『少年が宿す憎悪は《殺》さえも厭わない深淵の闇』
『天宮島の持つ科学力を狙い、外の世界の連中が数多の兵器を用いてこの島へ攻撃を仕掛けようとしている。
このメールが届いている超能力者達には、外敵勢力を迎撃するために力を貸してほしい。
天宮島は兵器の類をあまり生産していないため、君達国民に頼る他ない。
依頼報酬に関しては、政府が用意できるものなら何でも用意しよう。
いい返事を待っている』
平和な日常の昼下がりに届いた不穏。
示すのは"戦争"の二文字。
超能力国家『天宮島』が戦力として選んだのは、
兵器でもなく、
軍人でもなく、
100万人から選抜された"一般人"。
国民の殆どが超能力保有者であるこの国に置いての"一般人"。
たった十名の超能力者。
開戦まで残り『三日』。
☆☆☆☆
詠真と鈴奈が政府からの依頼要請メール受け取ってから二日。厳密には、受け取った日の夜に返信を出してから二日だ。
無論、出した返信はYES。
鈴奈に迷う余地は当然なく、彼女を一人で戦場に送ることをよしとしない詠真も特に迷うことはなかった。
どちらにせよ、ここで自分達が逃げて天宮島が大変な事になってしまっては、一生後悔に苛まれるだろう。
元よりNOの選択肢は存在しなかった。
平日の昼下がり。彼らは学校を欠席し、第十七区の大きな港に足を運んでいた。
第十七区は宇宙、航空関連施設が集中している区で、航空機の発着場、船舶の港がある天宮島の玄関でもある。
『外』からの貿易は滅多にあることではないが、島の研究員が『外』で保護した超能力者や、超能力に偏見を持たず島での生活、研究を求める人が、ここの使用者の大半を占めている。
今日も数人の超能力者が『外』で保護され島へ渡り来ている中、純白の制服に身を包む彼らは港に着けられている高級感溢れるクルーザーを眺めていた。
「これで合ってるのか?」
「困った時はすぐ確認。はやく」
スレンダーな青髪の美少女、舞川鈴奈は隣に立つ線の細い黒髪の少年の脛をつま先で小突いた。
小突いたというより、強く蹴った。
「そこ痛いトコだって分かってる?」
いつぞやも突然脛を蹴られた事があったな、と木葉詠真はデジャヴを感じる。
ジンジンと痛む脛をさすってやる時間も与えてくれない鬼畜少女の蔑むような視線を感じながら、詠真はPDA端末を取り出してメールを開いた。確認するのは天宮島政府から届いた、二通目のメールだ。
返信を送った次の日、つまり前日に送られてきたメールで、今回の案件に関するブリーフィングが行なわれる旨が記載されていた。時間は明日の正午、つまり今だ。場所は十七区の港に着けられているクルーザーで、その画像も添付されていた。
詠真はその画像と目の前にある高級感溢れるクルーザーを見比べる。
「うん、これだな」
「そ。ならここで待ってましょ」
ーー数分後。
二人の元に、黒いスーツに黒いサングラスをつけた男性がやって来た。男はスーツの胸ポケットから名刺を取り出すと二人に差し出す。受け取った名刺には『天宮島政府五基管理支局 三瀬 那賀他』と書かれてあった。
詠真と鈴奈は名刺を持っていないため返す物はないが、一応名乗っておく。
「はい、存じております。ではこちらへどうぞ」
三瀬に連れらてクルーザーに乗り込んだ二人は、「すぐに着きますので」と言われ甲板へと案内された。甲板には、南国ビーチを連想する木のビーチチェアと小さなテーブルが置いてあり、ご丁寧にパラソルまで装備されている。鈴奈がパラソルの下で優雅に寛ぎ始め、詠真は甲板の柵に凭れかかって出発を待った。程なくしてクルーザーは動き始め、心地よい潮風が体を突き抜けて行く。
