『氷帝と焔姫』
「アイスコーヒーを二つ。あ、それとチーズケーキも一つください」
ノスタルジックで落ち着いたアンティーク調の喫茶店。そのテラス席に座る舞川鈴奈は、個数に合わせて指を立てながら女性店員に注文を伝える。
注文を復唱し、かしこまりましたと
言って店内に戻る店員から、対面の席でぐったりしている少年に視線を移し、鈴奈は呆れて肩を竦めた。
「全く、根気がないわねぇ」
「誰でもこうなるわ。こんだけ荷物持たされたらな……」
少年──木葉詠真が視線を送った先、傍らの地面には大量の紙袋が存在感を放っていた。
「その答えからして、情けないわね。女の子の荷物を持てるっていうのは、男の子の喜びじゃないのかしら」
「限度ってもんがあんだろ……」
はぁ、女ってのは皆変わらんな。
しみじみと男と女の違いを感じた詠真は、注文が来る間、少しばかり此処までの事を想起する。
11月14日。詠真自身の誕生日を以て、木葉詠真と舞川鈴奈は天宮島から『外』の世界へ躍り出た。場所は日本。
天宮島は『土御門劫火事件』を境に、日本政府極秘機関『天廊院』とのパイプを築いていた。
それは即ち、日本政府とのパイプを持つことと同等だ。ゆえに、天宮島発の船『楽園客船』を港に停泊させる事は、どこの国よりも簡単なのだ。
そうして入国し、一週間。詠真は蘇る幼少時代の記憶に苛まれながら、『外』の世界に慣れるため──という建前の元、鈴奈にあっちやこっちやと連れ回されていた。
正直な所、それしかしてない。
詠真も『外』で生活していく上での日用品、主に服などを購入はした。まぁ鈴奈の四分の一ほどの量だが。
というのも、天宮島製の服で『外』の世界を闊歩するのも気が引ける為、此方で調達する必要があったのだ。
傍らに置かれた紙袋達は、あくまで今日だけの分。前六日で購入なされた物は、宿泊しているホテルに詰め込まれている。
因みに天宮島国籍の詠真は、日本政府が作った彼用の日本国籍と、その身分証明書を貰っており、偽造でありながら、政府発行の本物である国籍の為、何不自由はないのだ。
鈴奈も、本来はバチカン国籍、それを隠す為のイタリア国籍を持つが、その上で詠真と同じ偽であり本物の日本国籍を取得している。
「アイスコーヒーお二つと、チーズケーキお一つをお持ち致しました」
注文した品がテーブルに置かれ、グラスにストローを指しながら、詠真は過去からこれから先の予定に意識を向ける。その為に、もう一度だけ過去へ意識を向け直した。
それは三日前。
買い物に奔走する鈴奈の元に、聖皇ソフィアから連絡が入ったのだ。
どうやらそれは詠真にも関係があることらしく、二人は一度ホテルに戻って話を聞くことにした。
詠真は、もしかしてアーロンの所在が掴めたのかと期待したのだが、内容は全く違っていた。
……いや、そうとも言い切れない。
してその内容とは、『ドイツとフランスの両国間で起こりかけている戦争に、異能崩れが関わっている』というものだった。
異能崩れ。詠真には馴染みのない言葉だったが、どうやら『魔法使いなら聖皇国を、陰陽師なら天廊院を裏切った叛逆者』の事を指す単語らしく、天宮島に渡らない野良の超能力者も含まれるとの事らしい。
これに関しては、詠真は実際に遭遇、戦闘に発展した件があった。
聖皇国の叛逆者、アーロン・サナトエル。
そしてアーロンとの一件からみて一年前に起こり、詠真が巻き込まれた事件の主犯。天廊院の叛逆者、土御門劫火の計二件だ。
詠真は直接対峙していないものの、鈴奈が戦ったワールドクラティアの女も聖皇国の叛逆者だったらしい。
言ってしまえばこれらと同じ事が、ドイツとフランス間で起こっているとソフィアは言ったのだ。
そしてその異能崩れを捕縛、あるいは撃滅する任務を、詠真と鈴奈、そして陰陽師から一人選抜した計三人に任せたい、それが連絡の本内容だった。
なぜ、それを俺にも任せるのか。
