『来訪者』
長い長い歴史のその最中。
それまでの常識を超越する特異的な力をその身に宿した一人の子供がこの世に生まれ落ちた。
そしてそれを境に、世界中で同様の子供が生まれ始めた──と言われている。
──人はその力を『超能力』と呼んだ。
超能力を持って生まれる理由は全く持って判明しておらず、親や先祖との遺伝子関係もない。普通の人間から突如として、超能力を持った子供が生まれるのだ。
しかし超能力とは聞こえは良いものの、人間という枠を超えた"力"に世間の目は冷たく──鋭かった。
──気味が悪い。
──近寄れば最悪殺される。
──人間じゃない。
──化け物だ。
嫌われ、罵倒され──忌まれた。
あ超能力を持って生まれた子供は親に捨てられ、路頭に迷う他なかった。それに耐えかねた超能力者が事件を起こすことで、更に存在を疎まれた。
だが──彼らに救いはあった。
太平洋北西に浮かぶ人工島。
名を『天宮島』。
"いつの間にか洋上に建造されていた"その島は、居場所を失った超能力者達を保護し、超能力について研究を行うための人工島だった。
超能力者は皆その島へ助けを求め、平穏な暮らしを手にした。
しかし現在になっても、何時の時代に、どのようにして、誰が先導して建造したのか。それが書かれている文献がないため、詳しいことは分かっていない。
そんな謎に満ちた超能力者達の楽園で、つい先日、前代未聞の事故が起こった。
『ニュースをお伝えします。先日ーー』
先日。
ニュースキャスターのその言葉に、線の細い黒髪の少年・木葉詠真は机に伏せていた顔を上げる。腫れぼったい目に濃い隈。顔色はひどく悪かった。
詠真は覇気のない黒瞳を動かし、テレビの画面へと視線を運んだ。
若い女性キャスターが居た堪れない表情で原稿を読み上げる。
『第三区で起こった事故ですが、天宮島政府はこれを、実験失敗における能力の暴走事故であると断定しました。これは、事件発生直前に観測された異常な重力値が、能力の臨界点を超えた場合に発生したものだとする────』
詠真は荒々しくリモコンを掴み取り、テレビの電源を落とした。
「あれが……能力の暴走事故……だと」
詠真は未だに信じ難いあの光景を思い出しながら呟いた。
それが起こったのは──三日前。
☆☆☆☆
太陽が照らす昼空の下、木葉詠真はクラスメイトと下校の途中にあった。
「いいじゃん‼︎ 妹ちゃん紹介してくれてもさ‼︎」
白昼堂々大声で叫んだのは、金髪に複数のピアスをつけたチャラい少年、未剣輝。
彼のチャラい顔をぐいっと近付けられた詠真は、呆れた様子で視線を斜め上に逸らした。
「無視すんなよ詠真!」
「分かったから離れろって、輝」
詠真は輝の顔を手で押し出し嘆息。
とぼとぼと歩き出した。
ちょ待てよ、と輝が慌てて着いてくる。
もう一度大きく嘆息した詠真は、目の前の下り坂を見下ろして、ぼやく。
「この坂に差し掛かるといつもその話だなお前、せめて一週間に一度くらいにしてくれ。下校の度に言われちゃたまったもんじゃねぇよ」
輝は軽く舌打ちをすると、カバンから何やら小さな箱を取り出し、中に入っている白い棒状の物を一本、口に咥えた。
「少しはこの気持ちを汲んでくれてもいいんじゃねぇか? 詠真、火くれよ」
箱の正体はタバコである。
詠真は三度目の嘆息。五分もしない間に三度目も人を呆れさせる人間はそういないだろう。心の中で愚痴を零しながら、詠真はタバコを取り上げた。
「タバコ吸うのは百歩、いや一万歩譲って見逃してやってもいい。でもな、制服を着たまま吸うのはやめとけ」
輝は自分の服に視線を落とす。
胸元に柊学園の徽章が縫い取られ純白の学ラン。クラスメイトである二人は、当然同じ制服を着ている。
「バレなきゃ大丈夫っしょ」
