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エレメント・フォース  作者: 雨空花火/サプリメント
五幕『氷焔の断罪』
37/60

『抱き寄せて』



 時は──ドイツの総統が開戦を明朝と定め、サン・マロの海岸で金の魔法使いが夕陽を眺める48時間前に遡る。



 木葉詠真、舞川鈴奈、土御門夏夜の三人は、既にイタリアへ入国しており、現在はボローニャにある小さな街に居た。

 鈴奈が立ち寄りたいというミラノまではまだ距離はあるが、早朝の列車を利用すればその日の内にミラノへ入ることができる。

 そこで、一度集めた情報を整理し、これからの行動を決定する為に、この街で一泊を予定していた──のだが。


「なんか、変だな」


 街の様子を見て、詠真が零した。

 街や都市から活気が消えているのは、当然と言えば当然である。近隣国同士が戦争を始めようとしているのだ、不安も募るだろう。実際、世界都市に数えられるウィーンも、お世辞にも楽都と評せる程の活気は失われていた。

 しかし。この街は少し違う。

 戦争には不安を抱いているだろう。だが違う。もっと、別の何かに怯えている、そんな印象を受けた。

 二人の少女も同じ事を感じていたが、


「もうフランスに関する情報は集まりましたし、面倒に巻き込まれないようホテルを向かうべきかと」


「そうね。私達は何でも屋じゃないんだし、行く先々でお悩み解決するような柄でもないでしょう」


 イタリアに入国して数日。既にフランス国に関する有力な情報は入手しており、後はそれらを整理して行動を決定、戦争国に侵入する。

 幸い、まだ開戦はしておらず、極めて良い運びになっていると思われた。

 ゆえに、この流れを崩すような面倒事に首を突っ込むのは賢くない。

 異変に気付いていながら見ぬ振りをするのは、本来であれば心が痛むものであろうが、


「まぁ……助けてやる道理もないか」


 嫌悪し、突っぱねて、己らの世界から省いてきた者に助けを求めるなど──助けてもらえるなど、思っても叶うものではない。

 魔獣に関しては魔法使いや陰陽師が、その意思で掃討を決めているのであって、第一の目的が"人間"を助ける為ではないことを知るべきだ。

 心の中で吐き捨て、詠真は街の様子から意識を離した。

 向かったのは大きくも小さくもないホテル。一泊過ごすだけなのだから、特に問題はない。

 何故か訝しげな視線を向けられたフロントで受付を済まし、三人は三階の六号、七号室へ。

 天宮島に比べると貧相だが、『外』の価値観で言えば高級な部屋だ。七号室に荷物を置いた詠真は、情報整理の為に少女二人が宿泊する六号室を尋ねた。



☆☆☆☆



「……フランスか」


 七号室のベッドに横たわる詠真は、天井を仰いで呟いた。

 先ほど情報の整理が終わり、各組がどちらの国へ侵入するかを決定した。

 鈴奈はドイツ。詠真と夏夜はフランス。これは詠真立っての希望だった。

 イタリア国内で手に入れたフランスの情報。"フランスはイギリスによって制圧されている。今回の戦争の真の黒幕はイギリスだ"という情報が、聞き込みで多数を占め、国内出版の雑誌にも記されていた。

