『陰険ロリシスコン野郎』
木葉詠真。舞川鈴奈。土御門夏夜。
独仏戦争にて暗躍していた異能崩れを倒し、あるいは撃退した彼らは、魔法国家『聖皇国ルーン』で治療を受けていた──とは言え、魔法により身体的な傷や疲労は即治癒だ。力を酷使し悲鳴をあげる体を労ってやる為に、安静にベッドに伏せる事が最大の治療だった。
要は、燃料切れ。
舞川鈴奈は魔力を。
土御門夏夜は呪力を。
木葉詠真は精神力を。
「一様に馬鹿ばっかり、か」
そう笑ったのはとても美しい女性だったと詠真は記憶している。
クロワ・ポラリス。ドイツ総統閣下を撃破後、帰還する余力すら失った詠真と夏夜の元に飛来した魔法使いだ。
『あらら、鈴奈ちゃん含め……一様に馬鹿ばっかりねえ』
苦笑する彼女の姿を最後に気を失った詠真が次に目覚めた時に、ここは聖皇国だと教えてくれたのも彼女だ。
他にも独仏戦争の結末。横で眠る少女達の容体。『四大絶征郷』には何処かへ転移され逃した事。
後に鈴奈から聞かされたフランスの戦いの始終を含め、この女性がただ美しいだけではなく、強く──ある意味で残忍である事も分かった。
……見た目で判断してたら、この先もっと痛い目見そうだ。
洗面所で顔を洗う詠真は、鏡に映った自分を見てから改めて思った。
十七年付き添った自分の顔。少し長いが邪魔にならない程度の黒髪。はらりと前髪が顔にかかる。
前髪の合間から覗く、赤い光。
両瞳に宿った真紅の十字架。
精神の奥底で『彼女』と対話し、家賃として『力』をもらったその瞬間から、此処には十字架が刻印された。
詠真自身が自覚したのはその時だが、以前から稀に現出していた。
少なくとも、超能力『四大元素』の限界突破時は確実に。
これは一体何なのか。
詠真には分からない。
だが、それを知っているかもしれない者達はすぐ近くにいるのだ。
その為に詠真は此処にいる。
その為に詠真は此処に連れて来られたのだろう。
『聖皇』ソフィア・ルル・ホーリーロード。
同じ十字架を持つ彼女の坐す国へ。
「まだ時間があるな」
現時刻は午前十時を回った所。
『聖皇』との約束の時間まで、まだ三時間ほど残っている。
ここは聖皇国。一般的にはバチカン市国だ。都市規模の小さな国だが、全く見知らぬ土地のため、案内なしで動き回るのも少し躊躇われる。
鈴奈も夏夜もどこかへ行っている以上、貸し与えらた聖堂の小部屋でのんびり待つ他ないか。
『……寝覚めの悪い朝だ』
ドイツ語で悪態をつく声が洗面所の外から聞こえてきた。
聞き覚えのあるその声に、詠真は朝から溜息を漏らしてしまう。
「……おはよう、フェルド」
ボサッと寝癖がつきボリュームが増した長い赤髪を手櫛で直しながら、如何にも不幸を呼びそうな死んだ目で洗面所に入ってきたのは、フェルド・シュトライトだった。
ああ見るからに機嫌が悪そう。詠真の姿を見た途端、更に不快な表情を浮かべる始末。
「……貴様のせいで寝覚めが悪いと言うのに、これは如何様な拷問だ」
「おはようも言えんのかお前は」
「何が好きで、貴様におはようをせねばならない。俺が貴様に挨拶する時は、おやすみだけだ。永遠のな」
「何をそんな怒ってんだよ……」
……初対面の時もそうだ。こいつは事あるごとに俺に突っかかってくる。
詠真としても理由は限りなく分かっているものの、いかんせんウザい。敗北を味合わされているので、なおウザい。ああウザい。
「はぁ。……まぁ、そうやってぶつくさ言ってる間は無理だって。一生片想いしててくれよ、炎帝様」
