『異能を統べし王達の会談』
木葉詠真は第八区を歩いていた。と言っても、詠真の自宅も八区であるため、然程遠出をしている訳でもない。
八区の特徴と言えるのは、一般居住区の中で最も閑静な居住区である事だ。背の高いビルはなく、落ち着いた雰囲気の住宅が申し訳なさそうに並んでいる。これを特徴と言って良いのか微妙ではあるが、静かで暮らしやすいという点から、詠真は八区を大層気に入っていた。
詠真の自宅は八区の南東、現在彼が歩いている場所は北に位置する住宅街だ。
夏休みと言う事もあり、静かな住宅街は普段より活気に溢れている。
そんな中、すれ違う子供や学生、大人達は、詠真の姿を必ずと言っていい程二度見していく。
一体何だと疑問に感じたが、そう言えば戦争開戦の直前に、戦争参加者の姿がテレビに映されたと輝が言っていたのを思い出す。恐らくそれが原因か。
「……あぁ、これもか」
言葉が指すのは着用している制服だ。
純白の学ラン。この制服は天宮島の学校において柊学園が唯一使用しているモノであり、柊学園そのものがかなり有名であるため、二重の意で思わず二度見をされてしまっているんだろう。
疑問を解消した詠真は、燦燦と照りつける太陽に目を細め、目の上に掌で庇を作った。そこで気付く。
「夏に学ランなんて着てるから二度見されたのか……」
馬鹿正直に着ていた学ランを脱ぎ、カッターシャツのボタンを少し外す。
学ランを脇に挟むと、詠真の瞳が青色に変化。掌にテニスボール程の水球が出現し、瞬く間に凍っていく。
形成されたアイスボールを握っているだけでも暑さは和らぎ、それを額やうなじに当てて体を癒していく。
「……ん?」
詠真の数メートル前で、小学生にも上がっていないくらいの少女が、羨ましそうな目で此方を見ていた。
視線を辿る。少女が見ていたのは、詠真が持つアイスボールだ。どうやらこのアイスボールが欲しい様で、キラキラした目でじっと見つめている。
詠真は少女の前でしゃがみ込んで目線の高さを合わせると、アイスボールを差し出して柔らかく微笑んだ。
「これ、欲しい?」
「うん! ほしい!」
「ならあげよう」
見知らぬ少年から冷んやりしたアイスボールを受け取った幼女は、愛おしそうにアイスボールを頬に当てる。
「どうもありがとうございます」
少女の後ろから駆けてきたこの子の母親らしき若い女性が、ぺこりと詠真にお辞儀をする。
詠真は「いえいえ」と軽く首を振ってその場を後にしようとした時、母親が詠真を呼び止めた。
「あの、もしかして……戦争で三基を守ってくれた方、ですか……?」
やっぱり二度見の原因はそれか。
母親にバレない程度の小さなため息を吐いた詠真は、振り返らず、足を止めずに背中越しに軽く手を振った。
守れた事を誇りに思ってはいるが、それを他人に自慢したい訳でもない。
やはり、結果として守れたならそれでいい。
母親と少女が深くお辞儀しているのを背中で感じながら、詠真は無言でその場を去る。
小さな公園を通り過ぎた辺りで、ぼそりと呟いた。
「まぁ……確かに守りはしたけど」
あの戦争において、最も感謝され、英雄として祭り上げられるべきは舞川鈴奈であると、詠真は思っている。
舞川鈴奈が居なければ、超能力者である自分達は抵抗出来ず殺されていただろう。米露連合軍の切り札『アンチサイキック装置』によって。
ましてや自分においては、その前に一度死にかける情けない醜態を晒している。感謝されるのはかえって辛い。
そもそも、感謝されるために戦った訳でもない。結果として守りはしたが、その過程は血に濡れた凄惨なモノ。
戦争。それは憎悪のぶつかり合い。己達が欲を満たし、自己満足するために行われる低俗な争いだ。それは憎悪に駆られる超能力達も同じ。
出来れば二度と経験したくはない。
