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エレメント・フォース  作者: 雨空花火/サプリメント
六幕『二王離反』
45/60

『最美の帝』




「ふぇ? えっと、鈴羽さんの事を知りたい?」


 静粛を求められる見るも鮮やかで美しい礼拝堂に響いたのは、クロワ・ポラリスの気の抜けた声だ。


「あー、そっか。相手はルーカスだったもんね」


 一人で納得する金の美女は礼拝堂の両壁際に設けられた長椅子に座り、天井を仰ぎ見た。

 天井を鮮烈に染めるのは、かつて世にも名高い芸術家達が描いた無数の作品だ。ここは教皇選挙(コンクラーヴェ)を行う場所であり、装飾絵画作品であり、世界的有名な礼拝堂、システィーナ礼拝堂である。

 ローマ教皇の公邸、つまりバチカン宮殿の中にあり、一昔前までは一般に開放され公開されていた。しかし現在はバチカン市国そのものを関係者以外一切立ち入り禁止。

 過去に、"普通の人間である"ローマ教皇が当時の『聖皇』に交渉した結果として一般開放されていたそれを閉鎖する原因となったのが、何を隠そうルーカス・ワイルダーと『聖皇』ソフィア・ルル・ホーリーロードの激突による市国の損壊だ。

 こうして見上げる天井は荘厳たれど壁などに目を向けてみると、明らかにここには大穴が開き修復されたなと分かる箇所が幾つも存在する。

 ……まぁ、宮殿が倒壊しなかっただけマシだった、かな。

 言って、この礼拝堂について教えてくれたクロワ・ポラリスの横顔を、"魔法使いではないが普通の人間でもない"少年・木葉詠真は眺める。

 レオンスの言葉通り、フェルドの背中を追って着いたこの礼拝堂には、確かに美女が二人待っていた。

 金紗の美女──『光帝』クロワ・ポラリス。

 そしてもう一人。


「当代最強のルーカスに対して、鈴羽は"歴代"最美……なんて言われてたものね」


 詠真の金紗とは反対隣で揺れるのは、見慣れた青い髪。されど、見慣れた彼女が透き通る青と表現するなら、初対面の彼女は深い蒼。一つの三つ編みに結われ背中を擦る深蒼の髪を持つ彼女の名は、マイム・リンドブラード。

 物腰の落ち着いた雰囲気と相応する理性的で知的さを感じる容姿。それはやはり、美女に足る美しさ。静けき水面のように、滴る水滴のように、穏やかに流れる山の湧き水のように。まさに『水帝』と名乗るに相応しき麗しき女性。

 現時点、詠真の知り得る限りでは八眷属は美男美女揃いもいいところである。

 ……クロワさんがやたらテンションの高い隣人のお姉さんだとすれば、マイムさんは向かいに住んでいる天然エロかましてくる大人のお姉さんか。

 ……いや、そりゃこんな美女ばっか来るとそんな妄想とかしたいだろ。

 少年は軽い現実逃避が始まりそうになった所で、美女二人が話し始めた会話に自ずと意識が集中する。


「舞川鈴羽。私やマイムが、そうね……こほん。今から十七年前に彼女は二十五歳の若さで亡くなったの。鈴奈ちゃんが産まれた時ね」


 さらっと自分達の年齢を隠蔽した事には突っ込まず、はい鈴奈から聞きましたと詠真は相槌を入れる。

 マイムが少し悪戯っぽい笑みを浮かべながら、


「ならきっと、彼女から両親は魔力枯渇で亡くなった。そう聞いたんじゃないかしら? あとクロワは今三十六歳で私は三十九歳よ」


「ちょっとマイム!?」


 確かに詠真はそう聞いていた。

 あの列車の旅の最中で聞いた鈴奈の言葉を思い出す。


『私の母は、私が産まれた直後に亡くなったみたいでね。なんでも出産中に母が急速な魔力枯渇状態に陥って、父が母に魔力を供給する為に互いの魔力回路を繋げたんだって。でも母の魔力枯渇は改善されず、父の魔力まで急速に枯渇。そのまま私を産むと同時に、二人は魔力だけでなく、生命力までを枯渇させて死んだ。そう、私は聖皇様から聞いてる』