 どうやらここ数日で判明した情報らしく──いや、詠真にはいつ判明したなどどうでもよかった。

 フランス──もどうでもいい。重要なのはイギリス。イギリスがフランスを制圧されている。

 そう、イギリスだ。


『ワールドクラティアは英国王室と繋がっている』


 あの夜。宮殿のメンバーという者が残した手紙に書かれていた一文。

 これが事実とするのなら、今回の戦争にワールドクラティアが関わっているのは濃厚──もはや確実と言ってもいい。

 なればこそ。詠真はフランスに向かい、その場でワールドクラティアを打ち倒すつもりでいた。

 同じく因縁ができた鈴奈は少し難しい顔をしていたが、今回ばかりは譲ってもらう。それだけは譲れない。

 アーロン・サナトエルはまだ掴めないが、まずはワールドクラティア。親友の借りはきっちりと返させてもらう。


「超能力発動を阻害する超能力。厄介極まりないが……あの時、一瞬だが破れたんだ」


 ゾーン。三属性同時発動。あの男を下すには、最低それが必要だ。

 そもそも、あの男は居ないかもしれない。それでもいい。ワールドクラティアという組織そのものに対して、詠真は復讐心を抱いている。

 鈴奈に任せた方が効率がいいのも分かってる。でも効率より──今はこの怒りを優先させて欲しい。


「──奴らは俺が殺す」


 腹の底から吐き出された憎悪。

 かつての戦争時、鈴奈が無意識に魔聖剣を取り出すほどの危険を孕んだ悪魔の微笑。

 ──彼は無意識に、ゆっくりと、しかし確実に……"その身を変質させていた"。



☆☆☆☆



 バスチェアーに座り、俯いてシャワーを浴びる鈴奈は、隣室から滲み出る憎悪の空気を感じ取っていた。

 ──詠真の憎悪は、ただの感情じゃない。一つの殺気として、外界に放出されている。

 それは八眷属の一柱が危険視するほどのモノ。限りなく、常人を超えた──常軌を逸した代物だろう。

 分からない。確かに憎悪を抱いて不思議ない体験はしているだろう。普通なら体験しないような事も。

 それでも。それでも人はあそこまで……"人を捨てられるのか"。

 鈴奈は、聖皇や八眷属、十二神将達を、自分含めて化け物の類であると感じている。これが人であるものか。

 だがそれ以上に、木葉詠真が内包しているものは凄まじい。彼を取り巻く因果がそうさせているのか。

 たとえどれほど凶悪であろうと、鈴奈が詠真を想う気持ちに変わりはないが、このままでは間違いなく自滅へ進むだけだろう。

 現に、詠真はフランスを希望した。ワールドクラティアと戦うために。

 効率よりも怒りを、憎悪を優先し、勝算のない戦場に身を投じようとしている。


「……馬鹿だわ」


 本来の目的はなに?

 妹を取り戻すためでしょ。

 その前に果てたら意味がない。

 ほんとに……馬鹿。


「ならそれを、詠真君に伝えなきゃダメじゃないですか?」


 バスタブに身を沈める夏夜が諭すように口を開いた。


「好きな男の子が、馬鹿な事をしようとしている。なら、それを止めてあげるのが……女の子の役目だと思いませんか?」


「なにを……」


「好きなのでしょう、詠真君のこと」


 否定ができない。事実だから。


「私も、実は詠真君の事が好きなんです」


 なっ──鈴奈の言葉を遮るように夏夜は続ける。


「今からだと、一年半と少し前でしょうか。天廊院の者が叛逆し、天宮島に逃げ込んだ事件がありました」


「土御門劫火……だっけ」


「はい。土御門劫火は、他者の呪力を──生命力をも吸い上げ己が力とする禁法に手を染めました。犠牲になった同胞は二十人余り。これを看過できる筈もなく、十二神将四人がかりで事に当たったのです」


 だが土御門劫火は十二神将の襲撃を逃げ仰せ、天宮島に不法侵入。これを見逃しはしなかった宮殿より、天廊院に要請があった。

 陰陽師の入国を許可する。早急に事を片付けろ、と。


「その最中、偶然戦闘に出会した少年──それが詠真君でした。それも二度。一度目は相手にしませんでした。なにせ彼のせいで、また劫火に逃げられたのですから。でも……」


 彼は、またも戦闘に介入した。

 二度目は故意に。

 夏夜はお湯を掌で掬い、映る自分の顔を眺める。酷く、悲しい顔。

 惚れたのは──その戦闘でした。

 痛く幸せそうに、夏夜は言う。


「相手は呪力を吸い上げる禁法を用いましたから、呪力で生きる式神は使えない。私達も容易に接触できない。焦っていた私はその隙を突かれ……禁法の回避に間に合わなかった」


「もしかして、それを……」


「詠真君が、身を呈して。呪力を持たない彼でも、まともに受ければ生命力を削られて可笑しくない。禁法の事は伝えたはずなのに……詠真君は迷うことなく守ってくれました」


 ──生命力吸い取られんだっけ? まさか、これで一気に老けたりしねぇよな……?