「すぐに着きますって言われても、どこに向かってんだ……」
呟きながら、詠真は進行方向に目を凝らす。見えるのは巨大な構造物、空を削る白亜の塔だけだ。
詠真はあの塔にどんな意味があるのかを知らない。行ったこともなければ、噂を聞いたこともない。多分、科学力を誇示するオブジェクトか何かだろう。詠真だけではなく、国民の殆どがそんな感じにしか理解していない。
詠真はパラソルの下で寛ぐ少女の元へ行くと、空いてるビーチチェアに腰を下ろす。
不意に鈴奈が尋ねてきた。
「君はあの塔が何なの知ってる?」
「分かんねぇけど、オブジェクト?」
「あんな訳の分からないオブジェクト作って何になるのよ」
まるで自分は知っているかの様な口振り。詠真は訝しげに問う。
「舞川は知ってるってのか?」
「知ってるわよー」
自慢気に即答する鈴奈。
どうして島外から来た魔法使いがそんな事を知っているのと疑問を持ったが、問うより前に本人が答えてくれた。
「私は一度、彼処に行ったことがあるの」
「何故?」
「何故も何も、依頼主があの塔に引きこもっているからよ」
何故も何もと言われても、塔の存在理由を知らない詠真には理解不能。
頭に『?』を浮かべて首を傾げていると、鈴奈は目を細めて塔の方向をじっと見つめた。
「聖皇国ルーンに協力要請を送ってきたのは天宮島政府だって話したじゃない? まぁそれも間違いではないのだけど、厳密には少し違う」
「政府だけど政府じゃない?」
「それも少し違う。……これはある種の機密情報になるんだけどね、君達が知っている天宮島政府の更に上には、天宮島政府最上層部があるの」
「待て待て。そんな簡単に、しかも退屈そうに機密情報なんか喋っていいのか……」
「まぁ君にならいいんじゃないかしら。アーロン・サナトエルが引き起こした暴走事件の際にはそれなりの活躍をしたし、今回だってお招きを受けている」
「……いや、だからって」
機密情報を聞いてしまうこっちの身にもなって欲しいと困惑する詠真。これが原因で何かペナルティでも受けてしまわないか心配になる。
それでも鈴奈は「聞け」と言う。よく見れば、退屈そうにしている訳ではなく、心底憂鬱そうにしていることに気付いた。彼女としても、この機密情報を自分に話すことに何か理由があるのかもしれないと思い、詠真は聞き手に徹する。
鈴奈が話を再開する。
「天宮島政府最上層部『宮殿』。五人の超能力者で構成される『宮殿』は、天宮島を運営管理する上で最も権力を持つ最高決定機関よ。まぁ政府の役人は『宮殿』の存在を知ってるみたいだけど、一般国民には機密扱い」
鈴奈はクルーザーの進行方向に聳える白亜の塔を指差した。
「あの白亜の塔、あれが『宮殿』の拠点。主に最上階の部屋がね」
「つまりなんだ、政府区がある二基が天宮島政府の拠点だとしたら、一基に聳える白亜の塔は政府最上層部『宮殿』の拠点ってことか……」
だからそう言ったじゃない、と鈴奈はビーチチェアに投げ出した脚を組み替える。スカートでそんな事をされては下着が見えそうで中々に危ない。
本人はそれを気にしていない様子で、淡々と機密情報漏洩を続ける。
「例の事件ね、依頼主は『宮殿』だったの。総理大臣以下政府の役人は、例の事件に関する詳細な情報を殆ど知らない。辛うじて"魔法"の存在くらいは教えて貰っているかも知れないけど、一般国民に毛が生えた程度でしょう。君の方がよっぽど知っているくらいね」
「なんじゃそりゃ……完全に『宮殿』の独断専行じゃねぇか……」
「天宮島政府なんてのは、所詮表向きのお飾りでしかないのよ。『彼等』自身もそう言ってたし。今回の戦争にしたって、全てを決定しているの『宮殿』だと思う」
