『きっといつか、彼は気付く』
イタリア某所。深い山の中に、灰爽由罪は居た。
木葉詠真に破れて数日、天宮島へは戻らなかった彼は、とりあえず資金調達の為に極道関係の施設を襲撃。手に入れた金で海外へ飛び、行き着いたのはイタリア。
特に理由はなかった。目的が無い。なにをしようとも思わない。
そんな折、テレビで目にした『木葉詠真に対する英国の宣戦布告』だった。
アイツは一体なんなんだ。疑問と共に、怒り。
自分とは違って、あの少年には大きな存在理由と大きな目的がある。
強い。自分とは何もかもが違う、真に強い者。
炯眼は正しかった。同時に、灰爽由罪は木葉詠真よりも弱かった。
それは認めざるを得ない、事実なのだ。
「……ねェぞ」
根城としている山小屋の周囲に現れた異質な獣。
由罪はその言葉と共に、獣へ落雷を放つ。
「……認めねェぞ」
眩く。獣は灰へと還る。
その獣が何だったのかなどどうでもいい。
あー、ダメだ。足りねェ。殺り甲斐がねェ。
「俺には何が足りねェ? アイツに勝つ為には、何が必要だ」
辺り一面に、落雷を放つ。
木々が発火し、森は瞬く間に業火に包まれる。
更に風が吹き荒れ、炎を伴って炎嵐が空を衝く。
山火事。火災旋風。ここで災害規模の人間が一人、感情のままに暴れ狂う。
「分かんねェ……国一つでも滅ぼせば、なんか分かるのか? どうだろうなァ」
由罪の眼は、遥か下方の街へ――イタリアという一つの国へ向けられる。
瞬間、火災旋風が飛散し、空を異常なまでの黒雲が覆い始めた。
発生する嵐――暴風と暴雨。起こすのは――スーパーセル。
一度出してみたかった――本当の全力を。
滅ぼせる、国を。
「俺の糧になれや、クソ国家」
滅ぼしてやる、国を。
それで何か変わるのなら、世界中の国を滅ぼして、より強く、高みへ昇ってやる。
躊躇は無い。
灰爽由罪の眼には、今も昔も、木葉詠真しか映っていないのだから。
振り上げた腕が、滅ぼす腕が、振り下ろされる――瞬間だった。
「可笑しな気配を感じて来てみれば、何者だ貴様」
空を覆う黒雲が、紅く輝く長大な刃によって切り裂かれた。
光が差す――その下に、由罪の前に現れたそれは、真紅の男だった。
同色の剣が軽く切り払われ、凄まじい熱が由罪の頬を叩く。
「……なんだ、テメェ」
「それはこちらのセリフだ。貴様、超能力者か」
「だったらなんだ? 邪魔すんじゃねェよ」
「そうはいかんな。悪いが、止めぬと言うのなら斬らせてもらうが」
「……ああ、そうか。テメェもか――その舐め腐った眼を俺に向けやがって」
発動――『自由気象』
由罪の背後に数え切れぬほどの氷柱が出現、射出。
豪雪の如く吹き荒れた氷柱の襲撃に真紅の男が取った行動は一つ。
真紅の剣を横薙ぎに振るう。たったそれだけで氷柱は一つ残らず蒸発し、水蒸気が辺り一面を覆い隠す。
視界は最悪。だが由罪は狙いを定めることなく、前方へダウンバーストを放った。
狙いなど定める必要はない。全て押し潰してしまえばいいのだ。
しかし。
手応えは無かった。
普通の人間ならば惨たらしく潰れているであろう風の拳を前に、その男は悠然と立っていた。
――そうか。
と由罪は嗤う。
――ああ、今更か。
と由罪は、世界の広さに、嗤う
「テメェみてェな化け物が、この世界には確かに居るよォだなァ」
「化け物扱いか。まあ似たようなモノかもしれんな」
ふと、真紅の男が纏う雰囲気が一変する。
冷酷に冷め切ってきた炎が、どこか黒く、紅く、色を変容させる。
あくまで印象、感覚の世界だが、おそらくその男は、――ようやく由罪を『見た』。
舐め腐った眼は消え、籠るのは私怨か。怒りと苛立ちの眼だ。
「イイ眼じゃねェか、クソッたれ」
「ちょうどいい憂さ晴らしだ。悪く思うなよ、クソガキ」
「――俺をガキ呼ばわりしてんじゃねェぞォオオォオオ!!」
周囲一帯にダウンバーストが連続で発生、地盤が抉れ、燃える木々の炎が掻き消える。
同時に由罪は竜巻によって天高く舞い上がり、氷の円盤に乗って滞空。眼下へ向け、極大の雷を落とした。視界が眩く――眼下では、煌めく炎が雷を全て飲み込んでいた。
化け物のすることだ、なぜ……など考えるのは時間の無駄だ。
