ラブコメ主人公のハーレム要員にスパイみたいな奴いるんだけど
元恋人に関して、男は名前を付けて保存し、女は上書き保存するらしい。風の噂でそう聞いたことがある。
SNSで意見を募れば、罵詈雑言と煽り合いを含んだ喧々諤々の議論になること間違いなしだ。あえて断言する。
個人的には「なんとなく否定はできない……」という説得力を持っていると思った。男にカスが多いと言っているわけではない。女にもやべえ奴はいると思うから。
何故こんな議題を持ち出したのかというと、そもそもこれは過去現在未来において恋人が複数人いることが前提の概念だからだ。
違う違う違う。そうではない、そうじゃないだろ! 恋人とはとっかえひっかえするものじゃないんだ!!
故に、俺はここに宣言する!
純愛こそが至高であると!!
◇
真愛高校二年四組には名物がある。
「え!? 今日数学の小テストなの!? 聞いてないんだけど!」
「……先週先生がちゃんと言ってたよ?」
「うわ、ヤバ。うち全然勉強してないんだけど」
「あはは、大丈夫だって。あたしも勉強してないから」
「うちはヤバいんだって! うぅ~、ママに怒られるし、部活にも支障が出る~!」
朝から賑やかな話し声が聞こえる。女三人寄れば姦しいとはよく言ったもので、未だ頭が覚醒していない身としては普通にうるせえ。
補足があるとすれば、あの集団は女子三人では収まってはいないことだ。
「はは、歩音は仕方ないな。休み時間に俺が教えようか?」
あのグループの中心は一人の男子だ。特にイケメンというわけでもなく、何かのスポーツで秀でているわけでもなく、飛び切り賢いというわけでもない。中肉中背で、黒髪で、どっちかといえば瘦せ型で。女子受けする要素なんて傍から見当たらない男子──甘崎和樹。
あのグループは、甘崎を中心としたハーレムなのだ。少なくともみんなはそう認識している。
周りに集まっているのはみんな美少女で、それぞれタイプが違う。体育会系にギャルにマスコットと、仲良さそうに振舞って鎬を削り合っているのが現状らしい。すげえなリアルハーレム、反吐が出る。
「マジ! お願い、助けて和樹!」
「あ、ならあたしにも教えて。いいでしょ、カズ?」
「私も! その、いいかな……?」
「ああ、もちろんだよ」
気前良く返事した甘崎。これがラブコメ主人公たる所以か。
「文乃も手伝ってくれないか?」
そしてもう一人、甘崎にはハーレム要員がいる。
他三人とは一歩だけ引いた位置で微笑を浮かべていた文学系女子──辻文乃はこくりと頷いた。
「はい。お力になれるのでしたら何なりと」
「文乃っちマジで教え上手だから助かる~」
「ほんとにそれ! うちも何度助けられたか」
「ありがとう、文乃ちゃん」
「いえいえ、お気になさらずに」
これが真愛高校二年四組の名物──甘崎ハーレム。
なんであんな奴をあんな美少女たちが? という疑問が絶えない摩訶不思議なグループである。なお、一部の男子は血涙を流し、嫉妬に狂いかけているらしい。怖すぎるだろ。
俺はどう思ってるのかって? 少し漏れていたと思うが、普通に無理。反吐が出る。ハーレムの何が良いのか心底理解できない。二次元の話ならまだフィクションということで許容できるわけでもないが、リアルハーレムはマジで終わっている。常識とか倫理って知ってる? あなた本当に日本人? と根底から疑うレベルだ。男側は当然のこと、女側も相当にイカレてると思う。せめてやむにやまれぬ事情があってくれ。だとしても目の前からは消えてくれ。
何故こんなにも拒否反応があるのか。何を隠そう、俺が純愛主義者だからだ。一対一の恋愛は大前提。初恋上等、一途は至高、じれじれ両片思いは神である。お前も純愛主義者にならないか?