 およそ似つかわしくない、楽観的なセリフ。歪みながらも、笑う顔。

 忘れない。でも思い出すと恥ずかしくなる。

 男の子に惚れた瞬間。

 命を守ってくれた男の子に惚れてしまった。

 ただそれだけの、純粋な気持ち。

 でも──と、夏夜は鈴奈を見る。


「こうして再会して……私は見事に失恋したわけです」


「……待ってよ、なんで夏夜ちゃんが失恋した事になるの……? 私が詠真の事を好きなだけであって……!」


 鈴奈は勢い良く立ち上がり、肩に当たって落ちたシャワーが床で跳ね暴れる。


「……そうですね、確かに。私はまだ失恋していませんね」


 よもや気付いていないとは。ほとほと呆れ返った夏夜は適当に返し、膝を曲げてバスタブに一人分のスペースを空ける。

 はぁ、と鈴奈はため息。何が好きで、因縁の相手と一緒の湯船に入らなくちゃいけないのか。どうして分からない。……思いつつ、夏夜と向かい合う形でバスタブに身を沈めた。


「……止めなきゃいけないのは、分かってる。いくら焔姫がいても、超能力を封じられたら彼はただの一般人。だから……フランスには私が行くべきなんだって」


「なら、それを伝えて」


「分かってるわよ。それをどう納得させようか悩んでるの」


 剥き出しになった憎悪。あれは言って聞くものではない。

 なら──自ずと道は見える。


「やっぱり、実力で示すしかないかな……」


 君はこれほどに弱い。それを、鈴奈の手で思い知らせるしかない。

 フェルドの手ではなく──舞川鈴奈の手で、だ。

 気乗りはしない。これは彼を追い詰めてしまう事になるかもしれないから。


「愛は甘いだけじゃないと思いますよ。時には鞭も必要──って同僚が言っていました」


「鞭……か……」


 ふと過った、詠真を足蹴りしながら鞭を振るう自分の姿。思わず吹き出してしまう。


「うん。(むち)も必要……詠真ならきっと……分かってくれるよね」




☆☆☆☆



 木葉詠真は、ホテルの自室を出てフロントに降りていた。

 ──奴らは俺が殺す。

 強く誓ったその後、ベランダで夜風を浴びていた詠真は、風に乗る微かな声を聞いた。おそらく、悲鳴か。

 不審者でも出たのだろう。およそその不審者のせいで、街の様子がおかしかったのか。


「警察は何やってんだか……」


 そう零しつつ、詠真は何故か部屋を出ていた。正義感が働いたわけではない。ただ、何か、嫌な感じがあった。嫌な予感、ではない。単に、不愉快さを感じたのだ。


『お、お客様! どこへ!?』


 フロントの受付嬢が声を上げた。まるで外へ出るなと言わんばかりに。


『……何か問題が?』


『そ、それは……』


 口籠もる女性。言えない──訳ではなく、口にするのが恐ろしい……でもないか。言いにくい、ってとこか。

 詠真はそれ以上言葉を交わさず、背を向けホテルを出た。

 時刻は九時を回ったとこ。夜の街は閑散としていて肌寒い。外を歩く人も皆無ならば、車も一台として走っていない。

 振り返ってフロントを覗くと、受付の女性がどうしましょうと慌てふためいているのが見えた。


「なんだ、この時間に外出することを禁止されてんのか?」


 事情が分からない以上考えても仕方ない。フロントの女性の様子からして、どうも余所者には言いにくい内容だと思われる。


「──ああ、なんか分かった。この時間は不審者かなんかが現れるから、外出を控えるようにでも言われてんのか。そりゃ今更言えんわな。受付の時に言っておくべきだ」


 まぁそれもどうでもいいか。

 不審者が現れ、誰かが襲われた。その不審者のせいで街の様子がおかしい。ちょっとした疑問はこれで解決だ。後は、一体何に不愉快さを感じたのか。それも行けば分かるか。


「人が居ないなら大丈夫だろ」


 詠真の瞳が緑に染まる。

 超能力の発動。『四大元素』第四の力、風の解放。辺り一帯の風の流れを操り、空気の変化を感じ取る。

 人が皆無な以上、大きく風が揺れる場所が悲鳴の位置だろう。


「……割と近いか」


 呟き、跳躍。風の補助を受け、体は建物の屋根へ。軽々と屋根から屋根へ飛び移り、


「そこか」


 月を背に、詠真は地面に降り立った。

 逆巻く風が霧散し、緑の瞳が睨みつけたのは、薄暗い路地に映る二つの人影。

 壁に押さえつけられた女性。壁に押し付ける男性。どちらが不審者など、一目瞭然。


『ぁ……』


 第三者の登場に気付いた女性は声とも言えぬ声を出し、弱々しい瞳が強く助けを求めている。


『あァん?』


 気持ち悪い間延びを持つ声。男性としてはかなり高い声質だが、お世辞にも綺麗とは言えない、怖気立つような金切り声だ。

 詠真は冷静に状況を見た。

 光景としては、男が女を壁に押し付け、胸に手を入れている。

 ──違うな。"胸の中に手を突っ込んでいる"のが正しいか。

 服の下に──ではない。文字通り、胸の中。"身体の中に直接手を捩じ込んでいる"。


「不愉快さの理由はこれか」


 自分でも不思議だ。なぜこんなことを感じ取れたのか。そんな特殊な能力を持ち合わせた覚えはない。

 しかし現に、そうなのだ。

 不愉快さの理由。それは──自分と同じ超能力者が関わっているから。


「別に『外』の世界で何やろうが構わないけどさ、今更どうこうしても超能力者に対する意識が変わる訳でもなし、変わってもらう必要もないからな。でも、んなクソみたいな事して楽しいの?」


 自分達を蔑む人間が嫌いだから、そいつらを殺しまくる。それも、超能力者の生き方の一つだろう。それを詠真は否定しない。彼自身、妹が居なければその道を辿っていたかもしれないから。