詠真は何と言っていいのか分からない。
政府の上には更に偉い組織が存在する、ただのそれだけの事だが、何故かそれだけは無い様な気もしていた。
何か胸につっかえるモノがある。まるで自分の中から"別の何か"が這い出てきそうな、形容し難い不快な感覚。
詠真は俯き、眉間を押さえて大きく深呼吸をした。
「……大丈夫? 酔った?」
「いや……大丈夫だ。続けてくれ」
鈴奈は三半規管を養う魔法を詠真にかけてあげると、俯く詠真を見据えた。
「続けるって言っても、君に話せるのは此処までよ。これ以上喋るのは流石にね。でも、最後に一つだけ言っておく。『宮殿』には気を付けなさい。顔も分からない相手にどう気を付けるんだって思うかも知れないけど、とにかく気を付けて」
詠真は俯いていた顔を上げ、鈴奈の目をみた。出会って以来、最も真剣に訴えかけてくる強く真っ直ぐな瞳。
彼女の言う通り、何をどう気を付けたらいいのかは分からないが、機密情報を漏洩してまで伝えてくれた事だ。
心に留めておくだけの価値は十二分にある。
「……分かった。ギリギリの橋を渡ってまで教えてくれてありがとな」
詠真が微笑みかけると何故か怒った風に顔を背けた鈴奈は、徐々に眼前へと迫る白亜の塔を見て小さな声で呟いた。
「彼を『リスト』に加えている理由は一体何……」
鈴奈ーー"氷帝"は『宮殿』を味方だとは一切思っていない。
故に、彼女はスパイである。
十分程して、クルーザーは小さな桟橋に乗り付けた。
☆☆☆☆
桟橋から歩いてすぐの所にあったのは、地下へ通じる長い階段。そこを下りると、異様なまでに人気のない地下駅に辿り着いた。駅構内はさほど広くはなく、線路は一つ、止まっているのは五両編成の白い列車。改札もなければ、待合室もベンチもない、完全な無人駅だった。
詠真は政府役人の三瀬に尋ねる。
「ここは?」
「『神殿の柱』に繋がる唯一の駅でございます」
「それは、あの白亜の塔のことか?」
「はい。『神殿の柱』の詳細についてはお答えできませんが、これから向かうのは柱内にある会議室にございます」
「……なるほどね」
「ではこちらへ」
列車のドアが独りでに開き、三人が乗り込むと感知したかのようにドアは閉まる。ガタンッと軽い揺れが起こり、列車は自動で発進し始めた。
「運転手がいたんだな」
「いいえ。この列車は自動操縦プログラムによって動いております。速度は……そうですね、新幹線並みと言った所でしょうか」
「へぇー」
窓から見える景色は壁のみ。地下鉄なのだからそれは当然だろう。外に見せたくない物があるのか、ただ単に地下鉄にしただけなのか。詠真には分からない。
ふと、隣の少女を見る。
鈴奈から齎された『宮殿』という機密情報、気を付けろという警告の言葉。それらは心に留めておくには十二分の価値と意味がある事だ。
だが今はそれよりも、木葉詠真が一基に招かれた意味、自分に課せられるであろう役目の事に集中しよう。
詠真はぐっと気を引き締める。
十五分程して列車は停止。
乗車駅とほぼ同じ作りの降車駅から、長い階段を上り地上へ。
「……おぉ」
地上へ出た詠真は、目の前に広がる景色に感嘆の声をもらした。
広大な敷地、そこはまるで絵本に出てきそうなほど美しい花畑が広がっていた。多種多様色とりどりの花が咲き乱れ、蝶がダンスを踊るかのように飛び舞わっている。
花畑を縦断するように作られた一本道の先には、空を削り地を支配する荘厳な白亜の塔が聳えている。