 その後、こうも言っていた。


『その話を聞く限りじゃ、分からないけど、多分私が二人の魔力と生命力を吸収したんじゃないかって、そう思うのよね。それなら、私が八眷属を名乗れるほどの魔法使いになり得たのも頷ける、のかもしれない。母が先代の氷帝だったみたいだし、相当の魔力を溜め込んだはずなのよ』


 詠真は内容を疑う余地もないが、マイムの口ぶりからしてこれが真実ではないという事なのだろう。

 だが、鈴奈が嘘を言っていたとも思えない。

 両隣の美女二人共が三十代後半という、"良い"意味で驚愕の事実に軽く意識領域を奪われつつ、詠真は尋ねる。


「若さの秘訣は──じゃない、俺が聞いた内容は事実じゃないんですか?」


 若さの秘訣は綺麗って言われることかな! などと、どこかの『氷帝(ひんにゅう)』とは大違いな豊満な胸を張る『光帝(きょにゅう)』を無視して、同じくエロ──セクシーなスタイルを誇る『水帝(きょにゅう)』が、全部嘘って訳でもないんだけどねと歯切れ悪く答えた。

 ……俺は慎ましやかなモノも嫌いじゃないぞ、鈴奈。


「真実半分、嘘半分。訳あって鈴奈には本当とは違う事を教えててね……」


 でも、とマイムは微笑む。


「つい昨日よ、鈴奈も同じことを私達に聞きに来てね」


「え? じゃあ鈴奈は嘘に気付いて……?」


「いいえ、そうじゃないわ。今の君と同じことを──舞川鈴羽について教えて欲しいってね。厳密には両親のこと、だったけど」


 それは知らなかった。

 昨日は鈴奈と夏夜と三人で食を囲んだが、そんなことは一言も。

 ……ってか。


「鈴奈から両親の事を聞いた時もそうだったけど、鈴奈は両親について全然知らない……というか、他の八眷属に尋ねたりしなかったのか……?」


「したよ。したけど教えなかった。だから昨日、全部教えた。そういう話よ」


 ガン無視された鬱憤を傍観するフェルドにちょっかいを出すことで晴らしたクロワが言った。


「まぁだから詠真君にも教えてあげる。何せ、鈴奈の未来の旦那さんだものね」


「──なッ!?」


 詠真とフェルドがハモる。無論、気持ちは全く別であるが。


「い、いや俺なんか……」


 謙遜する詠真の視界の端で、金色の糸で雁字搦めにされ身動きが取れなくなった芋虫フェルドがもがいている。

 それを視界に入れぬよう努めて、詠真は頬を掻く。


「…………はい、まぁ、そうなれるように努力します……」


「それでよし!」


 バシーン! と笑顔で詠真の背中を強打するクロワに悪意はなく、軽くウザいがなんだかんだ恋に協力してくれる隣人のお姉さんがますます似合っている。


「じゃまず、その真実半分嘘半分から正していこうかな。まず魔力枯渇で亡くなった、は少し嘘。本当は"出産した子供が有していた膨大な魔力に当てられ、出産直後に衰弱し亡くなった"。その時夫は妻の負担を和らげようと魔力回路を繋げ負担を分散した結果、それでも耐えられず妻の死直後に後を追う形になった」


「つまり、鈴奈の言う"両親の魔力を吸収してしまった"というのも嘘になるのよ。まぁそれは鈴奈自身が導いた答えだったけどね」


 クロワ、マイムと淡々と真実告げるその顔は居た堪れない表情だった。

 詠真は両親が死ぬという事に対し、『勝手に死ねばいい』とさえ思っている人種である為、鈴奈が事実を知った時の悲しみの理解できない。

 だがクロワ達の立場として見て、仲間が亡くなるという事実には底無しの悲しみを抱くだろう。

 生きているが、輝の時のように。


「でも、なんでそれを隠して……?」


「詠真君、鈴奈ちゃんがフランスで『四大絶征郷』と衝突した時、鈴奈ちゃんがやった事を覚えてるよね?」


 クロワに尋ねられたそれは、覚えているというか聞いた内容として記憶していた。

『四大絶征郷』の二人相手に、単独で挑んだ鈴奈が行った奥の手──封印されていた魔力の解放だ。

 フェルドをして、それは生命力の消費ではないと断言された為安心していたが、改めて、クロワとマイムから聞かされた真実と照らし合わせ──詠真の中で知識の点と線が繋がる。


