『鈴が鳴り、木葉が落ちる』
木葉詠真と舞川鈴奈は、前方に姿を現した敵軍を静かに睨みつけていた。現れた敵戦力は、四隻の軍艦。一際大きな一隻を守るように、一回り小さな三隻が前左右に配置されている。白蛇の戦力予想通りであれば、大きな戦艦が航空母艦、他の三隻がイージス艦だろう。四隻の軍艦は、二人から大きく距離を離して動きを止めている。
既にミサイルの射程圏内。
そう判断した二人は完全に臨戦態勢に入っており、頭の中では様々な状況での戦闘イメージを描いてる。
先に動き出したのは、米露連合軍だ。
航空母艦の甲板から十の黒い影が離艦し、海面を滑空。
二人へと距離を詰めてきた。
詠真が目を細めて言う。
「あれが、例のロボットか」
十の黒い影は"敵"がその場から動かない事を警戒してか、百メートルほど離れた海面で停止。
二人はその姿をはっきりと視認する。
立方体や直方体の黒いパーツを組み合わせただけのような無骨なロボット。ブリーフィングの際に白蛇から説明があった、ロシアが誇る有人型四脚駆動兵器"エグザクター"でまず間違いないだろう。
更に白蛇の情報と照らし合わせる。"エグザクター"が手に持っているのは、恐らくマシンガン。背に背負っているのは、副装のライフルとバスターソードか。
その数は十体。
詠真は本音を口にした。
「やべぇ、俺びびってるわ」
それは感じて然るべき恐怖。いくら『外』の世界に憎悪を持っていようと、憎しみから人間を殺した事があろうと、戦争という《殺》に満ちた戦場に身を投じたことは当然初めてだ。ましてや、このような破壊を目的とした兵器と相まみえたことなんてある訳がない。
先の事件で戦ったアーロン・サナトエルも相当なものだったが、あれはあくまで対人間戦である。
しかし今回の相手は、人間など一瞬の内に殺すことが出来る殺戮兵器。化物じみた人間を相手にする時とは、また少し違ったプレッシャーがある。
本番を前にして萎縮してしまっている詠真を案じた鈴奈は、ある事を思いついて"拡声魔法"を発動した。
「あー、あー。えっと、ロボットの中にいる軍人さん、この声が聞こえているかしら? 聞こえている事を前提に言わせてもらうわね。あー、単刀直入に、そっちの十機の内、五機だけこの場を素通りさせてあげるわ。まぁ信じる信じないはそっちの勝手なんだけど、こんな所で無駄に時間潰したいなら、応じてもらわなくて結構よ」
突然の行動に困惑している詠真だが、一分程経過した所で動きがあった。
前方に展開している十機の"エグザクター"の内、五機がスラスターを大きく噴出させ、そのまま二人の側を素通りしていく。その先にあるのは三基。
「お、おい」
「これで相手の数は五機。ちょっとはマシになったでしょ?」
「いやまぁ、そうだけど。……よく、こうも簡単に乗らせたな」
「そりゃ、あのロボットだって無限に動くわけじゃないでしょ。しかも海面だと常にスラスターを起動しなきゃいけないし、推進剤だって有限なわけ。さっさと陸地で歩きたいでしょ?」
「……なるほどね」
「理解したなら感謝することね」
「へいへい。……でもまぁ、悠長に話してる時間も終わりかな」
五機の"エグザクター"はマシンガンを構え、照準をこちらへ据えている。奴らのリーダーが合図を出せばマシンガンは火を吹くことだろう。
「そうね。じゃここは任せるわ。私はあっちを殺るから」
鈴奈の指が示したのは"エグザクター"の後方に展開する四隻の軍艦。
詠真は心配そうに眉を下げる。
「一人でやれんのか?」
「まぁ私の力を信じなさい。君はロボットを担当、私は軍艦担当。頑張って」