「何が嫌って、後の死体処理ほど気分悪いもんはねぇって……」
自分達が作り上げた屍山血河ではあるが、それを改めて"処理"する時は、詠真であろうと吐き気がこみ上げた。
思い出して憂鬱になりながら、詠真は狭い路地に入っていく。
路地を抜けると、古ぼけた鉄の門があり、その奥には一際大きなコンクリートの建物が存在感を放っていた。
門の直近に取り付けられた看板には『第八区零九研究所』と書かれている。
怪しげな雰囲気の建物だが、詠真は慣れた足取りで研究所へ足を踏み入れた。
自動ドアを通って中へ入ると、さながら病院と言った風な内装で、古ぼけた鉄の門とは違い清潔感に溢れている。
詠真がエントランス中央にある受付へと向かうと、若い受付嬢が先に声をかけてきた。
「あ、木葉君! お久しぶりですね」
「四ヶ月振りですね。所長は?」
「いますよー。ちょっと待ってくださいね」
受付嬢はインカム越しに誰かと少し会話すると、指で丸を作ってOKジェスチャーを示した。
軽くお辞儀を返した詠真は、エントランスの右奥にあるエレベーターに乗り込み、最上階の四階で下りる。幾つかある部屋を素通りし、最奥にある木製の両扉を二回ノックした。
返ってきたのは男性の声。
「どうぞ」
詠真は両扉を押し開く。
その部屋は特に広いという事はなく、例えるなら、少し豪華な洋風の書斎。赤に金の刺繍が施された絨毯が敷かれ、壁には難しそうな本が敷き詰められた本棚が並んでいる。部屋の奥には職人がこだわり抜いたであろう書斎机があり、そこに座しているのは左眼に眼帯をつけた中年の男性、この研究所の所長である。
詠真が部屋の中央に置かれた黒いソファに座ると、所長が口を開いた。
「久しぶりだね。……英奈ちゃんの事は聞いているよ」
その声はとても悲しそうで、詠真にはイメージ出来ないが、まるで娘を失った父親の様だった。
詠真は伝わらない事を承知の上で、こう言った。
「英奈は……取り戻すよ」
案の定、意味が分からない様子で首を傾げる所長。だが所長は詠真の目を見て、それが現実逃避から来る妄言でない事を理解した。
「ふむ。詠真が何を知って、何をしようとしているのかは分からない。でも今の君を動かしているのは、きっと其処にあるんだろう?」
「あぁ」
詠真は短く、それでいて強く答える。
所長は椅子の背に身を預けて腕を組むと、片方しかない目を僅かに細め、遠い過去を思い出す様に言った。
「詠真、今の君は昔に戻った様だ」
昔。所長が指す昔とは、詠真が『外』の世界に居た頃の事だ。
その話を出されると、詠真は自然と思い出してしまう。
人生が変わったーーあの日の事を。
☆☆☆☆
それは、およそ十年前。
少年が『外』の世界で初めて人を殺し、唯一の家族である妹と共に、本当の逃亡生活を始めて一ヶ月が経った頃だ。
その日、数台のパトカーを破壊し、十人ほどの警官を殺めた少年は、降りしきる雨の中で、妹に背を向けて大きく両腕を広げていた。
その行動には、『妹には触れさせない。それ以上近づいたら殺す』という残酷なまでに強い想いが滲み出ていた。
「……警戒しなくてもいい、なんて言っても無意味かな」
そう言ったのは、白衣を羽織った中肉中背の男性。男は、獣の如く血走った眼と荒い息づかいをする少年の数メートル前に立ち、頭をガシガシと掻いた。
「私は天宮島で研究員をしている。君、天宮島は知ってるかい?」
男の問いに、少年は鋭い声で「……知らない」と答えた。男は持っていた傘を少年の方へ転がすと、
「後ろの子、妹なんだろう? その傘で雨から守ってあげなさい」
少年は警戒しながら足元に転がりきた傘を取ると、広げて後ろの少女、自分の妹に持たせた。だが少年は傘の外に出て、男を睨みつける事を辞めない。
