『開戦への刻』
ーーアメリカ大統領ジョー・アクシズの天宮島へ向けた演説から六日。
ーー天宮島にて戦争へのブリーフィングが行われてから二日。
ーーつまり、戦争開戦の前日。
舞川鈴奈は『神殿の柱』へ来ていた。
「お、ちゃんと来たな」
言ったのは、茶色の短髪にピョコピョコと動くケモノ耳を生やし、横にスリットの入った丈の短いボディコンシャスな黒ワンピース姿の少女。
天宮島政府最上層部『宮殿』を構成するメンバーの一人、ネコだ。
ネコは花畑の中央に聳え立つ『神殿の柱』に背を預けながら微笑。
鈴奈は心底怠そうな表情を浮かべながらネコに尋ねた。
「わざわざ呼びつけて何の用かしら?」
ネコは「まぁ待てよ」と言うと、手に持っていた可愛らしいピンクのポーチから何かを取り出し、鈴奈に差し出した。
「……何?」
「この小さな箱に入ってんのは、視界データをキャプチャできるコンタクトレンズだ」
「何でそんな物を私に?」
「お前は何何何うるさい女だな。細かい女はモテねぇぞ」
「余計なお世話よ。どうでもいいから、理由を教えなさい」
ネコは溜息を吐いて肩を竦めた。
本格的にモテねぇぞお前……まぁいいや、と呟いて続ける。
「お前が報告した中に、木葉詠真が別人に見えたってあったろ? 今回もそれがあった時のために、視界データをはっきりと撮っておきたい」
鈴奈は思い出す。
アーロン・サナトエルとの戦闘の終盤、自身が『無慈悲氷狼』となって最後の斥力防御を破ろうとした時の事だ。
(『封解顕現』時はあまり周りの状況は把握できないし、強力な力の反動からか記憶も曖昧。でもあの時、水と炎の剣を振り下ろした時の彼は……)
ーー聖皇様に似ていた。
それは直感で感じたモノだった。美しくも儚く、それでいて強く気高い聖皇ソフィア・ルル・ホーリーロードの雰囲気に酷似していた。それ以上の事は何も分からないが、鈴奈はあの時の詠真が、まるで別人の様に見えていた。
「……私の見間違いかもしれないのに?」
「それでもだ」
ネコは真剣な目で即答した。
彼女の放つ目に見えないプレッシャーに、鈴奈は一歩後退りそうになるのを何とか抑える。これだから『宮殿』のメンバーと会うのは嫌なんだ、そう零たくなる。聖皇様に言われずとも、鈴奈は『宮殿』は危険な存在だと判断していた。
(こんなの相手にスパイなんて……まぁ、やるしかないけど)
鈴奈は気を引き締め直す。
ネコが言葉を続ける。
「ちなみに、この事は木葉詠真には一切秘匿だ。奴が"別人"になるトリガーが何か分からない以上、奴には自然体でいてもらう必要がある」
「……分かったわ」
鈴奈は正直の所、気が進まない。詠真を騙す様な形で『宮殿』に協力するという事は、彼をより危険な状況に落とし込む事になるかもしれない。だが自分がこの島に滞在し続けるには『宮殿』の犬になるしかない。
ふと気付く。
彼の危険より、自分の欲求を優先してしまっている事に。気付いてもなお、この島に居たい、彼の隣に居たいと思う自分が間違っているのか、間違っていないのか。そんなもの前者に決まっている。
ーー否。
仮に自分がルーンへ帰ったとして、彼を『宮殿』から守れるのは誰だ。彼なら自分でもどうにかするかもしれない。だけどできないかもしれない。
そんな時、誰が彼を助ける?