「そういうとこだよ」
「どういうとこだよ?」
「妹を紹介しないのはそういうとこが問題だってことだ」
「それは、偏見って言うんだぜ?」
「言わねぇよ! ぜってぇ近──」
詠真の言葉は、突如鳴り響いてきたサイレンの音に掻き消された。
「これは……緊急避難警報だよな」
少し焦りを見せた輝は、PDA端末からホロディスプレイを呼び出す。ニュースで状況を把握するためだ。
ホロディスプレイに映し出されたのは、歴の長い熟練の男性キャスター。その表情は芳しくない。
『き、緊急ニュースです。たった今、第三区立如月中学校の敷地内にて異常な重力値を観測。周囲の皆様は直ちにその場を離れるよう、天宮島政府から緊急避難命令が出されました』
「お、おいこの中学校って……詠真?」
輝がホロディスプレイから視線を離して周囲を見渡すが、詠真の姿は何処にもなかった。
代わりだと言わんばかりに、激しい向かい風が輝の顔を叩いた。
☆☆☆☆
第三区立如月中学校。
詠真はニュースからその名が聞こえた瞬間、焦りや動揺よりも先に体が動いていた。
詠真の持つ超能力『四大元素』。
それは地水火風の四つの力を操る凡庸性の高い能力だ。
解放したのは第四の力『風』。詠真の瞳は鮮やかな緑色に染まる。
自由自在に風を操る力で背中に小さな四つの竜巻を接続し、少年は空を駆けた。
「英奈……」
絞り出すように呟いたそれは、詠真の二つ下の妹・木葉英奈の名前だ。
何故今、妹の名前を呟いたのか。
簡単な事だ。英奈が通う学校は──第三区立如月中学校その場所である。
詠真の通う第四区立柊学園は特別テスト期間のため下校が早かったが、彼の知る所、如月中学校は通常授業のはず。
焦る気持ちを抑え、詠真は駆けるスピードを上げていく。
「……見えた」
視界に如月中学校が映り込む。
空から下を見下ろすと、多くの人が如月中学校校舎から遠ざかっていくのが見える。目を凝らしてみるが、そこから妹一人を探し出すには人が多すぎる。
しかし、どうも如月中学校の制服を着ている者が少ないように思える。
視線を校舎側に移す。そこには、パニックに陥った生徒達が我先にと避難し始めている光景があった。
「……対応が遅ェよ」
詠真は吐き捨て、避難誘導を手伝うため校舎に近付き、地上へ降下を始めた。
──その時だった。
詠真の全身を言い知れぬ悪寒が襲う。
本能が危険を察知したのか反射的に足元に竜巻を発生させると、一瞬にして上空へ大きく距離を取った。
──直後。
「一体なん……⁉︎」
詠真は目を疑った。
言うなれば、空間が歪曲している。
まるで渦潮の如く、中心の一点に吸い込まれるようにして、詠真の眼下に広がる景色が歪んでいた。
──刹那。
突如現れた黒いドーム状の"何か"が、如月中学校の校舎を丸ごと包み込んだ。
──刹那。
その黒いドームは収束するように"跡形もなく"消え去った。
「……なんだよ、これ」
そして詠真は、現実を疑った。
ほんの一瞬前までその場所にあった如月中学校の校舎は──どこにもない。その中にいた人間も──どこにもいない。
そう──『跡形もなく』。
先程まで如月中学校の校舎が存在していた場所は、隕石が落下した跡のように巨大なクレーターへと変わり果てていた。
☆☆☆★
木葉詠真は机を叩きつけた。
理解し難い光景、状況、現実。
重くのしかかる──妹の"死"。"死"といっても遺体はない。
常識の範疇を超えたあの黒いドーム。
"アレ"は一瞬にして全てを奪い去った。
『一定空間内にある全物質の消失』。
消失したのは、如月中学校を中心にした周囲約500メートル範囲内の全物質だ。岩盤も抉り取られるように消失しており、巨大なクレーターは深さ250mにまで及んでいた。