遠目から見ても巨大だとは分かっていたが、近くで見ると言葉を失うほどに超巨大だと言うことを実感させられた。さながら、神々の住まう天界から降ってきた神殿の一柱。故にこそ『神殿の柱』と呼ばれているのかもしれない。
景色に見惚れている詠真の頬を、鈴奈がツンツンと小突いてくる。
「気持ちは分かるけど、早く役人さん追いかけようね」
「あ、あぁ、悪い」
二人は先に進んでいた三瀬に追いつくと、窓の類が一つもない『神殿の柱』に手が触れる距離までやってきた。
一体入り口はどこなんだろう、と詠真が考えていると、三瀬が『神殿の柱』にそっと手を触れた。
白い壁に長方形の切れ目が入り、ガコンッと音と共に壁が後ろに押し込まれる。
人間二人分程度の入り口が出現した。いわゆる、隠し扉だ。
「では、中へ」
三瀬の後に続いて詠真と鈴奈が塔の中に足を踏み入れる。中は不気味に薄暗く、塔の壁をなぞるように先の見えない螺旋階段が上へと続いていた。空間の中央には同じく先の見えない細い柱が上へ伸びており、三瀬は細い柱の前で立ち止まった。
柱の傍には小さな端末が設置されており、三瀬が端末を操作すると細い柱の側面が音もなく左右に開く。
どうやら細い柱の正体は、上へと続く高層エレベーターのようだ。
「六十階へ参ります」
これが美人のエレベーターガールだったらどれほど良かったことだろう。
現実は黒いスーツの政府役人。
そこに文句を言っても何も始まらないなと詠真は嘆息し、三人を乗せたエレベーターは音もなく動き出す。
本当に動いているのかさえ分からないほど静かだが、階数を表示するパネルには凄まじい速度で数字が切り替わっていく。
ものの一分。パネルに六十階の文字が表示され、エレベーターは音もなく停止、静かに扉が開いた。
外へ出ると、左右に広がる湾曲した赤絨毯の廊下。天井には一定間隔ごとに豪華なシャンデリアが吊るされており、全く別の建物の中へ迷い込んだかもしれないと錯覚してしまう。
三瀬の背中を追う二人。どうやらこの廊下はかなり長いらしい。考えても見れば、高さには遠く及ばないが、柱の直径も一体何百メートルあるんだという程に巨大な塔の中だ。それに等しいだけの広さがあるのは不思議ではない。
もし螺旋階段で上がった時には、どれほどの時間と労力が必要になるのやら。考えただけでも恐ろしいものだ。
詠真はごく小さな声で鈴奈に尋ねる。
「(ここ何階まであんの?)」
「(最上階は二百階)」
あまりの数に目を見開く詠真。
高さはこの目で見たが、階数を聞かされると改めて巨大な事が分かる。
たった五人で構成されているという『宮殿』が、どうしてここまで巨大な構造物を拠点にしているのだろうか。
それは鈴奈にも分からない様子だ。
そこから暫し歩き続け、三瀬が立ち止まる。三瀬の前には、セレブが集まるパーティー会場の如く大きな扉。金色に輝く取っ手は純金なのだろうか。
「こちらがブリーフィングの部屋でございます」
三瀬が金に輝く取っ手を掴み、ゆっくりと扉を押し開いた。
「私はここまでです。どうぞ、お入りください」
三瀬がジェスチャーで部屋の中を示す。
詠真は少し緊張を感じていた。この部屋に入れば、自分は戦争における作戦会議に参加することになる。それは必然的に、戦争に参加すると言うこと。若干十七歳の詠真に戦争なんて経験がある訳が無い。
しかし。
詠真はその部屋に足を踏み入れた。その決意に微笑を浮かべた鈴奈が後に続いて部屋へ入り、部屋の外にいる三瀬が扉を閉めた。
詠真は本日二度目の感嘆をもらした。
豪華な部屋の扉からして予想はついていたが、まさに大金持ちの部屋。