ただ俺も自分の主義主張を他人に押し付けるのはナンセンスだと思っている。狂信者の行き過ぎた布教活動ほど恐怖を与えるものはないからな。まあ布教活動はしているのだが。
閑話休題。甘崎ハーレムに戻ろう。
実はあのハーレムの中で一人、気になっている奴がいる。別に好きとかではない。断じてない。
相手は誰で理由は何? の説明の前に、まず俺の特殊能力を明かそうと思う。
純愛を愛し、純愛に愛された男である俺こと一途純好は、特殊な眼を持っている。男女問わず誰かが好意を向けている相手と話している場面を見れば、どんなに心の内を隠していようともその愛を見破ることができるのだ! なお、非科学的な要素はない。傍観者として恋模様を見るのが好きすぎて芽生えた経験則である。純愛眼と名付けたこの眼の所為で俺は友達を失い、この眼のお陰で親友ができた。
この純愛眼で甘崎ハーレムを見ると、不思議なことが分かる。
──あの中で一人、甘崎のことを好きではない奴がいる。
俺はそいつのことが気になっていた。
◇
放課後の帰り道。
帰宅部である俺は真っ直ぐに家に帰るわけではなく、どこかでラブの波動が発生してないかとぶらぶらしていた。これは日課である。
世間の流れとして周りの視線が厳しくなってきた今日この頃。俺がこの活動を続けられるのは学生服を着ているから、かもしれない。悲しいかな、あと二年か。
であればこそ、取材に力を入れるべきと俺はいつも使っている手帳を取出し……。
「なん、だと……?」
ジャケット裏の胸ポケットに指を入れて気付く。ない、手帳がない。数多の純愛ネタを書き記した我が聖典がない!
心当たりはあった。学校はネタの宝庫。同学年はもちろん、他学年には俺がまだ知らない純愛が眠っている。今日は新入生を見て純愛眼が疼いたので、手帳を取出しそのまま机の中に入れてしまったのだ。
聖典を机に入れっぱで放置はキツい。色々な意味で心が落ち着かない。
「はあ、やらかした」
何たる失態。何たる不覚。純愛は一期一会だというのに、時間を無駄にしてしまうとは。
というわけで真愛高校まで出戻り、人気のない廊下を進んで教室の扉を開けた。残っている生徒は誰もいないようだ。
自席へと向かい、手を突っ込むと案の定手帳はあった。誰かに取られていなくてひと安心だ。
「ん?」
さて帰るか、と教室を歩いていたら、ノートが落ちていることに気付いた。
拾って表紙と裏表紙を確認するも、名前が記入されていない。高校生になってノートに名前を書いている方が珍しいだろうから仕方ないが、これじゃ誰のかが分からないな。
特に深い理由もなく、一ページ目を開いた。
描かれていたのは漫画だった。
ぱん、とノートを閉じた。
「ふむ……」
俺は自席に座って足を組み、しばし思案に耽る。
頭の中の悪魔はこう囁いていた。YOU見ちゃいなよ、と。
頭の中の天使はこう囁いていた。YOU見ちゃいなよ、と。
うむ、迷う必要はなかったようだ。何せ天使と悪魔が同じこと言ってるし。
俺はノートを開いて漫画を読むことにした。
題材はラブコメだな。ヒロインは幼馴染と。なるほどなるほど、ここから二人の純愛が始ま……。
描き上がっている部分を全て読み、俺は静かにノートを閉じた。
「はあー、時間を無駄にした」
「人様のノートを勝手に見といて、酷い言い草ですね♪」
「びっっっ!?」
びくん! と身体が反射的に動いていた。あまりにもビビッて椅子から転げ落ちるかと思った。
振り向くとそこには見覚えのあるクラスメイト。姫カットの黒髪にいつでも機嫌良さそうなにこやかな微笑み。文学系美少女といって相違ない同級生にして甘崎ハーレムの一人──辻文乃がいた。
