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エレメント・フォース  作者: 雨空花火/サプリメント
五幕『氷焔の断罪』
38/60

『盤面は異端の手によって』



 硝煙弾雨。砲煙弾雨。空爆。爆発、爆砕、爆炎、爆風。この時の為に訓練された二国の兵士、戦場を蹂躙する駆動兵器。

 戦争。ドイツとフランスの国境線、及び複数の戦場は血と鉄の世界。殺しが全ての死の宴。

 守るべき国への──いや、一概にそれとは言えない。

 中枢をイギリスに制圧され、駒として使われるフランス。

 闇を纏う人外の総統閣下に命令され否応もなく武器を構えるドイツ。

 崩れた異能者が居なければ、関わらなければ起こり得なかった戦争。

 されど、戦争。もはや兵士の意思では止められない。

 ──そう、この望まぬ戦を止めるには、元凶を斃さなければならない。普通の人間などでは到底敵わぬ、異能の超人を打倒せねば。

 戦争を止めるため。そうであっても、彼らの根本にある目的は違う。

 しかしそれは結果として、戦争を終結させることになるだろう。

 両国へ侵入した、三人の少年少女。

 戦争の煽った異能崩れを滅するべく、放たれた三つの異能者。

 超能力。魔法。呪術。


 ──既に事は始まっていた。



☆☆☆☆



「敵の大将が居るとすれば、おおよその位置は絞られてくんだけどな……」


 左腕に赤い腕章をつけた黒い軍装の少年は、地図を広げながら建物の陰で頭を捻っていた。

 現在地はドイツ・ミュンヘン。国内では三番目に大きな都市で、市域人口も140万に達する。しかし開戦した今となっては、活気のかの字も見当たらず、街中で見かけるのは軍装纏う兵士ばかりだ。

 戦争が国外で勃発していると言えど、空襲の恐れも大いにある。沈静化に向かうまでは、民は戦火に怯える生活を余儀無くされるのも仕様がない事だろう。

 彼にとっては、民が怯える怯えない等どうでも良いことではあるが、やはりこの状況、下手な動きをしては目立つ事この上ないと言える。


「つってもなぁ、普通の火器は防げるし、異能相手じゃない限り問題はないんだけど……」


 控えめに頭を掻く。

 彼らの行動方針としては、未だ全容を全く掴めぬドイツの異能崩れを相手に、正面から堂々と挑むのは得策とは言えぬとし、でき得る限り姿を隠して不意打ちを狙おうというモノだ。

 敵中にわざと姿を晒し、大将を誘き寄せるという手もあるだろうが、しかしそれでは不意打ちが不可能になる上、確実性を保証できない。

 大将の情報が皆無な以上、ぶっつけ本番正面切っては危険度が跳ね上がる。効率が良いとは到底言えない。

 早急に終わらせたいが、そう上手くはいかない特別任務。


「前とは大違いだな……」

 

 少年は苛立ちを吐き出す。

 この場は戦場。状況は戦争。

 一度は経験した。しかしそれは一日という短さで終結した。向かってくる敵をただ薙ぎ倒すだけの作業。敵は一切の一般人。異能など持たない。途中、本気で死にかけたし、予想外の切り札でまたもや死にかけた。

 それでも、あの戦争で天宮島側の犠牲者はただの一人も出なかった。

 完全勝利──とは言い難いかもしれないが、結果は間違いなく完全だ。

 完全というものを一度経験してしまうと、同じ事柄でそれ以上の結果が出ない状況に直面した時、心底苛立ちが込み上げてくる。

 今がまさに、それだった。


「夏夜、どっか可能性ありそうな所はあったりするか?」


 少年が尋ねたのは、隣から真剣な目で地図を覗き込む少女。戦場には到底似付かわしくないカジュアルな服装に大きめのバッグを背負った彼女は、少年と共に任務に着く陰陽師、"焔姫"土御門夏夜だ。

