終章『世界の胎動』
木葉詠真、及び未剣輝の両名は、その一命を取り留めた。
同校の舞川鈴奈によって、祈竜舞踏演救護班の詰所に運び込まれた時は、それはもう悲惨としか言えない姿で、彼女の氷による止血がなければ、出血は致死量をゆうに超えていただろう。
木葉詠真は、数ヶ所の打撲、頬骨にヒビ、肋骨を二本骨折、五ヶ所の銃創に複数臓器損傷。だがその怪我も、救護班のエースが持つ超能力『血飲治癒』をもってすれば、数日の安静で完治する範囲内だ。
しかし問題は彼ではなく、未剣輝の容態だった。詠真と同じく五ヶ所の銃創、臓器損傷。その銃創の一つが、後頭部から額にかけてを貫通し、脳に深刻なダメージを被っていたのだ。
通常ならば、間違いなく即死。だが奇跡的、と言ってもいいのか、彼は『血飲治癒』と天宮島の科学力が齎す医療技術により、"死"は免れた。
──免れたのだが。
「輝……」
祈竜舞踏演終演から、早五日。
まだ安静が必要な木葉詠真はベッドを抜け、医療用ウォーターベッドに横たわる親友の姿を見下ろしていた。
微かな呼吸音。点滴がつけられた彼の寝顔は、安らかで、とても幸せな夢を見ているようだ。
未剣輝。彼の容態を一言で述べるとしたら──眠り姫、いや王か。
輝の脳は銃弾の直接的衝撃で、恐らくは一度は死んだはずだ。それをギリギリで三途の川から呼び戻した超能力、医療技術には拍手喝采が鳴り止まないだろう。
だが、全ては帰ってこなかった。
命ある脳は、大脳と小脳の活動を停止。思考、学習、感情、物を見聞きする能力に発声能力、身体の平均衡感覚を失い、脳幹による呼吸、心臓運動のみが働く、いわゆる植物状態に陥っていた。
自分で呼吸し心臓も動いているのに、彼は眠っているかのように目を覚ますことはない。語りかけても、揺すっても、そこに生きている筈なのに──彼は覚醒しない。
「……っ」
詠真は膝の力が抜け、項垂れるようにへたり込んだ。
……俺が、俺がもっとしっかりしてれば……あの時、輝を守る事が出来たかもしれないのに。もっと、もっと早く奴を見つけていれば、こいつを巻き込む事なんて無かったかもしれないのに。
……また、守れなかった。
俺が弱いから、脆弱だから、妹の一人……親友の一人すら、守る事が出来ないクソ野郎なばっかりに……。
大粒の涙が床を濡らし、噛み締めた唇から血が滴る。
守れなかった、何も出来なかった無力な拳、床に叩きつけた。何度も、何度も、指の骨が折れ、皮が裂け、流血しても、何度も──
「……くっ……そ……」
ガラッ! と病室の扉が無造作に解放され、三人の少女と、一人の少年が部屋に雪崩れ込む。
「う……そ……」
それは、雨楯花織の悲痛の嗚咽だった。この世の絶望を目にしたかのよう──実際彼女には、この光景が絶望以外の何者でも無かった。
ベッドに眠る少年に寄り、花織は口を両手で覆った。溢れる涙、嗚咽、信じたくないその光景。
今はただ寝ているだけで、何時間もすれば「よく寝たぜ……」なんて言って、目を覚ますだろう。
──そんな希望は無いと、崩れる詠真の姿が克明に告げていた。
「みつ……るぎく……ん」
雨楯花織は、知っていた。
この少年、クラスメイト、友達の未剣輝が、自分に特別な想いを寄せてくれていた事を。でも、木葉詠真の事が好きな自分の事に気を遣って、その想いを胸中に押し留めていた事を。
……だから、もし、未剣君が私に想いを伝えてくれたなら……今一度、私は未剣君だけを見て、好きになる努力をしたい。それは努力して芽生えさせるものじゃないかもしれないけど、あなたの想いに答えてあげられる、努力をしたい。
その結果が、気持ちがどうなるかは私にも分からないけど、でも、あなたの気持ちに答えてあげられる、そんな努力をしたかった。
それが諦めからくる物だって事も自覚してた。詠真君に、鈴奈ちゃんがいる。それはどう頑張っても、覆せないものなんだって。
だからそれは、未剣君を利用して、悲しみを埋めるだけの行動って思われても仕方ない事も、重々承知してる。
──それでも、未剣君の気持ちに答えてあげられる努力をしたいのは、嘘じゃないんだよ。逃げ道でも、ないんだよ? 信じて、なんて言えない。
だから、だからね、未剣君。目を覚まして、聞かせてよ……あなたの声で、言葉で……聞かせてよ……ねぇ?