 だが。殺すでもなく、爛れた欲望を満たす為に超能力を使う。これほど情けない、惨めなものがあるか。


『誰だァ? 何人だァ?』


 詠真は男をじっと見る。

 白が混じった長髪。体は痩せ細り、目は血走っている。まだ若いだろうが、これは完全に狂っている。

 伝える気もないので日本語のまま言葉を紡ぐ。


「薬でもやってるか……あるいはサイコパスか。まぁ、コイツのやってる事見れば後者かな?」


 未だ、女性の胸の──身体の中に捻じ込まれた手。前腕の半分までが沈み、女性は苦悶の表情で呼吸すら危うい状態だ。


「……心臓でも鷲掴みされてんのか」


『なんだァ、こいつはァ』


 物体をすり抜ける超能力だろうか。しかしすり抜けてるのなら、まだ心臓は掴めないはずだ。掴む為には"すり抜ける"事を放棄する必要がある。

 ──と、考えたが、その辺りは調整が効くのかもしれない。他人の超能力を第一印象から全てを把握するなど不可能だ。およそ、すり抜ける箇所の指定が出来たりするんだろう。

 詠真は能力を切り替え、石柱をぶつけよう──としたが、心臓を掴まれた状態だ。掴んでいる男が吹っ飛べば心臓諸共──……何やら女性の安否に気遣っている自分に苦笑する。


「……縁に感謝するこった」


 詠真の右目が赤、左目が風へ。

 広げた右腕が地面から突き出た石剣を掴み取り、風が逆巻く。


『こ、こいつ……超能力者ァ……』


「その腕、よく斬れそうだな」


 軽く地面を蹴る。風のブーストを伴い、詠真は瞬く間に肉薄。石剣を細い腕に向けて振り下ろした。

 怯えた顔を浮かべる男は手を女性から引き抜こうとするが、石剣が腕を斬り落とす方が幾分か早い。

 ──と思われたが、石剣は腕をすり抜け、空を斬った。


『ひひ、ひひひひひひひひ』


 下卑た笑い声。その音源は既に何処へと消えていた。

 ……建物をすり抜けて逃げたか。

 強く舌打ち、能力を解除。

 ──ドサッと、呼吸を乱した女性が詠真に寄りかかってきた。

 一瞬、それに酷く冷めた視線を送ったが、諦めたように嘆息。呼吸が落ち着くまで暫く待った。



☆☆☆☆



「……で、拾ってきたの」


「まぁ、仕方ないだろ……」


 ホテルの部屋で鈴奈と夏夜は長いため息を吐き尽くした。

 自室で寝てるもんかと思えば、女性を一人抱えて窓から入ってくる少年なぞ、世界中探してもそう居ないだろう……この少年を除いて。


「とりあえず、関わってんのが……超能力サイドの異能崩れとでも言える奴だ。異能崩れの後始末つけんのは、同胞の役目だろ」


 率直に、あいつは気に食わない。

 詠真は、ベッドに座り此方を不思議な目で眺める女性を一瞥した。

 ショートの栗毛。同色の瞳。容姿は学校で二番目に人気のある女の子、程度には整っている。年齢は詠真達より幾つか上に見える。

 ……意外なのは、こうして超能力者を前にして平然としている所だ。ここまで運んでくる道中、詠真は『四大元素』で飛んできた。未だ理解していないなどあり得ない。

 詠真は夏夜と鈴奈に目配せした後、女性に話しかけた。


『俺が超能力者ってのは、もう分かるよな?』


『はい』


 即答。そこに一瞬の怯えもない。

 ……まさか彼女も超能力者なのか。

 それは無いだろうと切り捨てる。


『よく平然としてられるな』


『え、それは──』


 返ってきた言葉は、木葉詠真が初めて耳にする奇異なものだった。


『命の恩人ですから。確かに超能力者はとても嫌われています。周りはそんな人がたくさんです。でも、私は特別そうは思ってません。だって、彼らに何かされた訳じゃありません。あ、ついさっき襲われましたけど、こうして助けてくれた人も超能力者でした。だから超能力者にも、いい人はいるんだって……そう思いますから』


 言葉を失うとはこういうことか。

 考えてもみれば、世界人口七十億の全てが超能力者を嫌っているわけでもないだろう。

 だが限りなく、大多数がそうだ。ゆえにこうして、異能に関わりのない人間が超能力者を肯定する事態に、詠真は初めて直面した。

 それは鈴奈や夏夜もしかり。


『あれ、どうしたんですか……?』


『あ、いや……』


 そんな事言う奴は、初めてだ。それを口内で飲み込み、


『君の名前は?』


『ヴェルです。ヴェル・サヘル』


『俺は詠真。こっちは鈴奈と夏夜』


 指差しで連れを紹介し、詠真はさっそく本題を切り出した。


『この街の様子がおかしいのと、さっきの男は関係あるのか?』



☆☆☆☆



 それは一ヶ月前に起こった。

 早朝、ペットの散歩をしていた婦人の通報により警察が駆け付けると、そこにあったのは若い女性の遺体だった。外傷は無し。争った形跡もない。口から吐血していることを除けば、極めて綺麗な遺体だと言えた。

 ──しかし。検死の結果、とんでもない死因が判明したのだ。

 心臓、他複数臓器の破裂。女性の遺体は、外傷が一切として皆無なのに、体内の臓器だけが破裂していた。

 検死官曰く、「握り潰されたようだった」

 その遺体発見から二週間後。再度同じ遺体が発見された。被害者は二十歳の女性。死因は心臓破裂による即死。

 悪夢はここからだった。二人目以降、毎日被害者が発見された。現在に至るまで、十七人。それら全てが若い女性で、死因は一致。

 遺体発見が早朝であり、その他の要因からして、犯行が行われるのは午後九時から午前四時の間とされ、一週間前からその時間帯の外出は控えるように自治体から勧告が出されていた。


『それでも毎日被害者が出たのか』


 猟奇的連続殺人。それがこの街を包む闇の正体だった。


『警察はおろか、目撃情報は一切なく、でも確実に殺人が起こる……まさに悪夢です……』


 ヴェルの体は震えていた。

 当然だろう。つい先刻、ヴェルは今日の被害者となりかけたのだ。

 夏夜が寄り添い、震えるヴェルの手を自分の手で包み込む。


『詠真の遭遇した奴は、物体をすり抜ける超能力だったのよね?』


『もしくはそれに相当するもの。あれは超能力で間違いないよ』


 イタリア語すら流暢に操る二人を見て、私も外国語をもっと勉強しようと夏夜は静かに決意した。

 鈴奈は暫し考え込む仕草を取り、


『肉体をすり抜けて、臓器を直接握り潰すか。相当イッてるわね。加えてかなり厄介。どうするの?』


『……正直、厄介だけど、あいつそんなに強くねぇよ』


『強かろうが弱かろうがいいのよ。聞いてるのは、そいつを捕まえるか殺すかする作戦について』


 なんだか棘のある物言い。詠真は面倒事を拾ってきたことに反省しつつ、


『今日このままやれれば早いんだけど、多分今日は出てこないと思う。向こうも警戒してんだろうし』


 ──決行は明日の夜。必ずそこで終わらせる事を前提に出し、


『まずヴェルさんを囮に、俺と夏夜が彼女を視認できる位置に着く。鈴奈は高い建物の屋上から街全体を見渡してくれ。奴がヴェルさんに接触次第、俺と夏夜が出て隙を作る。そこを鈴奈の狙撃で仕留める』