 夏夜は悩む仕草も見せず、ここしかないとばかりに簡潔に答えた。


「ベルリン、ですね」


「ベルリン……ベルリン……っと、ここか」


 軍装の少年が地図を指でなぞり、国内地図上で北東。ポーランドにほど近い場所にベルリンはある。現在地ミュンヘンからはかなりの距離だ。

 夏夜は知識と照らし合わせながら、ベルリンを指摘した理由を述べる。


「ベルリンは首相官邸がありますから。あと、総統官邸とかもあったかもですね。ですから、最も落とされてはいけない都市はここかと」


「なるほどな……」


 少年は地図を折りたたんで軍服の胸ポケットに仕舞う。

 夏夜が少年の装いを見つめ、自嘲気味に呟いた。


「不謹慎かもしれませんけど、それなんだか似合ってますね、詠真君」


 少年──木葉詠真は、それは何も嬉しくないぞ……と苦笑。黒い軍装に煩わしさを見せながら、ここまでの道程を軽く想起した。

 およそ十日前。鈴奈とミラノで別れた次の日の早朝に、戦争は開戦した。

 詠真と夏夜は長期に備えて携帯食料等を買い込み、オーストリアから夜の闇に紛れ、三日かけてドイツへ侵入。場所はベルヒテスガーデンと呼ばれる町の近隣だった。

 行動方針からして、国内で空を飛翔することは避けるべきと判断し、二人は出せる最速で地上を駆けた。その道中、運悪く鉢合わせてしまったドイツ軍兵を斃して軍装を剥ぎ取った。

 陰陽師の隠形や魔法使いの光学魔法を持たない詠真が変装を行う為で、ゆえに現在は軍服姿という訳だ。

 その変装のおかげか、交通を利用するのは極めて楽だった。恐らく、軍装そのものが身分を証明してくれていたのだろう。

 だからと言って、本物の軍兵に声をかけられでもすれば、即座に変装が暴かれてしまう。街中であれば下手に戦闘を起こす訳にも行かない。

 そうして計十日。野宿で交代制短時間睡眠を取りながらも、なんとかミュンヘンまで辿り着いて──現在。


「この服の持ち主が口を割ってくれたら早かったのにな」


「そこは兵士、と言うことなのでしょう。そう上手くは行きませんね」


 軽く首を振った夏夜は、スカートの内側に手を入れる。太ももの付け根辺りに装備したカードホルスターから呪符を取り出し、


「清めよ」


 その一言に呪符が淡く光る。光は二人の体に灯り、体と服の汚れを取り払ってくれる。

 清めの呪術。この十日間、風呂に入らずに済んだのはこれのおかげだ。


「サンキュー、んじゃこれから──」

 

 詠真は唐突に口を噤む。

 微かに聞こえる足音。軍足が地を踏む音だ。ドイツ軍──恐らくは、SS師団と呼ばれる連中が近付いている。

 二人はじっと息を潜める。

 ……本当なら、表に出て蹂躙したいんだが。

 そんな本音を抑え、音が遠ざかるのを待った。

 ──足踏みの音が止まった。

 続けて聞こえる兵士の声。


『こちら第17SS擲弾兵師団(ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン)大隊長、ブレーデル大尉だ。何事か』