鈴奈は軽く微笑むと、氷翼が激しく空気を叩く。風を切る音だけを残し、凄まじい速度で"エグザクター"の側を駆け抜け四隻の軍艦へと一直線に飛び去った。
追うことが無理だと判断したのか、"エグザクター"の意識は全て詠真の方へと向けられている。
詠真は嘆息した。
「殺る気満々って感じだな。……変わんねぇな、本当に変わんねぇよお前ら『外』の連中は。ーーぶっ殺してェくらいに、大ッ嫌いだぜ」
詠真の中から不安が消えていた。厳密に言えば、憎悪が不安を塗り替えていた。なおかつ、気持ちは極めて落ち着いている。最高のコンディションにして、海上と言う最高の戦場が、詠真の心を静かに昂らせ、黒く燃やしていく。
直感で感じた。
ーー来る。
直後、"エグザクター"が構えるマシンガンが凶悪な音を伴って激しく火を吹いた。
詠真は背に接続した四つの竜巻を解除。足元の海面が半円状に抉られ、詠真はその場で浮遊。そこに死の弾丸が一斉に迫り来る。
瞬間。
詠真の一メートルほど手前で、全ての弾丸が明後日の方向へと弾き飛ばされた。状況に追いついていない"エグザクター"の搭乗者による射撃が続くが、それら全てが詠真に届くことはなかった。
「そうだな、『纏球乱気流』とでも呼べは必殺技っぽいか?」
余裕の笑みを浮かべる詠真の周囲に渦巻いているのは、激しく乱れる高密度の乱気流だ。球状に展開された乱気流は、飛行こそできないが、浮遊能力を持った堅牢な風の球状防御層である。
「それ、壊すぞ」
詠真はゆっくりと掌を翳す。"エグザクター"が滞空する場所の海面が揺らめき、次の瞬間、海面から凄まじい速度を伴った水流が無数に撃ち出された。超速で発射された水流は凶悪な切れ味を持つウォーターカッターとなり、五機全てのマシンガンを貫く。"エグザクター"が暴発寸前のマシンガンを宙に投げ捨て、連鎖爆発。爆煙が視界を遮り、両者の姿は視認できなくなった。
その直後だ。
『纏球乱気流』と命名した球状防御層を破った弾丸が、詠真の頬を掠めた。ジュッッッと嫌な音がし、弾丸の摩擦と衝撃波で詠真の頬には爛れたような火傷が形成される。
「……ライフルかッ!」
詠真は纏球乱気流を解除し、背に竜巻を接続して空高く舞い上がった。爆煙が晴れると、"エグザクター"が構えるライフルの照準が詠真へピタリと据えられていた。マシンガンとは異なる凶悪な音と共に、鋭い貫通性を持った弾丸が放たれる。詠真は突如急降下して弾丸を躱すと、竜巻を増幅させて"エグザクター"の周囲を高速旋回。漆黒の駆動兵器は照準を定めることができず、ライフルの弾丸は空を穿つばかり。
詠真は頃合いを見て、緊急停止。ライフルの照準が定まるより先に、大きく右腕を振り上げる。海面が巨大な間欠泉の如く噴き上がり、五機の"エグザクター"は海面噴出に巻き込まれ、飲み込まれた。
ーー瞬間。
まるで芸術的な噴水オブジェクトの様に、噴き上げられた海水は"エグザクター"諸共完全に凍結した。
「ふぅ……上手くいったな」
詠真は巨大な凍結噴水オブジェクトを眺めて、額の汗を拭った。
本来、詠真の持つ『四大元素』第二の力『水』は、水を自由自在操る上で、水温を最低一度まで下げることもできる能力だった。だが、アーロン・サナトエルとの戦闘を経た後、何故か水温をマイナスの領域まで下げることが可能になっていた。
初めて感じた能力の成長だ。
フッと短く息を吐き、
「擬似的に氷を操ることができる力、『四大元素』第五の力『氷』。お前らにゃ凍死がお似合いだよ」
新たな力に確かな手応えを感じた詠真は、鈴奈の元へ駆けつけようと考えたがあえてそれをせず、三基へと向かった残る五機を追いかける事にした。