 至ってシンプル。しかしコンビネーションを要求される作戦だ。

 詠真は一拍置き、日本語で言う。


「出来れば半殺しの方向で。一応色々聞き出す。何もなければ殺す。警察に持ってった所で意味はねぇ」


 それに二人の少女から異論はない。作戦の囮にしても、ヴェルの反論はない。

 詠真は一つ頷き、ヴェルに一晩鈴奈達の部屋で過ごすことを勧めた後、解散した。



☆☆☆☆



 この日は街に微かな安堵を齎した。二週間以上連続で続いた猟奇殺人の被害者が出なかったからだ。

 だがそれも微か。犯人は捕まっていない。何一つ安心はできない。


 あぁ──悪夢は今日で終わる。


 時刻は午後十時。詠真発案の作戦が開始され一時間が経った。

 夜を独りで歩くヴェル。その後方に隠れて詠真と夏夜が着き、宿泊するホテルの屋上から鈴奈が街を見下ろしていた。

 未だ動きはない。


 ──そこから更に一時間。


 夜の風が騒ついた気がした。

 ──来る。

 詠真は直感で感じ、数分後。


『ひひ、ひひひひ』


 下卑た醜悪な笑い。

 ヴェルの肩が跳ね、立ち止まる。遠くからでも震えているのが見て取れた。

 夏夜が太もものカードホルスターから呪符を取り出し、詠真の瞳が緑と茶に染まる。街を見下ろす鈴奈も異変に気付き、静かに氷弓を構えた。

 ──どこから来る……。

 

