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エレメント・フォース  作者: 雨空花火/サプリメント
六幕『二王離反』
52/60

『二王離反』



 日本・横浜。

 天廊院の拠点が置かれる防衛省本庁舎があるのは東京都なのだが、木葉詠真、土御門夏夜、ネコの三人は横浜の街に立ち寄っていた。


「……久しぶりだな、ここ」


 金沢区にある都市公園、海の公園の一角。海の景色や日の出を望める開けた場所で、柵に凭れ掛かる詠真の声が海風に攫われる。


「ここは……?」


 後ろのベンチに腰掛ける夏夜が尋ねると、詠真が答えるより先にネコが思い出したように言う。


「あぁ、ここってお前が……」


「うん、俺が磯島さん……天宮島の研究員に保護された場所なんだ」


 約十年と少し前。木葉詠真と木葉英奈の兄妹は、ここで磯島上利という天宮島の人間に出会い、暖かさに包まれた思い出の場所。

 天宮島を出たすぐ後は立ち寄ることは無かったが、これも何かの機と思い、詠真は夏夜とネコにワガママを許してもらったのだ。

 ふと、夏夜が尋ねた。


「詠真君の妹さんは、どんな女の子だったんですか?」


「優しい女の子だよ。捨てられた……捨てられるより前からもずっと……」


 詠真の中で想起される出来事。

 決して拭えない、消せない過去。


「親から捨てられたのが、俺が5歳で、英奈が3歳の頃だった。捨てられるまでも、家の中じゃ暴力の嵐。幸い、英奈が超能力を持ってるって判ったのは3歳になった頃で捨てられる直前だったから、暴力を受けたのは俺だけだった」


 両親の目は今でも忘れない。

 今すぐに殺したい。その意思が嫌という程伝わってくる蔑む目。ゴミを見るより汚い醜い目だ。


「捨てられた後、俺たちは薄汚い路地裏で生活を余儀なくされた。持って出たのは着ている服だけ。ゴミを漁っては食べるものを探して……風呂なんて入れないし、歯も磨けない。体調が良かった事は一度無くて、毎日が絶望そのものだったとしか記憶にない」


 表を歩く子供が羨ましかった。

 綺麗な服を着て、綺麗な髪をして、美味しそうな物を食べて、欲しいものを親にねだって、固く握られた親子の手が酷く羨ましくて。

 でも、そんな時でも。


「……俺には光があった。どんな悲惨な生活でも、英奈はずっと……俺に笑いかけてくれた。お腹も空いてるだろう、殆どゴミみたいな物を食べて体を壊しているだろう、風呂も入れなくて気持ち悪いだろう、それでも……」


 ずっと、笑っていた。

 ずっと、手を握ってくれていた。

 ずっと、隣に寄り添ってくれた。

 それが時に辛くて、兄は妹の腕の中で泣いた事もあった。

 それでもずっと、


「大丈夫、英奈がいるよって……俺を支え続けてくれた。暴力を振るわれる俺を助けようと声をあげたこともあったし、ホームレスの人達に混ぜてもらえてた時だって、英奈は俺や自分だけじゃなく彼らの事も思い遣って行動したりしてたんだ……でも」


 それなのに、彼らの根本は表を歩く人間と変わらなかった。

 日々の憂さ晴らしに殴る蹴るの行為が増え、それが英奈へ飛び火する前に兄妹はそこを飛び出した。

 行く当てすら無く、前も見えない。


「5歳ながら思ったよ。この世界には、『迫害』と『絶望』しか無い。誰一人として手を差し伸べてはくれない非情で残酷な世界なんだって……」


 耳を塞ぎたくなる話。

 超能力者に対する迫害や差別の度合いを夏夜は知ってはいたが、そこにある深い闇を覗くには、自分は光に染まりすぎていると痛感した。

 ごめん勝手に話して。止めようか? と詠真は言うが、夏夜はこの話を最後まで聞くことが一つの償いでもあると思い、首を横に振る。

 その意思を汲み取った詠真は、一つ頷いてから続ける。


「……そうして、表に飛び出した俺たちは、もうなりふり構ってられなかった。生きる為に……何より英奈の為に、俺は盗みを繰り返した。食べれる物は何でも盗ったし、逃げる時に車に轢かれそうにもなったな。何せ無我夢中で、何度も死にかけた。警察に追われるようになってからは、毎日出来るだけ遠く場所へ移動して、絶対捕まってやるもんかってな……」