男は雨に濡れる事も気にせず、話し始めた。
「天宮島って言うのはね、君達"超能力者"を保護し、差別や暴力から縁遠い普通の生活を送らせてあげる事を目的とした、"超能力者"の楽園なんだ」
「……楽園……? そんなもの……この世界にあるわけないだろッ‼︎」
少年の瞳が緑に染まるや否や、腕を横薙ぎに振るった。男の頬を鋭い風が掠め、薄く赤い線を作る。
男は心底驚愕した。十歳にも届かない少年が、その年齢で既に世界を否定し、全てを拒んでいる。普通ならありえない。故にこそ、この少年が晒されてきた『日常』の残酷さを物語っている。
男は続ける。
「信じられないかもしれないが、本当にあるんだ。現在はおよそ七十万人ほどの"超能力者"が天宮島で暮らしている。私は君達の噂を聞き、救うために、ここにやって来たんだ」
少年は拳を握りしめ、更に強く男を睨みつけて、怒号を上げた。
「それが本当だとしたら……なんで、なんで今更来んだよッ‼︎ 英奈がどれだけ辛い思いをしたのか分かってんのか‼︎‼︎」
少年の感情の昂りに呼応するかの様に、男の周囲を業火が包み込む。
白衣、服、肌を焦がしていく業火から、男は逃げようとはしなかった。
ただ、涙を流していた。流した傍から蒸発していくが、確かに大粒の涙を流していた。
「君は……自分よりも、何よりも、妹だけを想い、妹のために戦って、妹を守るためだけに傷付いてきたのか。……すまない、もっと早く……君達の事を見つけてあげたかった。……でも、今からでも遅くはないだろう?」
「うるさいッ‼︎」
男は一歩踏み出した。
「来るなッ‼︎」
更に一歩踏み出した。
「来るなッて言ってんだろォ‼︎」
刹那。
鎌鼬に似た風の刃が男の左眼を襲った。左眼には縦に深い傷が入り、血が溢れると共に、業火が傷口を焼いていく。奇しくもそれが止血となったが、男にはどうでもいい事だった。
少年は戦慄した。これまで超能力を行使すれば、どんな人間であろうと恐怖し逃げ出した。しかしこの男は違う。傷付けられようとも一切退かず、慈愛の表情で歩を進めてくるのだ。
そして男は、少年の目の前に立ち、大きく両腕を広げ、抱きしめた。
突然の行動に少年は困惑。燃え上がっていた炎が掻き消えた。
「なんッ……」
「ーー帰ろう、君達の家へ。君達を受け入れてくれる……天宮島へ」
それが、木葉兄妹と磯島上利の出会いだった。
詠真の意識は過去から現在へ。
書斎机に座る自分を拾ってくれた男、『零九研究所』所長磯島上利の左眼を見て、改めて謝罪する。
「……左眼、本当に悪かった」
「もう何百回も聞いたよ」
上利は茶化す様に笑うと、こちらも改めて忠告する。
「今の君は昔と同じ目をしている。街一つを廃墟に変えかねないほど凶悪で、とても悲しい目だ。一体、何が君をそうさせる? 君を動かすモノは、一体何なんだ……?」
詠真は一瞬迷った。魔法使いの事や異世界の事を、上利に言うべきか否か。
答えはすぐに出た。
「悪い、所長にも言えない」
巻き込むべきではない。
故に、答えは否だった。
恐らく上利は"魔法"を知らないだろう。彼は完全に"超能力"及び"科学"サイドの人間だ。
下手に吹き込むのも良くない。
「これは、俺自身の問題であり、俺だけの問題じゃない。……悪い」
所長は軽く肩を落とした。
「信用されていないのかなぁ」
「そういう事じゃ」
「ははは、冗談だよ。まぁ、詠真自身が決めた事だ、口は出さない。だけど……死に急ぐ事だけはしないでくれ。戦争の件なんて肝を冷やしたぞ」
死に急ぐ気なんてねぇよ、と詠真はソファから立ち上がり、
「そんな事より、『四大元素』が成長したみたいなんだ。見たくないか?」
☆☆★★
木葉宅では、居候の二人がお昼ご飯を食べていた。メニューは昨日に続いて素麺。サフィール立っての希望である。
