『闇の総統・天の御使』
ドイツのベルリンにある、かつてアドルフ・ヒトラーが官邸とし、後に旧ドイツ首相官邸ともなった現ドイツ総統官邸の執務室。
「お呼びでしょうか、ジークフリート閣下」
"上官へ忠誠を示すような"あらゆる無駄を省いた直立の姿勢と凛々しい声で尋ねたの、現主の呼び出しに応じた短い金髪の若者だ。
左腕の赤い腕章が映える黒い軍装に身を包む若者の碧眼に映るのは、同様の軍装を纏う闇のような男。
「早いな、キーゼルヘル」
脳に重たく響く重低に、キーゼルヘルと呼ばれた若者は、恐縮ですとだけ返した。
下手な事など言えるはずもない。キーゼルヘルは、執務机に鎮座する闇の男を目を合わせぬように直視する。
黒紫の長髪、眼窩は闇が詰め込まれたように漆黒で白い部分は無い。薄いのか濃いのか判断の迷う顔付きだが、間違いなく恵まれた容姿ではあった。
長身。巨躯でも無ければ痩躯でもない肉体に纏う軍装は、彼が再編成させた遠い過去の罪の黒服だ。
ブルート・フェルカー・モルト・ジークフリート閣下。
現在のドイツに於いて、NATOから国防軍を強制的に呼び戻し、38のSS装甲師団、特別任務部隊までもを再編成し、国家元首を裏から操るドイツの真の元首。
此度のフランスとの戦争の指揮を取る最高司令官である。
加えては、超能力とは異なる不可思議な力──魔法を操る闇の男。
キーゼルヘル──ブルートにその称号を与えられた若者は、この男を心底警戒し、恐怖し──憧れていた。
「どうかしたか、キーゼルヘル」
「いえ、少し邪念を抱いていたようです。申し訳ありません……」
「構わん。してキーゼルヘル、状況はどうなっているか」
「国境線にて、フランスに動く気配は──」
「そちらではない。国内だ」
一瞬思考を巡らせ、ブルートの問いを理解したキーゼルヘル。
申し訳ありませんと短く述べた後、
「現在、ドイツ国内への侵入者は無し。
第2SS装甲師団、第12SS装甲師団の総員で、あらゆる経路に網を張っているため、見逃せと言われても無理でしょう」
ブルートは暫し考える仕草を取る。背後に揺らめく闇の陽炎は、彼の思考を表すように鼓動している。
ややあって。
「どの"柱"が来るかは分からん。だが必ず仕掛けて来るだろう。奴──聖皇国の女神は"目が良いからな"。戦争に異能が関与している事ぐらいは把握していて不思議はない」
キーゼルヘルには馴染みの無い、無さ過ぎる単語ばかりだ。
聖皇国が魔法国家とは聞いているが、それをこの目で確かめた訳ではない。そもそも、超能力と魔法の違いも特に知らなければ、むしろ同じ物で言い方の違いだと思っているくらいだ。
ブルート直属の全SS師団中最精鋭部隊、第1SS装甲師団LSSBS──ライプシュタンダーテ SS ジークフリート──の三大隊のメンバーと各指揮官ならば、より詳しい内容を聞かされていると思われるが、それ以外は理解する必要もないと言うことなのだろう。
同師団の第4警備大隊の一メンバー程度のキーゼルヘルが、キーゼルヘルという称号を与えられ、ブルートに直接呼び出しを頂ける地位なのは、軍的階級とは別の所にある。
またもや邪念を抱きかけたキーゼルヘルは小さくかぶりを振り、
「では警備を強化致しましょうか?」
「いいや、よい。お前にはまだ伝えていなかったが、私は"柱"を招くつもりだ。いい機会なのだよ、邪魔な同胞を消し去るためのな」
「それはどういう……」
「なに、お前が気にする必要もない。お前はお前の役を果たせキーゼルヘル。我が妻はお前に任せているのだ」
若者がキーゼルヘルたる理由。それは、若者の姉がブルートの妻であり、若者がその弟だから。
ドイツの英雄叙事詩『ニーベルンゲンの歌』に於ける、ジークフリートの妻となったクリエムヒルトの弟の名前が、キーゼルヘル。
ゆえに彼はキーゼルヘルとして、義兄に姉の護衛を任ぜられているのだ。
それがとれほどの大役なのか、キーゼルヘルは理解している。
「は、クリエムヒルト王妃はこの命に代えてでも」
「姉さん、でよい、弟よ。それに私は王ではない、ゆえに王妃ではない。臣下の持ち上げは愉快なモノだがな」
クツクツと喉を鳴らして笑う闇。蠢く闇の陽炎がブルートの中へ収束して行き、闇が腰を上げる。
「キーゼルヘル、これより全軍に伝えよ」
ブルートは蘇ったSS軍装の襟を正し、闇の眼窩は見えぬ戦場を捉える。
重たく、低く、闇が吐き出したのは、戦争の序曲を告げる慈悲なき言葉。
短く──
「──開戦は明朝だ」
「了解!」
キーゼルヘルはピンと張った右腕を胸の前で水平に構えた後、掌を下側にし斜め前に右腕を突き出し敬礼。
「ジークハイル!」
それに対し、ブルートは肘から指先までを上に挙げて答礼に応えた。
現代ドイツでは禁ぜられた軍的事項を、ブルートの指示により撤廃。
ドイツ第三帝国の再来。
総統にブルート・ジークフリート置き、蘇りしSS師団を主戦力とし、ドイツはフランスへ牙を剥く。