学校の教室を三×三で並べたぐらいの広さに、壁には高級そうな絵画、天井には荘厳なシャンデリア、部屋の四隅には大輪の花が飾れている。
部屋の中央には細長い楕円形の卓が置いてあり、背の高い椅子には年齢幅の広い六名の男女が腰掛けていた。
詠真が思わず仁王立ちで呆気に取られていると、部屋の奥に立つ眼鏡をかけた細身の男が微笑みかけてきた。
「どうぞ、お座りください」
空いている椅子の数を見た所、どうやら詠真達が最後だったらしい。二人が背の高い椅子に腰掛けた所で、眼鏡をかけた細身の男が話し始めた。
☆☆☆☆
背の高い椅子に腰掛けた鈴奈は、表情にこそ出しはしなかったが、心底驚愕と動揺の感情に苛まれていた。
部屋の奥に立つ眼鏡をかけた細身の男、鈴奈は彼の事を知っていた。
名前を鬼亀杜白蛇。
彼はーー『宮殿』の一人である。
一度顔を合わせ、この目で見ているから間違えるはずはない。
なぜ『宮殿』のメンバーが顔を見せているのか、訝しげに眉をひそめる鈴奈の肩を、隣に座る人物が小突いてきた。何かと思いそちらへ顔を向けると、鈴奈は思わず声をあげそうになり掌で口を塞ぐ。
そこにいたのは、頭頂部にピョコピョコと動くケモノ耳を生やした短い茶髪の活発そうな少女。
これも、鈴奈は知っていた。
名前をネコ。恐らく愛称か何かだとは思うが、それ以上の名前は知らない。
この少女もまたーー『宮殿』の一人。
『宮殿』を構成する五人の内、なんと二人までもが表に顔を出している。
一体何を企んでいるのかと思考を加速させる鈴奈に、猫耳少女は囁く。
「(勘違いするなよ"氷帝"。『私ら』はあくまで、一般人と政府の役人だ。機密を開示する気なんてねぇよ)」
鈴奈は小さく嘆息。
「(はいはい、ここに『宮殿』のメンバーなんていませんでした。これで満足?)」
ネコは楽しそうにニヤリと笑うと、鈴奈の肩をポンポンと叩いた。
「(上出来だ、"超能力者")」
「(ありがとう、"一般人"さん)」
☆☆☆☆
詠真は首を傾げていた。なにやら、頭にケモノ耳がついた珍妙な少女と鈴奈がコソコソと話している。もしかして知り合いなのかと思ったが、二人の様子を見る限り違うように見える。恐らく、一番最後に到着したことをからかわれでもしたんだろう。からかい気質な鈴奈が逆にからかわれている光景は何気に新鮮だ。詠真はそれくらいのことしか考えなかった。
少女の正体などには気付くはずもなく、詠真は視線を部屋の奥へ戻す。
眼鏡をかけた細身の男が話し始めた。
「えー、皆さん。此度は我々の依頼を受けていただき誠に嬉しく思います。ブリーフィングの進行を務める、白蛇と申します。以後、お見知り置きを」
白蛇は軽く一礼すると、卓を囲む超能力者達を一瞥した。人差し指で眼鏡を押し上げ、全員に問う。
「念のため、今一度確認しておきましょう。皆さんが足を踏み入れるのは、紛れもない国家戦争の最前線。単刀直入に言いましょう、人間を殺せる覚悟がない者はお帰りください。今ならまだ間に合います」
部屋にピリついた空気が流れる。半数は無表情を崩さなかったが、半数は僅かに表情に変化を見せた。
詠真のその一人だ。だが詠真に、人間を殺せる覚悟がない訳ではなかった。
詠真は天宮島という楽園へ来るまでは、『外』で悲惨な人生を送っていた。
超能力者だからという理由で、詠真が五歳の頃に兄妹揃って親に捨てられ、薄汚い路地裏でゴミを漁る毎日。一歩通りに出れば、ゴミ以下の汚物を見るような目を向けられ、抵抗しないと分かれば言われ無い暴力を受けることも多かった。
似た境遇のホームレスにさえ、自分達は憂さ晴らしの道具に成り果てていた。