『────ッ』


 それはビルの壁面から現れた。


『ぁ……ぃ、ゃ……』


 石の壁をすり抜ける、酷く痩せ細り目を血走らせた不気味な男。白髪混じりの長髪を揺らしながら、それはヴェルに躙り寄る。

 ──突如飛来した石の杭は、男の腹をすり抜けて地面に突き刺さった。


「チッ、反応早いな」


 男の真上から投げられた声。同時に飛来する人型の弾丸。


『おまえはァ……!』


「昨日ぶりだな、クソ野郎」


 痩せ細った男は寸での所で人型の弾丸を躱し、たたらを踏み足を絡ませて転倒。すぐさま立ち上がり、背後に感じる気配から逃げようとビルの壁面に向かって走り出した。

 その先には、いつ間にか小柄な少女の姿があった。


『お、オンナァ!』


 舌を出し涎を撒き散らす男は小柄な少女に腕を伸ばした。その心臓を握り潰して快感を得るために。


「────百鬼を(しりぞ)け、凶災を(はら)う」


 男が走り出す前から詠唱を唱えていた夏夜は、最後の言を読み終えた。


「──喼急如律令」


 少女の前に五芒星が描かれた虹色の方陣が展開。

 男にはそれが何か理解できなかったが、若い女性を前にしたこの男は全てをすり抜ける。あらゆる障害物などは意味を成さない。

 ──はずだった。


『ぐぎゃっ!』


 すり抜けると信じて譲らず、出せる限りの勢いで伸ばされた腕は方陣に衝突し、前腕の半ばで骨がへし折れた。


「あらゆる異能を防ぐ盾です。更に残念ですが……」


 男の足元に数枚の呪符。地面を走る──つまり地面と接触している部分はすり抜ける事はできない。

 異能の呪符を踏みつけた男。瞬間、全身を焔が包み込んだ。


『うぎやああああああ熱いいいああぐがががぎが』


 直後。数百メートル先から氷の矢が飛来。焔諸共、苦しむ男は首から下が完全氷結した。


「やっぱ弱ぇ」


 男の悲鳴は街に響いただろう。人払いを使ってもいいが、どちらにせよ長い時間はかからない。

 もはや能力を使う余力すら残っていない氷の彫像に寄り、詠真は氷よりも冷めた目で問い質した。


『おい、お前のバックにいる奴らを吐けよ。お前みてぇな奴が、一人で生きていける訳がねぇ。どこぞの組織にでも属してんだろ? そこも一緒に潰してやっから教えろよ』


『あ、あ、……ああ』


『ハァ──殺すか』


『い、言ウ! コロサないデくれ!』


『……まだんな余力あんのか。逃げられるかもしれねぇな。やっぱもう殺すか』


『に、逃げない! 逃げラレナイ! 能力は使えない……』


 振り上げていた石剣を降ろし、切っ先を男の鼻頭に突きつけた。


『時間ねぇんだ、はやく』


『──の倉庫ダ! そこがイル・マーゴの拠点!』


 イル・マーゴ……確か、有名な犯罪グループだったか。雑誌に書いてたな。

 男の言った場所もそう遠くない。この必死さから嘘は言っていないだろうと詠真は判断し、


『分かった』


『なら解放してくれェ!』


『待て、もう一つ。能力が使えないってのはどういうことだ? まだ脳が十分に動いてんだろ』


 思考がある程度出来ている以上、能力を使う余裕はあるはずだ。

 男は口籠もったが、ややあって閉じた口を開いた。


『俺ハ……若い女を殺したい。それが快感ダカラ。臓器を握り潰すのは最高だ……』


 聞くに耐えない。


『だけど、その為にしか能力が殆ど使えない……元々あまり使えなかったけど、若い女を殺す為なら使えるようになッタ……』


『そうか。有意義な情報だ──ありがとう』


 詠真は男から視線を外し背を向ける。背後で氷諸共、首を残して男の身体が砕け散るのを感じながら、詠真達はその場を去った。


『ぁああ……あ────』


 パキン──残された首は静かに砕け散り、氷の破片すら残らなかった。



☆☆☆☆



『今回も大金を巻き上げましたね!』


『たりめぇだろ。俺らはイル・マーゴだぜ? いずれイタリア政府すら跪かせてやらぁ』


 ワイワイガヤガヤと。不穏な単語を連発しながら、犯罪集団は己らのアジトにしている倉庫に戻ってきた。

 頑丈で巨大な鉄扉を開き、イル・マーゴのリーダーはご機嫌な様子でホームへ足を踏み入れた。


「──おっせぇなぁ。何時間待たせてんだよ」


 部下の一人の首が吹き飛んだ。粘つく紅い鮮血が、驚愕すら感じていない顔が宙を舞う。鈍い音を立て落下。

 リーダーはゆっくりと顔をあげ、アジトの奥──リーダー専用のチェアに腰掛ける少年を見た。


『……てめぇがやったのか』


その通り(ジュースト)


