった。


「グォォォォォォォォォォォオ‼︎‼︎‼︎」


 咆哮が轟く中、『少年』は静かに呟く。


「……一先ず成ったか」


『少年』の髪は白く染まっていた。瞳の色は通常の黒のままだが、瞳の中に赤い十字架が浮かんでいる。

『少年』は地面から引き抜いた。

 それは岩の剣。長さ五メートル、幅二メートルにもなる巨大な岩の剣を二本引き抜いたのだ。

 背中に四つの竜巻を接続し、少年は空高く飛び上がる。

 見下(みくだ)すは銀の異端者と氷の狼──二人の魔法使い。

 『少年』はだらんと垂らした二本の岩の巨剣に、それぞれ燃える炎と逆巻く水流を纏わせた。

 ──四つだ。

『四大元素』を成す地水火風の四つ全てを、『少年』は同時に発動してみせたのだ。


「……これで終わりだ」


 感情の欠けた『少年』の声は、アーロン・サナトエルをロックオンする。

 風の補助によって岩の巨剣を軽々しく掲げ、竜巻を増幅させ、標的へ弾丸の如く襲いかかった。


「いいぞッ‼︎ いいぞッ‼︎‼︎‼︎ ならば僕も答えようッ! 全力でなァ‼︎‼︎‼︎」


 アーロンは『重力操作』で氷狼の攻撃を防いだまま、迫り来る少年に向かい片手を翳した。

 展開する超巨大な黒い魔法陣。生み出されたのは、超巨大な漆黒の盾。

 アーロンは口の端から血を流す。超能力と魔法は同時に発動できない。アーロンの持つ唯一の欠点が、ついに体を蝕み始めたのだ。

 別位相への『空間転移魔法』発動の際には無理矢理二つの力を同時発動。それはアーロンの体に尋常ではないほどの負荷をかけていた。

 そして同時発動をもう一度行った為、外からの攻撃に加え、内からも自身の力によって侵されている。

 そんな状況……アーロンにとって"今"は最高に楽しい状況だった。

 そんな狂気に満ちた銀の異端者に、『少年』は感情の欠けた声を投げる。


「愚かな魔法使い。お前は"こちら側"へ属すことはできない。……散れ」


 炎と水流を纏った岩の巨剣が漆黒の大盾に振り下ろされた。


「グガァァァァァァアァァァア‼︎‼︎‼︎」


『無慈悲なる氷狼』は全てを賭し、爪牙を突きたて斥力の壁をぶち破る。

 ……そして。

 莫大なエネルギーの衝突、炎と水流による水蒸気爆発により、強烈な光と凄まじい大爆発が巻き起こった。

 校舎は跡形もなく吹き飛び、地面は酷く抉り取られた。


 やがて爆炎と砂塵が晴れる。


 巨大な氷狼は元の少女の姿に戻り、少年の髪は白から黒へ、瞳の十字架は消えている。

 ボロボロになり大火傷を負ったその二人は──地面に倒れていた。

 ピクリとも動く気配はない。


「……クク…………」


 ただ一人。

 アーロン・サナトエルだけは満身創痍の体で、かろうじて立ち上がっていた。

 もはや笑う力もない筈なのに、アーロンは無理矢理にでも笑ってみせる。


「クク……ハハハハッ……ゴハッ」


 口から大量の血が吐かれる。目や耳、鼻からも血が溢れている。。

 アーロンは自分をここまで追いやった二人の子供を睨みつけ──そして、諦めたように目を閉じた。


「……僕の、負けだ…………」


 アーロンの足元を中心に、銀の巨大な魔法陣が展開する。

 その中には二人の子供もいた。

 なぜこんなことをしているのか。それは彼にもよく分からなかった。

 ただ負けたから。最後に立って居たのは自分なのに。

 それでも、自分は負けたんだ。

 アーロンは血を吐きながら、ゆっくりと唱えた。

 無事に戻れるように。


「『別位相空間転移魔法』……僕達を元の世界に戻してくれ……」


 視界は暗転。


「だが……僕は"諦めない"。また会おう、『四大元素』の少年」


 誰に聞かれぬ言葉を最後に、一つの死闘が終わりを告げた。



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