 いくら酷い仕打ちを受けていたからといって、許される行いでは無かったが、兄妹が生きるには許される許されないなど瑣末な事だったのだ。


「まぁ、英奈には『わるいことは、めっ!』って怒られてたけどな」


 英奈に怒ってもらうことで、一定の線を越えないように自制心を保っていたとも言える。

 そして、兄の自制心を崩壊させる出来事が起こった。


「……ある日のことだ。俺が目を覚ますと、隣にいるはずの英奈が居なかったんだ。俺は慌てて周囲を見渡すと、少し離れた場所で数人の大人が英奈を袋叩きにしていた……ッ!」


 夏夜は背筋に冷やりとした戦慄を感じ取った。

 目の前の海は不自然に波打ち、地面が僅かに揺れたか。

 詠真は憎悪のあまり無意識に『四大元素』の力が滲み出てしまっている事に気付いて、気持ちを抑えた。


「……英奈は血と涙を流して、力無い声でずっと俺の名前を呼んでいた。俺は耐えられなかった。だから……その時初めて――人を殺した」


 夏夜の中で、一つ疑問だった。

 どうして、この少年は、こんなにも殺人に抵抗がないのだろうと。

 相手が悪人だから、相手が軍人だから、相手が復讐対象だから。

 それだけでは超える事の出来ない一線を彼は超えている。悪い言い方だと、快楽殺人鬼並みに殺人への抵抗が感じられないのだ。

 だがそれも限定的状況下。

 対象が超能力者ではない人間、彼らの言葉で『外』の人間であり、且つその者らが超能力者を殺しに来ている場合。時にそれを逸脱する事もあった。

 しかし、理由が揃えさえすれば、木葉詠真の中で、殺人という行為に対する抵抗が皆無となる。

 その疑問がやっと解決した気がした。

 彼が初めて殺人を犯した一件。その一件だけで、彼の中で何かが外れ、壊れてしまったのだろう。

 夏夜は、何も言えない……言ってはいけないと思った。彼にかけてあげられる言葉を、夏夜は持っていない。上辺だけの言葉に意味はない。

 夏夜の中で結論に至った頃、それからはと詠真が続ける。


「長くて短い逃亡生活の始まり。警察に捕まりそうになって、その警察すら何人も殺した。英奈には見せないように、何度も何度も……でも、あの子には何も隠せなかった。戻ると無言で腰に抱きついてきて、泣くんだ……英奈がいるよ、ずっといるよって……」


 殺人よりも何よりも、英奈が泣くことが辛かった。痛かった。死ぬほどに心が痛かった。

 だが、我慢して、押し込めて。

 その末に、磯島上利と出会った。

 詠真は言って、海を望む。


「英奈は俺の光だ。天宮島に来てからは俺を制する枷でもあって、代え難い支えの柱。あの優しさ、笑顔、作る料理、日々の会話、何もかも。決して俺以外には理解できない俺だけの希望で、俺だけが理解していればいい唯一。


 木葉英奈は、俺の全てなんだ……」


 彼の過去は、人によっては胸を打つ話かもしれない。だが大半の人間にとっては逃避したい恐怖でしかない。

 同情は必要ない。

 これは木葉詠真のみが感じて、理解していればいい。

 ただそれだけの話なのだ。


「それだけのはずなのに……世界は俺たちに厳しいんだ……」

 

 憂うように呟いたそれは、港から鳴り響いた汽笛に掻き消された。

 その音に、ネコが険しい顔でベンチから腰を上げた。


「……マズイな、もう来たか」


 ネコの言葉に不穏を感じた詠真は港の方向へ視線を運ぶ。

 そこに在ったのは、


「――『楽園客船(パラディソスライナー)』……」


 世界各地で救いを待つ超能力者を保護し、天宮島へ誘う方舟。

 日本は天廊院の存在もあり、『楽園客船』の着港頻度は比較的高い為、何ら不思議は無い。

 ――無いはずだ。

 

