『世界の声を聞く者』
《聖皇》との約束。内容としては『ゆっくりお話しましょう』というものだが、その『お話』もただの世間話では無いだろう。
間違いなく、木葉詠真にとって重大な転機となる。自身その予感があり、ゆえに緊張感も拭えない。
フェルドの案内の終点。サン・ピエトロ大聖堂最奥『聖皇の間』へ繋がる絢爛な扉。その前に、木葉詠真と土御門夏夜は居た。
「……気乗り、しませんね」
言ったのは夏夜。安っぽい素材の所為で透け透けになっている巫女装束で格好が付かないが、彼女は魔法使いの敵対勢力の一人だ。休戦中とは言え、この先は魔法使いの長が坐す間。
何をしようと思う訳でも無いし、行動を起こした所で、一人では何一つ成せないとも自覚している。
ゆえ、気乗りしない。
「フェルドは呼ばれてないからって帰ったけど、なんで夏夜が呼ばれたんだろうな」
詠真の疑問は最もだが、そこにある理由も夏夜は知っている。何せ、一種の共犯みたいなものだからだ。
「……私も関係があるからですよ」
「陰陽師……天廊院だっけ? そこにも居るんだろう? 俺やソフィアさんと同じ、瞳に十字架が浮かぶ人が」
「ええ。天廊院筆頭の、私の父です」
「てことは、夏夜も知ってるんだな。『これ』の意味を」
「知っている……そうですね、知ってはいますが、理解は出来ていません。おそらく『それ』を理解できるのは、父や《聖皇》、詠真君だけ。これから行われる『お話』はそういうものです」
「まぁ、そうだろうと思ってたけどな。……ここで立ち尽くしてても仕方ない、入ろうか」
こくりと頷く夏夜を横目で見ながら、詠真は扉に手をかけた。
黄金の扉を押し開く。
まず目に飛び込んできたのは、七色の光。間を演出する七色のステンドグラスから漏れる輝きだった。
想像とは少し違う。間は全体的に薄暗く、それこそステンドグラスから射し込む光のみに照らされている。
壁も鉄色で円状に湾曲し、縦に長い円柱型の空間。無機質でありながら、神聖さが滲む不思議な部屋。
その中央。背が長い玉座が一つだけ存在し、坐す主さえ、この世の者とは思えぬ神聖さを纏っていた。
「ようこそ、我が間へ。木葉詠真さん、土御門夏夜さん」
美しくも儚い聖女のようでいて、強く気高い騎士に見える、そんな矛盾を体現した存在。長い白髪は老化による現象とはとても思えず、純白のドレスの合間から見える白い肌も、全てが穢れを知らぬ強固で柔な白き鎧。
「……《聖皇》、ソフィア・ルル・ホーリーロード……」
確かめるように夏夜が呟く。
初めて目にした敵の首領。それは余りにも異質に映っていた。
一点。夏夜の視線は、彼女の瞳に輝く青の十字架へ、その一点に吸い寄せられ――怖気立つ。
まるで、全てを見透かされたような、本能的な恐怖だった。
「ふふ、かの《焔姫》はとても可愛らしい女の子に成長しましたね。鈴も悠長にはしていられませんよ?」
ソフィアの言葉が向けられたのは、玉座の隣に控える少女。淡青外套を纏う一つの頂点――《氷帝》舞川鈴奈。
さて、何のことですかねと白々しく吐き捨ててみた鈴奈は、詠真の顔に昨日までとは違うモノを見た。
「他の《帝》を話をして、詠真の中で何か変化があったみたいね」
「まぁ、な。改めて決心がついたっていうか。鈴奈のお母さんの事も知れたしなぁ」
「ほう? 私に無断で?」
「ダメだったか?」
「…………別にダメじゃないけど」
ほんのり頬を染めて呟いた鈴奈が可愛くて仕方なかったが、それは後ほど揶揄ってやろうと思い、詠真は一度深呼吸を入れて玉座へ視線を運ぶ。
「……同じ、だな」
ソフィアの瞳、青の十字架。
詠真の瞳、赤の十字架。
違いは色のみ、同質の感覚。
きっとこれは、意味がある。
ソフィアは笑み、目蓋にそっと触れて、言う。
「一人遅刻していますが、いいでしょう。まずは『この十字架』に関するお話しから始めましょうか」
☆☆☆☆
「どうしたんですか? ウィルさん」
木葉詠真を送り届け、自室へ戻り読書でも嗜もうと考えていたフェルドの前に現れたのは《地帝》ウィルダネスだった。