詠真は煽り気味に言い、すれ違いざまにフェルドの肩を叩いて洗面所を去ろうとする。
それを止めるように、
「待て」
「あん?」
「何方にせよこの後で貴様を捕まえるつもりだったからな。そこで止まっていろ」
フェルドはちゃちゃっと顔を洗い、ボンバーな寝癖を整える。左目を隠すように前髪をセットし、上下赤の寝間着の上から、魔力で瞬間生成した赤外套を羽織る。
腰には鞘に収まった赤い剣が吊るされていた。
「なんで剣出してんだよ」
「聖皇様の魔力である魔聖剣と言えど、自分以外の魔力を体内に収めておくのは心地が良いものではない。これは前に説明したはすだがな」
「そう言えば、魔法講座してくれた時に言ってたような」
「……ふん、まぁいい。着いて来い」
詠真を押し退け、着いて来いと言いつつ着いて来るなと言わんばかりに早足で聖堂を進んでいくフェルド。
呆れた。肩を落として大きく嘆息した詠真はその背中に一発ぶちかましてやろうとも考えたが、聖堂が壊れてしまっては元も子もないのでウザい背中を黙って追いかけた。
☆☆☆☆
「で、どこ連れて行く気だよ」
詠真は軽い欠伸をもらしながらフェルドに尋ねる。
行く先も目的も分からないのではイマイチすっきりしない。
……背中越しでも煩わしさが滲み出るほど嫌なら、俺は部屋に戻るぞ。
「貴様に会いたい者らがいる」
静まり返る聖堂廊下にフェルドの声が響く。そこには不満も混じっていたが、どうやらいい加減諦めたらしく滲み出ていた暗い雰囲気は失せる。
「俺にか?」
「あぁ。貴様の──」
「なぁ、いい加減名前で呼べよ。そろそろ意地っ張りはウザい」
ウザい……だと……と、フェルドは頬を痙攣させる。それを詠真から見ることは出来ないが、対して見てやる気もないので回り込んだりはしない。
ややあってから、
「……チッ、いいだろう」
「で、俺が何?」
「貴さ──」
「あ"?」
「……詠真は八眷属の間で、かなり有名人だと言う話だ。その瞳の事もあるが、鈴奈と密接な関わりが多いからな」
少し嫌味がこもった言い方だったが、それを流しつつ詠真は言う。
「んじゃ、今から会いに行くのは他の八眷属って事?」
「あぁ。その為に殆どの八眷属が聖皇国に召集されている」
──八眷属は炎帝以外、聖皇国を離れて世界中に散らばっている。主に魔物を討伐する為にね。
詠真は、天宮島から『楽園客船』に乗って日本への船旅の中で鈴奈が言っていた言葉を思い出す。
「わざわざそんなしてまで……俺怒られたりしないかな? 鈴奈をたぶらかしやがって! みたいな」
「……俺に対してわざと言っているのか? そうだろう?」
立ち止まったフェルドが振り向いて詠真を睨みつける。
「はて?」
白々しく首を傾げる詠真。今にも戦闘が始まりそうな雰囲気だ。
それをぐっと抑えたフェルドは、強く鼻を鳴らして再度歩き出した。
「……詠真はドイツで戦ったそうだな」
ふと呟くようなその声に、フェルドらしからぬ小さな迷い、だろうか、そのような弱さを詠真は感じた。
そういえば、と詠真は思い出す。
……フェルドは初対面の時、それにさっきもドイツ語を話していたな。
「ドイツはフェルドの故郷なのか?」
「……そうらしいが、俺はあまり記憶にない。いや……忘れた、という表現が正しいか」
やはり声色にいつもの強気を感じることができない。
詠真は迷う。このまま深く掘り下げて聞くべきか、興味がないように流すべきか。後者の方が空気は読めているが、フェルドがこのような状態になる程の事だ、気にならないと言えば嘘になる。
だが鈴奈の事もある。八眷属──魔法使いとて、辛い過去は持っているという事だろう。