あの黒いドーム──恐らくは球体だったであろう"アレ"が、物質を消失させる力を持っていたと見てまず間違いない。
間近で目撃した詠真だからこそ言い切れる、信じ切れない現実だ。
そしてアレは──人間さえも消失させた。その中には詠真の妹──木葉英奈も含まれていた。
──信じたくない。
だが今こうして、唯一の家族である最愛の妹の姿は何処にもない。
あるのは深い悲しみと、現場にできた深く巨大な爪痕のみだ。
「くそ……くそッ……‼︎」
テーブルを殴っても変わらない。怒りや悲しみは、何一つ消化されない。
楽園だと信じたこの場所で、たった一人の家族を失うことになるなんて。
憎むべき相手さえいない。
木葉詠真という人間が壊れていくのは時間の問題だろう。
それは自分自身でも分かっていた。
「英奈……ごめん……」
もう枯れていいはずの涙が溢れてくる。
そんな時。
ピンポーンという、空気を読む事を知らない糞みたいな軽快な音が家に響いた。来客を知らせるインターフォンの電子音だ。
詠真は舌打ちをした。
──こんな時に誰だよ。
涙を拭って重い腰を上げる。
「……はい」
業者ならぶん殴ってやる。そう思いながら玄関の扉を開いた。
だが、
「……誰?」
思わず出た言葉。
扉の前に居た相手は、宅配業者や郵便配達の局員などではなく──全く以って知らない少女だった。
腰まで垂れる長い透き通るような青髪に、切れ長の碧眼。顔立ちは驚くほどに整っていて、長身でスレンダー。
まさに、美少女だった、
謎の美少女は詠真の顔をじっと見つめると、静かに口を開いた。
「君は木葉詠真。合ってる?」
「合ってる、けど……誰?」
「そう、良かった。私は君に話しがあって来たんだけど、ここでは何だし上がらせてもらうわね」
詠真の問いを無視した少女は、華奢な腕で家主を押し退けると、何の躊躇もなく家に上がり込んでいく。
「ちょ、お、おい!」
「リビングはどっちかしら?」
状況についていけず頭を抱えたくなった詠真は、とりあえず指で左を示した。
☆☆☆☆
突然意味不明で訳の分からない美少女の来訪を受けた詠真は、少女に紅茶を出すことで一先ず落ち着く時間を得た。
(とりあえず……)
腕を組み椅子の背に体を預けた詠真は、上品な作法で紅茶を頂く少女を半眼でじっと見つめる。
彼女の身なりにいくつか気になることがあった。
一つは、少女が着用している制服だ。
赤いスカーフに純白のセーラー服。
酷く既視感のあるそれは、詠真が通う柊学園の女子制服である。スカーフは学年ごとで色が分かれており、赤は二年生の色だ。
つまり、詠真と同学園の同級生ということになる。
──しかし。
詠真はこのような少女に見覚えはない。
これほどの美少女であれば、クラスが違えど顔くらいは知っていよう。
だが、微塵も見覚えがなかった。
そして二つ目。
彼女が腰に吊るしている──青い鞘に収まった剣についてだ。
もしかすれば剣ではないかもしれないが、恐らくは間違いないだろう。
いくらこの島が超能力に溢れているとは言え、剣なんかを持ち歩いていては目立つことこの上ない。護身用とも考えにくい。
ならばなぜだろうか。
まぁそれは、彼女が何者か分かれば見えてくる疑問でもある。
そう、一番の問題は──、
「紅茶の淹れ方が悪いわね君」
悪態をつくマイペース姫が何者なのか、というところである。
「美味いのが飲みたきゃ、その辺にある喫茶店にでもいけよ」
「君、凄い顔色悪いわよ」
「三日間寝ずに島中飛び回ってたからな」
「なんで?」
「妹を探してた」
「いるわけないじゃない。"死んでしまった"んだから」
思わず聞き流しそうになるほど自然に、少女はそれを口にした。
詠真は一瞬の硬直の後、しれっと紅茶飲む少女を睨みつけた。