先刻と比べ酷く深刻な表情を浮かべており、《帝》の最年長で纏め役とも言える彼のこのような表情を見るのはフェルドの記憶上初めてだ。
ウィルダネスはフェルドの目、心を見て、告げる。
「鈴の嬢ちゃんは両親の真実を知った。エイ坊は自らの存在の本質を知らんとしている。ここが、機かと思っての」
「……それは、どういう――」
「フェル坊、これからお前に、お前の過去について明かそうと思う」
「――!?」
フェルドに両親の記憶はない。
気付けば聖皇国に居た。
ただ、それだけ――だとは当然思っていなかったが、まさか鈴奈と同列に並べられる程の件とは想像だにしていなかったのだ。
否。むしろ鈴奈より後に明かされるということは、
「全てはお前の母に在る。フェル坊、今からお前の母に会いに――『奈落』へ来て欲しい」
これは一つの禁忌。
現在では《聖皇》と《地帝》のみしか知り得ない、奈落の罪である。
☆☆☆☆
「木葉詠真さん、数ヶ月前、私が天宮島を訪問した時に貴方の家でお話した内容を覚えていますか?」
「えっと……アーロンの件でお礼を言いにきた……でしたか」
「それも間違いではありませんよ? ですがその後、貴方は私に問いましたよね。なぜ、鈴一人では負けると判った上で戦力を増強しなかったのか、と……」
詠真はやや頭を捻り、その時不思議な話を聞いていた事を思い出した。
「そうだ、確か……『声』を聞いた、とか何とか……」
口に出すと同時に、ソフィアの言葉が鮮明に蘇る。
『「世界の声」です。「声」はこう言いました。「選ばれし少年が齎すのは幸か不幸か。決断すべきは貴女」と。故に私は決断し、信じました。幸の結果に傾く事を』
その言葉を聞いている間、ソフィアの瞳から目を離せなかった。あの時は特に何も感じていなかったが、今となっては違う。
ただ物珍しいから――ではなく、本質部分で、彼女と自分はある意味同種の存在だと『自分』が告げている。
哲学的、抽象的。自分自身ですら上手く把握できない感覚。
それが怒涛の津波の如く押し寄せ、酷く目が疼き出す。
芽生える。生まれる。少し違う。
――そう、姿を見せる。
潜んでいたモノが現れるように、内から『我』を掻き乱す。
「木葉詠真さん――勝手ながら親しみを込めてエーマと呼ばせて頂きますが、エーマ、貴方という存在は自覚することにより大きく変容するでしょう。ですが、それは決して良いものであるは言い難く――」
「――いや、問題ない」
彼女の言葉を遮るように、詠真の強い意思の込められた声が間に響く。
超能力者の言葉を借りるなら、『制御した』――詠真は、姿を見せた『自分』を『自分の物』にしたのだ。
俺は、俺だ、と。
詠真は前髪を掻き上げて大きく息を吐き、曖昧な言葉だが同種の彼女になら伝わる言葉で尋ねる。
「……ソフィアさんは、いつから『こんな感覚』を背負ってるんですか」
「そうですね、物心ついた頃から。エーマの言う『感覚』は、私には『声』として届くのです。音ではなく、まるで意識に直接書き込まれる文字列。それを『声』と表し、私は私自身を『世界の声を聞く者』と呼称しました」
「私の父、土御門晴泰からも同じ話を聞かされました。父も『世界の声を聞く者』と呼称していましたが、それは《聖皇》から齎された名前だとも」
ソフィアは懐かしむように頷き、
「言わずとも判るでしょうが、『世界の声を聞く者』の特徴として、瞳に十字架を宿している事が上げられます。とは言え、私自身と天廊院筆頭以外に例はありません。いいえ、無かったというべきでしょう」
「……俺が……」
「はい。貴方も、私の言葉ではありますが『世界の声を聞く者』の一人。そう確信させられたのが、かの黒竜が天宮島上空に現れた時です」
未だ記憶に強い印象を残している人智を超えた怪物。黒き三頭竜。
フェルドと初めて戦ったのもその時で、そういえば彼女達が見守る中で『四大元素』の限界突破を使用していたなと思い出し、それは瞳に十字架が現れる鍵でもあった。
「……あれ、フェルドとの戦闘じゃなくて……ですか?」
「そこではまだ可能性のみ。確信を持ったのが黒竜の現れた瞬間です」
「俺なんかしましたっけ……?」