……そうだな、やっぱここは──
「何か、あったのか?」
ウザ絡みの怨みだ。さあ話せ。
心の声は押し殺し、あたかも親身に相談を聞く友人のように、できるだけ自然に尋ねた詠真。
しかし。
「……お前は話を聞いていたか? 俺は忘れたと言ったのだ。俺の幼少期に何があったかは知らん。気付けば聖皇国に居た。それだけだ」
「チッ」
「舌打ちをしたな? 貴様今舌打ちをしたな? フン、嫌に親身な奴だなと思えばそれか貴様は!?」
「おうおう、朝からプリプリ怒るなって。俺が悪かった」
振り向きざまに遠心力を加えた回し蹴りを放つフェルド。それを軽々と躱して「降参だって」とこれ見よがしにハンドアップする詠真。
これも距離が縮まったからこその喧嘩するほど仲が良い、である……かは分からないが、少なくとも以前よりは親しく話せるようにはなっているのだろう。
お互い、口に出さないが内心でそう感じていた。
「まぁいい。話を戻すが、ドイツでルーカス・ワイルダーと戦闘し、見事勝利したと聞いたが」
「ん、まぁ勝ったな。気分の良い勝利なんかじゃ無かったけど、アイツの妄想は……なんつーか、間違った選択が齎した人生はもう終わらせてやる事が一番だった。聖人君子でも裁判官でも何でもないけど、俺はそう思うよ」
……そうか、とフェルドはあまり興味無さげに言ってから、
「しかし、ルーカス・ワイルダーはかつて八眷属最強と謳われた闇帝だ。俺は直接の面識は無いが、聖皇様に魔力の半分を削り取られていたとは言え、詠真は着実に強くなっているって事か」
一転、こちらは興味ありげに少し声が浮ついていた。
詠真はふと疑問だった事を尋ねる。
「そのさ、魔力の半分を削り取るってのは、魔力を消費するのとは違うのか?」
カツカツと聖堂に靴音を響かせながら、フェルドは超能力者に説明する。
「それに関しては、まず二リットルのペットボトルを思い浮かべろ。そこに水が満タン、つまり二リットル入っている。水を魔力と見立て、この状態が魔力全快時だ」
「ふんふん」
「魔力の消費とは、魔法を使用するたびに水を消費する事。消費した水は、時間が経てば回復していく。しかしルーカス・ワイルダーのような、魔力を削り取られた場合は異なるのだ」
「水を削り取っても消費したのと同じじゃないのか?」
「厳密には、水ではない。ペットボトルだ。ここでのペットボトルは、魔力を内包する器だな。聖皇様はそのペットボトルを真ん中で切り取り、その上半分を取り上げた。そうなれば」
「器が半分になれば、内包できる魔力も半分になる。つまり、本来の全快時の半分以上に回復することはない……って事か?」
「より正しく言えば、その半分で全快と言う訳だ。単純だが、力の五割を完全損失している事になる」
なるほどなぁと掌で拳を叩いて納得した詠真は、ならルーカス・ワイルダーの五割ってフェルドの何割に値するんだ? と再度尋ねた。
やや悩む仕草を見せたフェルドは、
「おそらく、七割か八割に相当するだろうな。だがクロワから聞いた詠真の話から推測するに、回収し損ねた人工魔法使いが幾つか居ただろう。奴は自身の魔力を切り分けて人工魔法使いを生み出していただろうから、そこを差し引いて……そうだな、詠真が倒したルーカス・ワイルダーは俺の五割程度だったと見るべきだ」
あーー……うん。
お前がめちゃくちゃ負けず嫌いってのはよーく分かった。
それを口に出さないのは詠真の優しさか、ともあれアレがフェルドの五割に相当するのだとすれば、フェルドの全力はまだ計り知れないモノだと詠真は実感する。