「……なんでそれを知ってんだ」
少女は表情を変えず淡々と言う。
「君の事は"ここに来る間"にさらっと調べさせてもらったわ。木葉詠真、十六歳。柊学園二年C組九番。性格は比較的温和で、入学時から常に成績学年トップの秀才。兄妹揃って超能力を発現させた珍しいケースで、君が七歳の頃にこの島へやってきた。君の超能力は地水火風を操る『四大元素』。その能力制御に関しても、天才だと言わざるを得ない」
まぁ温和な性格はどっかに飛んでいったみたいだけど、と少女は付け足し、
「そんな君は、三日前に起こった前代未聞の『事件』で最愛の妹を失った。楽園と信じたこの島でね」
詠真の眉がピクリと動く。
聞き違いかもしれない。
だが。
「……今なんつった」
その声は少し震えていた。
「聞こえないわ、何?」
少女が聞き返すと、詠真は机を叩きつけて勢い良く立ち上がった。その衝撃で紅茶の入ったカップが床に転げ落ちる。
「お前、今なんて言ったんだよッ!」
その黒眼は少女の碧眼を真っ直ぐ射抜いていた。
少女は楽しそうに小さく笑うと、唇の前に人差し指を立てた。
「ふふっ……もう一度言いましょうか? ──『事件』って言ったの」
それは大きな違いだった。
ニュースでは、天宮島政府は『能力の暴走事故』と断定したと言っていた。
しかし、少女はこう言ったのだ。
『そんな君は、三日前に起こった前代未聞の事件で、最愛の妹を失った』
『事故』と『事件』。
不幸な『事故』ではなく、何者かが引き起こした『事件』である。
英奈は──殺されたのか?
詠真は崩れ落ちるようにして、椅子へ座り込んだ。
──気が狂いそうだ。
顔を上げて少女を見る。
「あー、カップ割れちゃった」
政府が判断しニュースで報道されている事実を、この少女は否定したのだ。
どちらがより信用できるのか。そんなもの政府に決まっている。
そう、常なら信じるに値しないはずの素っ頓狂な戯言だ。
しかし。
この少女が嘘を吐いているとは、詠真はどうしても思えなかった。
「なぁ……」
「ちょっと待って」
少女はカップの破片を拾い終わると、それをゴミ箱に捨てて椅子に座り直す。
「はい、何かしら?」
「俺に話があるって言ってたよな。それって、お前の言う『事件』と」
「関係ある、と言うよりかはその話をしに来た訳だけど」
詠真は一呼吸置いてから、言った。
「分かった、聞かせてくれ」
☆☆☆
「まずは私の自己紹介から始めて行きましょうか」
ようやく自己紹介かよ……というのが詠真の本音。だがそれを吐露した所で、ガン無視されるのがオチだと分かっている。なので、黙って聞くことにした。
「私の名前は、舞川鈴奈。君と同じ十六歳よ。舞川でも鈴奈ちゃんでも好きな呼び方で呼んでくれていいわ。私のこと、なんて呼びたい?」
鈴奈は口を可愛らしく尖らせると、少し上目遣いをしてパチパチと瞬きをした。
不覚にもドキッとしてしまった詠真。
容姿が可憐な美少女なだけに、揶揄っているだけだと分かっていても可愛いという事実は否定できない。
「……なら、舞川で」
「まぁ呼び方なんてどうでもいいわ。早速本題に入るわね」
ケロッと態度を変え、ふん反り返って腕を組む小悪魔姫。
詠真は膝の上で拳を握ったが、沸き起こる怒りをどうにか抑えた。
「私はパレ……天宮島政府からとある要請を受けてこの島へやってきたの」
「舞川は『外』の人間なのか?」
「えぇ、そうよ。珍しい?」
「……そりゃまぁ、それなりに。で、その政府から受けたとある要請ってのは何なんだ? 政府が『外』人間に頼るとかあり得ねぇよな普通。お前は、舞川は何者なんだ」
詠真の言葉には"棘"があった。
その"棘"の理由をある程度理解している鈴奈は、
「こうして接触した以上、隠すことにメリットはないか」