信じろという言葉を、信じて。
「まぁ、サフィールが既に終わらせてる可能性もあるけどな」
詠真は苦笑しながら、美しくも醜悪な氷のオブジェクトに背を向けた。竜巻を増幅させ、その場から離脱しようとした時だった。
ーー詠真の右脇腹を、背後から"何か"が貫いた。
一瞬遅れて、焼ける様な激痛が体を駆け抜ける。視線を落としてみると、脇腹を貫いているのは赤い光。
ーーレーザービームだった。
詠真はゆっくりと振り返る。赤いレーザービームは、氷のオブジェクトの中、一機の"エグザクター"から真っ直ぐ自分の脇腹へと伸びていた。
口の端から赤い液体が零れ、レーザービームはふっと掻き消える。傷口からは止めどない血が溢れ、粘ついた赤黒い液体が口から吐かれた。意識が朦朧になる。焼ける様な痛みを感じながら、冷たくなっていく体の感覚に手足が震えた。
背に接続した竜巻は霧散。鮮やかな色を放っていた瞳は黒へと戻り、木葉詠真はゆっくりと倒れ込んだ。
冷たく、深い海の底へと。
☆★☆★
いくら魔法使いである鈴奈とて、科学で作られた大型兵器と戦った経験はない。魔法使いが戦闘を行う時は、殆どが『陰陽師』と衝突した時である。
それでも彼女は"たかが軍艦程度"と捉えており、現実、氷翼を伴った鈴奈は余裕の表情を浮かべて、ミサイルや砲撃の雨を舞う様に躱していた。
兵装の薄い航空母艦だけなら未だしも、イージス艦三隻から放たれる攻撃さえ、彼女にとっては取るに足らない、所詮は"持たざる者"の悪足掻きに過ぎない。
そして鈴奈は、ただ爆撃の雨を躱しているだけではなかった。
軍艦に乗り込んでいる軍人には見えることはないだろう艦の上空には、イージス艦二隻を覆う巨大な円が形成されつつあった。巨大な円は青い輝きを放ち、奇怪な文字と紋様が描き出されている。鈴奈が空を縦横無尽に翔ける度に、巨大な円は少しずつ完成への刻を刻み、終焉への歩を進める。
鈴奈は童話で出てくる妖精の様に舞いながら、誰に聞かせるでもなく、淡々と言葉を紡いで行く。
「ごめんなさい。私は『命』を軽んじる気は全くないのだけど、これも任務だから仕方が無いのよね」
錐揉み回転をしながら左右から迫るミサイルを、そこから急上昇して砲撃を躱し、なおも舞い続ける。
「まぁ……それにね、貴方達"持たざる者"はこんな物騒なモノまで引っ張りだして……超能力者を殺すことに躊躇いはないんでしょ?」
一度緊急停止。間髪入れず氷翼が空気を叩き、直進から急降下。
鈴奈は口元に手を当てて微笑。
「ふふ、そうね……こんな言葉があるわ。ーー殺す覚悟を持つのなら、殺される覚悟も持って然るべきだ……ってね」
一層空高くへ舞い上がった鈴奈の足元には、超巨大な青い魔方陣が既に完成し、強い輝きを放っていた。
この異変に気付いたのか、四隻からの攻撃が嘘の様に静まり返った。
恐れを抱き、振り翳す手を止めてしまうことは、戦争という戦場において最もやってはならないことだ。
鈴奈は薄く笑う。
魔方陣で設計図を立て、魔力で骨と肉を作った。そして最後に、それらを完全に具象化するための詠唱が鈴奈の小さな唇から紡がれる。
「示される彼の道標。試される己の魂。堕とされる氷華の獄。かくして訪れるは時の終わりと代の始まり。祖が定めし三様の理、一様の真理。侵し守れぬ矮小なる弱者よーーここを貴公の墓場としようーー……」
空に描き出された超巨大な青の魔法陣から、まさに"氷山の一角"と評すに相応しき巨大な氷塊が姿を現した。