おどおどしく尋ねる詠真にソフィアは柔らかく首を振り、
「いいえ、私もエーマも何もしていません。ですがあの時、エーマが瞳に十字架を表した時です。私とエーマ――二人の『世界の声を聞く者』の力が互いに干渉、共振し、起こり得るはずのない現象を引き起こした」
一拍置き、強調するように、ソフィアの声に重みが増した。
「それが――次元振動による空間歪曲現象です」
既に知っていた鈴奈を除き、関わりを持っていなかった夏夜は突拍子もない言葉に呆け気味、詠真はソフィアの言葉の更に奥を即座に理解し、やがてそれは静かな昂りに変わる。
それを告げる前に、ソフィアは空間歪曲について補足する。
「この空間歪曲の、最たる原因となったのは私達の中身ですが、もう一つ原因があります。そ――」
「――それが、私と詠真が出会うきっかけになったあの事件。アーロン・サナトエルと超能力『空間転移』が引き起こした『一定空間内の全物質の転移』なの」
「むぅ……鈴、それは私のセリフなんですよ?」
いい所を取られて頬を膨らませるソフィアが妙に子供っぽく、なぜか鈴奈の方が偉く見える微笑ましい光景だが、詠真はそこよりも彼女達の言葉の真意の方が気掛かりだった。
難しい話じゃないのよと鈴奈が言い、ソフィアが続ける。
「例の事件により天宮島一帯の空間は酷く不安定だったのでしょう。おそらくそれが……」
「この世界と異世界を繋ぐ次元の裂け目になった……」
「その通りですエーマ」
しばし沈黙が落ちる。
一先ず詠真が理解したのは、自分が『世界の声を聞く者』である事。そして『異世界』の存在がほぼ確実性を持ったという事だ。
詠真の脳内整理が終わったのを見計らって、ソフィアが切り出す。
「実は、エーマが『世界の声を聞く者』である可能性を見出したのは私ではなく、アーロン・サナトエルでした」
「あいつが……?」
やはりあの男が何もかもの始まりなのかと思うと殴りたくなる。それは鈴奈も同じ気持ちなのか握った拳を静めながら、
「アーロン・サナトエルとの一戦の最後。詠真は、確か『四大元素』の四つ全てを同時発動したのよね?」
「ん、確かそうだ。その時のことは全然思い出せないんだけどな……。けど、三つ同時発動が十字架の現れる鍵だったし、アーロンはあの状況でよく見てたって事か」
「そうね。私も魔聖獣状態で詠真を確認は出来てたんだけどね、私からは詠真が『別人』のように見えたの」
「別人、ね……あれ以来四つ同時発動はやった事ないけど、『別人』のようにって言われても俺も判んねぇな……」
それこそ奴に聞いてみるか――と言いそうになるのを飲み込む。そこも二人はリンクしていたのか同時にため息。夏夜が羨望からため息。
ソフィアが一つ咳払いをして、
「では、次に。まずは私が聞いた『声』を伝えますので、よく聞いていてください」
☆☆☆☆
「『奈落』へ来るのは初めてだな……」
フェルドの不安気な声が薄暗い通路に響いた。
『奈落』。それは聖皇国の地下に広がる監獄の名前である。広さは聖皇国の敷地の半分にも渡り、フェルドは『奈落』の中を一切知らない。
叛逆者の監獄。近い所で言えば、アーロン・サナトエルやマリエル・ランサナーが収容対象だろう。
『奈落』は、殺す事さえ褒美にあたると判断された叛逆者に永遠に近い無を与え続ける深淵。
とは言え、かつて『時帝』と『無帝』、そして初代《聖皇》により創られたと言われるこの監獄、現在は誰も収容されて居ないと聞いていた。
が、それも当然なのか。
「ここに……俺の母が……?」
「……あぁ、そうじゃ」
母が『奈落』へ堕とされる程の叛逆者だった。それはフェルドの心に衝撃と一種の憤り、悲しみを生んだ。
ふと、ウィルダネスが立ち止まる。
「着いたが、気持ちの用意は?」
「……構いません」
「うむ」
ウィルダネスが、前方の何もない空間にも手を伸ばし、大きなドアノブを掴むように捻った。
ザーーッと空間が蠢く。
ただの薄暗い通路。
次の瞬間、其処は壁も床も天井もない漆黒の空間に変貌していた。
「これは、結界の魔法……?」