その疑問が浮上したが、即座に答えを出す事が出来た。
氷帝と共にいるから、というのも勿論あるのだろう。
『楽園客船』での船旅で鈴奈から聞かされた"魔物"という異世界生物の討伐に、八眷属や他の魔法使いは手が空いていない状態らしいので、詠真がとやかく言える立場でもない。
しかし一番の理由は、関わっている異能崩れが──ワールドクラティアか、あるいはアーロン・サナトエルである可能性も捨てきれないからだ。
ワールドクラティア。
アーロン・サナトエル。
それらは、詠真が斃すべき、求める者らである事を、鈴奈から報告を受けたソフィアも知っている。
ゆえに、利害一致の関係で協力をしてくれないだろうか。
そういうことだった。
して、今──"三人目のメンバーである陰陽師との合流地点であるこの喫茶店に居る事"が、詠真の出した答えなのだ。
「誰が来るんだろうな。あん時に居た人の誰かだと打ち解けやすいんだけど」
チューチューとストローでコーヒーを飲む可愛い少年を眺めながら、鈴奈はストローでコーヒーに入れたミルクとシロップを撹拌しつつ考えていた。
今回の任務。ドイツとフランスの両国に潜む戦争の火種を作った異能者──異能崩れを捕縛、もしくは斃す。
それが一種の建前である事を、鈴奈は知っている。
この任務での本来の目的は、木葉詠真という特異点の、第一段階の覚醒。簡単に言えば、己が意思で瞳の十字架を現出できるレベルに持っていく事。
ソフィア曰く、その状態は完全な覚醒状態ではないらしく、まずは一段階覚醒を以て、其の後に木葉詠真に"世界の声を聞く者"に関する情報を、包みなく開示する予定だ。
現状の不安定な状態の彼に話すのは、かえって逆効果になりかね無い。
まぁそこは鈴奈とて、既に了承しているので問題はない。
そもそも全体的に問題はないのだが、強いて言うならソフィアの思惑だろうか。
これは鈴奈が理解し難いという個人的な価値観から来ているのだが、おそらく八眷属は皆思っている事だ。
──天廊院に情報を開示しすぎではないか。
休戦協定──いや、今では同盟となっているが、これまで争ってきた因縁の敵なのだ。それに対して、ソフィアの行動は短絡的ではないか、鈴奈はそう思わざるを得なかった。
魔物をこの世界から消し去るまでの休戦協定。それはあくまで、各々が魔物を討伐する邪魔をせず、とりあえず今は刃を交える事は停止しましょう。
ゆえに、同盟ではなく、休戦。
これはソフィアが発案したモノであったが、彼女は"これではダメだ"と否定したのだ。
しかし、陰陽師とただ争うだけでも状況は変わらない。
ならばどうするのか。
そこでソフィアが打ち出したのが、第三の道である。
陰陽師と同盟し、魔物を駆逐しつつ、その根本的な原因である"異世界との穴"を塞ぐ為に、両組織は"全てを知る彼の者"を完全覚醒させる事に尽力を尽くす。
その先にある──答えを求めて。
即ちそれは、特異点──木葉詠真を両組織で共有するということに他ならない。
鈴奈は脳内で想起し、整理して、やはり問題はないと判断はする。
しかし、やはり。
これまで完全な敵だった者達と、"愛する男"を共有するという事を、素直に受け入れるなど、難儀極まりなかった。
「ハァ」
ため息が出るのも仕方がなかった。
「なんだ、鈴奈も疲れてんのかよ」
「……そうね、そうかもね」
君の事で悩んでるんだけどね。
そんな事を口の中だけで零しつつ、鈴奈はチーズケーキにフォークを入れる。
「てか俺のケーキは?」
「知らないわよ。頼んでないもの」
「そこは頼んでくれるとこじゃね!?」
「何よ、なら今から頼むといいじゃない。……まぁ、いいわ」
鈴奈は注文の手間が面倒に感じ、チーズケーキを一口分フォークに刺すと「はい」とぶっきらぼうに、詠真の口元に差し出した。
……あれ、なんで私……こんなぶっきらぼうになってるの?