限界を迎え路地裏を飛び出しはいいが、待っていたのは"迫害"の二文字。誰一人として木葉兄妹を擁護してくれる人間はおらず、食べ物にすらありつけない。だから生きるため、何より妹の英奈のために何度も盗みを繰り返した。店主に追われ、警察に追われ、その度に詠真は何度死にかけたことだろう。
それでも英奈だけは、自分の全てを呈してでも守り抜いた。
だがある日、人気のない高架下の隅で目を覚ました詠真が見たのは、数人の人間が英奈を袋叩きにしている光景だった。
至る所から血を流し、涙を流し、掠れる声で兄の名前だけをずっと呼んでいた。
その時詠真はーー初めて人を殺した。
詠真は六歳という年齢で、人間を、この手で、能力で、大切な妹を守るために、火で焼き、風で斬り裂き、沸き起こる黒い感情に従って、酷く惨殺した。
そこから逃亡生活のはじまりだった。追ってくる警察に捕まりそうになり、何度も銃を向けられた。体は傷ついたし、警察官を何人も殺していた。
程なくして兄妹は天宮島の研究者と出会い、楽園へと辿り着いた。その研究者が言うには、その頃の詠真は街一つを廃墟に変えかねない程凶悪で、とても悲しい顔をしていたそうだ。
ーー詠真は今も忘れない。
『外』の連中が自分に、英奈にしたことを。超能力者を蔑み、嘲笑い、ゴミ以下の汚物を見るかのようなあの目を。
そして今、『外』の連中はこの楽園にまで手を出そうとしている。
ーー傲慢な奴らだ。させるものか。この楽園には、一切手を触れさせない。
来るというなら、迎え撃つ。
詠真は膝の上で拳を握りしめた。
(戦争だろう何だろうが……殺しにくるというのなら、俺は喜んで"お前達"をぶっ殺してやる)
これが木葉詠真の本音。
殺しさえも厭わない、底の見えない深淵の闇如きーー"憎悪"の感情だ。
詠真は僅かな迷いを断ち切り、その身を"憎悪"の闇に焦がす。
白蛇は五分待った。その時間の中で、この部屋を去る者は一人も出ず、集まった全員が瞳の奥に闇を覗かせた。
薄く笑う。
「皆さんの覚悟、しかと見極めさせていただきました。それでは、ブリーフィングを始めましょうか」
白蛇が軽く右腕を振るうと、部屋の照明が落とされ、卓の中央に取り付けられたホログラム投影機が起動。
空中に巨大なホロパネル、全員の手元には小さなホロパネルが投影された。
「まず皆さんにはこの映像を見てもらいましょう。空中のホロディスプレイに注目してください」
全員の視線が空中のホロディスプレイに向けられると、再生されたのはアメリカ大統領の演説動画だった。
荒々しい英語ー画面下に字幕ーで叫んでいるのは、天宮島、及び超能力者の批判。まるで超能力者は人間ではないかの様な口振りだ。
更に、天宮島の科学力を世界に返還しろという傲慢な要求に、それを飲まなければ米露の連合軍が天宮島へ実力行使を行うという宣戦布告だった。
期限は一週間。画面右上に表示されている日付を見る限り、この演説から三日が経過し、今日が四日目のようだ。つまり、期限は残り三日ということになる。
「胸糞悪りぃ演説だな」
その言葉通り、不機嫌と苛立ちを前面に押し出した声で言ったのは、縦に金のラインが入った黒い制服を着た少年。灰色に濁った髪をオールバックにし、眉毛を全て剃った厳つい風貌で、卓の上に足を投げてホロディスプレイを睨みつけていた。
「こんな糞共、乗り込んでぶっ潰しゃ早い話だろ」
「灰爽君の気持ちも分かりますが、今回の目的なあくまで自衛です。攻め込むのではなく、迎え撃つ戦争。その代わり、攻めてきた"モノ"に対しては遠慮など必要ありませんがね」
灰爽と呼ばれた少年は舌打ちをして黙り込む。少し空気が悪くなった事もお構いなしに、白蛇は手元のホロディスプレイに注目しろと指示した。