『はっ、いい度胸じゃねえか。部下の礼だ、遊んでやるよ』


 リーダーの男の体に電気が迸った。

 電気系超能力。

 それが、少年の癇に障った。


『パチモンがのさばってんじゃねぇぞ──ッ!』


 炎と風で成された極大の槍が放たれ、頑強な鉄扉に大量の血が、地面には人間だった肉片が転がり落ちた。


「……あぁ、列車には間に合いそうだな」



☆☆☆☆



『今朝未明、ボローニャの廃棄倉庫内にて凄惨な虐殺行為が起こったとして、現在被害者の身元を──』


 自宅の部屋でニュースを見ていたヴェル・サヘルは、虐殺行為を起こした人物が"彼"であることを即座に理解した。

 命を救ってくれた、結果として街を救って、更に犯罪グループを壊滅させた超能力者の少年。

 ヴェルは分からなくなっていた。

 彼が善なのか──

 彼が悪なのか──

 超能力者は善か悪か──


『エイマ……』


 そしてヴェルは──生涯、エイマという少年と再会することは無かった。



☆☆☆☆



「すぐ戻るから、ここで待ってて」


 詠真と夏夜にそう言い残し、鈴奈は街の路地を進んでいく。

 イタリア・ミラノ。かねてから鈴奈が立ち寄りたいと思っていた場所で、用があるのはひっそりとした喫茶店。

 幼い頃、ソフィアに連れられ通った馴染みのある思い出の場所。もう数年と来店してないが、天宮島から『外』へ出る事をソフィアに伝えた時に、


『時間があればミラノの喫茶店に立ち寄ってみてください。鈴の為にプレゼントを用意しています。役立つと思います』


 そう言われたので、少しワクワクと浮ついた気持ちも抱きながら、鈴奈は数年ぶりにやってきた。

 路地に設けられた小さな扉。ドアノブに触れると、魔力に反応して自動的に解錠される。

 ここは魔法使いだけの喫茶店。


「いらっしゃい、鈴奈ちゃん」


 中に入ると、爽やかな男性の声が流暢な日本語で鈴奈の名前を呼ぶ。

 シックな内装。カウンターでグラスを磨く黒髪のイタリア人。彼がこの喫茶店のマスターであり、聖皇国ルーンの上級魔法使い、ハーシー・サースト。


「久しぶりね、サースト」


 カウンターに座る鈴奈は懐かしい気持ちに頬を緩めた。

 ジャジーな音楽が流れる店内には、鈴奈とマスター以外人はいない。ドアノブを掴んだ瞬間に気付いている。現在この喫茶は、鈴奈以外の魔法使いを受け付けていない。


「コーヒーは?」


「要らないわ。急いでるの」


「あぁ、事情は把握しているよ。プレゼントを受け取りに来たんだね、少し待ってて」


 ハーシーは店の奥へ消え、一分もしない内に戻ってくる。

 その手に、一本の剣を携えて。


「これがプレゼントだよ」


 鈴奈の前に置かれたそれは、白銀。柄から切っ先まで精巧な創りで、刀身には十二個の紋章が刻まれている。

 圧倒的存在感。凄まじい質量の物体──星を丸ごと一つ前にしたかのような、魔聖剣『氷薔薇乃剣(グラキエスロッサ)』を凌駕する魔力の塊だった。


「これは……」


「銘を『裁きの星(ディバインルミナス)』と言う」


「魔聖剣……なの?」


「微妙な所だね。魔聖剣と同じ創りだけど、シリーズにカウントされていない」


 鈴奈は恐る恐る『裁きの星』に触れてみる。

 ──不思議と、馴染む感触。持ち上げ、軽く振ってみるが、やはりとても馴染む感触があった。

 ハーシーはその様子に微笑みながら、『裁きの星』の説明を始める。


「その剣は、鈴奈ちゃんの為だけに創られた、君の為の誓いの剣。とても馴染むだろう? それは鈴奈ちゃんに合わせて完全に調整されているからね、他の八眷属には扱えない」


 魔聖剣。それは先代の八眷属達から引き継ぎ、それを素材に当代の聖皇が新たな八眷属用に創り直す一品。それも個人用に調整されているのだが、素材は何代も引き継がれている。

 だがこの剣は、全てを鈴奈の為だけに、彼女のみが扱うことを前提として一から創られたモノなのだ。

 でもなぜ……という問いにも、ハーシーは答えてくれる。


「これは鈴奈ちゃんが産まれた時から聖皇様が製造を始められてね。『氷薔薇乃剣』じゃ、鈴奈ちゃんの力を完全に引き出すことはできないから、と言っていたよ」


 ──君が秘める莫大な力をね。

 鈴奈は剣を置き、胸に手を当てる。内に秘める莫大な力。それは"封印がかけられている魔力"を指していることは明らかだ。


「製造期間、およそ十六年。ほんと最近完成したばかりなんだ」


「十六年!?」


 驚くのも無理は無かった。通常、魔聖剣が創られる期間は一年から二年。至高の一品ゆえ、その期間は妥当だ。

 しかし、その数倍。もはやこの剣が何で、自分が何なのか分からなくなってくる。

 そこに追撃をかけるように、


「『裁きの星』は、十二体の魔聖獣が宿ってる。十六年でも急いで完成させた方だよ、聖皇様は凄いよね」


 張り裂けんばかりに引き攣る頬。

 一体でも乱用はできない魔聖獣を、十二体など……意味があるのかどうかさえ疑わしい。

 ──という疑問も想定していたハーシーは楽しそうに笑う。


「言った通り、それは鈴奈ちゃんがフルパフォーマンスで扱えるように調整されている。封解顕現発動における、魔聖獣の反動も最小限だ。強いてあげておくなら、一体一体の性能は『無慈悲氷狼』よりは劣る。だいたい三分の一くらいかな」