 詠真達からは通信機の向こうの声は聞こえない。夏夜に至っては言葉が分からない。

 だが、何か緊急通信が入ったのだろうと推測できた。


『……なに? ベルヒテス近隣に軍服を剥がされた死体だと……?』


 言葉を理解した詠真は僅かに顔を顰めた。

 ……間違いない、通信で知らされた死体は俺が軍装を拝借した奴だ。

 そしてそれが齎す変化とは、


『──総統閣下に緊急連絡だ。"閣下所望"の羽虫が入り込んだとな』


 この瞬間から、国内の警備は一層堅くなる。

 遠ざかる軍足の音を聞きながら、詠真は舌打ち混じりに呟いた。


「……きっちり処理しときゃよかったか」


「詠真君、通訳を……」


「あぁ──」


 聞こえてきた内容を和訳して夏夜に伝え、再度作戦を練り直す事となった。



☆☆☆☆



 フランスへ侵入した舞川鈴奈も、概ね詠真達も同じ歩みだった。

 違うとすれば、彼女は光属性の光学魔法が使えないが、変装もせず、淡青外套(スカイブルーコート)を纏って人目の付かぬ場所を高速で駆けていた。

 それを可能にしたのは、彼女の技量に加え、警備が薄いという理由も大きかった。

 まるで侵入してくださいと言わんばかりの網目。ワールドクラティアに誘き出された。そう思うほどに。

 そしてその思考に刹那の空隙が生じたのか──事態は一転した。


『何者だ、貴様!』


 眼前に立ちはだかる軍人。周囲を取り囲む多勢の軍人。向けられる無数の銃口。挙句、空には戦闘ヘリ、地には戦車までもが、鈴奈を寸分の狂いなくロックオンしていた。

 失態極まりない。確かに、空色のコートに大きなバックを背負う身形が目立つ、というのは否定できない。

 しかし、よもや"持たざる者"に見つかり、囲まれてしまうなど、正直想定外の事態だった。

 既に侵入した事実が、それだけでなく現在地までもが割れていたのか。でなければ、あり得ない。

 マリエル・ランサナーの感知魔法……あるいは別のメンバーか。


『何者だと聞いているッ!』


 壮年の軍人が引き金を絞り、鈴奈の足元の地面を銃弾が穿つ。

 国内に侵入して早一週間。フランス・アヴィニョンにて国防軍に囲まれた鈴奈は、取るべき道を、選択肢を一つに絞られた。

 ワールドクラティア。この強敵を相手にして、もはや小細工は意味無し。

 ──正面切って薙ぎ倒すしかないか。



☆☆☆☆



「来たのはあの子だけかぁ」


 神郷天使は通信を切った後、大袈裟に肩を落として落胆を露わにする。


「何を今更。侵入した時点で分かっていた事だろう?」


「そうは言っても宗月、僕としては彼の可能性をね──」


 ふ──っと紫煙を吐き、ついでにため息を吐いた宗月は、重たい腰を上げて片腕を着流しの胸元に突っ込む。


「俺の感知術式は揺るがん。魔力を感じた以上、魔法使いで間違いないって何度も言ったんだがねぇ」


 そう言って取り出したのは一枚の淡く光る紙。超広範囲感知術式を展開している札──呪符だ。

 呪符の反応が術者である宗月に伝い、フランスに入り込んだ侵入者を、侵入した瞬間から、その現在地に至るまでを正確に把握できるのだ。

 ゆえに現在、侵入した魔法使い──氷帝はフランス国防軍に発見され、戦闘に発展しようとしている。


「勿論、君の呪術は信用しているさ"月天子(がってんし)"。……まぁ望みを持つぐらい許してよ」


「そりゃ捨てた名だと何度言わせるかねぇ、リーダー」


 天使と宗月は大聖堂を出ると、そのまま修道院を抜け、街中の開けた場所からサン・マロを望む。

 そこにマリエル・ランサナーの姿は無く、


「あれ、我慢出来ず行っちゃったのかな」


「いいや、上にいるねぇ」


 宗月が指した場所。修道院の天辺に聳える塔の上に、金色の魔法使いの姿はあった。背中に光翼を生やし、不動の構えでフランスを望んでいる。

 天使はそちらに一度微笑みかけ、地上を視線を落とす。

 ──瞳に幾何学模様。歯車が回る様に、レンズが回転するように、天使の瞳は微細な機械音を立て望遠し、モン・サン=ミシェルとサン・マロを繋ぐ橋、そしてサン・マロの街を見渡した。

 点々と配置されている六人の兵士。騎士を思わせる純白の装いの男女達。天使らが率いる部隊(こま)