「何がマズイんだよ、ネコ……?」


「判りやすく言ってやるよ――」


 それは、同時だった。


「――『宮殿』から追っ手がきた」

「よォ、久々――って程でもねェか」


 ネコの声と被って、確かに聞こえたその声は、詠真にとって会いたくない聞き慣れた少年のものだった。

 天宮島において、危険レベル10に設定される程の危険人物。最強の三人の一角に君臨する残酷なる王。


「――由罪……ッ!」


 詠真達の十数メートル先には、灰爽由罪の姿が在った。



☆☆☆☆



 天宮島の方舟『楽園客船』の汽笛が響く。

 由罪は、あるビルを眺めていた。

 懐かしい――とは違うかもしれないが、ともかく久しい光景。想起されるのは悪辣な大人の顔。

 両親――その強い力に怯え、弱さに負けた自分に酷い苛立ちが蘇り、今すぐにでもそのビルを――かつて住んでいた場所を跡形も無く破壊し尽くしたい衝動に駆られる。

 虐げた奴らが憎い。弱かった自分が憎い。何もできず、天宮島に逃げ込んだ己の矮小さが憎くて堪らない。

 憎悪を思い出すのも久しい。


「……ハッ、やめだやめだ」


 そんなもの破壊しても仕方無い。

 もはやあの頃の弱いガキは居ない。

 ここにいるのは残酷な男だ。一途に強さのみを求め続け、強さを証明する為なら殺しさえ厭わない男だ。

 陳腐な輩に構っている暇はない。

 今は、もっと唆る奴が居る。


「ゲン担ぎがいい効果出したみてェだ……初っ端から当たりたァな」


 ようやく、待ち兼ねた。

 前はよくもバックれやがったな。

 テメェには『二度』も俺の強さに傷をつけられたが、ここいらで決めてしまうとしようや。


「――ハハッ」


 由罪は笑い、進む。

 眼中には、奴のみ。

 驚いてる暇がありゃ、構えろや。


「よォ、久々――って程でもねェか」


「――由罪……ッ!」


 由罪の眼前には、木葉詠真ただ一人が映っている。



☆☆☆☆



 灰爽由罪の興味が自分には向いていないと判っている上で、ネコは言う。


「『宮殿(パレス)』の命令か、灰爽由罪――いいや、処刑人『残酷王(グラオザームケーニッヒ)』」


「あァ? ……あぁ、テメェは『宮殿』の裏切り者って奴か。テメェにゃ興味ねェよ黙ってろ」


「そういう訳にゃ行かねェな。大方木葉詠真の捕縛だろうが、それはやらせねェぞ」


 ネコの髪の毛、ケモノ耳が純白の毛色に変色、広げた両腕は膨れ上がって猛獣の如く、華奢な全身が――


「ネコ、手を出すな。夏夜もここは俺に任せてくれないか」


 ――遮るように、詠真の手が戦闘態勢入った二人を制した。

 ネコに生じていた変化が停止、体は元に戻り、彼女が超能力の発動を取りやめた事を確認できる。

 加え、呪符を取り出していた夏夜も戦闘の構えを解除する。


「……ありがとう」


 詠真は一歩出ながら礼を言い、一瞬にして背中に四つの小竜巻を接続。荒ぶる風が舗装された地面を捲り、


「お前の(たち)だ。話し合いよりこっちのが手っ取り早い」


「腐ってねェようで、何よりだ」


 詠真が上空へ舞い上がると同時に、由罪の足元に氷の円盤が生成、直後に発生させた竜巻を利用しサーフィンをするかのように空へ躍り出る。


「――『人払い』」


 夏夜の呪術により一帯の人払いは完了したが、これから行われる戦闘の規模によっては無為になり兼ねない。

 夏夜は助勢を要請する。遠隔通信の呪術を発動、携帯端末のように淡く光る呪符に声を向ける。


「お父様、今から横浜に何人か割くことは出来ますか? 少し規模の大きい戦闘が発生する可能性があるので」


『丁度いい、迎えも兼ねて将を数人向かわせよう。《風帝》も退屈そうにしている事だ、働いてもらうか』