「お、おう。なんだ、シチュエーションの欠片もねぇな……」
まぁいいや。
そう言って詠真は、差し出されたケーキはパクりと一口。
「お、美味いな。……ん?」
何やら周囲から、こそこそと小声で囁くような声が聞こえてくる。
耳を澄ましてみると、
「見た? あのカップル、レベル高くない? 二人ともチョーイケてるんですけど」「彼女のツンデレ感がキュンキュンしちゃうよね」「うわー、私もあんな彼氏欲しいなぁ」
……なるほど。
詠真は一連の行動の意味を理解すると共に──いや、元々理解はしていたが、鈴奈にその気がない態度だったため、いわゆる「はい、あ〜ん」というものにカウントされないと、勝手に思い込んでいたのだ。
……あぁ、なるほど。
鈴奈は、なぜぶっきらぼうな態度になってしまったのかを理解した。
私、無意識に照れてたんだ。
両者、それぞれ気付くと共に、無性に恥ずかしさが込み上げてきた。
何せ、二人はまだ" お互いに気持ちを伝えていない"のだから。
詠真は鈴奈が好きで、鈴奈は詠真が好きで、しかし両者は、自分が抱く気持ちしか理解していない。
「あ、二人とも照れてる!」「可愛いなぁ、あのカップル」「見てるこっちも恥ずかしくなっちゃうよ〜」
だからこそ、カップルと勘違いされているこの状況に、嬉しくも複雑な気持ちが溢れてくるのだ。
伝えればいい。だがそれができない。彼が、彼女が、色恋沙汰には不器用だから。
「…………」
今すぐ此処を去りたいんだが。
詠真は誤魔化すように、アイスコーヒーを一気に飲み干した。
が、それがまた……
「……んぐ、げほっげほっ」
むせた。
「あぁーもう! 何やってるのよ」
鈴奈は即座にハンカチを取り出して、むせが落ち着いた詠真の口周りを拭き取った。
言わずとも、状況は悪化──二人にとってはどっちとも言えない微妙な空気になってしまう。
──その光景を、テラス席の外から見ていた少女が一人いた。
「……詠真、君?」
複雑な声色。歓喜、困惑、悲壮、怒りがグチャグチャに混ざったような。
「ん、今なんか名前を──」
「詠真君……」
周囲を見渡した詠真の目と、テラス席の外から見ていた少女の目が、しっかりと交錯した。
詠真は、久しぶりに懐かしい人物と再開した時のように、名前を呼ぶ。
「……夏夜?」
視線の先。そこに居たのは、冬なのにコートも羽織らず、赤と白で彩られた巫女装束だけを纏った黒髪の少女だった。
よく似合うセミロングの髪、頬はほんのり赤みを帯びており、くりっとした大きな瞳は宝石のような輝きを放つ綺麗な赤色だ。幼さの残る童顔と小柄な体型が相俟って、外見年齢ならおよそ十四歳と言った所か。
しかし詠真の知る限りでは、彼女の年齢は同い年で間違いない。
「夏夜? 何、知り合い?」
と、鈴奈はそこまで言ってから、
「……あぁ、貴女ね。天廊院が寄越す陰陽師ってのは」
少女から感じる魔力に近いエネルギー。陰陽師の持つ呪力だろう。
鈴奈は意図せず注目を浴びてしまった現状を鑑みて、
「『人払い』」
ふっと魔力の波が駆ける。
次の瞬間、初 なカップルを眺めていた者達の意識の中から、そのカップルの存在、そこに現れた巫女装束の少女の存在は消えていた。
人払い。名前の通り、空間内の人間を別の場所へ払う魔法だが、今は意識を逸らす程度で使用している。
お店への些細な配慮だ。勝手な理由で売り上げを下げるのも申し訳ない。
「さて、どうぞ。座ったら?」
鈴奈は現れた陰陽師に着席を促し、詠真が椅子を引いた。
「あ、……はい」
少女が"詠真の隣"に着席した所で、鈴奈は微妙に顔を引き攣らせつつ、さっそく口火を切ることにした。
「いちいち、ここにいる説明は要らないわよね?」
「はい。任務内容は既に」
二人の少女の間で、視線の火花が弾けるのを詠真は見た。
……なんだ、なんか二人とも怒ってるんだけど……なんで?