教室は無人だったはずなのに、漫画に気を取られて来訪者に気付けなかったらしい。
しかも考え得る限り最悪な展開な気がする。
やべえ、作者ご本人様登場はやべえ。
「ああ~~~……よう。そっちも忘れ物か?」
「はい」
「そうか、無事に見つかったか?」
「ええ、どうやら誰かさんが拾ってくれていたみたいです」
「そいつは良かったな。じゃあ、俺はこれで」
「待ちやがれ♪」
ガシッ、と肩を掴まれた。ミシミシと鳴って普通に痛い。こいつゴリラ属性も持っていたのか。
振り払うという選択肢はなかった。こっちの分が悪過ぎて今は逆らえないのだ。
「え~、辻様はこの私めにいったい何用でございましょうか? 手を放してくれると嬉しいのですが」
「まずはそのノートを返しやがれ♪」
「どうぞお納めください」
「はい、ありがとうございます」
恭しく献上したノートを辻は受け取って鞄に入れた。相変わらず表情は微笑みで固定されているが、内心が見通せなさ過ぎて超怖い。
向き合うことになったので俺も笑顔を浮かべた。
「じゃ、俺はこれで」
「だから待ちやがれ♪」
いや怖い。さっきから言葉遣いと声のトーンのギャップで風邪引きそうなくらい怖い。
今すぐにでも逃げたいのはやまやまだが、要求を断れる立場ではないので向き合うしかなかった。
「他に何か御用でしょうか?」
「まだ謝罪を聞いていないのですが?」
「本当に申し訳ございませんでした! 出来心だったんです!」
「はい、ひとまず許しましょう」
嘘だろ許してくれんの? 女子高生にとって恥部丸出しみたいな代物を見られたのに? 天然か?
「ですが、私の心は深く傷付きました。理由はお判りですよね?」
「それは、まあ、はい」
「ですので、あなたには私を慰める義務が生じています。私を慰めて下さい。具体的には先ほどのノートを盗み見て何をどう思いどの辺りが時間を無駄にしたと感じたのか説明してください」
ドMか? 目の前の読者からじかに感想を聞きたいなんて、俺でも遠慮したい所業なんだが。
「えーと、言うのは構わないんですが……」
「何か懸念がありますか?」
「いやまあ、その、ちなみにどっちがお望みですか? 本音と建前だったら」
「もちろん本音です」
ドMなのか? 漫画を描くことの目的自体がそっちなのか?
「じゃあ正直に言いますけど」
ただまあお望みだというなら、答えてやるのが世の情け。
俺は正直に告げることにした。
「ハーレムものの時点でセンスないわ。土台から作り直せば?」
「は? 表出ろ♪」
◇
「世界には魅力的な女の子の属性が多数あります。幼馴染、文系理系体育会系、先輩後輩に妹に姉、果ては人妻未亡人。古き良きツンデレ、その派生であるクーデレにヤンデレ。天使系か小悪魔系。元気系にダウナーに腹黒などなど。ここから髪型でさらに分岐します。ショートミディアムロングはもちろんのこと、ポニーテールツインテール三つ編み縦ロール。あっ、髪色もありますね。黒髪茶髪金髪銀髪赤髪青髪ピンク髪と。このとおり魅力的な女の子の可能性は無限大と言っても過言ではないでしょう。そんな無限の可能性からたった一つだけ選ぶなんて、もはや冒涜的な行い。カレーとラーメンを一緒に食べても美味しいように、女の子は何人いようと構わな──」
「けほっ、ごほっ。すまん、ちょっと」
「どうしましたか?」
「いや、おっさん加齢臭がひどくて」
「殺しますよ♪」
