『蠢く白・現れる銀』
気の弱そうな茶髪の少年は周囲に怯えながら第七区の道を歩いていた。
日系人、と言うよりかは"元"日本人の学生が多く集まるのが第三、四区。第五、六、七区はそれ以外の様々な"外国"出身の者たちが多く集まっている。
アメリカ出身で第七区の聖メアリア学院高等部の一年生であるその少年は、通行人と肩が少しぶつかっただけでパニックを起こしかけていた。
『す、すみません!すみません!』
少年がそこまで怯える理由、それは少年が持つ超能力にこそあった。
超能力名『AtoZ』。分類は思考加速系。
能力発動時の少年にとって、一秒とは十秒に等しい感覚となる。同じ能力を持たない者が一秒を過ごす間に、少年は十秒を過ご事ができる──と言ってもそれは思考のみだ。
一秒間に十秒間に等しい量の思考が可能になる。それが少年の超能力。
人の十倍もの時間を持つに等しい少年がなぜここまで他人に怯えているのか。
──自分は皆と同じ時間に生きられない、自分は皆と一緒の人間として生きていけないんだ。
そう感じ、思っているからだ。
少年にとって、一秒は十秒。一分は十分。一時間は十時間。一日は十日。
能力を発動しなければ何も問題はないのだが、それでも少年はその固定観念から抜け出せずにいた。
過去に受けた迫害も原因の一つだろう。天宮島へやってきた超能力者達は自ずとトラウマを乗り越えていけるものだが、少年は誰よりも心が虚弱だった。
楽園に来ても尚、少年はただ他人を怯えるだけだった。
ただ救いがあったと言えば、この楽園に来てからは暴力を受けることがなくなったことだろうか。
いくら思考が加速するといっても、心が、行動に移す勇気がなければ使えるモノも使えない。
こんな超能力だから自分は他人と同じ時間を生きることができない。
超能力をまともに使える勇気がない。
矛盾。それは少年も分かっている。
しかし思い込みと言うモノは、払拭したくても出来ないモノだったりするのだ。
少年は大通りから人のいない路地を使って帰路に着くのが癖になっていた。今日も同じ路地へ入っていく。
『はやく帰ろう……』
神様がいるのならこう言ったであろう。
──今日は人の多い道を選べ。
そんな声が届くはずもなく、少年はまるでコソ泥のようにのそりのそりと路地を進んでいく。
──それは突然だった。
『ひッ…!』
少年は背中に感じた冷たく粘つくような視線に体を戦慄かせた。
──何かがいるッ…!
しかし振り向く勇気はない。
でも誰が自分を見ている。
じっと──見ている。
思考を加速させた所で意味はない。
必要なのは、逃げる勇気。足は震え、腰の力が抜ける。ストンとへたり込んでしまった少年は、背後の視線にただ恐怖する。
ザリッ……と足音が聞こえた。
──近づいてきてるッ。
ザリッ……ザリッ……。
──背後から何かが。
ザリッ……ザリッ……ザリッ…。
着実に距離を詰めてきている。
『ッ!』
少年は超能力『AtoZ』を発動した。
世界がスローに変わる。足音の間隔も長くなる。あらゆる出来事が脳裏を横切る。
そこで気付いた。
僕は超能力を発動したんじゃない。これは──走馬灯なんだ、と。
だがもう遅かった。
背後に何者かが立っている。影が少年を包み込んでいる。
少年の首は自然に、ゆっくり動いた。背後の何かを見るために。
そして──見た。
『ひぃぃッ‼︎?』
口元以外を全身包帯巻きにした過剰なまでに猫背の人間。
いや、人間かどうかも怪しい。
まるでミイラだ。目も包帯で塞がっているというのに、そのミイラは少年をじっと見据えている。
少年は動けない。恐怖が体を縛り上げていた。
ミイラはほんの少しだけ首を、目線を上に向け、ゆっくりと口を開いた。
「アァ……ミツ……ケタ……」
呻き声のような不気味な声。
しかしそれは一転。
「ミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタミツケタ」
壊れたオモチャのように同じ言葉を連呼し始めた。
まるでホラー映画。少年は意識が遠いていくのが分かった。
……ここで死ぬんだ。
ミイラはダラリと垂らした長い腕を振り上げて、振り下ろした。
少年は諦め、目を閉じた。
──生まれ変わるなら、強くて、友達がいっぱいいて、家族にも愛されて、超能力なんて持たない普通の人間になって、幸せに暮らせたらいいな………………。
少年の心からの願い。
それは神様の元に届──
「ギリッギリヒーローの到着だっつーの‼︎‼︎」
突然聞こえてきた謎の声に少年の意識はサルベージされ、体をビクつかせる。