「ありがとう、お父様」


 通信を切り、空を見上げる。

 二人の超能力者がぶつかり合い、暴風を中心に様々な現象が飛来する。

 夏夜は視線を空に固定したまま、街の方へ軌道が逸れた高密度のブリザードに呪符を投げ、結印する。


「焔尽緞帳 隠し賜へ――喼急如律令」


 落ちた百数メートルの焔の緞帳。さながら大劇場の如く、緞帳に触れたブリザードは瞬く間に焼失していく。

 夏夜は呪符を数枚指に挟み、身の内に宿す呪力、陰の気を解放する。


「二次被害はこちらが全て防ぎます。元より気にしてはいないかもしれませんが、存分に……」


 その傍らで、ネコが呟いた。


「マズイとは言ったが、灰爽なら問題ないか。もう決着はついたようなもんだしな」



☆☆☆☆



 灰爽由罪の超能力――あらゆる気象現象を自由自在に引き起こす『自由気象(アブノーマルウェザー)』は極めてお世辞抜きに異常だ。

 詠真はそう素直に受け止め、ゆえにこそ彼との喧嘩は避けてきた。実を言えば今年の祈竜戦も、不戦勝になって良かったとさえ思うほど。

 そんな思考の暇さえ惜しい。

 由罪の常套手段である氷柱の投擲。方向すら自在な気流によって弾丸と化す氷柱が弾幕となれば、そう簡単に被弾をゼロには出来ない。

 詠真は火と風による竜巻、イメージの助けとして『炎嵐の槍(グングニル)』の名を付けているそれを発動。

 圧倒的熱で氷柱を溶かし、たとえそれを逃れ出ても暴風によってあらぬ方向へ軌道を逸らす。この方法で凶悪な氷柱弾幕を完全に躱しきる。

 かつて片腕を捥がれた時に比べれば、この時点で満点。だが、今となっては『この程度』挨拶に過ぎない。


「えらく寝起きだな、由罪」


「抜かせ」


 夏場は海水浴で賑わうだろう砂浜に接する海が大きく波打つ。夏夜の人払いが発動しているのか、辺り一帯に人影は見られず、避難する影もない。

 あるのは、水上竜巻。


「テメェこそ余裕面たァ、俺も舐められたもんだなァ。それとも強がりか? 消極的だなオイ!」


「由罪こそ抜かしてんじゃねえよ、盛り上がんのは……こっからだろ」


 四つの水上竜巻に対し、海水を巻き上げる竜巻と見紛う水流が四つ発生。暴れ狂う八頭の蛇の如く、八つの猛威は凄まじい勢いを持って接触する。

 詠真は氷を発動。自身が生んだ水流を由罪の発生させた水上竜巻を飲み込み諸共瞬間凍結。海上には巨大な氷のオブジェクトが聳え、詠真はその一つの天辺に足をついた。

 由罪も同じように別の氷に降り立ち、詠真が問うた。


「『宮殿』からの命令ってのは、本当なのか」


「あァ。だが関係ねェな、俺はテメェと殺れりゃ何だっていいんだよ」


 詠真は未だに判らない。

 それを初めて尋ねる。


「なぁ由罪、なんでここまで俺に拘る。俺はお前に勝てたことはないし、お前の言う雑魚だろ」


 由罪が黙り込むのは珍しいと思う詠真だが、これは黙り込んでいた訳では無かったと直後に知る事になる。


「ッハハハ……そりゃテメェ、何でって……」


 渇いた笑い。その渇きは、まるで由罪の心を表しているようだった。


「テメェが本気にならねェからだろォが。テメェは超能力者(どうるい)を殺れる覚悟が足りねェ。だから俺にも本気を出さない、違うか?」


「違うな」


 詠真は迷わず即答した。

 彼の答えは全て間違っている。


「何を買い被ってたのか知らないけど、俺はお前相手に手を抜いたことはない。っても一度しか戦った事はないけどな。それに――」


 詠真は指を弾いた。

 直後。由罪の足元の氷が赤熱し、噴出した火柱が彼を包み込んだ。


「――ッ!?」


 紙一重で火柱直撃間際に離脱していた由罪は竜巻に乗る氷の円盤の上で膝を突き、強い舌打ちをする。その右脚は無視できない火傷を負っていた。


