第9話 優雅な休日に通知音はいらない
日曜日。 それは、労働者にも学生にも等しく与えられた、神聖なる安息日だ。
昨日の土曜日は、カプセルトイの前で震える深海魚赤羽を拾ったせいで、俺の休日は跡形もなく消え去った。 だからこそ、今日こそは静寂を取り戻さなければならない。
俺は自室のベッドに寝転がり、本を開いた。昨日買った小説は1ページも読み進めることができなかった。今日こそは静かな自室で読ませていただこう。これこそが至高の時間――。
『ピロリン♪』
静寂を切り裂く、間の抜けた電子音。俺は眉をひそめ、枕元のスマホを睨んだ。通知画面には「赤羽雫」の文字。
『青柳くん、おはようございます!今日もいい天気ですね!』
朝の十時から、これで五件目だ。 俺は無視を決め込み、ページをめくる。
『ピロリン♪』 『あ、言い忘れました。昨日のイカ、名前をつけました。「烏賊王」です』
『ピロリン♪』 『(メンダコが踊り狂っているスタンプ)』
『ピロリン♪』 『YouTubeで深海生物の捕食シーンの動画見つけました。URL貼りますね』
『ブブブッ……ブブブッ……』
今度はバイブレーションだ。URLの連投か、スタンプの爆撃か。俺のスマホは痙攣した虫のように震え続け、ミステリーの重厚な世界観を台無しにしていく。
(……あいつ、距離感のブレーキが壊れてやがる)
昨日、連絡先を交換したのは失敗だったかもしれない。普段、教室の隅で息を潜めている反動なのか、デジタルの海を得た赤羽は、文字通り水を得た魚のように活発だった。
俺は本をバタンと閉じ、スマホをひっ掴んだ。このままでは安息日が「通知処理日」になってしまう。
『うるさい。本読んでる』
短く、冷徹に打ち込んで送信。すると、即座に「既読」がついた。
『!! ごめんなさい! 沈黙します!(土下座して砂に潜るカニのスタンプ)』
ようやく、部屋に静寂が戻った。俺は大きく息を吐き、再び本を開いた。やれやれ、最初からこう言っておけばよかったんだ。
――ピンポーン。
本のページを一枚めくった瞬間、今度は家のインターホンが高らかに鳴り響いた。
「…………は?」
俺は戦慄した。まさか。いや、あり得る。スマホでの連絡を禁じられた赤羽が、思考回路をショートさせて直接家に来たのか? 「文字がダメなら、直接伝えに来ました!」とか言い出しかねない。あいつはそういう極端な生き物だ。
俺は忍び足で玄関へ向かい、恐る恐るドアスコープを覗き込んだ。魚眼レンズの向こうに映っていたのは、汗だくで白い歯を見せる、爽やかな笑顔の男だった。
「――っ」
俺はチェーンをかけたまま、ドアを少しだけ開けた。蒸し暑い外気と共に、強烈な「陽」のオーラが流れ込んでくる。
「よっ! 湊!生きてるかー!」
「……なんで連絡もなしに来るんだ、ヒカル」
そこに立っていたのは、ジャージ姿の幼馴染、黄金井ヒカルだった。赤羽とは対極に位置する、歩く太陽そのものだ。
「あ?連絡したら無視するだろ?俺は詳しいんだよ、お前の扱いには」
「……チッ」
否定できない。こいつの野生の勘は、時としてエスパー並みに鋭い。
「で、なんの用だ」
「サッカー部の助っ人の帰り。腹減ったからバーガークイーン買ってきた。一緒に食おうぜ」
ヒカルが掲げた袋からは、ジャンクフードの暴力的な匂いが漂っていた。俺の繊細な読書時間は、こうして物理的に破壊された。
*
「うめー! やっぱ運動のあとはこれだよな!」
俺の部屋のローテーブルにハンバーガーとポテトを広げ、ヒカルは豪快にかぶりついた。仕方なく俺もコーラを開け、ポテトをつまむ。
「お前休日くらい静かに過ごしてろよ」
「サッカー部のやつがどうしても助っ人をっていうからさー。それより今日の試合でよー」
ヒカルが馬鹿話をしている最中だった。テーブルに伏せていた俺のスマホが、再び『ピロリン♪』と鳴った。 俺は画面をチラリと見る。『今、空の雲の形がリュウグウノツカイっぽいです』という、どうでもいい報告だった。俺は顔をしかめ、画面を裏返してポテトを口に放り込んだ。
「ん? 返さねーの?」
ヒカルがハンバーガーを咀嚼しながら訊いてくる。
「どうでもいい内容だからな」
「彼女か?」
「違う。……赤羽だ」
「おお! 転校生か! お前ら仲良いよなー」
ニカッと笑うヒカルに、俺は溜息交じりに説明した。昨日、なりゆきで連絡先を交換したこと。それ以来、距離感がバグった連投が来ていること。面倒だから放置していること。