「魔力が封印されていた事を、あの時鈴奈はまだ知らなかった……」


 あの時とは、鈴奈の口から両親の事が語られた列車の中での事だ。

 知らなかったから、教えられていた"嘘"を真実だと思い込んでいた。


「それをいつ知ったのか俺は分からないけど、その封印された魔力こそが両親を亡くす原因になった…………」


「そう。鈴奈ちゃんは生まれつき、異常なまでの魔力を保有していた。両親の魔力回路を通って命を奪うほどには膨大な危険極まりない魔力を」


 忌避すら滲む言葉。声。だが一転、クロワの声は穏やかさが戻る。


「出産に立ち会えなかったソフィアちゃん含め私達は、鈴奈ちゃんの身を案じた結果として魔力封印を施したの。あんな馬鹿げた量、放置してたら赤子なんて自滅してしまうもの……」


「それを秘密にしていた理由って?」


 それに答えたのはマイムだ。


「普通に実力不足、かしら。鈴奈が内に秘めた魔力を扱えるまで力をつけた時に真実を明かそう、そんな決め事をしていたのよ。鈴羽の、両親の事をあまり話さなかったのも、"それ"無しじゃ語れないから。……こう言っちゃ何なんだけどね、怖かったのよ私達も」


「怖かった……ですか……」


「赤子にして、八眷属全員を黙らせ恐怖させる異常な魔力量。それに恐怖を抱いたから、私達は抑えつけた。身を案じたのは、私達自身の身もよ」


 なんというか、言葉が出なかった。

 詠真は魔法使いの実力の基準、というのだろうか、それを知らない。でも赤子が八眷属を黙らせ恐怖させたと聞けば、だいたいのスケールは測れてくる。

 だから、言葉が出なかった。

 思ってしまったのは、アーロン・サナトエルよりも鈴奈の方がよっぽど異端なのかもしれないと。


「……でも、今はもう恐怖はないんですよね? 明かしたってことは」


「いや、結構前から恐怖は無くなってたよ?」


「え?」


 ケロっと答えるクロワ。詠真はつい間抜けな声を出してしまったが、咳払いをして誤魔化してみる。


「私は鈴奈ちゃんの師をしてた訳なんだけどね、詠真君は鈴奈ちゃんが焔姫と──夏夜ちゃんと本気で殺り合った事があるのは知ってるかな?」


「あ、はい」


「十年前なんだけど、それからかなぁ。あの子から毒気が抜けたのは」


「毒気……それって……」


 詠真は心の隅に僅かな心当たりがヒット、だがそれは本来木葉詠真には秘密である事も──なのに、


「いんやぁ、鈴奈ちゃんってば、それまで本ッ当に口悪くて。ねぇちょっと聞いてくれる~~?」


 クロワは道端で出くわしてしまったおしゃべり好きなおばさんのように詠真の背中をバシバシと叩きながら、片手で手招きをするかの如くおばさん力を発揮してペラペラと話し始めた。


「──で驚きなのがぁ、『師匠の若さなんてあと数年で終わり。すぐおばさん、ババアだよババア。ハッ、私のが美人になるね。僻むなよー』とか言っちゃってあの子! めちゃくちゃ悪い顔してたしね! 今の鈴奈ちゃんからじゃ想像でき、ない…………」