四隻の軍艦は搭載する兵装の全弾発射にて氷塊の破壊を試みるモノの、氷塊は欠片すら崩れることはない。
魔法に科学など、通用しない。
冷たく、絶対零度たく、最後の言葉が響き渡る。
「堕ちろーー『封獄大紅蓮氷華』」
魔方陣が視界を遮るほど輝きを放ち、一角に過ぎなかった氷山が全ての姿を現して、イージス艦の二隻を押し潰した。続いて爆発が起こり、海は燃え、鉄は燃え、二隻のイージス艦は中の軍人と共に海の藻屑へと消え去って行く。
恐ろしい"力"を目の当たりにした米露連合軍は、残る一隻のイージス艦と航空母艦の全砲門による一斉射撃を再開。
直後、鈴奈を守るように無数の魔法陣が周囲に展開、ミサイル、砲弾の一つ一つを的確に防御し、更にそれら全ての弾丸が180度回転。
まるで、舞川鈴奈という大戦艦から放たれるが如く、全てミサイルと砲弾が、二隻の軍艦へ凶悪に牙を向いた。
凄まじい衝突音、爆発、爆炎、聞こえぬ悲鳴が鎮魂歌を奏でる。
ーー鈴奈は大きく右腕を振り上げた。
「ーー九つの世界、第三層
我が生きるは闇冷の世界
我が振るうは絶刃の神剣
凍氷纏いし災禍の慈悲で
此方を阻む罪禍を祓おう
死に逝く腕で千の太刀を」」
掌に展開された魔方陣から出現したのは、美しくも禍々しい大気すら凍るような、天を貫く氷の巨大剣。
鈴奈は"それ"を両手で掴む。
そして躊躇せず、鎮魂歌演奏終了へ残された最後の指揮を振るうように、一気に振り下ろした。
「『神氷剣・冥府断罪』」
柔らかく積もった雪を手で払う様にあっさりと、二隻の軍艦は腹から一刀両断され、紅蓮を巻き上げて大爆発した。『神氷剣・冥府断罪』はスーッと消えて行き、米国が誇る四隻の軍艦がたった一人の少女によって完膚なきまでに沈められた瞬間だった。
「ふぅ、呆気ない物ね」
軽く一息吐いた鈴奈は、詠真の様子を見に行くために戻った。そこには氷で作られた巨大な噴水オブジェクトが建設されており、その中には五機の"エグザクター"が氷漬けになって封印されていた。
しかし、詠真の姿がない。
「あー、残りの五機を追いかけたのかしら……え?」
鈴奈は足元に異変を感じ、嫌な予感に苛まれながらも、視線を下げた。……海水に赤い水が混じっている。
ーー血だ。
「……まさかッ!」
鈴奈は自身に"身体強化魔法"を幾重にも重ねがけ、氷翼で空気を、水を叩いて、海の中へ弾丸の如く潜水していく。
(……見つけた……ッ!)
日の射し込みが少ない暗い海中で、鈴奈の視界に映り込んだのは赤い尾を引いて海の底へ沈んでいく一人の少年の姿。
詠真だ。彼は意識を失っているようで、能力も発動していない。ただ力なく、海の底へと旅立ち始めている。
当然このままでは水圧に潰されてしまい、死に至る。鈴奈は海中で更に加速し、なんとか追い付いた詠真の身体を抱きかかえて海面へ急速浮上した。
陸地に運ぶ間も惜しく、海面を凍らせて詠真の身体を寝かす。水を吸った制服を脱がすと、右脇腹に五センチに及ぶ円形の貫通傷があることを確認、直ちに回復魔法を施した。
「焼かれた後……レーザーか何かを使われたのね……」
貫通している以上、内臓もやられていることは確実だ。それでは、魔法の治癒にも少し時間がかかる。
心拍を確認するが、止まっている。鈴奈は頬にも負っている火傷に回復魔法をかけ、詠真に心臓マッサージを施した。
「帰って……こい……ッ!」
心臓マッサージを施して数分、ゴハッ! と血混じりの海水を吐き出し、詠真の心臓は再び鼓動を始める。
依然顔色は酷く悪いものの、心拍、脈拍共に正常へと戻って行き、鈴奈はほっと胸を撫で下ろした。
「全く……心配させないでよね……」