「しかしまあ……はっ! 聞くに堪えないとはまさにこのことだな。女の子の可能性は無限大? それについては否定しない。だがそれをハーレムに落とし込むなんて愚の骨頂。恋愛とはじれったいと思える心の揺れ動きが何よりも魅力的だとなぜ理解できないのか。一緒に居たら嬉しい、別れたら寂しい、別の誰かに笑いかけていたらもやもやする。細かな心情を描き、一歩二歩進めたかと思えば三歩下がる。それでも寄り添い支え合い、共に心の葛藤を乗り越えて成就する純愛こそ至高。ちょっとした困難を乗り越えたら「あっ、好き」とか、文学的要素が欠片もないハーレムとは一線を画しているのだよ。器用貧乏な百が、究極の一に勝てるなんて思い上がりも──」
「けほっ、こほっ。すみません、ちょっと」
「どうしたんだ?」
「いえ、童貞臭がひどくて」
「善悪の区別も付かないのか?」
「お前が言うな♪」
『……………………』
「一度停戦にしよう。お互い無駄に傷を負う」
「乗りましょう」
場所をファミレスの角席に移ってしばらく。
主義主張を剣に戦争していたのだが、あまりにも不毛なうえに両者重傷を負いそうなので停戦することにした。
てかどうしてこうなった? 表出ろって言われたから泣く泣く付いてきたけど、ファミレスで舌戦を繰り広げる羽目になるとは思わなんだ。
「にしてもまあ、漫画なんて描いてたんだな。意外だったよ」
「他の人に喋ったら殺しますよ♪」
「なるほど、ハーレムメンバーにも秘密なのか。だけど合点がいった」
かねてからの疑問がようやく解けた。
「なんで好きでもない男のハーレムメンバーなんてやってるのかと思っていたが、まさか潜入捜査とはな。その情熱には恐れ入った」
「……お気付きだったのですか?」
「生憎と眼がいいもので」
そう、俺が気になっていた甘崎ハーレムの一人とは辻だった。こいつからは恋の波動や熱を全く感じないのだ。
恥部を曝け出して「もう何も怖くない」状態なのか、辻はぱちぱちぱちと拍手した。
「御見それしました。ただの気持ち悪い童貞純愛厨ではなかったのですね」
「えっ、もう開戦したの?」
「失礼しました。停戦中でしたね」
ここまで礼を失する奴は初めて見たぞ。美少女だからって何言っても許されるなんて思うなよ?
流石に悪いと思ったのか、辻は咳払いを挟んで空気を切り替えてきた。
「ご指摘のとおり、私があの奇妙なグループに所属しているのは観察が目的です。ハーレムプレイに関してなぜなぜどうしてと自問し、当人を含めた全員へのヒアリングをしれっと行う毎日です」
「お前は悪魔の生まれ変わりなのか?」
「純粋培養天然仕様の女の子ですよ?」
「面の皮何センチですか?」
頭部全てが面の皮と言われても驚かないぞ。
「てかお前も甘崎ハーレムを奇妙だと思ってるんだ」
「当たり前ですよ。本当に不思議なんですよね」
辻は頬に手を当てて、心の底から理解できないといった様子で心情を吐露し始めた。
「私の知る限り、甘崎さんは本当に凡庸な男子です。実はこの世界には淫魔がいて彼は凄腕の退魔師なんてことも、実は異世界帰りで凄まじいスペックを隠しているなんてことも、実は殺し屋で他の子たちはハニトラ要員なんてこともない。強いて言うなら女子の弱音に付け込むのが上手いだけの、本当につまらない男子。だというのに、属性が違う三人もの美少女を虜にしている。私は本気で催眠術を疑って、今でも自分を正気に戻せるように毎日日記をつけていますよ」
「何喰ったら人間そこまでドス黒くなれんの?」
特級呪物でも食べた? 呪いの王あたりと性格入れ替わってたりする? しない? そう……。
この女マジでいい性格してるわ。
「それで、潜入捜査の甲斐はあったのか?」
「……はぁー。全くですよ。一応彼らの日常を参考にネーム未満の落書きを描いてみましたが、もう何が面白いのかさっぱりです。なんというか、浅くて薄いんですよね。現実に劇的なドラマなんてそうそうないということなんでしょう」
「その浅くて薄いのを積み重ねて、深くて濃いものにするのが恋愛なんだろ」