(……私でしょ)
鈴奈は改めて決意する。
ーー木葉詠真は私が守る。
鈴奈はネコが差し出した小さな箱を受け取り、制服のポケットに仕舞う。
するとネコはポーチから紙切れを取り出した。
「これは私の連絡先だ。まぁ何かあったら気軽に連絡寄越せよ」
「一体どういう風の吹き回しかしら」
「気分だ気分。ほら、受け取ったらさっさと帰れ帰れ」
「フンッ、言われなくても」
鈴奈はネコの連絡先が書かれた紙切れを雑に受け取ると、背に氷の翼を生やしてその場を飛び去った。空を舞う魔法使いのスカートから覗く綺麗なパンツを眺め、ネコはボソリと呟いた。
「……奴を守れるのはお前だけだよ」
☆☆☆☆
六月十二日、木曜日。天気は快晴。
なんてことない、いつも通りの日常。
その日常の、午前九時。
世界中で、とある映像が生配信された。
画面に映るのは、黒いスーツを着た彫りの深い顔の黒人男性。
米国大統領ジョー・アクシズ。
ジョーは全世界へ向けて、高らかに、憎悪を剥き出しにして告げた。
『この時刻を持って、我々が天宮島へ与えた一週間の猶予が尽きた。それは即ち、天宮島は我々人間へ科学力を返還する気がないと言うことだ。誠に遺憾ではあるが、致し方ない。我々米露連合軍は人間を代表し、これより天宮島へ実力行使を開始する。これは戦争であり、我々人間の威信、歴史、尊厳をかけた、世界が再び一つになるための誇りある戦である‼︎‼︎‼︎ 私はここに誓おう、必ずやあの忌まわしき天宮島を、超能力者共をひれ伏せさせる事を‼︎‼︎‼︎』
その開戦布告は天宮島でも配信されていた。だが米国大統領の開戦布告が終了した直後、天宮島でのみ新たな布告が配信された。画面に現れたのは、中年の大柄な男性。
天宮島総理大臣、漣染次郎。
漣は落ち着きを払った顔で、国民に向け静かに話し始めた。
『突然の戦争開戦の布告に、国民の皆様は驚き、不安に駆られている事でしょう。しかし、心配することはありません。この戦争は、我々天宮島が勝利する事を約束しましょう。皆様には、これを見て頂きたい』
映像が切り替わり、映し出されたのは画面を四分割にした映像だ。
一つは、灰色の髪をした黒い制服の少年。
一つは、赤い着物を着た黒髪の女性。
一つは、共に純白の制服を着た二人の少年少女。
一つは、ドレスを纏った少女と青いジャージの男性。
更に画面は別の場所に切り替わる。
一つは、眼鏡をかけた白いスーツの男性。
一つは、丈の短い黒いチャイナ服に似た服を着た少女。
一つは、グレーのスーツを着こなした長身の男性。
一つは、ブロンドの髪にゴスロリ調の服を着た少女。
画面は漣染次郎へと戻る。
「今見て頂いた彼らこそが、我々天宮島政府が協力を要請した超能力者です。彼らなら、間違いなくこの戦争を勝利へと導いてくれるでしょう。ですから皆様はご安心して、各地に設けられた地下シェルターへと避難してくだい。焦らずゆっくりで大丈夫ですので、暴動が起きぬよう、怪我をせぬよう、協力し合って、地下シェルターへ避難してくだい。次に皆様の元に、この漣染次郎の顔、声が届いた時こそ、我々が勝利した時でございます。どうか皆様、戦場にて命をかける彼らを信じてあげてください」
漣は一礼し、画面には『焦らずゆっくり地下シェルターへ避難してくだい』のテロップが流れ始めた。
☆☆☆☆
天宮島南東。学生区、一般居住区が密集する三基を背にし洋上で待機する二人の少年少女は、未だ現れない敵に退屈の溜息を漏らしていた。背に四つの小さな竜巻を接続した少年、木葉詠真が腕を組んで呟く。
「避難命令から三時間くらい経ったけど、もう避難完了してっかな」
「二時間で完了するほどには地下シェルターがたくさんあるって言ったの、君でしょ? 」
答えたのは、背に一対の氷翼を生やした少女、舞川鈴奈だ。鈴奈は潮風に揺れる髪を手で押さえながら、遥か水平線の向こうに望む小さな影を見据えた。
「ようやく見えてきたわね」
「うーん、あれじゃまだ時間かかるな」
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天宮島北東。宇宙、航空関連施設や港が設けられた島の入り口である五基を背に、洋上に止まったクルーザーの上で寛ぐ二人の男女がいた。
「遅い……」
少し苛立った様子で呟いたのは、太ももを撫でる銀髪に紫紺の瞳を持った綺麗な顔立ちの少女だ。少女は白と黒を基調にしたノースリーブタイプのドレスを纏っており、王室育ちのお姫様の様な高貴な雰囲気を持っている。
そんな彼女の名前は、ロゼッタ・リリエル。
ロゼッタの苛立ちの矛先は、隣に控える男性へ。
「しかも、どうしてこのような殿方とご一緒しなくてはならないのです……」