「悪いけど、邪魔するなら由罪でも関係ねェ――殺すぞ」


「……そうか。テメェ……随分殺したんだなァ、『外』の人間を」


「お前みたいな戦闘狂と一緒にすんじゃねぇよ。俺とお前じゃ、生きてるステージがまるっきり違ェんだ、さっさと退場してくれ」


「クク、ハハハハハ! ならやってみろよ。……精々、俺の強さを証明するモルモットで終わりたくなければなァ!!!」


 由罪のダウンバースト。それを予め想定していた詠真は瞬時に海水を操って自分を覆うドーム状へ、更に凍結させて氷の半殻を形成した。

 下降気流の直撃。氷の殻にヒビが入るが、一度は耐えた。それだけあれば詠真は転じる事ができる。


「自由って銘打つには、芸がないな……由罪ァア!」


 詠真の全身が炎に包まれ、背中に接続された四つの竜巻は炎嵐となり、さながらミサイルを思わせる速度で由罪へ肉薄する。遠距離の撃ち合いじゃ埒があかない。

 だったら直接、殴る――ッ!


「自由すぎて把握と制御すらままならねェのは認めるがなァ、テメェに勝つには『これ』がありゃ十分なんだよォオオ!!」


 由罪の咆哮。放たれる気合と殺気にも似た威圧。人を殺せそうな程の眼力で詠真はほんの一瞬、怯んだが、止まらず、攻撃と共に最大限の警戒と回避にも意識を注いだ。

 ――次の瞬間。


「!?」

「!?」


 炎を纏った詠真の拳は由罪の顔面を直撃し、振り抜かれた衝撃で由罪は海へ錐揉み落下していく。

 その瞬間。

 両者は驚愕していた――されど、驚愕した理由は異なっていた。

 詠真は、『なぜか由罪から一切攻撃されず、こちらの攻撃が防御される事も無くまともに入った』事に。

 由罪は、『なぜか自分の放った攻撃が発動せず、防御すら出来ず成す術が無かった』事に。

 炎を消し、滞空する詠真は落下する由罪を見下ろして呟いた。


「由罪、一体何を……」


 由罪は落下する空を、詠真を見上げて喉を絞るように零した。


「なんで……効かねェんだ……?」


 間違いなく、由罪が発動した技が本当に発動していれば、この戦いは由罪の勝ちで幕を下ろしただろう。

 だが、結果は逆。

 由罪は落下点に氷の円盤の形成、背中から落ちるが、その痛みすら意識に入ってくる事はなかった。


 離れた場所で。

 ネコが、独りでに呟いた。


「灰爽、お前はこれまで『自分より弱い奴』としか戦ってねェんだよ。だから気付かなかった。お前の能力が持つ反則じみた特性『眼に見えない物体の内側へ能力を発動可能』っつーのは、『自分より弱い奴』にしか発動しねェって事に」


『自分より弱い奴』。酷く曖昧な例えだが、決して間違っていない。

 これは由罪が『自分より弱い奴』と強い意志で断定すれば、問題なく機能するということ。

 だが逆に、『自分より強い奴』と強い意志で断定してしまえば、その反則じみた特性は一切意味を成さない。

 ネコは、彼の矛盾を指摘する。


「お前は弱い自分を許せず、強く在り続ける事で自分を保っていた。その中で生まれたのが、その特性だ。全て『自分より弱かった奴ら』との戦いのみで生まれた特性は、『自分より強い奴』に対して効力はない。単純に、特性を生み出した『イメージ』の問題だ。だがお前は常に求めていた。『自分より強い奴』を。そいつを倒す事で自分の強さを更新する為に」


 ネコは退屈そうにベンチに座り、脚を組みながら、


「そしてその『自分より強い奴』こそ、木葉詠真だとお前は無意識の内に認め、だから木葉に対して執拗な拘りを見せていた。要するにお前は無意識とは別の所で、自分自身を過大評価し過ぎたんだ。『自分より強い奴』と認めた相手に、これまで戦ってきた『自分より弱い奴』と同じように勝てると、高を括ってな」