小さく息を吐いて、指先で机をコンコンと二回叩いた。
するとそこを中心に、机の表面がたちまち凍り始める。その凍った表面を鈴奈が再度指で叩くと、まるで何事もなかったかのように氷は消えていった。
机に水滴が一切残っていないため、溶けたという訳ではないようだ。
「凍結の超能力か?」
詠真は特に驚いた様子はない。それは当たり前と言えば当たり前だ。
超能力者の楽園である『天宮島』において特異な力は一般的な物であり、自分自身もその身に宿しているからだ。
しかし。
「答えは、ノーよ」
鈴奈は首を横に振って否定した。
「……超能力じゃないのか?」
「えぇ。超能力とは似て非なるもの。それが私の持つ異能──『魔法』よ」
「超能力とは違う……『魔法』?」
「そう、魔法。一つの能力に縛られる超能力とは違って、魔法は鍛錬次第では様々な事象を引き起こすことができる力なの。超能力では1+1の答えを2としか導き出せない。しかし魔法は、1+1の答えを2でも3でも100でも1000に出来るってわけ」
「……やろうと思えば何でも出来ると?」
自慢された感じがなんだか気に食わないといった様子で尋ねた詠真に、鈴奈は少し迷いを見せながら首を横に振った。
「出来ないこともあるわ。でも出来る事の方が圧倒的に多い。まぁ個人で得手不得手もあるんだけどね」
他にも違うところがあるのよ、と鈴奈は言う。
「個人が生まれながらにして突発的に手にする超能力は、その発現に血統を一切必要としない。でも魔法を手に入れるには、先祖から受け継がれる血統が必須になるわ」
「先祖代々受け継ぐ力……か」
「それが『魔法』、それを使う者のことを魔法使いと呼ぶの。……ちょっと、聞いてるの?」
詠真は何かを考え込んでいた。何回か唸った後、こう尋ねた。
「それってさ……『陰陽師』の使う『呪術』みたいなもんか?」
鈴奈の顔が露骨に引きつる。
「なに、君はあの『陰陽師』の存在を知ってるの?」
「え、あ、あぁ……一年前にちょっとな。てか舞川も『陰陽師』のこと知ってたんだな」
鈴奈は大気が凍る様な冷たいため息を吐いた。
「嫌ってくらい知ってるわよ。なによもう……超能力以外にも異能が存在することを知ってたんなら早く言いなさいよね。困惑させちゃうかなぁ……とか心配して損よ、最低よ君」
「な、なんだよその理不尽。これでも普通に驚いてるよ、超能力や呪術以外にも、魔法なんてものが存在したことに」
「まぁいいわ。『陰陽師』のことを知ってるんなら、あれが"どういうもの"なのかってことも知ってるわよね? 魔法使いも大体同じよ。その辺りを理解してもらえると幸いだわ」
「存在を隠してるってことだろ? 大丈夫、他言はしねぇよ。それより話を続けよう」
分かったわ、と鈴奈は話を戻す。
「私達魔法使いはその殆どが『聖皇国ルーン』に居るんだけど、そこに二日前要請が」
「ち、ちょっと待て」
詠真は手を前に出して話を止める。
「なんだその国……聞いたことないぞ」
「???」
「いやいやいや、なんで知らないの? みたいな顔されても知らないもんは知らないから。超能力者は島の外に出ないからって馬鹿にしてんだろお前……」
まだ首を傾げている鈴奈は、思い出したように掌をポンと叩いた。
「バチカン市国」
「……は?」
「世間一般が知るカトリックの総本山であるバチカン市国。しかしその実は、古来より存在を秘匿し続けている魔法使いの楽園『聖皇国ルーン』という国なの。『天宮島』と似たようなものね」
「なら始めっからそう言えよ……」
ごめんあそばせ、と上品に口元を手で覆って笑う魔法使い。
「まぁカトリックの総本山が魔法使いの総本山ではあるけど、だからといって教徒が全員魔法使いなわけではないわ。魔法使いは、ほーっんの一握り。その一握りだけが、『聖皇国ルーン』に出入り出来るって訳」