鈴奈はつゆの入ったお椀に箸を置くと、壁掛け時計を見て呟いた。
「詠真は研究所だっけ?」
「と、言ってましたね」
ズルズルと上手に麺を啜るサフィールにほんわかしながら、鈴奈は尋ねた。
「その、研究所って何なの? 私は立場上、政府に関しては君達より詳しいけど、島の常識についてはあまり分かってないのよねぇ」
にゃるほりょ、とモグモグしたまま答えたサフィールは箸を置き、モグモグを嚥下しお茶を一杯飲む。
「そうですね。まず、研究所とはそのままの意味です。超能力を研究する研究所、他にも科学的な研究も行われています」
「そこになんで詠真が?」
「簡単に言うとですね、アルバイトの様なものです」
不思議に思いませんでしたか? とサフィールは尋ねた。
「どうして詠真さんが、学生でありながら一軒家を持っているのか」
「確かに……」
サフィールは軽く頷くと、
「研究所というのは、島全体に十五個存在します。それらの研究所は、超能力を研究するために能力を提供してくれる超能力者、主に学生の超能力者を募集しているんです」
でも、と鈴奈は疑問を口にする。
「この島は、超能力者を保護しその力を研究する島でしょ? それなのに、研究所側から募集しなくちゃいけないの?」
「そうですね。この島に住んでいるからと言って、強制的に研究対象となる訳ではないです。あくまで、個人の意思と研究所の意思が合致した場合に限ります」
そしてその場合、とサフィールは続ける。
「個人と研究所との契約が結ばれます。これが所謂、雇用契約に相当します。社会で働いている大人は学生の時代に研究所に能力を提供しているので、稀な場合でないと契約はしません」
「ふぅーん。つまり、能力を提供するアルバイトってわけね」
納得した鈴奈にサフィールは、「ですが」と続けた。
「報酬に関しては、能力に依存します。研究所が欲する能力、稀有であったり強力であったりする能力の場合だと、報酬は勿論大きいです。しかしありふれた能力や既に広く研究されている能力であったり、個人の能力制御が低く、力を引き出せないものに関しては、報酬は小さく、契約を結んでもらえない場合も少なくはありません」
てことは、と鈴奈は掌を叩く。
「詠真は大きな報酬を貰える超能力者。だから、学生なのに一軒家を持っている。なるほどねぇ、確かに『四大元素』は強力だしね」
それ以外にも理由はあるかもしれませんが、とサフィールは背伸びをした。欠伸が漏れ、滲んだ涙を拭う。
「ちなみに私も研究所と契約を結んでいますが、報酬は少ないです」
「そうなの? 結構いい力だと思うけど」
「『衝撃絶零』は、外へ放射できるタイプではないです。私の体へ接触した物へ干渉する部分で言えば、外へ放射している事にもなるんですが、あくまで私に接触しないと発動しない能力。かなり限定的な為、研究需要は低いそうです」
なるほどねぇ、と頷く鈴奈は、サフィールの頭脳の良さにも「なるほど」と言わざるを得なかった。
(能力制御と頭の良さは比例するモノなのかしら。まぁ、私には関係ないけど)
鈴奈は再度壁掛け時計に目をやる。
時刻は十三時。
そろそろ始まっている頃か。
ーー異能を統べし王達の会談が。
☆☆☆☆
天宮島一基に聳える白亜の塔。
『神殿の柱』。
その最上、二百階。
荘厳なシャンデリアが照らす大理石の部屋には、六人の人間が居た。
天宮島最上層部『宮殿』を構成する五人。
聖皇国ルーンを統治する魔法使いの長、聖皇ソフィア・ルル・ホーリーロード。
超能力と魔法。それぞれの異能を束ねし王と呼ぶに相応しき面子が、一つの部屋で顔を付き合わせて居た。
口火を切ったのは、
「ようこそ、天宮島へ」
猫耳を生やした少女、ネコだった。