恐らくは日本語だろうその声が何と言ったのかは分からなかったが、ヒーローと言う単語だけは理解できた。
続けてきた打撃音と小さな呻き声。
瞼の奥で何かが起こった。少年は恐る恐る目を開ける。
飛び込んできたのは純白の景色。
目を擦ってみると、少年の目の前には純白の制服に身を包んだ線の細い黒髪の少年が背を向けていた。
☆☆☆★
全身を包帯巻きにした正体不明のミイラを『風』の力を乗せた足蹴りで蹴り飛ばした詠真はホッとため息を吐いた。
……本当にギリッギリだったな。
詠真と鈴奈は、鈴奈がピックアップした二人の思考加速系能力者を二手に分かれて張り込んでいた。
詠真が張り込んでいたの『AtoZ』という超能力を持つ少年。
名前をウィル・チャンター。
距離を保ってウィルを張り込んでいた詠真は、ほんの少し目を離した隙にウィルの姿を見失ってしまった。
空から見下ろしウィルの姿を路地に発見したのだが、その時には既に謎のミイラがウィルの背後に迫っていた。
だが急速降下によりウィルを魔の手からすんでの所で救うことができ、今に至るわけだ。
「まさかこうも早く事が動いてくれるとはな……」
詠真はのそのそと立ち上がるミイラを睨みつけながら、鈴奈に電話を繋ぐ。
「舞川、こっちに変なのがいた」
『残念ながらこっちもよ。なんかミイラみたいな奴がいて』
「ならこのミイラは双子かなんかか」
『あらあら。じゃどっちが先に倒せるか競争でもしましょうか? スポーツテストのリベンジマッチってことで』
「そこまで楽観的になれるかよ。まぁ負けないけど」
『ウフフ、ではスタートってことで』
通話は切れる。
PDAをカバンに入れて、そのカバンをウィルの元に放る。
『じっとしてろ』
ウィルの出身国言語に合わせ英語で伝えた詠真は力を切り替える。
『風』から『地』へ。瞳は緑から茶へ変色する。
「にしてもコイツは一体……ミイラみたいな格好をしてるが」
何であろうと一度完全に無力化する必要がある。
死なない程度にボコってみよう。元より殺すつもりはないが。
「ミツ……ケタ」
起き上がったミイラは過剰なまでの猫背で、腕をダランと垂らしている。口元以外は全身を包帯巻きにして、靴や服なども着ていない。
漂うのは底無し沼のような不気味さ。
先ほどからずっと口にしている「ミツケタ」というのは、ウィルのことを指しているのだろうか。
詠真は警戒しつつも、闇を振り払うように右腕を振るう。詠真から見て路地の左側の壁から、太い石柱が突き出た。
石柱はミイラの体に容赦無く打ち込まれ、ミイラは壁に叩きつけられる。
石柱はバラバラと塵に帰る。
普通なら骨の何本かは確実に逝っているはずだが、ミイラは軟体生物のようにぬるりと起き上がる。
「本当にミイラなのか……」
詠真はもう一度右腕振るう。石柱がミイラに迫る。
しかし、ミイラは石柱が自身に打ち込まれる寸前、一瞬姿がブレるほどの速さで地を蹴り石柱を躱してみせた。
予想以上のスピードに眉をピクリと動かした詠真だが、その顔に焦りはない。
ミイラはそのスピードのまま詠真に迫るが、突然地面から迫り上がった石壁に正面衝突し呻き声をあげる。
「グギャァ……」
「さっきの高速移動、足元に魔法陣が浮かんでたな……」
石壁は一瞬で崩れると、詠真の足元から石柱が斜め上に突き出る。
態勢を崩したミイラはその石柱により宙に突き上げられ、更に両側の壁から石柱が何本も出現し、ミイラを高く高く空へ押し上げていく。
十メートルほど宙を舞ったミイラはそのまま地面に落下。くぐもった喘ぎ声をもらした。
少し観察してピクリとも動かないことを確認すると、詠真はミイラに近寄り覗き込む。
包帯は破けた所からはらりと綻び解けていき、人の肌が姿を見せる。どうやらミイラのように腐食しているわけではないようだ。
未だ顔を隠す包帯に詠真が手を伸ばした時、"何か"が詠真の体を強く後方に吹き飛ばした。
即座に『風』に切り替え、空中で態勢を立て直し着地。ミイラを睨みつける。
ミイラは"何か"に引かれるように跳ね起きると、体の節々に小さな光る円──魔法陣が浮かび上がった。
綻びた包帯は一瞬にして修復され、元の全身包帯巻きミイラの姿に戻る。
「……なるほどな」
詠真は確信した。
この場所と鈴奈の元に現れた二人のミイラの正体は、鈴奈が思考加速系能力者と一緒にピックアップしていた、数日前から行方不明になっている二名の攻撃系の"超能力者"だ。
確信したのは先ほどの攻撃。自分の体を吹き飛ばした攻撃だ。
目に見えない何かに押された感覚、あれはきっと『念動力』だと詠真は推測する。