「そういうことだったのか……。でもバチカンってローマ教皇が治めているんだよな? その教皇も魔法使いなのか?」
「いいえ。確かにバチカン市国を治めているのは教皇だけど、『聖皇国ルーン』を治めているのは聖皇様よ。ややこしい話かも知れないけど、君が知る必要もないことだから気にしなくていいわ」
「そうか……分かった」
「なら本当に話を戻すわよ」
もう本題に関係のないことは聞き返すのをやめよう、テンポが悪い。そう決めた詠真は黙って頷く。
「えーと……そう、二日前のことよ。聖皇様の元に天宮島政府から協力要請が送られてきたの。内容は『昨日島で起こった能力暴走事件、それを引き起こした犯人の捕縛』」
「なんで島で起こった事件解決を魔法使いに委託するんだ?」
「私もおかしいと思ったわ。でも理由はきちんとあったの。その続きに『島内へ魔法使いが侵入した形跡があり、その者が関与している可能性が極めて高い。我々の力ではその魔法使いを見つけ出すことが出来ないため、聖皇国の魔法使いに協力を要請したい』って綴られていたの」
「要するに、魔法使いの尻拭いは魔法使いがしろってことか」
「そういうことね」
まぁ私達も身内が疑われている以上黙って見過ごせないし、と鈴奈は付け足し、
「要約して言うと、天宮島政府より協力要請を受けた聖皇国ルーンは、一名の魔法使いに任務を与えた。任務の内容は『天宮島への不法侵入、並びに能力暴走事件に関与したとされる同胞の捕縛』。そしてその任務を任せられた魔法使いというのが、私。お分かり?」
「ってことは、政府が事故であると報道を出したのはこれ以上の混乱を避けるため。あくまで秘密裏に解決したい事案ってことか」
詠真は頷くことで肯定の意思を見せる。
「よろしい。まぁここまで言ってしまえば、私が君にどういった話をしにきたのかは薄々気付いてると思う。それでも言っておくわ。私は君に、任務の協力者になってもらいたいの。残念ながら私は島外の人間、だから島のことに詳しい人が欲しいのよ。まぁそれだけなら政府の人間でも連れてこればいい話なんだけど、私はあえて君を選ぶわ」
「どうして俺を……?」
「だって君には関わる資格がある。唯一の家族を奪われた君にはね。どうかな?」
鈴奈は真剣な眼差しで問いかけた。
(関わる資格が……)
掌をじっと見つめる詠真の心には、ある思いが渦巻いていた。
それは──復讐。妹を殺した奴への復讐だ。
(だめだ……!)
邪悪な思考を振り払うように首を強く横に振る。
復讐などしても、喜ぶはずがない。妹が──英奈が喜ぶはずがない。
そんなことをしても、彼女は一生報われないだろう。
なら、どうすれば──
──それは簡単なことだった。
重く考えすぎたのだ。
復讐、それはつまり──殺すことだと。
それは断じて──否。それだけではないはずだ。
この手で、犯人を牢屋にぶち込む。罪を償わせる。それも一つの復讐ではないだろうか。その過程で、一発ぶん殴ってやるくらいは許されるだろう。
詠真は拳を握る。
この手で、この力で。真実を暴けるのなら。
──やってやろうじゃねぇの。
詠真の表情に確かな変化を感じた鈴奈は、ほんの少しだけ口角をあげた。
(案外、ヘタレじゃないのね)
「舞川、決めたよ」
「聞かせてもらえる?」
「協力させてもらう。そいつに犯した罪を償わせるために。あぁそれと、一発ぶん殴る」
「一発で済めば良いけど」
鈴奈は茶化すように笑うと、「よいしょ」と言って椅子から立ち上がる。
「今日のところはここで帰るわ。無事、君との協力関係が結べたしたね。詳しいことは明日話しましょ」
「ち、ちょっと待てよ」