「ふーん……」
話を聞き終えたヒカルは、ポテトを持つ手を止め、珍しく真面目な顔をした。
「湊。お前なー、そりゃねーだろ」
「は?」
「相手もさ、勇気出して送ってんじゃねーの? 転校してきて不安だろうし、湊からの返事待って、スマホ握りしめて待ってるかもしんねーぞ? 無視は可哀想だろ」
「…………」
俺は言葉に詰まった。普段は声がデカいだけの単細胞だが、こいつの「人たらし」の根源は、こういう所にある。 昔から他人の心情を、肌感覚で想像できる優しさ。
「……別に、いじめてるわけじゃない。頻度がおかしいから躾けてるだけだ」
「言い方! まあ、ちゃんと『今は返せない』とか言ってやれよ。お前、たまに冷たすぎるからな」
ヒカルはそう言うと、「よし、食った食った!」と立ち上がった。
「じゃあな! これからランニング行ってくるわ!」
「元気だな……」
嵐のように現れ、嵐のようにハンバーガーを食い散らかし、ヒカルは去っていった。部屋には静寂と、ポテトの塩気のある匂いだけが残された。
*
夕方。 俺は散らかったゴミを片付けながら、ヒカルの言葉を反芻していた。
『スマホ握りしめて待ってるかもしんねーぞ?』
……あいつなら、やりかねない。部屋の隅で体育座りをして、じっと画面を見つめている深海魚の姿が脳裏に浮かぶ。
「……はぁ」
文字で返すと、またラリーが続いて面倒なことになる。俺は観念して、通話ボタンを押した。
『プルルル……』
ワンコールもしないうちに、通話が繋がった。
『は、はひっ!?』
「……出んのが早すぎる」
『あ、あ、青柳くん!? で、電話!?』
スピーカーの向こうで、ガタガタと何かが崩れる音がした。おそらくスマホを落としたか、自分が転んだかだろう。
「落ち着け。少し話がある」
『は、はい! 正座しました!』
「いいか、今後の方針を伝える」
俺は努めて冷静に、事務的に告げた。 頻度が多すぎると生活に支障が出ること。 返信は気まぐれになるから、即レスを期待しないこと。 あと、雲の形とかの報告はいらないこと。
『……あ、うん。そうだよね。ごめんなさい……嬉しくて、つい……』
電話越しに、赤羽がシュンとして小さくなっているのが伝わってくる。ヒカルの言う通りだった。こいつはただ、繋がりが嬉しかっただけなのだ。
「……わかればいい。じゃあな」
『はい……ごめんなさい。また明日』
通話が切れた。最後の「また明日」という声は、明らかに元気がなかった。
*
風呂から上がり、ベッドに入る。部屋は静かだ。通知音もしない。望んでいた平穏な夜のはずだった。だがどうにも寝付けない。昼間のヒカルの言葉と、さっきの赤羽の沈んだ声が、頭の中でリフレインしている。
俺は天井を仰ぎ、一度だけ舌打ちをしてから、サイドテーブルのスマホを手に取り、メッセージアプリを開いた。
『明日の数学、宿題のプリント終わってるか?』
送信。 一秒も経たずに「既読」がついた。その直後、文字入力中の吹き出しが激しく波打つ。
『!! 忘れてました!! 今からやります!!』
『ありがとうございます!!(布団に入って親指を立てるダイオウイカのスタンプ)』
……単純な奴だ。文面から、先程までの落ち込みが嘘のように吹き飛んでいるのがわかる。俺は最後に、一言だけ付け足して送信した。
『おやすみ』
すぐに『おやすみなさい!!!!!!!!』という、ビックリマークの多すぎる返信が返ってきた。
俺はスマホの画面を伏せ、目を閉じた。今日は一ページも本を読めなかった。けれど、まあ、たまにはこんな騒がしい日曜日も、悪くはないかもしれない。
俺は静かな部屋で、小さく笑って眠りについた。
読んでいただきありがとうございます!
赤羽さんの「距離感バグ」、書いている自分でも「これは重い……!」と思いながら書いていました笑
そして、まさかのヒカル回でもありました。 ハンバーガーを食べて説教して去っていく。嵐のようですが、彼のおかげで二人のラインは繋がりました。友達でもちゃんと大事なことは言うところ最高ですよね
次回は、この「夜のやり取り」を経ての月曜日の朝です。挙動不審になる赤羽さんが目に見えています。
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