「と、とりあえずさ、お互いは顔見知り……じゃなそうだな……」
ストローでコーヒーをかき回し、カランカランと氷で軽快な音を鳴らしながら、鈴奈は頬杖をついた。
「詠真は知ってるみたいだけど?」
「え、あ、あぁ。俺が陰陽師を知るきっかけになった事件で──」
「確か"一年前のあの時"だっけ? ほら、未剣君が言って……ぁ」
ふと出してしまったその名前。今は眠って目覚めない彼の親友の名前を出してしまった事に、鈴奈は即座に訂正しようと試みたが、先に「……大丈夫だ」と詠真が微笑みかけた。
「鈴奈と出会う時から見て、一年前だな。天宮島にさ、土御門劫火って奴が逃げてきたんだよ」
「土御門劫火は禁忌を犯し、十二神将は奴を追っていたのです。そこで奴が逃げ込んだ場所が、天宮島だった」
陰陽師の少女が付け足し、詠真は軽く頷いてから、
「俺は偶然、その戦闘に出会してしまったんだよ。その時は誰も相手してくれなかったけど、まぁ……その後に自分から首突っ込んでしまって……」
そん時に居た四人の中に、夏夜が居たんだよ、と締めくくった。
「最後まで首突っ込まれた以上、彼にも知る権利がありましたから。そこで私は陰陽師について教えたのです」
「ふぅ〜ん」
鈴奈は自分が天宮島に関わりだすより過去の事は、特に調べて──ハッキングして覗いて──いなかった為、その件の詳しい事は分からない。
だが、今話された少しの内容から、それ以上もそれ以下もないことがよーく分かったので、もっと詳しく教えろとは言わなかった。
パンッと一つ手を叩き、
「二人の関係は分かったわ。じゃ次は、私達の自己紹介といきましょうか」
「そうですね。これから共に任務を行う同士。隠していても仕様がありませんし」
詠真は帰りたくなった。
極めて淡々と進む会話。しかし確実に、火花が弾け続けている。
魔法使いと陰陽師。本来は敵同士と聞いていたが、どうやら今は、魔物出現に際して同盟を組んでいるらしい。
と、詠真は聞かされていた。当然、彼は同盟の真の理由は知らされていない。
……敵同士だった訳だし、まだピリピリしてんのな、この二人。
少し席を離しつつ、詠真は緊迫の自己紹介を見守った。
「私は、舞川鈴奈。十七歳、って年齢なんかどうでもいいかしら?」
「いえ。同い年だと分かって少し親近感が湧きましたよ。私は、土御門夏夜と言います」
二人は、やはり"異名"を口にしない。どちらかが先に明かすまでは、どちらも言わないつもりなのだろう。
限りなくデリケートな問題。
しかし。
少年は空気を読まなかった。
「あ、そう言えばさ、鈴奈は『氷帝』で夏夜は『焔姫』だっけ? 氷と炎って相反してる属性っぽいけど、やっぱ性格が合うか合わないかってのは、属性も関係したりすんの?」
……………………。
………………。
…………。
沈黙が流れ、次の瞬間──
☆☆☆☆
「筆頭も人が悪い」
防衛省本省庁舎。天廊院の本拠点。
土御門晴泰が構える一室で、倉橋徒架が苦笑した。
なんのことやら、と肩を竦めて見せるお茶目な壮年に、加えて嘆息。
「焔姫と氷帝は、それこそ因縁の敵同士。互いを知ればどうなることやら」
「ははは、なあに大丈夫だろう。あの少年を前にして、彼女達は"因縁の清算"なんてできんよ」
