終章『勝ち取った報酬』
梅雨に入り、湿気のせいじめっとした嫌な暑さがあった。
詠真は雨が嫌いだ。雨になると憂鬱な気分になるし、何より昔の事を思い出す。だがこのまま家にこもっていても仕方ないため、詠真は傘を持って外へ出た。向かうのは『神殿の柱』だ。が、そこへ行くにはとりあえず港へ向かう必要がある。
「雨止まねぇかなぁ」
『水』を操る超能力者の言葉とは思えない。それほど雨が嫌いだと言うことだろう。詠真は重い足取りで駅へ向かい、港がある十六区行きの電車に乗り込む。
「ママー、雨いっぱい」
「止んだら、外でいっぱい遊びましょうね」
詠真はその光景を微笑ましく思った。
天宮島にやってくる超能力者の殆どは、親に捨てられ路頭に迷った所を拾われた者達だ。故に家族はいない。
だが例外がある。それは、天宮島に住む者同士が結婚し、子供を産んだ場合だ。天宮島で産まれた子供は、超能力者であろうとなかろうと、総じてこの島の住民になる事ができる。超能力同士からは超能力者が多く産まれる、という事は全くないらしく、産まれてくる殆どが超能力を持たない人間だ。そういった子供は"無能力者"と言い、親がいる。彼らは超能力に偏見を持たずに育ち、この島で暮らしていくのだ。
『外』の人間に憎悪を持つのが超能力者だが、この島で産まれた"無能力者"はその対象には入らない。
しかし、二週間前に起きた『外』との戦争により、"無能力者"は少なからず怯えを見せていた。
現在はその怯えを取り除くために、超能力者が集まる学校と無能力者が集まる学校の交流が盛んに行われている。
「……戦争、か」
詠真は戦争中の事をハッキリと覚えている。憎悪に飲まれ、『外』の人間を次々に虐殺していく自分の姿。
罪悪感などはない。むしろ誇りに思っている。この島を、大切な人を今度こそ守ることができたから。『神殿の柱』へ向かっているのも、その戦争の報酬を受け取りにいくためだ。
ただ、疑問に思っていた。
超能力とは何のために存在する力なのか。今更の疑問であり、元々持っていた疑問ではある。
それに、考えて分かる事じゃない。故にこそ、詠真は求めるのだーーアーロン・サナトエルを。
詠真が天宮島政府に要求する報酬は、島外への移動の自由化である。一度天宮島入った超能力者は、基本的には『外』へ行くことはない。意識的にもだが、天宮島の法律で決められている事でもある。
『外』に出るということは、亡命行為であると見なされ、金輪際島への入国は禁じられる。実際その法律が機能した事はないが、法律は法律だ。
詠真はその法律から自分を切り離してもらう事を報酬とするつもりでいた。承諾されるかは分からないが、承諾させるしかない。
詠真は強い意志を持ち、十六区で電車を降り、港へ向かった。
その道中。
「あ、詠真さん」
サフィールと鈴奈の二人に出会した。
「ちょうど良かったわ、ご飯でも食べに行きましょう」
「は? いや、俺これから」
「いいからくるのー!」
「行きましょう、詠真さん」
☆☆☆☆
少女二人に無理やりファミレスに連れて来られた詠真は、口に運ぼうとしていたハンバーグをフォークごと落とした。
カチャンと金属音が鳴り、詠真は今一度聞き返した。
「いま、何て?」
だーかーらー、と鈴奈は言い聞かせるように言う。
「今日からサフィールちゃんもウチで暮らす事になったって言ってるの」
「いやいやいや、待て待て待て。そもそもお前の家じゃないし、俺の家だし」
「何よ、ダメって言うの?」
鈴奈は半眼で詠真を睨みつける。
「だめとかそういう事じゃなく……」とサフィールに視線を移した詠真は、何とも言えない気持ちになった。
まるで希望を折られ絶望した様な顔。どうしてそこまで落ち込めるのかがまず分からないが、サフィールにとってはそれ程の事なのだろう。
どうやら鈴奈の独断ではなく、サフィールの気持ちがあった上で、鈴奈が勝手に許可したという所か。
「……とりあえず、理由はなんなんだ?」
サフィールは一転、目をキラキラさせて話し始める。
「はい! 私、鈴奈さんと詠真さんの強さに惚れてしまって、お二人の側に居たいと思ったのです! だから、その、戦争報酬に……木葉詠真さん、舞川鈴奈さんの二人と暮らしたいってお願いしたんです。そしたら、鈴奈さんがイイよって言ってくれて……その……」
どんどん萎んでいくブロンド髪の少女。鈴奈が意地悪そうな顔で、「あ、泣かしたんじゃない?」と詠真を責める。
だが詠真は真剣な目でサフィールの事を見つめた。
ーーあぁ、まただ。
詠真はまた重ねてしまった。
サフィールと英奈を。同じ歳の少女だから、自分を慕ってくれてるから。たったそれだけなのに、また重ねてしまう。
このままでは全ての少女を英奈と重ねてしまうのではないかと言う、犯罪予備軍に入りかねない精神状態。
詠真は落としたフォークを拾う。
「……サフィールの家は何区だ?」
「え、えと、七区です……」
「そうか。じゃ今から七区行くか……サフィールの荷物をウチに運ぶぞ」
ガシャンッ! と音がするや否や、サフィールが詠真に飛びついていた。心底嬉しそうな顔で、
「ありがとうございます、詠真さん」
この笑顔には勝てそうにない。詠真は心から思った。鈴奈はしたり顔で微笑むと、騒ぎになる前にサフィールを剥がして隣に座らせる。
それとね、と鈴奈は言う。
「君の報酬なんだけど、一応私から『宮殿』に伝えておいたわ」
いつの間に俺の考えを、とツッコミたくなるのを抑える。
「そしたら、現在は許可できない。が、今後の状況次第では考慮する。だって」
「……なるほどね」
詠真は腕を組んで唸る。
「まぁとりあえず、今はそれで納得しとくしかねぇな」
あのー、とサフィールが尋ねる。
「パレスってなんですか?」
「そうねぇ、ここじゃ言えないからウチに帰ったらね。勿論、私達の」
「言うのかよ……」
詠真はじゃれつく少女二人を眺めながら、残りのハンバーグを口に運こぶ。
ふと、思う。
ーーまるで親子みたいだ。
詠真と鈴奈が両親で、サフィールが娘。親子三人でファミレスで食事をし、親子三人で暖かい家に帰る。
(普通の幸せな家庭を持つ親の気持ちって、こんな感じなのかな)
「なーに笑ってるの?」
「……何でもねぇよ。よろしくな、サフィール」
「はい! 詠真お兄ちゃん!」
「お、おにい……!?」
詠真はその手で勝ち取った日常、暖かさに、今は身を委ねることにした。今はまだ動けない。だが、いずれ必ず動く。アーロン・サナトエルを見つけ出し、彼の技術を頼りに『異世界』へ赴くため。そこで大切な人を取り戻すため。
そしてーー自分たちの存在理由を知るために。
彼の瞳の奥で、赤い十字架が煌いた。
《人間を否定する人間編 完》