 だとしても、単純に『無慈悲氷狼』を四体保有しているようなものだ。

 いっそ眩暈がする。よもやプレゼントがこのような、八眷属のパワーバランスすら揺るがすものだとは。

 再度『裁きの星』を手に取る。

 ──なんか悔しいけど、『氷薔薇乃剣』よりも馴染む。

 集中し、新たな誓いの剣を魔力に変換に己が内に宿す。

 伴い、流れ込んでくるのは十二体の魔聖獣のイメージ。黄道十二門になぞられた星座の"魔星獣"。詠唱が無意識下で紡がれていく。

 そして──浮かび上がり、鍵穴が現れた三段階の封印の扉。


「引き出す……こういうこと」


「見えたんだね、封印の扉」


 産まれたその時から、その身に有した莫大な魔力。魔力に自身を飲まれかねないほどのそれは、聖皇の手により三段階に分けて封印を施された。

 今の今まで信じ難かった。通常で八眷属として遜色ない魔力を保有しているにも関わらず、それ以上の力がこの身に眠っているなど。

 ──でも今は、もうわかった。


「……ねぇ、サースト」


 店を出ようと扉に手をかけた鈴奈は、背中越しに尋ねた。


「貴方は、何者なの?」


 彼の知識は上級魔法使いを逸している。更に言えば、聖皇と近すぎる。

 それこそ──八眷属並みに。


「ただの上級魔法使いだよ。次はコーヒーの一杯でも飲んで行ってね」


 問い質したい気持ちはあった。でも鈴奈はそうせず、少し微笑んで喫茶店を後にした。


 客が無人の店内。マスターは細々と、一滴ずつコーヒーをドリップするように呟いた。


「──娘さんは、とてもいい子に育ってますよ……舞川先輩。あぁ……僕らの子供も、鈴奈ちゃんみたいな子がいいと思わないかい? ソフィア」


 ハーシー・サーストの言葉に返答する者はいない。



☆☆☆☆



 何処からか戻ってきた鈴奈の姿に、詠真は手を振って迎えた。


「おかえり。何貰ったの?」


 そこはやはり気になるものだ。

 だが鈴奈はそれに答えず、詠真の数歩前で立ち止まった。極めて冷静な──冷たい表情。察した夏夜は二人から少し距離を取る。


「詠真」


 その一言には、いっそ敵意すら感じ取れた。

 詠真が何か言う前に、


「君はドイツへ行くべきよ」


「──は?」


 冗談で抜かした言葉ではない。それが分かるからこそ、詠真は苛立ちを露わにした。


「なんだよ、今更」


 一度は首を縦に振った事項。それを後になって覆せなど、マイペースな鈴奈らしくも、決して氷帝らしくはない責任感のない言葉だ。

 氷帝は、氷の帝王を思わせる極冷の表情で詠真の目を射抜く。


「だって、勝てないでしょ。超能力を封じる超能力を使う少年が居たら」


 ……居ても居なくても、今の君じゃ勝てないわよ。白炎の魔法使いにも。

 重く、重くのしかかる言葉。お前は弱い。だから変われ。いつか思い知らされた時より、ずっと重く──


「なに、決めつけてんだよ……」


「負けたでしょ」


 その重量を跳ね返す事が出来などしなかった。

 紛れもない、事実だから。

 虚勢が崩され、膝すら折られそうになる。


「それに、多分その少年が──ワールドクラティアのリーダー、神郷天使だと私は思う」


 それでも。


「それでも、俺は──!」


 奴らを許せない。それを紡ぐより速く。肉眼で追えぬ速度で抜かれた白銀の剣が、刃が、詠真の首にかかっていた。

 いつの間にか周囲に人はいない。人払いの魔法。

 何一つ反応できなかった。

 鈴奈がその気ならば、ここで詠真の首は飛んでいただろう。今朝、イル・マーゴの連中に詠真が行ったように。


「君の……」


 氷帝は剣を消し、鈴奈は悲しげな声で語りかける。


「君の本当の目的は、そうじゃないでしょ? こんな所で負けたら──死ねば二度と妹さんに会えないのよ?」


「────ッ」


 言い返せない。反論できない。異論を唱えられない。事実と正論。俺は死なないなんて、虚勢はもう張れない。

 押し寄せる絶望感。超能力が使えないあの状況。打開策は持っていても、勝利は保証できない。

 彼女は、何も間違っていない。

 詠真は──


「……分かった。あぁ……鈴奈が正しいよ」


 冷静になって、理解する。

 あの時──輝が巻き込まれたあの瞬間から、俺は憎悪に飲み込まれていたんだ。憎悪を飲んだつもりが、飲み込まれていた、情けない話だ。

 先日の一件も、今朝の一件も……憎悪をぶつけたいだけだったんだ。

 合理性の欠ける行動。憫然な己。

 頭を掻き毟りたい衝動に駆られ、


 ──そっと抱き寄せられた。


「ぇ──」


 頬を撫でる青い髪がくすぐったい。包まれる温もりが心地よい。紡がれた言葉は──至高の幸せだった。


「君は私が守るから。君は無理せず……ゆっくりでいいから、私を守れるようになって。いつまでも、いつまでも傍にいるから。だからいつか……君も私を抱き寄せて、囁いて」



 ──君は俺が守る、って。

 


「……あぁ」



 ──約束する、誓うよ。



「だから、お前も」


 

 ──お前が死んだら許さないぞ。



「ねぇ、知ってる? 女ってね──」



 好きな人の為なら、なんでもできるの。

 だから──勝てるのよ。

 


 風に溶けるその声を、詠真は聞き取る事が出来なかった。これほど、風の力を解放しておけば良かったと思ったことはない。

 だから聞き返すも、


「勝てばいいだけの話でしょ」


 その一言で片付けられ、幸せな抱擁も解かれた。肌に残る彼女の温もり。心に落ちた彼女の温もり。今すぐ自分の体を掻き抱いて余韻に浸りたい気持ちが込み上げるが、そんな情けない姿を目の前で晒せるわけがない。

 だから誓う。いつか、この手で彼女を抱き寄せるんだって。

 詠真を支配していた憎悪の感情は落ち着きを取り戻し、鈴奈は実感する。

 今は私だけが、彼の憎悪の暴走を抑えることができる。

 支えになれている。

 それがとてつもなく嬉しくて──


「私は完全に空気ですね……」


 居たことを忘れてた。


「まぁいいですよ。……よく分かりましたから」


 これは完璧に失恋ですね。夏夜は苦笑すら出てこない。今すぐ泣きたい。父の、母の、徒架や同僚達の胸で泣きたい。

 それを我慢し。気丈に。


「それぞれの凝りも取れた事ですし、そろそろ任務開始と行きましょう」


 詠真君と共に居れる今は、少しでも大切にしよう。


「鈴奈さんが居ない間は、私が詠真君を守りますから」


「俺は守られっぱなしかよ……」


「ふふ、それは心強いわね。でもドイツだって敵はハッキリしていない。油断は微塵もしないで。下手すればフランスよりヤバイ可能性だってあるんだからね」


それと、と鈴奈は付け足す。


「鈴奈"さん"はなんか嫌ね」


「ふぇ? な、なら……鈴奈、ちゃん……」


「うん、それがいい」


 魔法使いと陰陽師。氷帝と焔姫。その因縁が晴れたわけではない。

 だが、普通の女の子としての彼女達の間には確かな友情が芽生え始めていた。



☆☆☆☆



 そして、それは突然に。

 突如として、鳴り響いた。


 それは爆発音。それは咆哮。

 それは──


「始まりやがったな」


「はい」


「始まったわね」


 オーストリア・ヴェルスからドイツへ。イタリア・トリノからフランスへ。各々の移動手段で乗り込む算段を立てていた彼らは、その道中、日が昇らんとする明朝に──戦争開戦の号砲を、音と地鳴りで感じ取った。






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