「まぁ、そうかもしれないですね」
徒架は十年前の夏夜の姿を思い起こしながら、可笑しくほくそ笑んだ。
時を同じくして、サン・ピエトロ大聖堂『聖皇の間』。
玉座に座って柔やかに笑う聖皇に、フェルド・シュトライトは困った表情を浮かべる他なかった。
「街中で戦闘に発展しかね無いですよ……ほんと……」
「大丈夫ですよ、心配せずとも。彼女達は、木葉詠真君の前で醜態は晒せません。殊更"過去の黒歴史"とでも言える事実を知られる事など、是が非でも阻止したいでしょうし」
「黒歴史、ですか。まあ確かに……十年前の鈴奈は……その、今とは全然違いましたが……」
俺は嫌いじゃないですよ……と、フェルドは消えいる声で呟いた。
☆☆☆☆
場面は東京某所の喫茶店に戻る。
長くも短い沈黙が流れ、次の瞬間──
「焔姫ィ!?」「氷帝ィ!?」
二人の少女はテーブルを叩きつけながら勢い良く立ち上がり、木製のオシャレな椅子が音を立ててひっくり返った。
人払いの魔法の効力からか、その様子に気付く者は居なかったが、詠真はこれだけは理解できた。
──やっべ、地雷踏んだ。
「ひ、氷帝って貴女……刃を交えた時はあんなに口が悪──」
「ちょ──っとあっちで話しましょうね夏夜ちゃん!」
口を押さえられモゴモゴする夏夜を、押さえる鈴奈がテラスの外へ連れていき、詠真には見えないビルの隙間へと入っていく。
「ふぐ、ふごご、ふ……ぷはっ! もう! いきなり何なんですか!」
大声を上げる夏夜に、鈴奈は「シ──ッ!」と口の前で人差し指を立て、静かにするように促した。
ごほん、小さく咳払いをした夏夜は居住まいを正し、鈴奈も極めて冷静を取り繕った。
先に口火を切ったのは、鈴奈だ。
「……焔姫ってほんとなの?」
「……えぇ。そちらこそ、事実で?」
鈴奈は少し迷った後、頷いた。
ふぅ、と小さく息を吐いた夏夜。
「そうですか。では、十年前と比べて……しっかり女の子になられたのですね」
そんな夏夜を殴りたい衝動を抑え、
「た、確かに、あの頃の私はめちゃくちゃ口が悪かったし……髪も男の子みたいに短かったわよ……でも、それじゃダメって気付いたのよ。悪い?」
「いえ。良い傾向だと思いますよ」
やたら上から目線な焔姫に頬を痙攣させた氷帝は、
「貴女こそ私と戦ったあの時は、ホラーに出てくる化け物みたいに髪長かったじゃない。顔面なんて全部覆ってたし、足元も真っ黒。ホラー映画に出演したような気持ちだったわ」
「べ、別に、髪が長くても良いでしょう! 髪が長い女性は清楚で大和撫子で……」
「限度があるでしょ。あれは──よ、──よ」
世界的有名なホラーで、井戸から這い出て画面から出てくる幽霊。当時の夏夜はまさにそれだったと、鈴奈は怖気に二の腕を摩った。
「わ、分かっています! ですからこうして髪を切って……」
「要するに、貴女もあれじゃダメだって気付いたんでしょ? 同じじゃない」
そう、これが──
「夏夜があの少年に知られたくない黒歴史だ」
「鈴が木葉詠真君に知られたくない黒歴史なんです」
各組織の拠点で、それぞれの長が、苦笑、あるいは柔やかに呟いた。
そして二人は──