 …………あ。

 そんな声が漏れた。


「あれ、マイム? これって秘密にしてって言われてたっけ?」


 マイムは無言で肯定。

 ロボットよろしく、壊れかけのブリキのように首を回すクロワ・ポラリスは天井絵画を眺めてぼそりと呟いた。


「………………今のなし。お互い、地獄は見たくないでしょ?」


「え、地獄って……え……?」


 どこかで氷の槍が放たれ壁を穿ったような気がした。



☆☆☆☆



 クロワ・ポラリスは鮮明に記憶している。彼女だけじゃない、聖皇国に現存する魔法使いの半数以上は、その光景を色濃く記憶に刻みつけていた。


『花は咲き誇り、盛り乱れる祝いの夜に

 其方は喜びを知り、愉快に微笑む

 優雅の美女は成長を止めず、座に坐します女王と輝き華が開く宵の月

 ああ、戻ってきて

 いやよ、私はこの道を行くわ

 幸福を信じた女は友の説得も切り捨てた』


 凍える地、北極。南極とは違い、陸地がほぼ存在しない北極で、彼女──舞川鈴羽は詠い紡いでいく。

 透明感のある声、冷たくも心地よく耳朶を撫でて行く鈴の音。

 ああ、なんて美しい。北極の一部分に張られた秘匿結界の中で、感嘆が静かに反響する。


『栄華の時代を築く

 栄光の時代が終わる

 かの女が召される時

 輝きは神霊の導きにて、女は万物の女神となりて再び生を刻むだろう』


 人の手では絶対作り得ないほど精巧でしなやかな四枚の氷翼が羽撃き、空間を定めるように冷風が駆ける。


『美しさは私のために

 美しさは私達のために

 美しき私は栄華の美を再刻する』


 青い髪が舞った。愛する人にプレゼントされた白い髪留めで纏めた髪が龍のようにうねって宙に絵を描く。

 空の外套が翻った。スカイブルーが氷の煌めきと織り交ざる。

 氷の薔薇が一輪あった。永劫に解けぬ永遠を約束する氷花、誓いを表す一振りの聖剣が空を薙ぎ、風が凪ぐ。

 魔法の一角を極めし女の冷たくも情熱に紅い唇が、詠い上げる。


『──優雅美神(カリテス)神の御所(オリュンポス)


 光が──氷が──爆発した。

 目も開けれぬ閃光閃氷。最美の氷帝を認めライバル視していた最強の闇帝、座に坐す聖皇ですらその瞳を固く閉じて──一瞬の刹那。

 音も無く気配も無く、創造されしは氷の街──荘厳たる氷城都市。

 北極の一部を秘匿結界によって外界からの認識を侵入を阻害し、此処に出現したのは魔法の氷城。

 歴代最美を象徴する超魔法──『優雅美神・神の御所』は、魔法使いが強力な魔法を生み出し、特訓する為に創られた絶氷の都市である。



☆☆☆☆



 それも忘れられぬ思いの記憶。


『クロワ・ポラリスちゃんね。ようこそ、聖皇国ルーンへ』


 彼女は柔な手を差し出す。

 少女は瞳の光を失い、脳裏に過るのは両親の体から噴き出す鮮血。

 叛逆者を両親に持つ少女。いや、持っていた少女に、『氷帝』を名乗る美女は迷わず手を差し出していた。

 貴女は何も悪くない。ううん、誰も悪くないのよ。

 耳朶を打つ綺麗事。されど本音。

 金髪の少女はそっと、手を取った。


『……おばさんは、誰?』


『私? 私は舞川鈴羽。それとねぇ、私はまだおばさんじゃないよ? これでも十二歳なんだからね? って聞いてる? 本当におばさんじゃないからね!?』


 少女の瞳には老いて見えたのか。

 彼女の、鈴羽と名乗った女の外見はまだ幼い年相応。しかし纏う雰囲気が到底子供とは言えなかった。

 六歳のクロワ・ポラリスは、はやくも悟ってしまう。

 ……ママとパパは、怖かったんだ。怖くて、逃げて、殺されたんだ。

 両親は殺されるべくして殺された。それは自業自得である、と──。


『……ねぇ、スズハ』


『ん? なぁに?』


『私はママとパパが居ないの。だから一人なの。でも一人は嫌よ、とても寂しいの。でもこの寂しさは苦しさは、ママとパパがスズハ達から逃げたせいなんだよね?』


『……うーーん、まぁ……クロワちゃんが一人ぼっちになっちゃったのは、ママとパパが法に背いた結果ではあるんだろうけど……』


『むずかしいことは分からないけど、私は一人ぼっちは嫌よ。ママとパパと同じことをしたら、私はずっと一人ぼっち。だからしないの。スズハ達が怖くても、私は逃げない。スズハ達より私は怖くなるわ』


 鈴羽は引き攣った顔で唸る。

 ……よもや一回り下の女の子に宣戦布告っぽい事を言われるなんてね。

 これは大きくなる、鈴羽は感じた。


『……うん、そっか。ならこれから頑張って強くならなきゃね! お姉さんが稽古付けてあげちゃおっかな』


『一番強いのはおばさん?』


 私はおばさんじゃありません!