ソフィアはネコの頭に生えるケモノ耳を興味深そうに見つめながら、「此方こそ、お招き頂きありがとうございます」と丁寧に返した。
ネコは自分のケモノ耳をピョコピョコ動かしながら、
「そんなに珍しいか?」
「はい、とても」
子供みたいな反応を見せるソフィアに僅かな困惑を見せたネコは、お近づきの印と言わんばかりにネタばらしをする。
その為に右腕を軽く振るうと、華奢な少女の腕が一瞬にして白い獣の腕に変化した。
「私の能力は虎に変身するモノなんだ。このケモノ耳は、その能力が及ぼした副作用みたいなもん。厳密には、猫耳ではなく虎耳ってわけだ」
ソフィアはキラキラした目で椅子から立ち上がると、ネコに近付いて尋ねた。
「その耳、触っても……?」
「え、あぁ、まぁいいけど」
「では……」
ソフィアがそっと手を伸ばし、ネコの猫耳よろしく虎耳に優しく触れた。
ーー"バチッ"。
ソフィアはふわふわしたケモノ耳にウットリした表情を、ネコはこそばゆい感覚に困惑した表情を浮かべる。
「ありがとうございました。ーー"よく分かりました"」
ソフィアはケモノ耳から手を離し、座っていた椅子へ戻っていく。
ーー両者、僅かに笑む。
「どうかしたか、ネコ」
言ったのは獅獄だ。
ネコは「あぁ」と言って首を横に振る。
「たまにゃ"触られるのも悪くない"と思ってな」
二人の"異変"に微塵も気付かぬ獅獄、他三名。
獅獄はゴホンッと咳払いを一つ。
「そうか。ーーでは、そろそろ始めようか。我の名は、烈典斬獅獄。『宮殿』の長だ」
それに他のメンバーも続く。
「私の名前は、鬼亀杜白蛇と申します」
「……俺は龍染寺青天だ」
「妾は紅桜朱雀じゃ」
「私はネコだ」
ソフィアは『宮殿』メンバーの顔を一瞥し、名前と顔を合わせていく。
それが完了し、ソフィアも己の役職と名前を名乗った。
「私は、聖皇国ルーン統治者である『聖皇』を冠します、ソフィア・ルル・ホーリーロードと申します。"氷帝"の居住許可、改めてお礼を述べさせて頂きます」
獅獄がガハハと豪快に笑う。
「"氷帝"の件に関しては、此方も助かっておるのでな。其方が眷属は非常に優秀だ、条件さえ甘受してもらえるのならば、いつまでも居てもらって構わん」
「無論、"氷帝"が望む限りはそうさせて頂きます」
この会談において最も重要な事とは何か。それは『宮殿』側が、いかに聖皇との距離を縮める事が出来るかにある。
聖皇国ルーンは、表向きはバチカン市国
という都市国家だ。しかし経済的な制度を自前で持つような規模の国ではない。
故に貿易が出来る国ではなく、そういう面に置いての会談は無意味である。
ならば何なのか。簡単な話だ。
"魔法使い"という異能集団との、交友関係を結ぶための会談だ。
なら何故、交友関係を結びたいのか。
理由は二つだ。
一つは、"氷帝"という一人の魔法使いの活躍により、"天宮島/超能力"が、"聖皇国/魔法"を認め、関係を一歩踏み出したいという前向きな気持ち。
そしてもう一つは、"氷帝"の活躍により露見した、魔法使いの力。その力は極めて強大であるため、万が一魔法使いとの戦争が起こらない様にするために、交友関係を結ぶ事で"万が一"を未然に防ごうという考えだ。
『宮殿』が何より優先するのは、超能力者の安全、及び天宮島の維持だ。そのためには、魔法使いとの戦争は絶対避けるべき事案であると判断した。その判断材料は"氷帝"の活躍が大きいのだが、実はもう一つ、それを確固たる物として決意させる出来事があったのだ。
「先刻の戦争」
白蛇が眼鏡を押し上げて言う。
「後から知った事ですが、戦時中に宇宙空間にて"神の杖"が突如崩壊した様で……我々の推測ではありますが、これは聖皇ソフィアの仕業ではありませんか?」
白蛇は推測と言ったが、ほぼ確定事項として『宮殿』は認識していた。