「ねぇ焔姫──いえ、夏夜ちゃん」
「言わずとも分かっています。お互いの過去を詠真君に言わない事を条件に、今この場での"因縁の清算"は行わない」
「そういう事。どちらにせよ、同盟組んでる以上は勝手な真似はできない訳だけど……まぁ、恐らくこの展開を見越して……」
「はい……お父様達はわざと、任務説明の時に互いの異名を伏せていたのでしょう……」
ハァ──。
氷帝と焔姫。十年来のライバルは、互いの過去を胸に奥に留める事を条件とし、ここに改めて同盟を結んだ。
片や母代わりの、片や実の父親の策略に嵌められた結果として──
一方、その頃。
木葉詠真は、二人が入っていったビルの隙間の入り口の陰から、両者の会話を盗み聞きしていた。好奇心には勝てなかったのだ。
しかし、常なら気配を察せられたであろう二人は、興奮状態であったが為に見落としてしまっていた。
そそくさと喫茶店のテラス席に戻った詠真は、
「別に過去がどうあれ、俺が"鈴奈を想う気持ちは変わらないけど"……でも、聞いてた事がバレたらマズイのは確かだ……うん、忘れよう……」
鈴奈のチーズケーキを摘み食いしながら、耳にした会話を意識の奥へ奥へと仕舞い込んだ。
その後、チーズケーキを全部食べてしまって鈴奈にめっちゃ怒られた。
☆☆☆☆
「では、気を取り直して……」
怒られてしょぼくれる詠真を放り、鈴奈は本題へ入ることにした。
「……いいのか、こんな外で」
テーブルに顎を乗せてダランとする詠真の問いに、
「私達の席を覆うように狭域結界を張ってるから大丈夫よ。何ならホテルに戻ってもいいけど」
少々冷たい声色で返す氷帝。
チーズケーキの恨みは怖い。後日もっと高価なチーズケーキを食べさせてやろうと誓った詠真は、鈴奈の魔法を信じるよ、続けてと言って姿勢を正した。
「ん。今回の任務は、三人に対してターゲットは二箇所あるわ。まず、ここを二手に分かれて当たるか、片方を確実に片付けるか」
「二手に分かれる、が得策かと」
夏夜の意見に詠真も同意を示す。
片方を三人で当たってしまうと、異常を察したもう片方が手を引いて、異能崩れが姿を晦ます可能性が高くなる。現時点でも、両国内の何処に潜伏しているか分からない以上、同時進行が望ましいだろう。
鈴奈は一つ頷いて、
「私も二手に同意。となれば、誰と誰が組むかを決めないといけない訳だけど」
夏夜は流し目で詠真を見る。
──やっぱそうなのかな。
夏夜の目には、詠真の心は鈴奈の方にしか向いていないように見えた。
長らく再開したいと思っていた少年が、再開した時には既に別の女性を好きになっていた。
なんで? なんて言えない。
土御門劫火の件で、夏夜が避けられないと覚悟した攻撃から、詠真が身代わりとなって助けてくれた。
たったそれだけ。たったそれだけの事で、夏夜は詠真に惚れてしまった。
でもそれは、女が男に惚れる理由としては十分すぎた。
自分は単純だなって夏夜は何度も思ったし、その回数だけ彼のことが好きなんだって自覚できた。
でも、でも。
彼には既に想い人がいて──ううん、だから何なんだ。
ぐっと気合を入れた夏夜は、力強い声で案を出す。
「私が一人で行きます」
……あれ?