「むっ、なんか良いことを言おうとしていますね。気持ち悪いです」
「罵倒しないと死ぬ病気にでもかかってる?」
「え? 今のは罵倒のつもりはなく、ただの本心なのですが……」
「なお悪いわ!」
俺は美少女の罵倒をご褒美に感じられる体質ではないため、辻が放つ言葉のナイフはメンタルへ突き刺さってくる。
諸事情もあって俺のメンタルは鍛えられているので、この程度なら大したことはないが。
「……ん? そうなるとさっき読んだのは甘崎ハーレムを基にした漫画じゃないのか?」
「……ええ。そうですよ」
「ふーん」
俺が読んでしまったあのノートの漫画は、ペン入れする前の下書き段階だった。読む分には支障はなく、ちゃんと漫画になっていたので辻のオリジナル作品なのだろう。その点は素直にすごいと思っている。
「ようやく本題に入れますね。さあ、見られてしまった以上、失うものはもうありません。感想をお聞かせください。あっ、先に釘を打っておきますが、ジャンルだけの批判はやめてくださいね」
「感想ね~。ちなみにもう一回見ても?」
「……どうぞ」
渋々嫌々差し出されたノートを受け取り、ページを開いて再度読んでみる。
題材はラブコメ。舞台はノンフィクションの現代日本。始まりは高校の入学式。女幼馴染と一緒に学校へ。別クラスで残念。教室に行ったら明るく元気な美少女に挨拶され、相手は意味深な間。風紀を乱しまくっている担任の美人教師が登場。入学式では美少女生徒会長と目が合った気がして……。
「読むのが苦痛」
「読むのが苦痛!?」
しまった。あまりにもあんまりな内容の所為でつい本音が。
でもこれは仕方ないと思う。心が悲鳴を上げていると言って相違ない。
「いったいどこが苦痛だというのですか? ええ? 私は今、冷静さを欠こうといていますよ?」
「怖えよ……どこって言われるともはや全部なんだが……」
気になるところは……。
「主人公の掘り下げが無さ過ぎて、共感できないうえに物語に入り込めない」
「うっ」
「高校の入学式の日が始まりなら幼馴染は百歩譲っていいけど、背景すら分からずに複数人から好意を向けられているような描写が不可解を通り越して気持ち悪い。男の妄想キッショって感じ」
「ぐっ」
「可愛いヒロイン出しとけばいいんだろ、っていう作者の浅い考えが透けて見える」
「がぎぐごげげっ!」
「だから怖えよ」
美少女はおろか人間から出ちゃいけない音を発してない?
中々に大きな胸、正確には心臓を握りしめるように手を当てて、辻はこちらを睨み付けてきた。
「ハッ! 何を言うかと思えば、表面をさらっただけの批判とは片腹痛いですね。いいですか、一話目はキャラ紹介なんです。ここから主人公もヒロインも深堀りし、段々と物語を重厚にしていくという──」
「一話目に魅力が無かったら、読者はついてこないぞ?」
「やめて! もうやめてっ!」
早々に白旗が上がった。正直まだまだ言い足りないんだが……。
なんて思ったが、逆の立場で考えてみる。
自身の性癖を露にした作品を、異性の同級生に読まれたうえで痛烈な批評を喰らった。
……うっ! なんて破壊力。胃と心が万力で締め付けられた気分だ。
少しだけ反省し、俺はノートを閉じてテーブルの上に置いた。
「あっ、絵は良く描けてると思うぞ」
「下手な慰めはいいですよ……はぁ、変な汗をかいてしまいました」
辻はブレザーを脱ぎ、ボタンを一つ外したシャツの胸元をつまんでパタパタと仰ぎ始めた。うーん、中々に刺激的な光景。
とはいえだ、これでようやく俺の役割も終わったことだろう。秘密にしていた漫画を盗み見て、内容を酷評するという役目。……俺、ガチでクズじゃね?