「今回の敵、米露連合軍の戦力に関してです。知っている人もいるかも知れませんが、アメリカは"神の杖"という宇宙空間に浮かぶ宇宙兵器を筆頭に、航空戦闘機、陸戦機、戦艦に至るまで、かなり高いレベルでまとまった兵器を有しています。更にロシアには、有人型四脚駆動兵器、つまりロボット兵器があります。これもまた、かなり高いレベルの兵器に間違いありません。あくまで『外』の科学力としては、ですが」
全員の手元にあるホロディスプレイが切り替わる。映し出されたのは、直方体と立方体のパーツを組み合わせただけの様な無骨な型の黒い四脚ロボット。
ロボットの隣に立つ軍兵と比較して、大きさ約五メートル程と詠真は見た。
「これがロシアの開発した主力兵器、兵器名を"エグザクター"。兵装は"エグザクター"の大きさに合わせた大型のマシンガン、並びにライフルで、両方とも実弾を使用します。更にもう一つ、近接戦闘用に作られたバスターソードです。幅広の大剣だと思ってください」
(ロボットねぇ……)
詠真は『外』の世界の科学力が、思っていたより高めの水準にあったことに僅かながら驚いていた。基本的に『外』との関わりは持たないため、あまり『外』の情報が耳に入ってることはない。
"神の杖"というのも、名前と宇宙兵器だというのは聞いたことがあるが、実際どれほどの兵器なのかは分からない。
「舞川は"神の杖"って知ってるのか?」
うーん、と口に人差し指を当てて唸った鈴奈は、どう言えば分かりやすいかを考える。数秒後、思いついた例えを言おうとした時、白蛇が鈴奈を名指しした。
「舞川さん、良ければ"神の杖"について簡単に説明してもらっても?」
「……なんで私が」
面倒くさそうにしながらも、鈴奈は先ほど思いついた例えで説明する。
「簡単に言ってしまえば、宇宙から地上に向けて、時速一万キロオーバーの弾丸がピンポイントで降ってくる兵器。威力は原子力兵器に引けを取らないほど。これでいいかしら?」
「えぇ、ありがとうございます」
白蛇は鈴奈に微笑すると、簡単に説明された凄まじい兵器に驚愕している者達を安心させるように補足する。
「まぁ兵器を見慣れていない皆さんからすれば凶悪な兵器ですが、技術的には"旧型"です。それに、"神の杖"が使用される事はないでしょう。『外』の目的は科学力の奪取。欲しい物をまざまざと壊してしまうほど馬鹿ではないでしょうからね」
そこから更に、アメリカの航空戦闘機、陸戦機、戦艦などを含めた、予想される投入戦力の説明があった。
白蛇の戦力予想では、主な戦力は戦艦。洋上に浮かぶ島を攻撃する上では、陸でも空でもなく、海から迫る戦艦が多く投入される可能性が極めて高い。更に、ロシアの有人型四脚駆動兵器"エグザクター"は、航空母艦から離艦して投入されるであろうと白蛇は言う。
一つ詠真が予想外だったのは、軍兵士が直接戦場に投入される可能性は低いという点。その理由は簡単なもので、大型兵器無しでは超能力者に太刀打ち出来ないことを『外』の連中も分かっているはず、というものだった。
いくら殺す覚悟があろうと、鉄屑を壊すのと生身の人間を切り刻むのでは、気持ちの違いはあるというものだ。
白蛇は一応補足しておく。
「ただこれは、優れた"超能力者側"からの予想であるため、非力な"外の人間側"の思考を完全に理解することはできません。あくまで可能性の一つとして、皆さんに伝えておきます」
そこから約一時間のブリーフィングを行われ、国家戦争における作戦会議は終了。政府役人の引率で解散した。
開戦まで後『二日』。