夏夜は「私は詠真君と組みたい」と言おうとした。
しかし。
無意識化において、夏夜は遠慮してしまったのだ。ここは、詠真君の想いを尊重するべきだ、と。
──だが。
「あぁ、私の本音としてはそれが良いんだけどね。一人組は私がなるわ」
「え、どうして……?」
「どうしてって言われても、陰陽師は一対複数には向かないでしょう?」
「そ、それは、そうですけど……」
これは鈴奈の戦闘経験からの印象だったが、まさに言葉通りだった。
陰陽師の使う呪術は、魔法と違って多様性が狭くなっている。魔法の多様性を90とするならば、呪術の多様性は50と言った程度だろう。無論、上限を100としてだ。
だがその分、魔法が一対複数向きであるのに対し、呪術は一対一、もしくは複数対複数、複数対一の条件で真価を発揮するのだ。
魔法使いが一騎当千ならば、陰陽師は軍師、あるいは多人数での師団。
……ここまでを見ると、陰陽師より魔法使いの方が圧倒的に優れているのではないか? そう思うはずだ。
それも間違ってはいない。
だが。
「夏夜ちゃんが詠真と組めば、"式神"も入れて三人組。貴女が一番戦いやすい条件でしょ?」
式神。それは魔法使いには使えず、陰陽師のみが使える唯一の術──何事にも例外も存在する──にして強力無比な技であり、陰陽師が魔法使いと渡り合える最大の理由である。
「式神……?」
聞き慣れない単語に、詠真はどちらへ向けるでもなく尋ねた。
答えたのは、陰陽師。
「式神とは、私達陰陽師が使役する"鬼"の事を指します」
「鬼……? 鬼って、あの鬼?」
「鬼です。額から生える角と強靭な肉体を持つ鬼」
そう言われても……と首を傾げる詠真に、夏夜は苦笑をもらす。
「見せて上げたいのですが、さすがに人払いと結界があるとはいえ、このような街中で呼び出すわけには行きません。何れお見せします」
「そ、そう? 分かった。で、鈴奈は一人でも平気なのか?」
当たり前でしょ、と得意げに鼻を鳴らす彼女の姿からは、およそ負ける姿を想像することができない。
鈴奈は、まぁそれにねと続ける。
「ちょっと面白い物が手に入るのよ。その為に、一度イタリアに寄ってもいいかしら?」
夏夜と詠真に依存はない。その面白い物とは何なんのかと問うても、鈴奈自身それはまだ分からないようだ。
「ん、ここで決めておける方針はこれでいいかな。まだドイツやフランスの内情が不明だから、どちらがどちらの国へっていうのは、追々決めていきましょう」
現状で決まったのは、真と夏夜で二人組を作り、鈴奈は単独で、二手に分かれて両国へ潜入すること。
その任務地へ向かう前に、一度イタリアへ立ち寄ること。
この二点のみだ。
「では、まずはイタリア向かう為に飛行機のチケットを手配しましょう」
日本政府の機関である天廊院なら、その程度容易いことだ。
詠真はぐーーっと体を伸ばした。どっと帰ってくる倦怠感。
そういえば荷物持ちさせられて疲れてたんだっけ。思い出すと余計に疲れが伸し掛かってきた。
「んじゃ俺は荷物持ってホテル戻るな。鈴奈と夏夜はどうすんの?」
うーん、と首を捻った鈴奈は、目立つ巫女装束チビ娘の頭に手を乗せると、
「とりあえず『宮殿』へ適当な定時報告出した後、夏夜ちゃんのこの目立つ服どうにかする為に、服選びに行くわ。巫女が外国歩いてたら、流石にね」
「これは正装……ですが、流石に目立ちますね……」
あぁ、確かに目立つな。
苦笑した詠真は、つい癖で移動手段に『超能力』を使用してしまいそうになり、寸での所で踏み止まった。
──ここは『外』の世界だ。人目のつく場所で能力は使えないんだった。
改めて自覚する。ここは天宮島ではなく、『外』なのだと。
周囲に溢れているのは──超能力を忌み嫌う人間なのだと。
「────」
鈴奈は黙って、詠真の頭頂部にチョップを落とした。
何を思ったのかは分かる。今、詠真から"憎悪"が顔を見せた。
「詠真、気持ちは分かる──ううん、君の抱く"憎悪"の全てを理解することは私にはできないわ。でも無差別な虐殺は君も望んでいる訳ではないでしょ?」
優しく諭された少年は、深呼吸をして心を落ち着かせていく。
そうだ、俺は憎悪に任せた殺しを望んで、『外』に出てきた訳じゃ無い。
間違えるな。見極めろ。真に斃すべき相手は──こんな奴らじゃない。
「──すまん。落ち着いた。んじゃ先にホテル戻ってるな」
重たい荷物を抱え、重たい足取りで歩を進める少年の背中を、二人の少女は見えなくなるまで見送り続けた。
 