 つまり、とネコは結論を告げた。


「灰爽由罪、お前はただの――弱い者虐めなんだよ。『自分より弱い奴』をイジメて自分を保っていた、典型的ないじめっ子タイプ。お前は誰よりも繊細で崩れやすい、弱者だったんだ」


 それと同じくして、由罪も同様の真理に辿り着いていた。


「……俺は、俺…………は……」


 ただの、弱い者虐め。

 一番弱かったのは、俺だった。

 崩れていく。積み上げたものが。

 音を立てて、崩れていく。


「……――認めねェ」


 由罪は奥歯を噛んだ。

 歯が砕けるほどに。


「俺が、弱い……だと……? そんなこと、認めねェ……」


 そんな彼を遠目で見ながら、ネコはとあるビルも一瞥した。


「――灰爽重工業。日本国内でトップを維持し続ける大企業の女社長、灰爽由宇は第一子である長男を流産し、第二子の長女・灰爽悠宇佳は無事、元気に産むことが出来た」


 由罪は拳を握りしめ、何度も何度も、何度だって言い聞かせる。


「……俺はもう弱くねェ。『あの人』なんざ一瞬でぶっ殺せるんだ。俺はあの頃のように弱くなんてねェ……!」


 ネコの言葉は届かない。それでも、ネコは残酷に告げる。


「しかし、真実は違う。灰爽由宇の長男は流産などではなく、この世に生を受けて産まれている。その長男の名前を――由罪。彼は超能力者として産まれてしまい、由宇は自身が犯した罪であると言って、由宇の罪から由罪と名付けた。由罪は物心つく前から親から見放され、孤独に、そして……六歳になる頃、家から逃げ出した」