でも本音で意見を述べろって言われたし、客観的にも間違ってないはずだし、俺の好みじゃない点を除いても赤点だったし。うん、俺は悪くない!
自己弁護を終わらせた俺は、この集会からの脱出を目指すことにした。
「じゃあ、俺はこれで。安心しろ、他言はしないから」
「待ちやがれ♪」
なんでだよ!? 終わっただろうが!
「まだなんかあるのか?」
「当然です。私の秘密を知られた以上、ただで帰すわけがないじゃないですか」
「こ、殺すつもりか!?」
「そんなことしませんよ、今は」
今はって言った?
「今後も定期的に見ていただけませんか? ご意見を伺いたいです」
「お前やっぱりドMなのか?」
「はっ倒すぞこら♪」
「えーと、その、変なプレイに巻き込むのは勘弁していただきたいのですが」
「敬語やめろ♪」
いやもうそうとしか考えられないだろ。偶々見ちゃっただけの恥部をフルオープンされたら困惑するだろ。それが定期的にってなったら正気を疑うだろ。
「意見を聞きたいならネットの海に流せ。ぼこぼこに叩きあげてもらえるぞ」
「彼らは遠慮も気遣いもないうえに生産性もない意見しか言わないので時間の無駄です。普通に傷付きます」
「心が強いのか弱いのか」
「いいではないですか別に。少し時間を割くだけですよ」
「まあ確かにそうだな。だが断る。俺は忙しいんだ」
「忙しい、ですか?」
この時初めて、辻の柔らかな微笑みが崩れた。
「どうせ家に帰っても純愛(笑)コンテンツを無為に消費していくだけなのでしょう? 自ら生み出すことはせず、他人が心血注いだ作品を上から目線で批評するだけですよね? それを忙しいだなんて、随分と良いご身分ですね」
完全に嘲笑であった。プロでもないというのに、自分は生み出す側にいるのだという自称創作者の傲慢。
苛立っていたのは分かるし、仕方がないとすら思う。俺も逆の立場だったら「なんだこいつ?」ってムカついていただろうからな。
「……はじめてですよ、このわたしをここまでコケにしたお馬鹿さんは」
だが流石にカチンときた。
知らぬが仏というか、無知は罪なりというか。よくもまあこの俺に対し、純愛をだしにして侮辱をしたものだ。
よろしい、ならば戦争だ。
この自称漫画家に現実を分からせてやろう。
スマホをいじり、某通販サイトを開いて辻に見せる。
「この作品、知ってるか?」
「なんですか急に?」
「いいから」
「これは……はい、このラノベなら知っていますよ。アニメ化も決定していましたね」
画面には清楚系美少女が浴衣を着ている姿が表紙の、純愛もののライトノベルが映っていた。シリーズの最新刊であり、アニメ化決定の宣伝文句がきらりと輝いている。
俺はスマホをいじりながら続けた。
「この作品が元々はネット小説だっていうのは?」
「ええ、知っていますよ」
「作者俺だから」
「…………は?」
家族以外では親友にしかしていないカミングアウトに、辻は素っ頓狂な声をして固まった。
瞬きを繰り返し、しばしの時間を経て何を言われたのか理解したのだろう。瞳には哀れみが宿っていた。
「人気作品の作者が実は自分だなんて妄想、今どき中学生でもいたしませんよ。あなたが童貞純愛厨なのは知っていましたが、これほど残念な方だったとは露ほども」
「これが俺のマイページな」
「……………………」
突き出したスマホの画面には、作者しかログインできないはずの某小説サイトのマイページが映っている。動かぬ証拠というやつだな。
「いやいやいや、そんなまさか。あり得ません。似たようなサイトをご自身で作って悦に浸っているだけですよね? 今ならまだ引き返せますよ?」
「これから最新話を投稿する。最初の一文はこれな。見たな? ほれ」
「……………………」