壁も床も天井も無い。されど足をついて歩く事ができる。目の錯覚なのか、本当に何も無いのか。何方にせよ、極めて強力かつ強固で複雑な魔法であることに変わりはなかった。
「フェル坊、前を」
促され、フェルドは前方を見た。
「…………あれ、が」
前方の奥。およそ空間の中心か。
宙から伸びる鎖に両手を縛られ、Y字状に吊られている存在――伸びきった赤い髪を垂らす一糸纏わぬ女性の姿が在った。その女は今にも燃え尽きそうな、風に吹かれたロウソクの火のような揺らめきで顔を上げた。
前髪の間から覗く瞳。弱々しく覇気のないそれは、まるで夢を見る少女にも似た輝きを取り戻していく。
「……フェ……ルド…………なの?」
「俺の…………母親、なのか」
ウィルダネスは立ち尽くすフェルドの肩を叩く事で肯定を示し、
「先代《炎帝》、叛逆者リプカ・シュトライト。紛れもなく、フェル坊――お前の母親だ」
☆☆☆☆
『今は知るべき時ではない。
選ばれし二柱、そして「全てを知る彼の者」の三者が目覚める時、三つ巴の「力」の存在理由が暴かれる。
そして来るのだ――戦乱の時代が』
ソフィア自ら『異能力』の起源を探り、だが一切の進展はなく諦めかけていた時に届いた『声』。
まずこれを伝えたソフィアは、一つ一つの解釈を述べていく。
「三つ巴の力。これは『魔法』、『呪術』、『超能力』を指した言葉である事は判ると思います。これらの存在理由、つまり起源が暴かれるのが、選ばれし二柱と『全てを知る彼の者』という三者が目覚めた時。……ええ、問題はここなのです」
「ここって、選ばれし二柱と『全てを知る彼の者』って部分ですか?」
「はい。ではエーマ、選ばれし二柱というのは、一体何を指した言葉だと思いますか?」
「え、えっと……そうだなぁ……」
と、やや考えるもイマイチピンとくる答えが導き出せない。
強いて言うなら、
「『世界の声を聞く者』……?」
「正解です」
ソフィアの即答に、詠真は思わず一歩踏み出して待ったをかけた。
「ちょっと待ってくれ。俺も答えはしたけど、『世界の声を聞く者』は、例えるなら三柱になりますよね?」
ソフィア、詠真、夏夜の父。『世界の声を聞く者』は三人いる。これを二柱とは表現しないだろう。
では、とソフィアは言う。
「私がこの『声』を聞いたのは、エーマを知るより以前です。少なくともその時点では、『世界の声を聞く者』は二柱の表現で間違いはありませんよね?」
「いやまぁ、確かにそうだけど」
「エーマは多少頑固と聞きますので、率直に言いますと」
一つ突っ込むべき点があったが詠真は堪えて耳を傾ける。
「選ばれし二柱とは、私と土御門晴泰。そしてエーマ、貴方が『全てを知る彼の者』ではないか、私はそう考えて――いいえ、間違いないと確信しております」
「……なぜ?」
「『世界』が言っています」
「…………、」
貴方は『世界の声を聞く者』の一人だと言われた直後、貴方は『全てを知る彼の者』ですと言われ、詠真の処理能力は限界を迎えつつあった。
一度休憩をと言いたかったが、休憩を取ったところでさほど意味はないだろうとも思う。
――俺は『世界の声を聞く者』で『全てを知る彼の者』。とりあえずその体で話を進めるか。
詠真はもう一度伝えられた『声』を復唱してから続ける。
「『声』によれば、三者が目覚めると暴かれるってあるけど、今はもう俺は目覚めてるんだよな? でも起源なんて未だに判らないけど……」
「ふふ、いい感じに砕けてきましたね。私にも鈴と同じように接してもらって構わないんですよ?」
「あ、えっと……」
ニコニコ笑顔で話しの腰を折るソフィアに苛立ちこそ感じないが、どうしても反応に困ってしまう。
そんな詠真を置き、ソフィアが問いに答えを持ってきた。
「厳密に言って、エーマはまだ覚醒していません。強いて言うなら、一段階覚醒のみ達成しました」
「一段階覚醒を、達成……?」
まるで目標としていたような物言いに引っかかりオウム返しに尋ねると、ソフィアは徐に立ち上がって深く腰を折って頭を垂れた。
「先に謝らせてください。申し訳ありません。私達はエーマを裏から操るような真似をしていたのです……」