このようなとは、隣に控える男性の、青いジャージにもっさりとした茶髪、無精髭を生やした覇気の見られない顔の事を指していた。
男の名前は、ヨハネス・シェイト。
ヨハネスは苦笑いを浮かべて謝った。
「いやぁ、なんかごめんね。僕、これでも教師やってるんだ」
「教師ィ!? まぁそんなだらしの無い見た目で教師なんて勤まりますのね。それならアリにやらせる方が何十倍も良くってよ」
ロゼッタの罵りに、何かが目覚めそうなヨハネスは水平線に現れた小さな影を眠そうな両眼で捉えた。
「来たようだね」
「……ですわね」
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天宮島北西。天宮島政府に関係する建物のみがある政府区と呼ばれる二基を背に、洋上に待機するクルーザーの上で、大きな欠伸をした少年が吐き捨てた。
「遅っせぇなぁ、糞が」
言葉の悪さも去ることながら、灰色の髪をオールバックにし眉毛を全て剃った厳つい風貌が相まって、素行が悪い不良というイメージがどうして付いてしまう。
実際、彼は素行が悪い。
第三区の学生に、「灰爽由罪を知ってるか?」と聞くと、総じて「知ってるけど関わらない方がいい」と言わしめる程には、よく問題を起こす問題児だ。問題の殆どが由罪の短気から来る喧嘩である。
由罪はビーチチェアに座り込むと、水平線に現れた影を見て強く舌打ちをした。
「やっとかよ。俺を待たせた分、最ッ高に苦しませてやらァ」
☆☆☆☆
天宮島南西。天宮島経済を担う大多数の会社や繁華街で構成される商業区の四基を背にするのは、足元に黒い炎を灯し、水面に仁王立ちする赤い着物を纏う女性。着物は着崩されており、肩や豊満な胸元が大胆に露出している。長く艶やかな黒髪が露出した肌を艶かしくなぞっていた。彼女を成す一つ一つのパーツから妖艶さが滲み出ており、まさに花魁と呼ぶべき至高の女性と言える。
彼女の、分厚く潤いのある薔薇のように赤い唇がゆっくりと開いた。
「妾が力を振るうのはいつ以来であろうか。恩師が健在であった頃以来かのぉ」
妖しくに微笑む彼女の名前は、紅桜朱雀。
天宮島政府最上層部『宮殿』を構成する五人のメンバーの一人である。彼女のみ、ブリーフィングには参加していなかったが、直前に軽い顔合わせはしている。
無論、立場は伏せている。
そんな朱雀は久しく味わう高揚感に、胸を精神的にも物理的にも踊らせ、静かに敵を待つ。
水平線の彼方に影が見え始め、朱雀の高揚感を表すが如く、足元の黒い炎が水面を覆うように燃え上がった。
「ククク、塵芥も逃さぬぞ」
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戦争に参加した超能力者は計十人。
二基、三基、四基、五基の外に割り振られた六人に対し、各基の中の守護を担当するのが残りの四人である。
二基を担当するのは、眼鏡をかけた細身の白スーツの男、鬼亀杜白蛇。白蛇は天宮島の国会議事堂を象徴する十字塔の上に立ち、始まろうとしている戦争に静かな心の高まりを感じていた。
三基を担当するは、ブロンドの長い髪に宝石の様な輝きの蒼眼を持つあどけなさが残る少女。ゴスロリ調のミニスカドレスに身を包み、身の丈を越えようかと言う程の大口径対物ライフルを携えていた。
少女の名前は、サフィール・プランタン。サフィールは狙撃に行うに際して条件のいい立地の学校を予め見つけており、現在はその学校の屋上にて待機している。
ライフルの調子を確認しながら、サフィールは呟いた。
「久しぶりの"殺し"ですね」
四基の繁華街を歩いているのは、このベースを担当する少女、ネコだ。『宮殿』の一人であるネコは、同じく『宮殿』メンバーである朱雀の後方を受け持った。
仲間意識、などと言うものではなく、前に朱雀が出ている以上自分に仕事が回ってこないと確信しているからだ。朱雀の力を信じている、という綺麗な言葉で言ってしまえば、これもある種の仲間意識と言える。
ネコは適当な店から食べ物を拝借してレジにお金を置く。戦争開戦直前という緊張感の欠片も無く、猫のように自由気ままに繁華街を歩いていく。
海を望める五基の港から前線に出ている二人を見守っているのは、グレーのスーツを着こなした若い男性だ。少し長めの髪から覗く細く鋭い目は、刃物を使わずとも刺し殺せそうな威圧感を放っている。
彼は、エジエル・アイアンス。エジエルは自慢のネクタイを締め直し、スーツのジャケットを脱いで肩にかける。船のロープをかけるビットに片足を乗せ、太陽に向けて吠えた。
「……夕日だと、最高だった!!」
かくして、彼らは戦闘態勢に入った。
迫り来るは、冷たき鉄の破壊兵器。
超能力国家『天宮島』と米露連合軍による、両国の威信と誇りをかけた国家戦争がーー
ーー今、開戦する。