 彼らから意識を外し、


「来たのは……一人、か」


 目蓋を伏せて天使は呟く。


「残念ながら、前回の様に一対一の舞台は設けてあげれないんだけどなぁ……余程自信があるのか」


 目蓋を上げ、名を呼んだ。


「宗月、マリエル」


 その言葉にマリエルが降りてくる。


「気が変わったよ。戦場をモン・サン=ミシェルからパリに変更する」


「なぜ?」


 というマリエルの問いに、


「一人で来たということは、それなりの対抗策──そうだね、とっておきの切り札でも持ってきたんじゃないかな? であれば、ここでの戦闘はモン・サン=ミシェルを破壊しかねない」


「それこそ今更じゃないかねぇ?」


 薄っすらと開かれた宗月の瞳が天使を射抜くが、それを意に介さないと言った様子で、


「木葉詠真が入れば、僕は戦闘に出ていた。でも居ないのなら、悪いけど僕は傍観させてもらうよ。それが、どういう意味なのかは分かるよね?」


 宗月とマリエルはその意味を、今、理解した。

 神郷天使が出ないという事は、現戦力の"四割"を失うに等しい。ゆえに残る六割の戦力では、モン・サン=ミシェルを無傷のまま戦闘を終わらせる事が出来ない。

 それは何故か。簡単な話である。

 ──防衛できるほど余裕の戦闘を展開出来ないからだ。

 彼は、彼らは、木葉詠真と"氷帝"舞川鈴奈の潜在的力を高く──極めて高く評価している。特に現状では氷帝。

 しかし神郷天使は、木葉詠真と氷帝が攻めてきたとして、自分、宗月、マリエル、イギリスより連れてきた捨て駒を持ってすれば、モン・サン=ミシェルへの被害を無傷で、極めて余裕の戦闘を展開できるつもりだった。

 つまり──余興だ。

 それほどの自信を天使が持っていたことに、二人は今理解したのだ。


「不敬かも知れないけど、さすがに城砦を無傷でってレベルの自信を自分自身に持ってるとは思わなかったねぇ……」

 

