『姉』と書いて『いもうと』と読め!
現在書こうとしているもののプロトタイプのものになります。
姉が妹になった。
いや、何を言っているかわからないかもしれないが、俺にも当然よくわからない。
ある日突然幼児化したとか、コールドスリープから目覚めた幼女が俺を「お兄ちゃん!」と呼びだしたとか、そんなことじゃあない。
現実ではそんなアンビリーバブルな超常現象はまったく起きてなんかいない。
だが強いて言うならば、あの姉の頭の中身がアンビリーバブルということである。
事の発端はある平和な昼下がりの1コマだった。そのとき俺は昼飯も食べ終え、洗い物も終わり、することもないからテレビを見ていた。
「10秒~」
チャンネルは教育。
画面の中では二人の男がしかめ面で向き合っている。白と黒の石の並びが綺麗だが、俺にはルールもよく分からない。要するにただダラダラしているだけで他になんの気力もわかない、怠惰で平和な休日の午後。
「20秒~」
お経のようにのっぺりと時間を数える男の声で心なしか眠くなったそんな時、姉がふらりと居間に入ってきた。
最初は「どうせおやつでも漁りに来たのだろう」と思っていた。
戸棚の中には買い置きのクッキー缶が入っている。
食欲旺盛で、ご飯も残さず召し上がった挙句、毎度おかわりまでする我が姉は、「甘いものは別腹」とか言いながら毎日のおやつも欠かさない。
そんな都合のいい話などありえないはずなのだが、それにも関わらず、いまだ姉がスリムな体形を維持しているため、本当に別の胃袋に入っているのではないかと最近疑い始めている。
ちらりとDVDレコーダーの時計を確認する。
1時50分。
おやつの時間にはまだだいぶ早いがそんなところだろうなと、柔らかな午後の日差しを浴びて蕩けてしまった脳みそで考えていた。
「20秒、1、2、3……」
しかし何故だか姉は台所方面には向かわない。不思議に思っていたら姉はそのままこちらに歩いてきた。
そうして枕元まで来ると、ソファーに寝転がった俺の顔を覗き込んだ。
俺と目が合う。
姉の目はニヤリと妖しく笑っている。
何か強烈に嫌な予感がした。長年の勘が、またぞろ碌でもないことに巻き込まれると告げている。
急いで逃げなきゃいけないと叫ぶ本能に従って起き上がろうとしたその瞬間、姉は俺の肩に軽く手をついた。それでは起き上がれない。
俺があせっていると、姉は更にそのまま倒れこむように――危うくキスをしそうな間合いまで顔をぐっと近づける。
俺は驚いて尚更あせる。しかし、これを見て姉は何を思ったのかおかしそうに笑って、
「ユウ? ――私、今日から妹になるから、よろしくね?」
と宣まった。
その声はまるで今日の晩御飯のおかずを尋ねるときのような自然さだった。
姉は昨秋19歳になった。腹立たしい事に身長はいまだに俺よりも高い(自称165センチくらい、実値オーバー170)。
よく育った。よく食べるからよく育った。弟である自分が言うのもなんだが、スリムな割りに出るところは出てスタイルも中々によろしい。
しかしたとえどれだけスタイルが良かろうが関係ない。女の自称165センチは、男の自称165センチである俺からすればはっきり言ってデカイ。そして怖い。人間だって動物である。デカイは怖いのだ。だから逆らえない。物理的な意味でも。過去のトラウマ的な意味でも。
それが言うに事を欠いて「妹になる」である。有り得ないだろう。妹ってのはもっと小さくて可愛らしいものであるはずだ。妹ってのはもっと従順で大人しいはずだ。いや、そうであるべきだ。そうであれ。
だから、あんなデカくて怖いものが妹などであってたまるものか。
だがしかし、姉は何を思ったか「妹になる」というのだ。姉が「なる」というのだからなるのだろう。妹に。デカかろうが怖かろうが。
姉が何を言っているかは理解できる。でも姉の言葉が何を指すかは理解できても意味はわからなかった。正直、今でも何がしたいのかよくわからない。
だいたいが妹とかってなろうと思ってなれる類のものではないだろうと思う。
だから、そんなわけのわからないことを言われた瞬間、俺はつい顔をしかめたが、姉は逆にゆっくりと俺に微笑みかけた。
俗に言う、エンジェルスマイル。名付けたのは姉だ。だが俺と姉しか呼んでいない。俺はそう呼ぶように昔、延々と調教された。たしかあの時も俺は泣いていたと思う。
しかし呼び方が何であるにしろ、それに従わない場合はエライ目に遭うと、過去の様々な経験が教えてくれている。逆らわないのが吉である。だいたいが、逆らうという選択肢などそもそも俺には用意されていない。俺に許される返事は常にハイかYESだけである。奴隷根性万歳。
だから俺も負けじと、
「うん、わかった!」
と満面の笑みで答えてあげた。我ながらよく出来た奴隷である。誰も褒めないから自分で褒める。
だがそれで満足したのか姉は心底嬉しそうに、
「よろしくね、お兄ちゃん!」
と満面の笑みで返してきた。中々可愛らしい。100点満点の笑顔である。この笑顔だけなら元気で可愛い妹として合格かもしれない。うん、活発で素直な妹ってのも良いかもしれない――デカイけど。
しかし、その笑顔を見て、何故か俺の頭の中では過去のトラウマが走馬灯のようにグルグルと廻っていたのだった。
いちおう続きます。