 つい叫んでしまうも、クロワはクスクスと笑う始末。鈴羽は小さくため息を吐いて、少女の頭を撫でた。


『うんとね、クロワちゃん』


『なに?』


『……クロワちゃんは、一人ぼっちじゃないよ。これからは、聖皇国のみんながクロワちゃんの家族なんだから』


『スズハも?』


『もちろんよ。ね、マイム? マリエルちゃん?』


 鈴羽の後ろからひょっこりと顔を出したのは、青髪でクロワより少し年上くらいの少女と、クロワと同じ金髪で同い年くらいの少女。


『……あ、う、うん。私も家族でもいいのかな、えへへ』


『……べつに私はなんでもいいもん。でも生意気な子は嫌い』


 照れるマイムとそっぽを向くマリエル。苦笑する鈴羽に、よく分からず首を傾げるクロワ。


 これがクロワ・ポラリスが持つ、舞川鈴羽との一番古い思い出である。



☆☆☆☆



 それは一生拭えぬ後悔の記憶。


 その日、某国の辺境で八眷属と十二神将が睨み合っていた。

 一触即発。下手すれば国の一つや二つ巻き込みかねない状況に、聖皇ですら"いつでも動ける"態勢を整え、己が間から動けずに居た。

 ただ一人。八眷属の一角・『氷帝』だけはイタリアの病院に在った。

 普通の病院ではない。魔法使いがある事でよく世話になる病院だ。

 そのある事とは、出産である。

 助産師は語る。


『ッ! 舞川さん! 気を強く保って!』


 出産はもう少しで終わる──そう思われた時、分娩室をとてつもなく巨大な魔力が襲った。照明の一部が割れ、壁に亀裂が入る。部屋が揺れる。

 魔力の余波は、助産師や他看護師、妊婦の父へ影響を及ぼしはしなかったが、魔力の発生源──生まれ来る赤子が放つ魔力は妊婦に対して、生死を揺るがす程の影響を与えていた。

 妊婦・舞川鈴羽は顔面蒼白になり、呼吸が殆ど出来ていない。

 陣痛の出産の痛みすら感じていない、五感が全て侵されている。


『鈴羽!!』


 叫ぶ鈴羽の夫。その声すら届いているか危うい。

 夫には、これしかなかった。


『お前だけに苦労はさせない……ッ!』


 妻の手を握る。

 集中し、魔力回路を繋げる。赤子から放たれる魔力は魔力回路を通って鈴羽に影響を与えている。ならば、その影響を分散すればいいのだ。

 妻だから、全てを許し合った関係だからこそ、魔力回路を繋ぐなどという芸当が可能だった。


 ──それゆえに。


『ァ…………ッ……』


『氷帝』である舞川鈴羽の夫は上級魔法使い止まりの実力者。八眷属ですら抵抗できぬそれを、上級魔法使い程度がどうこうできる訳などなかったのだ。

 一瞬にして、夫の神経は悉く斬り裂かれた。

 それでも──


『──ま、だ……だ! 妻に……せめて──子供を…………抱かせて────!』


 そして、赤子はこの世に産み落とされ──母は見えぬ視覚で、感じぬ触覚で、聞こえぬ聴覚で、匂えぬ嗅覚で元気に泣く赤子を抱きしめ、感じる。


『……ぁぁ…………ぁぁ……あり、がとう……元気に生まれて、くれて……とてもあったかい…………ふふ、可愛い顔…………ふにふにして気持ちいいわ…………ねぇ、あなた…………』


『……………………』


 聞こえぬ返答。妻は笑う。


『…………この子の名前は、鈴奈…………で……どう…………?』


『………………あぁ……………………とても、いい…………名前だ………………』


『元気に…………育ってね…………私達の…………愛する娘…………』


 限界はとうに迎えていた。

 もう声も出ない。魔力回路や神経はズタズタに、もはや人間としての機能を全て破壊されていた。じき、脳も活動を停止する。

 母は愛娘を抱いたまま────


『────────』


 唇に柔らかな感触──味わえぬ味覚で愛する夫を感じながら、


『愛してるわ、あなた』

『俺も、愛している』


 唇を伝う最後の愛言葉。

 頬を伝う最後の涙雫。

 肌を伝う最後の温かさ。


『愛しているわ』『愛している』

     『鈴奈』

 