「さて、どの柱が戦争に喧嘩を挑みにくるのか楽しみだ。あくまで戦争の片手間ではあるが、チャチな喧嘩に興じてやる余裕もあろうて。ククク、よもや……女神自らでは無かろうな? ふふふ、ふはははははははは──」
英雄ならぬ闇の総統の、悪魔の高笑が執務室を包み込んだ。
☆☆☆☆
それは城砦。満潮時は離れ小島、干潮時は陸続きとなる小さな島だ。
島の頂点には修道院があり、その周囲に城壁や物見の塔が作られた事により、城砦──要塞化している。
本来なら、世界遺産として観光が可能な場所だった。しかし現在は、"此度の戦争に於ける彼ら拠点"として機能しており、"彼ら"と"彼らが連れてきた部隊"のみが駐屯しその他の人間は一切として立ち入りを禁ぜられていた。
修道院の大聖堂。そこでは、白い団服を纏った三人の人間が暇を持て余していた。
「ドイツはまだ動かないね」
サラサラとした少し長めの黒髪。その前髪を指で弄る少年が、奥の壁際に置かれた木製の椅子から腰を上げながら退屈そうに呟いた。
それに対し、
「それはこちらも同じだがねぇ」
語尾が緩く伸びる声で答えたのは、会衆席に腰を掛けるキツネ目の男だ。
赤と金の螺旋模様が描かれたキセルで喫煙する彼は、シンプルな髪型の少年とは打って変わり、少し個性的な髪型をしていた。
癖っ毛がない漆黒の髪は右側が肩まで伸び、左側はこめかみの位置で揃られている。前髪はサイドの長短に比例するようなアシンメトリーで、ある意味癖の強い髪型だ。
更に言えば身形もだろう。キチンと団服を着用する黒髪の少年や壁に凭れ掛かる金髪眼鏡の女性とは違い、彼は藍色の着流しの上から軽く覆い被せるように団服を羽織り、無精髭を蓄えている。
そんな和の男に、少年はニコニコした笑顔を返すが、返ってくるのは苦笑。
それはいつも通りの光景で、いつも通り眺める金髪の女性は壁から背を離し、束ねたポニーテールを揺らしながら聖堂の扉へと歩いていく。
「とは言っても……直だろう。本気でフランスを落とそうとしている奴らだ、私達と違って暇でもあるまい」
その背中にキツネ目の男が言葉を投げる。
「本当に来るのかねぇ、君達が待っている客人とやらは」
「くる」
「くるよ」
少年と女性は同時に即答し、前後を声に挟まれたキツネ目の男は苦笑。それもすぐに変わり、
「そうかい──なら俺も楽しみだねぇ」
煙を吹く口は吊り上がり、常に細められたキツネ目が薄っすらと開く。言葉通り、楽しみで仕方ないと、そう言わんばかりに。
「もし、客人が二人とも来たとして、どちらにせよお前に出番はないぞ。宗月」
「総力戦だと天使が言っていた気がするんだけどねぇ」
両者の視線が黒髪の少年──神郷天使へ注がれた。
天使は聖堂の祭壇を後ろ手でそっと撫でながら、キツネ目の男──宗月、金髪の女性──マリエルを一瞥。わざとらしく思考する仕草を見せ、ややあってから静かに答えた。
「総力戦、で行こうか。今回は前回に続く"余興"に過ぎない。余興気分の僕らに取られるようじゃ、どだい『四大絶征郷』は落とせない、そう思わないかい?」
「だ、そうだ。マリエル」
「……天使の決めた事に異存はない。だけど三度目は」
「ない。分かってるよ、マリエル。僕は君に、君達に嘘はつかない」
それが──『四大絶征郷』の神郷天使。それが、この僕だよ。
天使は謳うように言い切り、胸元に輝く黒いバッチが煌めいた。
天使は『Ⅰ』、宗月は『Ⅱ』、マリエルは『Ⅲ』のローマ数字を持ち、それが意味するのは『四大絶征郷』を構成する四人の幹部メンバーである証。
天使は勢い良く大手を広げた。一瞬、"機械の駆動音"が聞こえたのは気のせいではない。
軽く右腕を一瞥した彼は、次の瞬間には聖堂の天井を仰いでいた。
「さぁ、はやくおいで我らの客人よ。布石は既に打ってある。僕たちが英国と繋がっているという情報の意図的漏洩。フランスはイギリスに取り込まれたという事実の拡散。君達ならすぐに辿り着けるはずだよ──フランスを指揮するのは『四大絶征郷』だという事を」
……楽園を出た君の歓迎パーティーだ。共に盛り上がろう──木葉詠真。
マリエルは天使の口上を背中で聞きながら、聖堂を出た。そこから北に位置する列柱廊を歩きながら、溜め込んだ息を吐き尽くした。
「昔の私なら、この場所には喜んで立ち入ったのだがな。……聖ミカエルの山か」
フランスのサン・マロ湾上に浮かぶ小島、モン・サン=ミシェル。同名の修道院。大天使ミカエルを祀る、カトリックの巡礼地の一つだ。
聖皇国の叛逆者であるマリエルには居心地が悪く、彼女にとってミカエルとは、かくも複雑な対象でもあった。
「……どうでもいい」
小さくかぶりを振って思考を払う。
「今はお前と戦う事しか考えられないよ、氷帝」
前回は決着が付かず消化不良。今回もおそらくはそうなるのだろう。
前回同様決着が付かず消化不良になるか──お前がここでくたばり、私が失望するか。
「だから抗えよ、恋する女」
マリエルはモン・サン=ミシェルから飛翔し、サン・マロの海岸で落ちゆく太陽を眺め続けた。