そしての『念動力』は、行方不明になっている超能力者の一人が持っていた超能力と一致するのだ。
つまり、このミイラは敵の魔法使いよって利用され操られている超能力者なのだ。
敵には詠真達の行動が筒抜けである可能性が極めて高い。
そうなるとミイラが言っていた「ミツケタ」というのは、詠真のことを指していたのかもしれない。
だが、どちらにせよ。
「少し大人しくしてもらわないとな」
★☆☆★
「ふぅ」
詠真は額の汗を拭う。
足元には動かなくなったミイラ、もとい魔法使いに利用されてしまった超能力者が倒れている。
ウィルから受け取ったカバンからPDAを取り出し、鈴奈へコールする。
繋がるや否や、ため息が聞こえきた。
『もしかして引き分けかしら』
「……みたいだな。舞川もこのミイラの正体には気が付いてるだろ」
『えぇ。でも私も知らない魔法で操られているみたいだから、解除しようにも出来ないのよねぇ』
「うーん、となると目が覚めたらまた厄介だな……」
そう言って詠真が足元に目をやると、ミイラの頭に小さな魔法陣が浮かんでいることに気付いた。
鈴奈の方も同じことが起こっているようだが、これはどうやら包帯を修復するものではらしい。
『これは……』
電話の向こうで鈴奈が怪訝そうに言う。
「分かるのか?」
『そうね、その魔法陣に触れてみなさい』
詠真は言われるがまま魔法陣に触れる。
その瞬間、頭の中にとある映像のようなモノが流れ込んできた。
──クレーターの底に立つ一人の銀髪の男。その男は"こちらを見ていた"。間違いなく"こちらを見て"薄っすらと笑みを浮かべ、こう言った。
『ここで待っているよ。"氷帝"と「四大元素」の少年』
そこで映像は終わる。
ミイラの頭に浮かんでいた魔法陣は消え、更にもう一つ──消えた。
それはミイラの、魔法使いに利用されてしまった超能力者の命の鼓動。
彼らは役目を終えたと言わんばかりに、音もなく死に絶えた。
『……今の奴が』
「今回の騒動の……黒幕か」
詠真はPDAを握り締めた。
奴は今、二つの命を切り捨てた。いとも簡単に。それが役目であるかのように。
「クソ外道めッ……‼︎」
『あ、あの……』
ウィルは名も知らぬ恩人に恐る恐る声をかけたが、返答はない。
「──舞川、決着を着けに行くぞ」
『さっさと終わりにしましょう。こんな悲劇の連鎖は即刻断ち切るべきよ』
黒幕が待ち構えている場所は、全ての始まりである如月中学校跡。深く抉られた爪痕だ。
『遺体はここに置いておきましょう。下手に運び出す必要はないわ。どうせ政府の連中は島中のカメラを通して既にこの場所を、この光景をリアルタイムで見ているはずだから』
「了解」
詠真は通話を切ると、ウィルの頭をポンポンと軽く叩く。
「真っ直ぐ家に帰れ。忘れろと言っても難しいかもしれないが極力忘れることをオススメす……」
日本語で話してしまっていたため英語で同じことを言い直す。
そして別れ際に、
『このカバンを預かっておいてくれ。必ず受け取りに来るから。……じゃあな』
詠真は空高く飛び上がる。背中に接続された四本の竜巻は、いつも以上に荒々しさを伴っていた。
☆☆☆★
背に一対の『氷翼』を生やし空を翔ける少女、舞川鈴奈は怒りを抑え、落ち着きを払った表情で一つの魔法を発動した。
遠く離れた地にいる人と会話をすることができる『遠話』という魔法だ。
鈴奈の顔の前に小さな魔法陣が展開、そこから聞こえてきたのは、綺麗で透き通った品位と威厳を感じさせる女性の声だ。
『何かありましたか? 鈴』
「はい。標的である魔法使いを補足、これから接触します。おそらくは戦闘になるかと」
『……そうですか。勝てる見込みは?』
「聖皇様の返答次第、と言った所でしょうか……」
『と、言うと?』
「……『封解顕現』の使用許可を承認してもらえますでしょうか?」
魔法陣から聞こえる声の主、魔法使いを束ねし魔法使いーー聖皇は暫し黙り込む。
短く、こう答えた。
『条件があります』
知っての通り、と聖皇は続ける。
『あれを使用すれば鈴自身も無事で居られる保証はありません。ので本当に必要だと判断した場合のみに限ります』
「了解しました。……ありがとうございます聖皇様」
『無事任務を終えられることを祈っています』
遠話は切れる。
鈴奈は瞼を伏せ、ゆっくり開く。
そこに詠真が合流する。
青と緑の四つの瞳が睥睨するのは、全てが始まった場所。
その最深にキラリと光る銀。
同胞。仇。唯一の希望を握る者。
狂いし銀の魔法使い。
遂に二人は、標的と相対する。