 自分が抜ければ余裕ではなくなる。圧倒的自信と自尊。それを裏付ける実力。本当に計り知れない男だ。達観した思考の持ち主で、意図を読めない。

 そもそも宗月は、天使がモン・サン=ミシェルに拠点を置いていた詳しい意味を知らない。

 それすら、簡単な話だとすれば──


「ここは聖ミカエルの山って言われてる場所。なら、"天使"を冠する僕には最高の場所だとは思わないかい?」


 それだけの理由。戦術的意味は無く、ここを"天使"の城として主が鎮座し、些細な余興を楽しむ。

 ただそれだけの理由でここを選び、事情が変わったので、ここを傷つけない為に戦闘場所をパリへと変更する。

 ならば自分が出張ればいいじゃないかと思うが、彼が自分で決めたことに頑固な所は二人も承知している。

 彼の気分は強制力を持つ。

 それが神郷天使。『四大絶征郷(ワールドクラティア)』を纏める絶対的なリーダー。マリエルや宗月が単騎で挑んでも、膝をつかされるであろう絶対的な強者。

 二人の様子を肯定の意思と取った天使は、誰に向けたのか、短く、悪魔の笑みを張り付かせて呟いた。


「──じゃ、頼むよ」


『──いいだろう』


 返ってきた言葉は何処からか。

 天使、宗月、マリエル、モン・サン=ミシェルからサン・マロに展開されていた六人の騎士達の足元に"銀色の魔法陣"が浮かび上がった。

 それが示すのは──


「パリに"招待"するよ、氷帝さん」


 瞬間、彼らの姿は消えた。

 直後、彼らの姿はパリにあった。


 そう、それが示すのは──転移魔法。



☆☆☆☆



 無数の銃声が響いた。


「サラサラと フワフワと」


 困惑の(どよめ)き。指揮官の命で戦闘ヘリの機関銃が火を吹いた。


「舞い散りましょう 幻想神秘」


 もはや発狂とも取れる号令と共に、味方への被害も介さず弩級の戦車砲が放たれた。


「全てを純白に 穢れを払って」


 それら全てが防がれる。

 空色のコートを纏った人間の周囲に展開されている謎の障壁に阻まれ、あらゆる弾丸が地に落ちていく。

 戦闘音が止み、少女の声だけが戦場に響き渡る。


「私のように麗しく、純白に、穢れぬ乙女の白雪 舞い散らせましょう」


 とても美しい詠。どこまでも純粋で、世界の綺麗な部分だけを切り取ったような美麗。

 しかしそれは、薔薇。

 綺麗な薔薇には──棘がある。


「乙女の道を どうか開けてくださいな」


 その声は、目深に被っていたフードを取り払った。

 白雪姫。雪に愛された聖女。年端もいかぬ、可憐な少女。

 冷徹憐麗なる声は、詠い上げた。


「『大いなる冬(フィンブルヴェト)』」


 一人の兵士の肩に雪が落ちた。

 ──刹那。

 兵士の体は瞬く間に氷に覆われていき、僅か二秒で氷像に成り果てる。

 一人、また一人。舞い散る雪に触れた者は、その身を氷結され、生きた──いや死にゆく氷像となって戦場を白く染めていく。

 戦闘ヘリ、戦車。それらも例外無く、周囲一帯の全てのモノは、雪に触れた瞬間に氷地獄に囚われた。

 静かな勝利。

 白雪の姫──"氷帝"舞川鈴奈は、指を軽快に弾く。氷像と成り果てた人間、兵器は粉々に砕け、氷の破片すら残りはしなかった。

 そしてもう一度弾く。凍結していた建物は表面の氷が氷解し、死の雪は音も無く止む。

 圧倒的勝利の前に表情一つ変えない少女は、突如背に感じた巨大な気配に、僅かながら表情を崩した。

 方向の先はパリ。振りまかれる気配──魔力には覚えがある。


「……マリエル・ランサナー」


 完全に隠密は終了。ゆえ、もはや移動方法に気を配る必要性も、不意打ちを狙える可能性も失せた。

 ワールドクラティアとの真っ向勝負。

 大気が冷える。鈴奈は食料が詰まったバッグを捨て、背中から一対の氷翼が生やした。氷の硬さを思わせぬ柔軟な羽撃きを見せる氷翼が空気を叩き、氷帝は空を飛翔。

 その最高速度は音速の域へ。魔法の弾丸──魔弾の如し。



「──!?」



 魔弾は突如展開した"銀の魔法陣"に驚愕。視界に映る景色が一瞬にして切り替わった。



☆☆☆☆



「ミュンヘンからベルリンか……」


 先刻言った通り、ミュンヘンからベルリンまでは、地図を見るだけでもかなり距離がある。

 さすがにこの距離を脚で歩くのは、あまりにも時間が掛かり過ぎるのを否めなかった。


「特急なんかに乗ってしまえば早いでしょうけど……」


「侵入者で慌ただしくなってる軍だ。その装いした奴が呑気に列車乗ってられねぇよな。多分、噂にもなってる頃だろ。怪しい軍兵を列車で見かけたとかなんとか……」


 苛々する。その一言に尽きた。

 正面切ってしまえば、後は出てくる敵を斃すだけ。それだけ考えればいい。こんなコソコソした生活が数週間も続いては気も狂う。

 正直、詠真はもっと早く片が付くと踏んでいた。それがこんな、移動手段と距離にばかり時間を取られるとは。

 何も、分かっていなかった訳ではない 。

 しかし、『外』の人間と相対する場合は極端な短気になってしまう詠真にとっては、取るに足らない人間から隠れてコソコソするなど、苦痛以外の何者でもなかった。


「こんな時に転移魔法でもあれば……クソ」


 そんな思考をしてしまった自分に対して吐き捨てた。

 あれを創り上げた者、その経緯、過程は全て許されるモノではないが、転移魔法の実用性だけは認めざるを得ない。

 認めているからこそ、異世界への道を転移魔法に縋らずにはいられらない。

 だが無いものは仕方ない。今考えるべきは、


「警備が堅くなった国をコソコソ進むか、正面から切り込むか……」


 もはや、色々作戦を練っていた事も、練る事も煩わしいとさえ感じる。

 おそらくその大元にあるのは、この戦いが詠真に取って意味のないものに変わったからだろう。

 詠真が『外』に出てきた目的は、アーロン・サナトエルから転移魔法の技術を奪取──あるいはアーロン・サナトエル自身に転移魔法使わせて異世界へ飛ぶ事。その場合は、奴を一時的な仲間に引き込む必要性も出てくるだろう。