ソフィアは口元を掌で覆って上品に微笑むと、
「仕業、なんて失礼しちゃいますね。ですが、"神の杖"を落としたのはこの私で間違いありません」
『宮殿』が最も危惧する事、それは"聖皇"が敵に回る事だった。
宇宙空間に浮かぶ兵器をいとも簡単に撃ち落とす事が出来る魔法使いを相手に、勝てるビジョンは『宮殿』メンバーでさえ明確に見えない。
彼女に本気の力を振るわれてしまえば、この人工島など簡単に沈んでしまうだろう。『宮殿』が聖皇に抱く危険レベルは限りなくMAXに近かった。
ソフィアは、「もう一つ」と言う。
「戦時中、米露国内で同時多発的に起こった軍人の大量虐殺、兵器類の無差別破壊の件に関してはご存知ですか?」
五人は同時に頷き、ソフィアが続ける。
「あれの犯人は、この島を襲った彼の魔法使い、アーロン・サナトエルが起こしたモノです」
獅獄の眉がピクリと動く。
「それはつまり、アーロン・サナトエルは聖皇ソフィアの支配下にあると?」
「いいえ」
ソフィアは即答した。
「アーロン・サナトエルについては、私ですら居場所は掴めておりません。が、先刻彼方側から接触があり、その際に確認した事実です。もう一度申し上げますが、アーロン・サナトエルは私の支配下には御座いません。その点に関してはご安心ください」
ソフィアは念を押した、それだけだ。しかしそれだけの言葉の中には、有無を言わせぬモノがある。『宮殿』が黙り込むほどのプレッシャー。
ソフィアは空気を和らげるために、美しく微笑んだ。その微笑みさえ、ある種のプレッシャーを放っているとは知らず。
その調子で会談は進んで行き、二時間が経過した辺りだろうか。
会談に終わりが見えてきた頃、ソフィアが思い出した様にこう言った。
「あの、一つ頼みたい事があるのですが……」
「頼みたい事、ですか?」
白蛇が聞き返すと、ソフィアは少し辟易した様子で苦笑した。
「はい、実は連れてきた"炎帝"が木葉詠真さんに喧嘩を売りまして……どこか戦闘を行える広い場所は無いかと……」
『宮殿』メンバーは互いに顔を見合わせると、吹き出した様に笑い声を上げた。
朱雀が何処からか取り出した黒い扇子を広げて口元を当てる。
「其方の眷属達は面白いのぉ。白蛇、下に何かあったであろう」
「バーチャルルームですね。確かにあそこなら十分な広さと強度を兼ね備えています」
「バーチャルルーム、ですか?」
「はい。全十階層を抜いた空間で、仮想敵や様々な場所をシュミレートできる訓練場です。長年使用していませんでしたが、そこの使用許可を出しましょう」
☆☆☆☆
「ほー、成長かぁ」
詠嘆したのは磯島上利だ。
『零九研究所』二階にある鉄に囲まれた実験室では、詠真の超能力『四大元素』に発生した、能力の成長について検査が行われていた。検査と言っても、詠真が新しく出来る様になった力を披露し、それを上利が記録していくだけ。
検証など様々な事は、後日時間をかけてゆっくり行われていくのだ。
「ふむふむ。地水火風の内、『水』の力のみが成長したって訳だね」
「今把握しているのはそれだけだな」
部屋の隅に置かれたPC端末と向き合ってブツブツと呟いている上利を横目に、詠真は自分の掌を見つめた。
『四大元素』。
この能力を簡単に説明してしまえば、地水火風を自在に操る事が出来る能力だ。
だが詳しく説明すると、それなりに制限がある事が分かる。
まずは『地』だ。
『地』は脳内で鮮明にイメージした物を土、石、岩で構成し呼び出す事が出来る。しかし呼び出す際には、自分の視界に映る範囲にある、何かしらの物体を仲介しなければならない。
例えば壁や床。壁から土柱、石柱、岩柱を出現させたり、岩の剣を呼び出す時には、床に能力を使用する事で、床から岩の剣を引き抜いたりできる。