花織は輝の頬にそっと手を触れた。
……なんで、どうして……こんなにも、未剣君は暖かいのに……どうして目を覚まさないのよ……。
それは未剣輝、彼なのに。そこに居るのに、居ない。
……じゃあ、未剣君は何処にいるの……ねぇ、神様……なんで──
「……なん、でよ……こんなの……あんまりだよ……ぅ、うわああああぁぁぁぁぁぁぁあ」
病院でも、憚らず、少女は悲しみの感情に身を委ね、やつし、熱くて冷たい涙を零れさせ、目を覚まさない少年の体に顔を埋めて、ただ……ただ、泣き叫ぶ事しか出来なかった。
☆☆☆☆
ワールドクラティア。詠真と鈴奈が出会した侵入者達は、そう名乗った。
世界を支配、統べる事を悲願とし、神郷天使という男の指揮の元、『外』の世界に潜む謎の組織。
彼らは、言った。
『また来るよ、君の元に。例え島から離れようが、どこに行こうが、また君の元に僕は来るよ』
『我々は、再びお前達の前に現れる』
だから、詠真は決めた。
すぐに『外』へ出ることを。
力も心も、鈴奈と歩むには脆弱だ。でも、彼奴は言った。また来ると。
その時、詠真がこの島に居たら、奴らは再度島へ侵入するだろう。
そうなれば、次は誰が巻き込まれるか分からない。美沙音か、花織か、ウィルか、はたまた柊学園の生徒か、詠真と面識のない人間か。
誰であろうと、もう輝のような悲しみを生むわけにはいかない。
だから、詠真は奴らを島から引き離すべく、自身も島を離れる。
そして戻ってくる時は、『外』の世界で奴らと決着をつけ、英奈を取り戻して、"総ての決着"がついた時だ。
怒りと悲しみ。
詠真自身は自覚していないが、負の感情──更なる憎悪が、彼を強引に成長せしめていた。
まるで、痛覚を麻痺させた状態で、刃の海に己が身を投げ込むように。
鈴奈は掴んだ。
この気持ち──詠真に恋をし、愛し、共に、傍に居たいという想い。
なればこそ、鈴奈は詠真の決断を止めはせぬし、何があろうと起ころうと、彼に傍で剣を取る。
この先どのような困難が待ち受けようと、彼を取り巻く運命の渦がどれほど巨大であろうと、ずっと、ずっと──ずっと傍にいる。
本当は脆い彼を、支え続けるため。彼の傍にいる。それが鈴奈を支えてくれているように。
☆☆☆☆
夜の帳に包まれた、肌寒い深夜。時刻は零時を回っており、日付は変わって、11月14日を示していた。
ガコンッと音がしたのは、自動販売機から飲み物が排出されたからだ。
ホットコーヒーの缶を両手で包み込み、詠真は満天の空を見上げた。
──今日の内に発つ。
身近な人に別れは済ませた。事情は詳しく話していないが、当分の間俺は遠くへ行く。それだけの簡素な別れの言葉。
未だ眠る輝には、次に会う時は目を覚ましてろよ。言えなかった事、三日三晩語り尽くしてやっから。そう言い残した。
いつか目覚める。治療が功を結ぶはずだ、詠真はそれを信じてるのだ。
「まず、どうすっかな」
まだ、計画という物は明確ではない。アーロン・サナトエルにしても、ワールドクラティアにしても、その所在を一切として把握していない。
アーロン・サナトエルも、ワールドクラティアを名乗った侵入者も、もう島には居ない。
なら探せばいい。そのための脚だろ。
詠真は缶のプルタブを開け、コーヒーを含む。熱い液体が、冷めた体を心地よく温めていく。
「……この世界は、一体どうなってんだろ……」
超能力。魔法。呪術。
人工島、魔法国家、陰陽機関、世界征服を目論む組織。
謎に包まれた異能の起源。異世界の存在、出現した魔物。
非日常への感覚が麻痺している詠真から見ても、常軌を逸している。
そして──
「こいつか……」
自身の目を手で覆った。