続けて鈴奈と夏夜も深々と頭を下げた。
「ごめん、詠真」
「ごめんなさい、詠真君」
突然謝られて、裏から操るような真似をしていたと言われても、意味が判らず憤りすら感じられない。
詠真は皆に頭を上げるよう促してから、
「とりあえず説明してくれ。別に怒る気もないから」
「……うん、じゃあ私から説明させてもらうわね」
鈴奈は言って、そもそもなぜ詠真がドイツとフランスの異能崩れ討伐に加わったのか、その理由を思い出してみてと続けた。
詠真は考える時間は要らないと言うように即答する。
「利害の一致だろ? 異能崩れは『四大絶征郷』かアーロン・サナトエルの可能性があって、もしそうなら魔法使いや陰陽師だけじゃなく、俺にも戦う理由がある。それに、ただでさえ魔物討伐で人手がない中《氷帝》を連れ回してた訳だし……」
実際、鈴奈からそう聞かされた。
そこに間違いはないと思っていたのだが、鈴奈は首を横に振る。
「それも嘘じゃない。でも本当の理由は別にあったの。それが、木葉詠真の一段階覚醒」
「細かく言いますと、己が意思で瞳に十字架を現出させられる段階へのシフト、です」
夏夜の補足が正しい事を頷くことで示した鈴奈は、
「独仏戦争に関わる異能崩れを利用して、詠真を一段階覚醒させる。その為に故意に用意されたステージではないけど、あの件で一番重要だったのは戦争の早期終結であり、君の一段階覚醒だった」
そこにソフィアが付け加える。
「『全てを知る彼の者』の覚醒には二つ段階がある。一つの覚醒、今がその時である。それが『世界の声』でした。この『声』によって、エーマが『全てを知る彼の者』である可能性は事実になったのです」
この計画を聖皇国と天廊院の間のみで企て、本人への無駄な影響を失くす為秘密厳守するよう、《氷帝》と《焔姫》に命じた――という事だった。
詠真は眉間を指で押さえる。
島を出てから、いや島を出る前から、自分の預かり知らぬ所で様々な思惑が飛び交い、それら殆どが自分に関係する重大な事柄ばかり。
先の言葉通り今更怒りはしないが、複雑な気持ちではある。
そんな悩める少年に、ソフィアが思い出したように言った。
「そうでした、異世界と転移魔法の件ですが、私はエーマに協力を惜しまないつもりです」
「……それは、本当ですか?」
「はい、本当です。でもこれは《聖皇》ではなく、ソフィア・ルルの私情。他の《帝》に強制力はありません。言われたのではないですか? 《無帝》に」
「……そうですね、デマウスさんも言ってました。『私情で申し訳ないが』って」
予想していた答えとは違い、ソフィアは目を丸くした後、吹き出すように小さく笑った。
「ふふっ、そうですか。全く、今の聖皇国は私情で動く者達ばかりで纏まりがありませんね。デマウスと言い、鈴と言い……」
「《聖皇》様と言い、ですよ?」
「否定が出来ませんね、ふふふ」
☆☆☆☆
リプカ・シュトライト。それがフェルド・シュトライトの母親の名前だった。
先代《炎帝》を務めたという彼女が叛逆者として『奈落』に幽閉されている理由とは如何なるものなのか。
フェルドは自ら尋ねる事が出来なかった。
「フェルド……? 本当に、フェルド……なの?」
リプカが我が子に近寄ろうと動きガシャリと鎖が鳴るが、吊るされた彼女は一歩すら前に出る事は不可能。酷く痛々しい光景だった。
ウィルダネスが首を振る。
「リプカさん、儂は母子の感動の再会を演出しに来た訳では無い。フェルドに、真実を教えにきたんじゃ」
「ウィルさんは、母……この人と知り合いなんですか……?」
「あぁ。儂の先輩じゃ」
言葉の意味が判らなかった。
どうみても、リプカ・シュトライトの見た目は二十代そこそこ。フェルドの年齢から考えて、とても若々しい四十代と言った所だ。
ウィルダネスの年齢は六十を超えている。そんな彼の先輩としては歳が空きすぎている。
「フェル坊が抱く疑問は聞かずとも判る。そこにこそ、リプカさんが『奈落』に堕とされた理由がある」
「……ダメ……ダメよ、ウィル……フェルドに話しちゃ……」
リプカの悲痛な訴え。ウィルダネスは再度首を振った。
