7 世界を超えて待ち続けたNPC「おかえり、やっちゃん」
ダンジョンの一階には、隠しMAPがある。
特殊なアイテムを使って入場するか、神社にいるNPCから招待を受けるか。あるいは、偶然では絶対に見つけられないほど特殊なルートを通るか。
その三択だ。
まず、ダンジョン一階のどこかにランダムに出現する『竜神手水』で手と口を清める。
つぎに、ドンライ平原を流れる川の上流に向かう。最上流にかかる橋の下、そこに隠された祠を開け、竜の置物の口から『水竜玉』を抜き取る。
最後に、川沿いをゆっくりと歩きながら下流へと進む。
途中で水竜玉が光った場所から川底に飛び込むと、隠しポータルがあらわれる。
意味のわからない手順を踏んで、ようやく入れる隠しMAP。
その名を『叢雲神社』という。
これを発見したプレイヤーは、ダンジョンの一階だけで一週間の探索を行っていた際に、偶然川底のポータルを見つけたという。
――二十年前の俺だった。
「きれいだな、ここは」
黄昏に染まる荘厳な朱色の鳥居をくぐり、一礼した。
現世を離れて、神様の領域へと足を踏み入れる。
そばを流れる清流の涼し気な音を聞きながら、石畳をゆっくりと昇る。
自然の音が支配する静寂に、土足で踏み入り荒らすような感覚。
異世界へ迷い込むとは、きっとこんな感覚なのだろう。
入学式の看板の前で意識が覚醒するようなのは、ただの「異動」だ。人間社会から隔離された空間に迷い込むことこそが、異世界のはじまりにふさわしい。
長い階段を登りきる。
この先に待つものを、現実として目にすることができたら。そう考えただけで高揚が止まらない。
そこに住むNPCだった彼女は、いまもまだいるのだろうか。
もし死んでしまっていても悔やんではならないと自らを律する。だが、もしも再び巡り逢えたら……。
――ザッ、ザッ、ザッ。
自然の音ではない。規則的なリズム。
箒で地面をはく音だと気づいた。
――ダッ、ダダダッ、ダッ!
途端に足が走り出す。
階段を登りきる前に、向こうから「彼女」がやってきた。
持っていた長箒を手から落とし、二歩進んで立ち止まり、急に駆け出してくる。
「雨竜さんッッ!」
茜色に染まる姿を目にすることさえ待てない。
「やっちゃん!」
上から飛んできた彼女の体を受け止める。
抱きしめて、ぐるりと回りながら足を止めた。
強く抱きしめるのは、彼女のほうだった。
会えて嬉しい。
もう離さない。
二度と別れたくない。
鼓動の速度まで一つになったと感じる。
『ディア・カルディア』の世界で築いた絆が、いま、世界を超えて繋がり合った。
「……おかえり、やっちゃん。ただいまも、ですね。あらあら、だめですよ。謝ってはいけません。感謝してもいけません。私があなたにつけた傷は、あなたの業の成した罪。その傷だけは癒して差しあげませんので」
「まだ、何も言ってない」
「あら、そうでしたね。人の子の心が読めるのは内緒でした。くふふっ、うっかりです」
長いまつげをいたずらに揺らしながら、彼女――雨竜はご機嫌に体を揺らしていた。
「では、行きましょうか。やっちゃんの戻りをお待ちしている方がおられます」
「俺を呼んでくれたの、雨竜さんじゃないの?」
「おやー? お心当たりが多いのではー?」
いじわるな笑みを浮かべる雨竜。
白く清らかな小袖に鮮やかな緋色の袴。袖口や裾が揺れるたび、清涼感のあるアクアノートが香る。
「雨竜さん、二十年ぶり。はじめまして」
「はじめまして、人の子よ。我は神への道を示す一柱。森羅万象を司り、汝に試練を課す。天上の極光に裁かれよ」
彼女と初めて会った時にだけ聞けるボイスだ。
十歳の俺には難しすぎて、攻撃されると思ってしまった懐かしい台詞。
「くふふっ。ほんとうに成長しましたね。はじめてきたときは、モンスターだと思って木刀を構えられましたのに」
「あれはっ、モンスターだと思ったわけじゃなくて!」
「じつは、きれいすぎて怖かったんですよね?」
「いまでも怖いよ!」
顔を赤くしながら叫んでしまった。
「まあ、まあ」
『ディア・カルディア』のNPCとプレイヤーの関係は、ただのプログラムのやり取りではない。
初心者の頃から一緒に冒険したNPCと家を買って住む。そんな楽しみ方すらあった伝説のゲーム。
現実となったこの世界でも、雨竜の解像度は変わらない。
「変わりますよー? ちゅーできるようになりました。味見しちゃいますか?」
「おほっ……ぐぬぬぬぬぬっ」
「これは先行きが思いやられます。筋金入りの童貞さんができてしまいました。成長には期待できますが、将来性はなさそうです。主に甲斐性の部分で」
「三十歳まで結婚できなかったら雨竜さんと結婚する」
ゲームの時からずっと言ってきたセリフ。まさか現実でも言うことになるとは。
雨竜はうれしさを隠せず、高く結い上げた黒髪を揺らした。
「くふっ。いますぐに結婚するのも一緒じゃないんですかー?」
「だれが三十歳まで結婚できないことが確定してる独身男性だよ!? ムラクモちゃん呼んできてくれ! 占ってもらう!」
「くふふっ。じゃあ、期待して待ってしまっていいんですよね?」
のぞき込んでくるような上目遣いに、俺は言いよどんだ。
「はあ、この人生もだめそうですね。女の子の手よりも武器を握りたい男の子はわかりかねます」
「さきに諦めるなよ、俺を!」
叢雲神社に、清らかな笑い声が響き渡っていた。
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