ワールドクラティアの、詠真と容姿が酷似していた男が言った、瞳の中の十字架、白く染まった髪。
後者は分からないが、十字架に関しては見覚えがあった。
聖皇ソフィア・ルル・ホーリーロード。彼女の緑眼の中にも、青い十字架が刻まれていた。思えば、彼女の髪も美しい白だった。
男の言葉を鵜呑みにするわけではないが、可能性として本当に瞳に十字架が浮かんだとすれば、それがソフィアと似通っている事は偶然なのか。
詠真には分からない。だが本当だと仮定して、恐らく鈴奈はその事象を知っていると推測できた。
……あいつが指摘したのは、ゾーン状態の俺の姿だ。
もしゾーンに入るたびに起こる現象ならば、鈴奈やフェルド、ソフィアにサフィールも一度は目にしている事になる。
「その上で、俺に話してないってことは……」
今はまだ秘密にしておかねばならない理由があるから。……だと、思う。
故に詠真は、彼女らが話してくれる時まで、知らないふりをしておこうと決めていた。
どちらにせよ、分からない事だから。
「……寒い、帰るか」
言って踵を返した時、詠真は背後に人の気配を感じ取った。
同時に、声が聞こえてくる。
「振り向くな。そして聞け」
それは少女の声──声色だけは少女。そんなイメージだった。
「……誰だ」
問うと、ややあって、思いがけない解答が返ってきた。
「……『宮殿』の一人だ」
「……!」
「振り向くな。二度は言わないぞ」
詠真は平常を繕い、感情を殺して首肯した。
「お前は『宮殿』に言いたい事は山ほどあるだろうが、今は聞いている暇はないんでな、簡潔にいくぞ」
「……あぁ」
詠真の額に冷や汗が滴る。相手の姿は分からない。声は少女だが、そんな少女が政府最上層部にいるというのもおかしな話だ。
これはまるで、猛獣に睨まれているような……。
そんな心情も知らない相手は、少女の声で淡々と話す。
「木葉詠真。お前は『宮殿』にとって──最重要超能力者に位置付けられている」
「……なぜ?」
「黙って聞け。だがまぁ、なぜという問いに、今は答えられない」
背後の気配は一呼吸置いてから、
「だが『宮殿』だけじゃない。まぁ近い内、お前も知ることになるだろうさ。──お前という特異点をな」
詠真は何を言われているのか、イマイチ理解が追いつかなかった。
「直に『外』へ出るんだろう?」
「あぁ」
「なら、お前と私が『外』で会えた時、私が知り得る『宮殿』についてを話してやるよ」
それは、裏切り行為にならないのか?
詠真が問うより前に、『宮殿』の一人と言うそれは言った。
ごく小さな、囁く声で──
──私は『宮殿』を裏切るよ。
──氷帝と一緒なら、そう遠くない日に会えるさ。
──私はお前の味方だ。
──宮殿の魔の手に搦め捕られるなよ。たとえそれが……
楽園を壊すことになってもだ。
その言葉を最後に、背後にあった気配が、一瞬にして去っていったのを詠真は感じた。
ゆっくり振り向くと、残っていたのは吹き付ける夜風と、夜空に煌めく白銀の獣毛、詠真の足元に置かれた一枚の便箋のみだった。
恐る恐る便箋の封をあけ、二つ折りの手紙を黙読する。
書かれていたのは、一行の文。
『ワールドクラティアという組織は、英国王室と繋がっている』
少女、なのかは分からないが、彼女が去ったであろう空を仰ぎ、嘆息混じりにぼそりと呟いた。
「……ほんと、天宮島もどうなってんだか……」
一気に飲み干した缶をゴミ箱に捨て、木葉詠真は夜の向こうへ吸い込まれていく。
この日を境に、木葉詠真と舞川鈴奈は、柊学園から──天宮島から姿を消した。
11月14日。それは奇しくも、木葉詠真という少年の誕生日でもあった。
《狙われた祈祷祭祀編 完》