「あんな魔王変身が倍になんのか。お前もやっぱ強いんだな」
「魔王変身? ……あぁ、自身の体を変質させる魔法の事か。残念だが、俺はその魔法を使えないぞ」
「あー、やっぱ弱いのか」
「ド突くぞ貴様。あの手の魔法はそう簡単に使えるものじゃないんだ。フランスで『四大絶征郷』のマリエル・ランサナーも使用していたらしいが、アレには相応の代価が必要なんだ」
マリエル・ランサナー。鈴奈から何度か聞かされた名前だ。『四大絶征郷』の幹部の一人で、聖皇国から離反した魔法使い。クロワ・ポラリスの旧友という話も聞いている。
「代価? 魔力じゃなく?」
「力の五割を全損し、かつ数割を回収し損ねたルーカス・ワイルダー。聖皇国に居た当時は、上級魔法使い止まりだった天才とは言えないマリエル・ランサナー。それらが、八眷属でもそう扱えない"その魔法"をなぜ使えたのか。話は簡単だ。魔力ではなく──生命力を消費して発動しているんだ」
「生命力って命、だよな?」
フェルドは強く頷き、
「生命力を使って魔法を発動する事は禁忌の技だ。極めて強力だが、命を燃やす事など許されない。ルーカス・ワイルダーもマリエル・ランサナーも、その禁忌に手を染め強大な力を手にした輩という事だ」
理解はできた。できたからこそ、詠真の中に絶対に無視できない心配事が芽生え悪花を咲かせる。
「……なぁフェルド」
「なんだ」
「鈴奈は、なんかすごい魔力を解放したって聞いたんだけどさ……それってもしかして──!」
「心配するな」
フェルドだからこそ、説得力のある「心配するな」の一言だった。
「鈴奈のそれは間違いなく魔力だ。鈴奈は生まれつき莫大な魔力を有していて、それを聖皇様が三段階に分けて封印していた。その一つを解封したに過ぎない。まぁ負担はあるだろうが、命を燃やしている訳ではない」
安堵。心からの安堵で崩れそうになる足を気持ちで支え、気丈に振る舞いフェルドの背中を追っていく。
「もし鈴奈が生命力を使おうものなら、真っ先に俺が止めている。今だから言っておくがな詠真」
ぐるりと振り向いたフェルドは詠真の両肩をガシッと掴み、ぐいっと顔を寄せて必死の形相で訴えかける。
「俺は! 鈴奈が物心つく前から! 聖皇様から鈴奈の世話係の重役を賜っていたんだ! 要は俺は鈴奈の兄だ! 鈴奈は一回もそう呼んでくれなかったが、俺はアイツの兄であり、俺はアイツを愛しているんだ! 貴様なんぞには渡しやる気はない!!」
安堵で崩れかけていた足腰にぐっと力を入れ、詠真は首を後ろに引っ張り──渾身の頭突きをフェルドの顔面に叩き込むことに成功した。
「がッ!!」
「うるせぇよシスコン! んでロリコン! 妹を愛する気持ちは分かる大いに分かる! が、お前の愛は兄として歪んでるし警察呼ぶぞ!!」
「ぐっ……何方かと言えば義理の妹だぞ! 何の問題が!」
「余計にキモいわ! 兄と自称するなら愛の形くらい定めろ陰険ロリシスコン野郎!」
「貴ッ様、言いやがったな!!!」
「ああ言ったよ! 前のリベンジだ、かかっこいや!!!」
詠真の『四大元素』が解放され、
フェルドの魔法が発動され、
数万度にも達しよう炎熱が、由緒ある聖堂の内部で衝突、爆発した。
──と思われたが、
「……フェルド、僕は君に……彼を連れてきて欲しいと頼んだはずなんだけど。誰が聖堂を壊せと」
二つの炎熱は闇より深い黒紫の渦が跡形も無く食い潰し、両者の中間には紫紺外套に身を包む青年──現"闇帝"レオンス・ノワールが佇んでいた。