 そしてワールドクラティアに復讐を果たす事。

 その二大目的のみだ。

 だがワールドクラティアがいるフランスには鈴奈が向かった。それにはもう納得したが、詠真がドイツで異能崩れを斃したとして、目的に対して得るものは一つもない。

 ドイツの異能崩れがアーロン・サナトエルという可能性も無きにしも非ずだが、正直な所、アーロン・サナトエルは国を操って他国と戦争などという馬鹿げた真似はしないだろう。

 奴ならこんな事はしない。"こんな程度"の事はしない。

 遺憾だが、詠真はそう感じている。


「だからって投げ出す訳にもいかないよな。さぁて、どうするよ……」


 苛立ちに歯噛みする少年の傍で、夏夜は先ほどの言葉を思い出していた。

 詠真が訳してくれた軍兵の言葉の中に、『閣下所望の羽虫が』というものがあった。

 引っかかる。というか、明らかにそれは明確に示されていた。

 閣下所望の羽虫。所望とはつまり、何者かが侵入してくる事を、予め予見していたのではないだろうか。

 詠真が気付いていない様子なのも、おそらくは焦燥と苛立ちからだろう。

 となれば、だ。


「詠真君──」


 それを説明すれば、そして彼も同じ結論を出してくれれば──


「────と思うのですが」


 色々思考した時間は水泡に帰ってしまうが、今後の方針は決まってしまう。



☆☆☆☆



「なので、一度冷静になりましょう、詠真君」


 夏夜の指摘により、大ヒントを華麗に見逃していた詠真。それだけ焦燥に駆られていたのか。

 この旅が始まってからというもの、一切として良い所が無いのは、情けないの一言に尽きてしまう。

 泰然自若。その様に称されていた木葉詠真は何処へやら。やはり彼にとって『外』の世界とは、かくも生き難い地獄に相当してもおかしくない。

 思考も感情も振り回されてばかり。

 

「……ごめん」


 ……もはや泣きそうだ。

 しかし、こんな所でネガっても仕方無いことも分かっているので、冷静になり気持ちを切り替えていく。


「閣下所望の、だっけ」


「はい。やはりその言葉通りに取るなら、侵入を予見されていた。その上で、総統閣下は侵入者を所望──会敵を望んでいる、でしょうか」


「だとすれば、すでに不意打ち対策はしてるって事か。あー、なんかこう、一気に気が重いな……正面切ってが怖いとかじゃなくてさ、無駄な思考してた時間が……」


「無駄じゃないですよ、多分。こうして焦燥に支配されてた事も自覚できましたし、冷静さを取り戻せただけ良しとしましょう?」


 優しく微笑み、首を傾げる夏夜。さながら戦場に降りた天使の笑顔か。これには詠真とて、頬を緩まさずにはいられないというものだ。

 ……なんか、夏夜って妹っぽいよな。

 ……というか、俺が何でもかんでも妹にしたいだけなのか……?