 由罪は、ネコは、互いに言葉が届いるかのように、叫び、呟く。


「俺の強さは揺らぐはずない……これまで示してきた……!」


「示していたのは、弱さだよ」


「俺の人生を否定させねェ……!」


「否定してるのは、お前自身だ」


「俺は……俺はッ!!」


 悪夢が、由罪の脳内を駆け抜ける。



☆☆☆☆



「悠宇佳、ご飯が出来たから下りてらっしゃい」


 灰爽重工業。多忙を極める女社長、灰爽由宇が子供一緒に晩御飯を取れるのは数ヶ月に一度が精一杯。

 だからその日だけは、由宇自ら手料理を振舞って団欒を囲む。

 由宇の夫、灰爽久志も料理が得意。夫婦揃って社長・副社長に着き、趣味も好みも合う、社内では理想のオシドリ夫婦と有名だった。


「ママとパパのお料理、ひさしぶりだねー!」


 まだ四歳の長女、悠宇佳。女の子らしい清楚さと活発さを兼ね備えた彼女も将来有望の逸材だろう。

 悠宇佳含め『四人』がテーブルに着き、この日は実に三ヶ月ぶりの家族団欒の時間となった。


「ふふ、悠宇佳の好きなエビフライたくさん作りすぎちゃったかなぁ」


「ハハハ、悠宇佳もたくさん食べるけど、ママもたくさん食べるからね。ねー、悠宇佳?」


「『みんな』たくさん食べるもんね!」


 その『みんな』に、自分が含まれていない事を彼は理解していた。

 長男・由罪。一緒に食事は取っているものの、あたかもそこには存在しないような扱いを受ける彼は、生まれた時から忌まれし超能力者だった。

 由罪にはそれが普通で、普通だからと言って耐えられる訳でもなく、ただ毎日を絶望に暮らしていた。

 形式上は長男は流産となっている為、家からは一歩も出られず、人と喋る事もできず、家族とさえ生まれてこの方一度として喋った事はない。

 悠宇佳と喋ろうとすれば、両親から無言の制裁を受けるだけ。彼には何一つとして生きる楽しみが無かった。


 だから、逃げ出した。

 絶望の深淵から。

 偶然知った楽園へ。

 今思えば偶然などではなく、両親からの催促だったのだろう。

 早く消えてくれ、と。

 弱いから何もできない。

 逃げ出すしかできない。

 そんな弱い自分を変えるために、彼は楽園で強さを求めた。

 ひたすらに。ただ一途に。



☆☆☆☆



 どいつもこいつも。

 そう吐き捨てたのは詠真だった。

 ドイツでのルーカス・ワイルダーとの一件以来、詠真は『相手の感情・記憶を共有できる』と言えるような不思議な感覚に目覚めてしまっていた。

 ソフィアの言う『声』が、詠真にとっては『相手の感情や記憶』という形で現れているのかもしれないが、これには何も良いことは無い。

 知りたい相手ではなく、知りたくない相手の知りたくなかった事を知ってしまうのは本当に面倒だ。

 揺らいでしまうから。


「……由罪」


「クソ……見下しやがって……!」


 由罪は、彼の中はぐちゃぐちゃに掻き乱されていた。眼前に無防備に立つ詠真に、攻撃を加える事が出来ないほどに。

 彼はとても脆く、崩れやすかったのだ。

 詠真は諭す気もないが、


「由罪、俺もお前と同じで……強さに取り憑かれた事があったし、それは今も変わらない。ただ、俺とお前とは決定的に違いはさ、自分の為か、大切な人の為か……なんじゃねぇかな」


 英奈の為、鈴奈の為、輝の為。時には自分の憎悪に任せてしまう事もあるが、道を間違えてしまった時は、いつも大切な人達が助けてくれた。

 だから詠真は脆いが崩れず、崩れても支えられて立ち上がり、本当の強さを手にしつつある。

 それをお前にも判れとは言わないが言い、詠真は由罪の腕を掴んだ。


「テメェ、なにを……!」


「何もねぇよ」


 ただ陸に運ぶだけだ。

 詠真は夏夜らが居る場所へ飛ぶと、適当に由罪を放る。

 情けをかけるつもりもないが、


「邪魔しないなら、殺す理由はない。俺もお前も、同類だからな」


 詠真は由罪に背を向け、


「もし島に戻るなら、『宮殿』に伝えておいてくれ。

 やること終わったら、お前らの顔を拝みに行ってやる。だが今はテメェらに構ってる暇なんざねぇんだよ。邪魔してもいいがな、こっちは『全戦力』をもって受けて立つぞ――ってな」


 由罪は顔を上げたその先に、木葉詠真の傍に、『全戦力(ソレ)』を見た。

 ――否、ほんの一部。

 それだけで、由罪は、振り上げていた腕を下さざるを得なかった。


「って夏夜、この人らって……」


「はい。十二神将の方々と、聖皇国から同盟の件で此方に滞在していた《風帝》です」


「ほほう? 君がコノハ君かー。何やら鈴奈ちゃんとよろしくあったみたいだねー? うーん?」


 遠のく背中。

 由罪は彼らとは逆へ、しかし楽園ではない方向へ、


「……これから、俺は……」


 静かに歩み出した。

 弱さを叩きつけられた少年に、明確な目的はない。

 だが、彼の強さを超えるには、楽園で蜜を啜っていては不可能なのだと痛感させられたから。

 由罪は頬を触る。

 炎の拳が直撃していたにも関わらず、火傷は軽症だった。足の方が酷いくらいだろう。

 つくづく、ガキの甘さは頭に来る。

 あれが、


「あれが、強さ……なのか……。大切な人を守る為に……」


 俺にそんな奴居たか?

 居ねェな。俺は楽園に居ても、ずっと一人だったから。

 元より俺には――……、


「…………アイツは違ェよな」


 ふと過ぎった少女の顔。

 あれは不吉だ、不吉。

 アイツのゲン担ぎは大コケだ。


「味が美味かっただけじゃねえか……なぁ、クソ……」


 十年以上も前、相手にされずとも食べた料理は父母の手作り。

 あの少女の手作り弁当は……遺憾にも、父母の味によく似ていて――美味しかった。


「似てた、それだけだ……それ以上でも以下でも……ねェよ」


 少年はそう何度も呟きながら、何処かへ姿を消した。



 

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