他にも物体ならば大抵のモノから呼び出す事は可能だが、何もない空中や、自分を含めた人間の体、他生物から呼び出す事は出来ない。
呼び出す大きさと質量に限定はないが、大きく、重くなるにつれ、構成速度が遅くなり、制御が難しく崩壊を起こしてしまうこともある。
次に『水』だ。
『水』を呼び出すには、自分の周囲3メートル以内である事が条件だ。だが一度呼び出してしまえば、自分を中心とした50メートル圏内で自由自在に操る事ができる。
能力以外で、既に存在している水を操った場合は、視界に映る限り全てが水の操作範囲内になる。
能力による水、それ以外で既に存在する水、そのどちらに限らず、水温を100度から1度まで上げ下げする事が出来たが、アーロンとの戦闘後、水の温度をマイナス値まで下げることができるようになっていた。
それは実質、第五の力『氷』を操れるようになったと言えるだろう。
ただ、生物の体内干渉はできない。
例えば血を沸騰させたり、体内の水分を操ったりは出来ないと言う事だ。
三つは『火』。
まずは『火』は、摂氏5000度までの炎を呼び出すことができ、自分はその温度の影響を受けない。
『水』と同様、自分の体の周囲にのみ呼び出す事が出来、イメージしたモノは火で形作ることができる。ただし質量がないため、あくまで炎だ。
そしてこれも『水』同様で、能力で呼び出した炎は、体から50m離れると操作を失い、掻き消えてしまう。
能力以外で発生した火ならば距離条件を無視して操ることができるが、自分は温度の影響を受けてしまう。
最後は『風』だ。
『風』は、空気、大気が存在する場所ならば、無風であろうと自由自在に風を増幅して操る事が出来る。
『四大元素』で唯一、わざわざ呼び出す必要がない力。詠真が最も使用する力でとある。
操作する風を緻密に計算する事で、竜巻を応用して空を飛ぶ事も可能。
これら『四大元素』を使用するに際して、使用する力によって身体的変化、瞳の色が変化する。
『地』は茶色、『水』は青、『火』は赤、『風』は緑。
二つの同時発動をした場合は、虹彩異色、つまりはオッドアイと呼ばれる見た目になる。
なおかつ、三つ以上の同時発動は出来ない。
いや、出来ない訳ではないのだ。
アーロンとの戦闘の際、詠真自身の記憶は欠落しているが、確かに四つの同時発動を成功させてはいる。
先刻の戦争にしても、無意識の内に三つの同時発動は成っていた。
だがそれっきりだ。
詰まる所、現状はやはり二つ同時発動が限界の様だ。
これが木葉詠真の持つ超能力、『四大元素』の全てだ。
厳密には、木葉詠真が理解し把握している『四大元素』の全てだ。
自分の力でありながら、その全容を理解出来る訳ではない。これは殆どの超能力者に当てはまる事だろう。
不意に、上利が叫び出した。
「あー! もー! ますます謎が深まった!」
まるで俺が悪いみたいな言い方すんなよ、と心の中で愚痴りながら、詠真はうーーんと背伸びをする。
「まぁ、あれだろ。俺に限らず超能力そのものが謎に満ちてんだ、所長一人でどうこうなる物でもないって」
「それはそうだが……」
詠真は上利の肩を叩くと、「まぁ頑張って」と無感情の声で鼓舞し、実験室を後にするため出口へ向かう。上利はPCと睨めっこしながら、詠真に言う。
「あー、今回の追加報酬は後で口座に入れとくなー」
「いくらー?」
「うーん、そうだなぁ……三百あれば当分足りるー?」
三百円ではない。
三百万である。
「十分足りるよ。てかよくそんな大金出せるよな……」
「『零九研究所』だからな。気を付けて帰れよー」
ーー何に気を付けるんだよ。
そんな事を呟きながら、居候に不自由ない暮らしをさせる為に必要な生活費を稼いだ温厚な家主は帰宅する。