起こった現象は、起こり得るから起こる。
「ああ、イイ……強いな、アイツより強いぜテメェ」
突如、吹雪が舞う。一瞬にして吹き荒れ、本物の豪雪となって山を白銀に染めあげる。
吹雪に混じる氷柱、雹、木々の破片、抉れた地盤の石礫、肉を削る殺意の風。
気温が急降下。マイナス数十度の領域に突入してもなお、止まらない。
由罪の体の節々が凍り始めるが、無視する。
両手を上へ――形成される極大の氷柱。
「テメェに勝てば、アイツより強くなれる。ああ、きっとそうさ――なァッ!」
振り下ろした。
そして。
紅い軌跡が氷柱を両断。
「随分と多彩な力だ。思い出したくもない少年を想起させる……」
背から炎の翼を生やしたその男が、由罪の正面へ飛び上がっており、
「が、貴様は弱いな。その少年より、はるかに弱い」
真紅の剣が由罪の右肩を貫いた。
もし反応が遅れれば心臓を突かれていただろう。
態勢を崩し足場から落下した由罪は血が噴き出す方を押さえながら、新たに発生させた竜巻と氷の円盤でリカバリー、上空から見下ろしてくる真紅の男を強く睨み返した。
「俺が、弱いだと? テメェもそう口にするのかよ……あァ!?」
「弱いさ。何せ貴様からは、『理由』が見えない。むしろ、存在しないのだろう」
「理由だと……そんなもん、ありまくるに決まってんだろォが」
「そうか、すまなかった。ならば言い直そう――貴様の理由は、『アイツ』という存在が持つ理由よりもはるかに弱い。まあつまり、貴様の弱さだ」
「ンだと……」
アイツが――木葉詠真が戦う理由。
それはなんだ? 由罪はおそらくそれを知らない。
もはや理解できる領域にないのかもしれない。
――だからなんだ?
どうでもいい。アイツが戦う理由などそどうでもいい。
「だからクソガキと言っている。貴様――大事な女の為に、友の為に戦うこともできぬのか」
「ンなもんいねェな」
「イイ面しておいて孤独か。性格の悪さが原因か?」
「黙ってろやクソ野郎」
「ないのか? 共に語り合う存在、寄り添ってくれる存在、――血で繋がる一生の存在が」
血で繋がる――それは家族。
由罪は捨てられた身だ。そんなもの、どこにもありはしない。
壊したいくらいだ、全て、過去の全てをこの手でぶち壊してやりたいくらいなのだ。
それが、大事な存在? なるわけがない。理由の欠片にもなりなどしない。
だが、
「あるいは、些細でもいい。自分の事を些細でも気にかけてくれる存在は――」
その一言で、由罪の脳裏にはとある少女の姿が過った。
彼女は、一度ボコった相手で、それだけの関係で、……島を立つ時に弁当を持たせてくれた非力な少女。その弁当の味は、どこか昔の母の味を思い出させる、不快なモノで。
「――いないのか?」
「いねェよ黙ってろやァァアアアアアアアアアアアア!」
どうして激情したのか、由罪には分からなかった。
それから、僅か一分。
由罪は再び、地を舐めて、悔しさが口内に広がるのを感じていた。
「……ッ…………」
「その程度でスーパーセルなど起こして何を目論んでいた」
「…………、」
「答えぬか」
真紅の男は由罪の体を蹴り、仰向けにすると、彼の左眼を鋭く切りつけた。
鮮血が舞う。その鮮血は燃えて蒸発し、左眼は火傷によって止血――光を失った。
「どうも訳アリみたいだが、俺の憂さ晴らし……私情が入ったこともある。片目だけで許してやろう。だがもしまだこの国で何しようとするのならば、その命燃やし尽くしてやる」
「舐め、やがって…………」
「ああ、舐めている。弱者だからな貴様は。じゃあな、もう会わないことを祈ろう」
「待、て……」
由罪は遠ざかる真紅の男を呼び止め、残る隻眼に憎しみをこめ、
「テメェの、名は……」
「知ってどうする」
「ぶち、殺す……ッ!」
「ほお? 出来るのか?」
「やってやる……殺ってやるッ!」
「……クハハ」
真紅の男は隻眼に込められた強い『力』に、嗤いを零し、いいだろうと呟く。
「俺はフェルド・シュトライト。貴様の眼を奪った男だ、忘れぬことだな」
「忘れ、るかよ……!」
「フッ……じゃあな、名も知らぬ灰の少年」
灰爽由罪は二度の敗北を経験し、何を掴むのか――。
それを知るのは、灰爽由罪しか居ない。