「フェル坊、リプカさんが犯した罪はな――」
「ヤメテ――ッッ!!!!!」
リプカの叫びは凄まじい魔力の奔流となり、ウィルダネスの体を紙のように軽々と吹き飛ばした。
フェルドは目を剥いた。
現状、八眷属の中でも年齢を考慮すれば《光帝》よりも優れた魔法使いである《地帝》が、防御や躱す暇もなく吹き飛ばされた。それは魔法ですらなく、叫びによって指向性を与えただけの魔力解放。
間違いなく、《聖皇》に次ぐ魔法使い。全魔力封印を解放した鈴奈でやっと勝るだろう強大な力だ。
「……イタタ、恐れ入りますよリプカさん。ここで何十年も封印されてなおそこまでの力とは……」
受け身を取って着地していたウィルダネスは楽観的に呟き、腰に吊るした一本の剣を抜き取った。
魔聖剣『地星神樹剣』。剣身に絡みつく樹の根の装飾が施された木剣。木とは言え魔法製の為鋼より硬質で重たい。斬るより叩き潰す《地帝》の誓いの剣。
ウィルダネスは再度、言う。
「リプカさんの罪はな――」
「ヤメテって言ってるでしょ――ッッッ!!」
再び放たれた魔力の解放。
轟音と共に防いだのは、『地星神樹剣』の剣身に絡みつく樹の根、その一本だった。
「あんたが攻撃する度に、根は一本ずつ解かれる。これが全部解かれた時、『地星神樹剣』がどれ程の破壊力を叩き出すかリプカさんなら存じているはずだ」
「ッ……!」
「ヤメテと邪魔をしようが、最後には露見する。その身に纏う罪が」
「ウィル……あなたッ……!」
ウィルダネスは剣を構えたまま、フェルドの側へ戻る。
そして再々度、言う。
「リプカさんの犯した罪はな――」
リプカは、攻撃を行わなかった。
「――禁忌の使用なんじゃ。それも『生命力の消費』なんぞとは比べもんにならん――奇跡とも呼べる禁断の領域に足を踏み入れ、先代《聖皇》に『奈落』へ堕とされた」
フェルドはいよいよ計算が合わなくなり困惑する。
「先代《聖皇》……? 待ってくれウィルさん、先代《聖皇》が座していたのは三十年以上も前なんだろう?」
「ああ、それくらいじゃったな」
「ならこの人は一体何歳で……」
「何歳だったかの。まぁ――八十は超えとる。外見こそ、フェル坊を生んだ『二十代』で止まっとるがな」
ウィルダネスの何一つ隠さない物言いに、リプカは俯き唇を噛む。
そして、ウィルダネスの口から、リプカ・シュトライトの犯した禁忌の名前が、明かされた。
「リプカさんの犯した禁忌。それは『生命力の固定』――『不老不死』の魔法だ」
☆☆☆☆
「一つ休憩を入れましょう。次のお話は、遅刻している方が戻ってこないと始まりませんから」
ソフィアの提案により、『お話』は暫しの休憩時間を挟むことに。休憩場所は『聖皇の間』だが、鈴奈と夏夜、そこにソフィアが茶々を入れるような構図が出来ており、詠真は壁にもたれて情報の脳内整理をしていた。
それも大方完了。判らない事が出てきたら尋ねればいい。ただ一つ、詠真は気になる事が残っていた。
――俺の中、俺の精神の最奥に居たあの存在。あれは……?
それは木葉英奈の姿を取り、家賃という形で力を与えてくれた。
あれは一体何なのか。全くもって判らなかったが、様々な話を聞いた今となっては、近付けた気がした。
――これは憶測だけど、あれが『全てを知る彼の者』……なのかもしれない。急がないと世界を救えないとか壮大な事を言ってたような気もするけど、まだ正直よく判らないな。
この事をソフィア達には明かしていない。まだ明かすべきではない、不用意に明かすべきではないと、どうしてはそう思ってしまう。
判らない事だからこそ、共有して、ソフィアの知識を借りる事が最良なのかもしれないが、『これ』は『そういう』モノじゃない気がしていた。
詠真は目を閉じ、目蓋に触れる。
――俺がこの瞳を持ったのは、その理由は何だろう。
最愛の妹を取り戻すだけだったのに、いつの間にこんな、雲を掴むような話に巻き込まれたのか。
「……巻き込まれたんじゃなくて、俺自身が台風の目ってのもあり得るのか……クッソ、俺は英奈を取り戻したいだけなのに……」