鈴奈の手がリビングのドアノブにかかったところで、詠真が引き止めた。
口元に手を当てて何かを考えついた鈴奈は、体を掻き抱くようにしてクネクネと艶かしく動く。
「まだ私と……一緒にいたいの?」
「違ェよ」
冷めた目で一蹴。
詠真は鈴奈の服を指して言う。
「その制服、柊学園のだろ。もしかしてお前……」
「あぁそのことね」
鈴奈はゴホンッと咳払いを一つすると、きゅるんという効果音が聞こえてきそうな可憐なスマイルを作った。
可愛らしく頬に両手を添えると、
「明日から柊学園二年C組に転入してくる舞川鈴奈です♡ 仲良くしてね? え・い・ま・君」
「さすがにそれは寒い」
今度は真顔で一蹴。
「寒くて結構、寧ろ褒め言葉よ。だって私は氷魔法を得意とする"氷帝"の名を冠する魔法使いだもの。じゃあね」
清々しいドヤ顔を浮かべて、マイペースな女魔法使いは家を出て行った。
静寂を取り戻した空間で、詠真は疲れに疲れ切った顔でぼやく。
「マイペースにも程がある。それに結局あの剣はなんだったんだ…」
☆☆☆☆
照明が落とされた薄暗い部屋で、五人の男女が円卓を囲んでいた。
一人が軽く手を振る。空中に巨大なホロパネルが投影。一人の少女の顔写真と、プロフィールが表示される。
厳めしい顔の男が目を細めて言う。
「これが聖皇の寄越した魔法使いか。随分と若い娘だが」
「心配ないでしょう。なんでもこの舞川鈴奈という少女、あの"焔姫"とやり合って引き分けたとか」
答えたの眼鏡をかけた細身の男だ。
髪の長い妖艶な女が問う。
「引き分けた? 勝ったのではなく?」
「えぇ。しかし注目すべきなのは、舞川鈴奈が"氷帝"だということです。相性の悪い、ましてや十二神将の"焔姫"相手に引き分けた。これはかなりの功績でしょう」
厳めしい顔の男は黙って頷くと、
「島外から来た人間だ、島内に詳しい奴が必要であろう。政府から適当な人間を」
厳めしい顔の男の言葉を遮るように、細身の男は手を振る。
ホロパネルが別の少年が映し出された。
「舞川鈴奈は、すでに『スペア』と協力関係を結んだようです。やはりあちら側に重要能力者の『リスト』を開示したのが失敗だったのではないかと……」
会議室にピリピリとした空気が流れる。
無表情を貫いていたスキンヘッドの男とケモノ耳を生やした少女も、僅かにその表情を崩していた。
髪の長い妖艶な女がクククと笑う。
「"焔姫"と因縁深き"氷帝"。そして"焔姫"が焦がれる『スペア』の少年。ククク、偶然にしても出来すぎておるなぁ。だが……実に楽しめそうな余興である。ククク」
「あー、いい歳して興奮しちゃってマジ気持ち悪りぃ」
言ったのはケモノ耳の少女だ。白いフサフサした耳をピョコピョコ動かしながら、品なく笑っている。
髪の長い妖艶な女は嘲笑うように鼻を鳴らすと豊満な胸を強調しながら言う。
「ククク、貧相な体は貧相なことしか言えんようじゃの」
「黙れよおっぱいオバケ」
「主は窒息死がお好みか?」
──また始まったよ。
男三人は心の中で呟いた。
厳めしい顔の男が咳払いを一つ。女二人は渋々言い合いをやめる。
「あちら側に『リスト』を開示すること。それが提示された協力の条件だ、致し方なかろう。だがまぁ、魔法使いが『スペア』が持つ意味、更に言えば『中枢システム』の存在を嗅ぎつけた訳ではあるまい。朱雀の言う通り、あくまで出来すぎた偶然だろう」
それに、厳めしい顔の男は続ける。
「敵の全容が掴め以上油断はできないが『スペア』の更なる成長も期待出来るだろうしな。万が一の場合は我々の出番だが、そこは"氷帝"の力に期待しようではないか。異論はないな?」
厳めしい顔の男の言葉に、四人は黙ることで肯定の意思を表した。
「うむ。では解散とする」