 とんだシスコンだ。犯罪臭すら漂ってくる。そんな自分に慄きつつ、改めて地図に目を落とした。


「正面から喧嘩売りにいくとして、それでもベルリンまでは距離があるんだよな……能力をフルに稼働させても、ジェット機みたいにゃ速度は出ねぇしな……」


「私が言っておいて何ですが、ベルリンが確実という訳でもないですしね……」


「外れだったらかなり痛い。やっぱ最良としては、ここで暴れて増援も全部薙ぎ倒してれば、何れ大将から出向いてくれるってのだけど」


「そう簡単にいきますかね……」


 何方にせよ思考はせねばなるまい。先ほどまでの焦燥感は消えた為苛立ちは少ないが、悩み続けると単純に苛立ってくるのも致し方ない。


『一体何に悩んでいるのかね?』


「何にって、ベルリンまでの超長距離とか、大将の居場所とかだよ。距離が長すぎると、食料面でも困るんだよな。俺は何も超人じゃないし、食って飲まなきゃまともに戦えないっての。買い物するだけでも、こちとら一苦労だからな……」


 今更何言ってんだよ、と詠真は愚痴りつつ地図から目を離さない。


『ふむ、距離の問題なら手を貸してやってもいいがね』


「おい、なんかいい手あんなら早……く………………………………」


 ここでやっと、気付いた。


 ──俺は誰と会話していた?


 思わず後ろを振り返る。しかしそこはただの壁があるだけだ。左に行き止まりが、正面には壁が、右側に立つ夏夜の顔を見ても、戸惑いの表情を浮かべている。

 誰だ、誰だ今の声は。


 ──違う。その声が誰か分かっていたから、俺は今、さっきよりも数倍の焦燥感を抱いているんだ。

 俺が何より求めている人物。全ての始まりを齎したと言ってもいい、狂気異端の魔法使い。

 嘘だろ、なんでこんな所に。

 お前が居るんだよ──


「アーロン──ッ!」


 詠真の視線、空を仰ぐその先に──それは居た。

 銀髪にモノクル。黒の燕尾服の上から白衣を纏った魔法使いにして超能力者──まさに異端の男。

 それは建物の屋根に腰掛け、脚を組んでこちらを見下ろしていた。


「久しいね、『四大元素(フォースエレメンツ)』の少年──だと"ややこしい"な。これからは、木葉詠真と呼ぶことにしよう」


 その一言一句一挙一動が、詠真の憎悪を掻き立て、沸き起らせる。風が渦巻き、炎が燃え上がる。

 今ここで、最大の目的を果たさんとする為に──否、詠真は大きく深呼吸。再度冷静さを取り戻し、風が、炎が霧散して掻き消える。


「……ほぉ」


 アーロンの感嘆を握り潰すように、詠真は吐き捨てる。


「黙れよ。なぜここにお前が居る」


 無駄話をする気はない。

 詠真はアーロンを睨みつけ、アーロンは愉快そうに見下ろしている。

 ややあって。


「なに、個人的な用だよ。直球に言ってしまえば、君と氷帝に些細な力添えを、かな」


「理由も訳も分かんねぇ。お前、分かってんだろうな?」


 あぁ、とアーロンは笑う。


「異世界に行く為、いいや妹を取り戻す為に、転移魔法が欲しい。ひいては、僕が欲しい。そうだろう?」


「転移魔法くれんならお前なんぞいらねぇよ。そういう趣味はない」


 ククク、と喉を鳴らすアーロンは、屋根から飛び降り詠真の数メートル前に着地する。


「残念だがね、おそらくこれは僕にしか使えない。聖皇女神でも無理だろう、ゆえに君は僕を手に入れなければならない」


 カツカツとブーツの底が地面を叩く音が響き、アーロンは一歩ずつ距離を詰めてくる。それに対して詠真は一歩も引かず、夏夜は介入しようとはしない。


「だがね、木葉詠真。僕も君が欲しいんだよ──君の中にあるモノが、とても欲しい」


 詠真の胸にアーロンの指が据えられる。

 殺す気なら既に殺られている。だがアーロンには殺る気がない。だから詠真は動かない。動じない。真正面から立ち向かう。この男だけには、一歩も引いてはならない。


「俺の中に……だと?」


「あぁ、何れ君も知るだろう。あの時見せた"中身"が何なのか。僕もそれは知らない。だが、あれは特別だ。間違いなく、この世界で最も」

 