 ──曰く。

 悲しい奇跡を見た。

 助産師が語った真実の愛は、とても悲しい奇跡だった。

 


☆☆☆☆



 バチカン美術館の中庭に腰を下ろす木葉詠真は、空を仰いだ。

 先刻、クロワ・ポラリス、マイム・リンドブラードの両名から、彼女らが知り得る限りの舞川鈴羽についてのエピソードを聞かせてもらった。

 北極に創った街の事、『闇帝(ルーカス)』が『氷帝(すずは)』の実力と美しさを認めてライバル視していた事、クロワと鈴羽の出会い、鈴羽の最後。

 他にも些細な出来事、様々な大切な思い出を語ってくれた。


「……親、か」


 詠真には理解できない。

 彼にとって両親とは、息子と娘を忌み嫌って路上に捨て去る悪。再会など虫酸が走る、死ねばいいとさえ望んでいる負の対象だ。

 両親の本当を昨日聞いたという鈴奈がどのような気持ちを抱いたのか、微塵も理解できぬ領域。

 ただ……、


「良い親……なんだろうな」


 それだけは分かる。

 自分達を殺した子供でも、たとえそれでも子供を愛して亡くなった。最後まで子供を恨むことは無かった。

 夢のような、両親だ。


「……自分とは違って、鈴奈は恵まれている。そう思ったか?」


 目を伏せたフェルドが言う。

 ……そんな事思ってない。

 確かに鈴奈は、詠真と違って親に最後まで愛されていた。だからと言って、鈴奈に対して負の感情が、妬みなどは沸いたりしない。


「いいや。特に何も」


「……そうか」


 詠真はふと気付く。

 フェルドは幼少時の記憶は無く、気付けば聖皇国に居たと言っていた。

 ……もしかして、フェルドも両親が居ないのか?