辻は画面をガン見し、間違いなくこの小説の作者のマイページだと理解したはずなのにまだ抗ってきた。なのでその希望を挫くことにした。
ゆっくりとした指の動きで辻はスマホをいじり、俺が執筆した小説の最新話を読み始めたようだ。
「……嘘、嘘です。そんなこと、あるわけが」
「いい加減認めろ。お前の目の前にいるのは、会社からお金を貰っている一応プロの作家なんだよ」
「……………………」
「それで、えー、辻さんはさっきなんて言ってたっけ?」
「!?」
気持ち的には俯いて震える辻の周りをゆっくりと歩きながら問いかけたかったが、やむを得ず座りながら先の発言の問題部分を指折り数えていった。
「純愛コンテンツを無為に消費していき? 創作もせずに? 他人の作品を上から目線で批評するだけで? 良いご身分ですと? ほーん、舐められたものだなー。そんなこと言うなんて、辻さんはさぞ活動的なんだろうなー」
「いや、あの……」
「出版社への持ち込みは?」
「……していません」
「同人誌の作成は?」
「…………して、いません」
「ネット媒体への投稿は?」
「……………………」
「かーっ! 卑しか女ばいっ!」
俺は今、雰囲気で話している。
「この自己満足のオナニー漫画家が!」
「ぐはぁああああああああああああっ!!」
こいつノリ良いな、ちょっと好きになってきちゃったよ。まあ俺がやってることはマウントを取ったうえでの尊厳破壊なので、相手がこっちをどう思っているかはお察しだが。
あーっ、すっきりした。逆鱗を突き刺してきたからといって正直やりすぎた感は否めないが、とにかくすっきりした。これでハーレム好きのドMな自称漫画家も分からされたことだろう。
「……あのぉ~」
内心も外面も勝ち誇っていたところ、真横から声が掛けられた。
顔を向けるとそこにはこのファミレスの制服を着た、同じ年ごろに見える少女が一人。
「他のお客様のご迷惑になるので、どうかもう少し静かに……」
『大変申し訳ございませんでした!』
俺たちは即座にファミレスを後にした。
◇
ごろん、とベッドの上にうつ伏せで倒れ込む。
艶のある長い黒髪が乱雑に広がるが、そんな些事には気が向かないほど、辻文乃は今日の出来事に思考の全てを埋め尽くされていた。
趣味で描いていた漫画を同級生に見られて、宗派の違いから弁論を繰り広げ、調子に乗って挑発したら、完膚なきまでに叩き潰された。
「うがががぎぎっ!」
物に当たらねばおかしくなってしまう苛立ちに支配され、文乃は側にあったぬいぐるみを力の限り圧し潰す。
腹立たしい、ああ腹立たしい。
「よくも、私をっ……言うに事を欠いて、オナ、オナニー漫画家ぁ!? 許せません、許せませんっ!」
ファミレスを退店した後の別れ際の言葉が、脳内で変換されて繰り返し再生されていく。
──じゃあな異教徒の猿。俺がいないジャンルでイキっているだけの、凡夫。
「ぐぎきぃいいいいいいいいいっ!!」
美少女はおろか人間が発してはいけない類いの奇声を上げながら、文乃はベッドの上でのたうち回る。
なお、一途純好はこんなことを言っていない。実際の発言は「今日のことはお互い秘密ってことで。そっちも創作活動頑張ってくれ。ああ、意見が欲しいならネットの海に流すんだな。じゃあな~」である。これが悔しさ恥ずかしさ憎らしさといった文乃の感情と合わさり錬成された結果、紛うこと無き人でなしの発言に変換されてしまったのだ。議論の余地はあるだろう。
行儀が良いのか悪いのか、なんとか自室内で激情を抑え込んだ文乃は勉強机の椅子に座り、ペンを手に取った。
思い浮かぶのは、ゲラゲラと嘲笑が刻まれた憎き男の顔。
「分からせてやる……あの男に……私の、信念をっ!」
この日、文乃は趣味で漫画を描いている少女から、心血を注いで無から有を生み出す創作者となった。
真の戦いは始まったばかりだ。