「──戯言はもういいだろ。さっさと目的を言えよ」


 暫く詠真の瞳を覗き込んだアーロンは、彼の胸から指を退かし、後ろの少女を一瞥してから白衣のポケットに手を突っ込んだ。


「今、君を『四大絶征郷(ワールドクラティア)』の元に送っても良いのだがね。しかしそうすると、氷帝の行動に反するのだろう?」


「テメェ……」


 ……まさかこいつの口からワールドクラティアの名前が出てくるとは思いもしなかった。

 詠真は問い質したい気持ちを抑え、あぁと短く一言だけ返した。


「だろうねぇ。でなければ単騎で挑むなんてしないだろう。それに、神郷天使と君では相性が最悪だ。あるいは、最高なのかもしれないけど」


「貴方は一体──」


 堪らず声を上げた夏夜を詠真が手で制す。夏夜にはアーロンの一件から、戦争、黒竜、ワールドクラティアの事までを打ち明けている。

 この男がアーロン・サナトエルであることは既に察しているだろうが、さすがに黙り続けてはいられなかったのだろう。

 夏夜は小さく頷き、それに詠真が頷き返した所でアーロンが指を弾いた。


「積もる話は何れしようか。今はまず、ここで踏ん張るといい」


 詠真と夏夜の足元に銀の魔法陣が展開。

 記憶にある。これは転移魔法の魔法陣だ。


「今から君たちを、ベルリンに飛ばす。そのバックも不要だろう、邪魔にならぬよう捨てて行くといい」


 数秒ほど、食えぬ男を睨み付けた夏夜は背負っていたバックを放り捨て、適当に投げた呪符が炎となり灰も残らず焼却する。

 あぁもう一つ、とアーロンは忠告を残した。


「気を付けるといい、ドイツの総統閣下だけは──相当強いぞ」


 瞬間。景色は一転し、およそ3600マイル先のベルリンの地へ、およそ一秒で辿り着くことになった。



☆☆★★



 『四大絶征郷(ワールドクラティア)』とその捨て駒を、氷帝を、そして木葉詠真とその連れを、"完成させた転移魔法"で導いたアーロン・サナトエルは、何処とも知れぬ暗闇の一室でウォッカを傾けていた。


「あぁ、楽しいじゃないか、何がどうなっているのだこの世界は」


 嫌味か、褒め言葉か。恍惚にも似た表情で声を弾ませる異端児。

 ──彼は誰の味方でもない。

 雇われたから手を貸した。

 手を貸すことにより、己に対して有益が生じるゆえ、力添えを行った。

 アーロンは間接的に、しかし確実に己が求める結末へ向けて、チェス盤を操っている。


「ドイツは邪魔だ」


 一つのチェス盤。白のキングとビショップが黒の駒を悉く薙ぎ倒し、最後に黒のキングを盤より弾き出した。


「神郷、奴らも利用価値が高いが──」


 もう一つのチェス盤。白のクイーンは単騎で、黒のキング、クイーン、ビショップの三騎と睨み合い、


「やはり邪魔だ」


 無感情に吐き捨て、二つの盤は混ざり合う。

 白のキングと黒のキング。

 白のクイーンと黒のクイーン。

 白のビショップと黒のビショップ。

 睨み合う六騎のピース。


「ゆえに、彼の糧となればいい。白のキング(このはえいま)をピンチに追い込んでくれよ、でなければ"中身"が見えない」


 脳裏に過るのは、次元の狭間での戦いの終局。魔聖獣を防ぐアーロンに剣を振り下ろした、"木葉詠真の体を持った別の何か"の言葉。


『愚かな魔法使い。お前は"こちら側"へ属すことはできない』


 それは、瞳を赤い十字架で燃やし、髪を純白に浄化した、超越した何か。

 あれは──全てだ。

 全てを持っている。

 僕には、分かる。


「ククク、ハハハハハハハ──」


 高尚な笑いが合図になったかのように、フランス、ドイツの二つの戦場では、彼女が、彼らが、第一の敵と会敵し、戦闘を開始した。




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