 もしそうならば先刻の言葉は、かつてフェルドが自身に対して投げた言葉でもあるのだろう。

 詠真はそれを心の中に留め、まぁ強いて言うなら、


「俺達もいい夫婦になれたらなぁと」


「おうおう結婚前提か畜生が。本人に気持ちも伝えられん童貞が!」


「……うるせぇなぁ。どうせお前も童貞だろーが」


「何が悪い」


「テメェで言ったくせにアホなのか……」


 まだ十七の詠真が童貞でも、まぁさほど不思議はない。が、二十超えても童貞に恥を感じぬフェルドは少し頭のネジが外れているのだろうか。

 詠真はため息を吐いて立ち上がる。


「まぁ童貞うんぬんを馬鹿にする気なんてないけどさ、フェルドはシスコンやってねぇで将来考えたら?」


「余計なお世話だ」


「クロワさんとか脈ありそうじゃね?」


「全力で願い下げだ!」


 中身がありそうでない馬鹿らしいやら取りに、二人は本当に馬鹿らしくてつい吹き出してしまう。

 初対面時から見たら、まさか互いが顔を合わせて笑い合う構図が生まれるとは思ってもいなかっただろう。

 切り替えるように、てかさと詠真が言う。


「レオさんは礼が言いたくて、クロワさんとマイムさんは、ただ俺がどんな男か見たいから会いたかったとか言ってたけど、まさか全員そんな適当な理由じゃないだろうな?」


 残る帝は、二人だ。

『炎帝』フェルド・シュトライト。

『氷帝』舞川鈴奈。

 この二名は置くとして、

『闇帝』レオンス・ノワール。

『光帝』クロワ・ポラリス。

『水帝』マイム・リンドブラード。

 会ったのは三人。八眷属──つまり帝は八人であるから、残るは三人。

 だがどうやら『風帝』だけは召集されていないらしいので残りは二人。

 詠真の指摘に、フェルドは考える仕草も見せず「知らん」と即答。

 仏頂面のまま続けて、


「ここだけの話、八眷属は変な奴の集まりだからな。普通人なのは俺とレオくらいだろう」


 いやいやお前も相当変な奴だ。

 詠真は心の中でツッコミを入れておき、鈴奈がフェルドにすら変な奴に分類されている事に笑ってしまう。

 マイムも割と常識人に思えたが、フェルド曰く違うようだ。


「えーと、残るのは何帝だっけ?」


「『無帝』と『地帝』。まぁ何れ『風帝』とも会うことがあるだろうが、あいつは一際変な奴だからオススメはしないな。半年分は疲れるぞ」


 フェルドから滲み出るダルいオーラから、『風帝』は群を抜いて変人であることが嫌という程伝わってくる。

 詠真は覚悟しておくよと軽く流し、歩き出したフェルドの背を追った。



☆☆☆☆



 そしてこれは、既に失われた記憶。


 ──闇の影が歪めて、蠢いた。


『氷帝、お前は何故……そこまで美しいのだ。容姿の問題ではない、お前の魔法はあまりにも美しすぎる』


 ──氷の薔薇が艶やかに、煌めく。


『お返しします。闇帝、何故貴方はそこまで強いのです? 精神の問題ではありません、貴方の魔法はあまりにも強すぎる』


 お前は美しすぎる。

 貴方は強すぎる。

 魔法の定義。二極化。

 魔法とは戦争の武力、ゆえに醜くも強くあるべきだ。

 魔法とは与えられた神の技、ゆえに神々しく美しくあるべきだ。

 当代最強と歴代最美。

 両者が衝突するのは必然であり、決して相容れぬ影と薔薇。

 影は言う。


魔法使い(おれたち)の悲願は──存在理由(レゾンデートル)は陰陽師と戦う事だ。そして勝つ事だ。だが千の年、両勢力は未だ健在。何故だか分かるか? 力が拮抗しているからだ』


 魔法と呪術。それらは同等ではない、魔法の方が圧倒的な多様性と力を有している事など周知の事実。

 だが拮抗している。魔法は呪術に勝るのに、勝ってはいない。

 魔法は世界の裏にある。なまじ多様性と力が強大だからこそ、全力を振るえば表に惨事を引き起こす。

 惨事を引き起こす事を避けているのではない。魔法という力が表に露見する事を避けているのだ。

 世界の裏で生きる事も、陰陽師と戦う事も、それらは先祖より受け継がれてきた"魔法使いの存在理由"。

 普通の人間とは相容れぬ、普通ではない人間の生き方なのだ。

 ゆえ、拮抗してしまう。全力を出せば確実に表へ出る。それを避けるために力を抑え──陰陽師の呪術と同等のステージまで落としていた。


『確かに陰陽師の式神は強力だ。特に強力な式神は、八眷属並みの力を持っているだろう。だがな、それは魔法の真価を発揮すれば問題はない』


『ですが、世界の裏で生きる事も私達の存在理由。貴方の持論ですと、存在理由のどちらかを捨て、どちらかを選ぶということ』


『今も変わらんだろう。勝つ事を捨て、世界の裏で隠居する事を選んでいる。それが逆転するだけだ』


『いいえ。私達は戦っています。日々、世界の各地で戦闘は起こっている。頻度や規模は小さいでしょう。しかし、何れ決着は着く』


『あと何千年だ?』


『…………』


 黙る薔薇に影は吐き捨てる。


『魔法が真価を発揮すれば、この戦いは何年と続かんだろう。聖皇の全力の前には何人も生きられん』


『──そうですか、ならば』


 薔薇の棘が鋭く光る。


『勝てばどうなりましょう? 世界の裏で生きていく、それを捨てる以上、戦う事が、勝つ事が存在理由。だが勝ってしまえば、戦いは終わります。ええ、私達は存在理由を失う』


『────』


 次は影が黙り込む。


『共存? 無理でしょう。超能力の現状を見れば一目瞭然。この世界は、異能を受け入れる事は出来ない。だから私達は千年間この身を裏に置いている』


 そも、全力を出して勝ったとして、魔法は超能力よりも凶悪で残酷な力だと認識されてしまうだろう。魔法の全力とはそういう領域なのだ。

 呪術とて同じ事。あの"式神"は一種どんな魔法よりも酷い。世界にあってはならぬ力の最たるものだ。

 決して相容れぬ。表は表、裏は裏で、それぞれのエゴを貫いて生きるしかない。それが現実。

 ──だというのに。


『存在理由、命題を全うできる。それこそが命ある者の終着点。存在理由を失うのではない、全うするのだ』


 影は勝利に、力に固執する。


『氷帝、魔法に美しさなど要らぬのだ。強くあればいい。強くなくてはならぬ。魔法は演舞ではない』


 薔薇は強い光で否定する。


『魔法は兵器じゃありません。戦う為の力だとしても、これは私達自身だ。強さに固執するだけでは、何れ身を滅ぼしますよ』


 奥歯を噛む音がした。影は眉間にしわを寄せ、怒号をあげる。


『ならば最強とは何だ!? 十二神将の二柱を崩した俺の存在理由は、最強の存在理由は勝つ事だろう!!』


『いいえ、それも違います。最強とは衛るモノじゃない、超えられるモノです。最強である貴方は、何れ来る次代の最強に超えられる事が存在理由。そうして私達は負けず、生き続ける』


『負けず……だと……!?』


『はい。私達は"負けていない"』


 勝つ事が命題。

 世界の裏で生きる事が魔法使いに許された生き方であり、先祖が"持たざる人間"に譲歩した唯一。

 前者を全うする為には、後者を諦めなければ叶わない。

 人間という存在の命題とはなんだろうか?

 確実な答えはない。

 だが魔法使いにはある。なぜ自分たちは生きているのか。その理由を知っているからこそ──存在理由を全うすれば"存在理由を失う"という事も理解している。

 だから、


『私達は負けないのです。生物とは本能では生に執着するモノ。それは私達とて同じという事でしょう』


 存在理由を手放したくないから、『魔法使いはワザと陰陽師に勝つ事を避けている』と薔薇は言った。


『原初は知りませんよ。魔法使いが生きる理由は分かりますが、なぜ魔法使いと陰陽師がこの世に生まれたのかは知らない。ですがそれも、なぜ人間はこの地球に誕生したのか、それに確実な答えが無いのと同じです。進化の過程で人間となった、生まれたから生まれた。それでいいじゃないですか』


『────ふざけろ、氷帝』


 影が、漆黒が広がる。


『理由に縋らなければ生きていけないだと……? そんなもの──貴様らが弱いからだろうがッ!!』


 最強ゆえ、弱さを認めない。

 影の命は弱さを許さない。


『──ハァ』


 薔薇は艶めかしく溜息を吐いた。


『最強、最美。最たる者と呼ばれる理由、分かりますか?』


『そんなもの最も優れているか──』


『違いますよ──普通ではないからです。当代最強の貴方は、当代で最も強さに固執する者。歴代最美の私は、歴代で最も美しさに固執する者だ』


 影は勝つ為に、命題を全うする為に何より強さに固執している。存在理由を失っても生きていける。それも影が思う強さに他ならない。

 ならば薔薇の美しさとはなんだ?


『──守る事ですよ』


 影はその一言で怖気立った。


『魔法使いは存在理由を失わない為に"負けない"。私達が勝たずに負けなければ、陰陽師も勝てずに負けられない。つまり陰陽師の存在理由も守られるのです。そして魔法と呪術が表へ出なければ、持たざる者達も安息に守られる。魔法使いが存在理由を手放したくないと嘆く限り、全ては守られる。私はそれを崩さない、それが私が思う美しい在り方です』

 

 異端、などでは足りない。

 神か仏か聖人か。あまりに達観した薔薇の美しさへの固執。

 最強とは相容れぬ平行線。

 薔薇は言う。


『ですが"最"とは烙印。それを押したのは聖皇様。その烙印を消したければ──己が"最たるモノ"を貫きたいなら、貴方がなってみてはどうでしょう』


『……貴様』


『ルーカス・ワイルダー。貴方が私に認めて欲しいと思うなら、聖皇になってみろ。認めたら認めてくれるなど子供の考えは通りません』


 そも、『聖皇』となれば聖皇国の、魔法使いの方針を変えれますからね。

 決して交わらぬ強と美。

 だが所詮、当代と歴代。

 神に(かみ)聖人(かみ)に届くためには、聖皇(かみ)に──


 存在理由ではない。

 命題でもない。


 プライドが、あった。


 ただそれだけの事が、引き金となった。


 だがそれを知る者は、もうこの世には居ない。

 真実は失われている。



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