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第8話 優雅な休日に黄金のイカ

挿絵(By みてみん)

 9月初旬の土曜日。

 暦の上では秋とはいえ、アスファルトを焼く日差しは依然として暴力的な強さを保っていた。


 転校生・赤羽雫(あかばねしずく)がやってきてからの一週間、俺のスクールライフは文字通り台風の只中(ただなか)にあった。だからこそ、今日という日は重要だ。学校という名の戦場を離れ、誰にも干渉されず、ただ静かに文化的な生活を営む。


 俺、青柳湊(あおやぎみなと)は、その権利を主張するために街へ繰り出した。空調の効いた駅前の大型書店で、目をつけていたハードカバーの新刊小説を購入する。重厚な紙の手触りと、インクの匂い。完璧だ。

 あとは、このまま少し離れた場所にある静かなカフェに向かい、アイスコーヒーを飲みながら涼しい店内でページをめくるだけ。それが俺の描いた、完璧な週末の青写真だった。


 ――ショッピングモールの、カプセルトイコーナーの前を通るまでは。


「…………ぅ、ぅぅ…………」


 広大なモールの通路脇に、色とりどりのガチャガチャが並ぶ一角がある。そのさらに端っこ、柱の陰に同化するようにして、奇妙な物体が震えていた。

 最初は、見間違いかと思った。そこには、一人の少女がいた。透き通るような白のワンピースに、大きなリボンのついた麦わら帽子。足元は涼しげなウェッジソールのサンダル。どこからどう見ても、これからデートに向かう爽やかな美少女だ。


 だが、その「爽やかな美少女」は、壊れた携帯電話のように小刻みに振動していた。麦わら帽子を目深(まぶか)にかぶり、白い細腕を胸の前で握りしめ、何かブツブツと呪詛(じゅそ)のようなものを吐いている。


「……両替……したい……でも……あそこは……浅瀬の捕食者が……」


 聞き覚えのある声。いや、聞き覚えのある「周波数」の陰気さ。

 俺は持っていた本屋の紙袋を、思わず強く握りしめた。


「……赤羽?」


 俺が声をかけると、白いワンピースの不審者は「ひっ!?」と喉を鳴らして跳び上がった。

 恐る恐る振り返ったその顔は、間違いなくクラスメイトの赤羽雫だった。


「あ、あ、あ……青柳くん……!?」


「お前、なんでここに……いや、その格好」


「えっ、あ、これ……? お母さんが、まだ暑いから接触冷感のこれを着ていきなさいって……」


 普段の地味で暑苦しい長袖セーラー服とは別人のような可憐(かれん)さだが、中身が変わっていないせいで台無しだ。この残暑の中、彼女だけが恐怖で寒気を発しているように見える。


「で、何してるんだ。こんな所で」


「あ、あのね……これ」


 赤羽が指差した先には、『深海生物マスコット 第4弾 〜深淵(しんえん)からの呼び声〜』というマニアックなガチャのマシンがあった。


「今日発売で……どうしても、ダイオウイカが欲しくて……」


「なら回せばいいだろ」


「こ、小銭がなくて……両替したいんだけど……」


 赤羽が涙目で視線を送った先には、両替機があった。しかし、その前にはハーフパンツ姿の中学生男子グループが三人ほどたむろして、スマホゲームに興じていた。


「……あれが、怖いのか?」


「無理だよぉ……あんなの、近づいたら噛みつかれるよ……サメだよ、獰猛(どうもう)なホオジロザメの群れだよぉ……」


(……はぁ)俺は深いため息をつくと、スタスタと両替機へ向かった。


「すまん、ちょっといいか」


「あ、ハイ。すんません。」

 中学生たちは素直に道を空けた。俺は五千円札を崩し、戻ってくる。


「ほら、百円玉だ」

「あ、ありがとうございます……! 我が救世主……!」

「いいから早く回せ。俺は行くぞ」


 赤羽は震える手で硬貨を投入し、ハンドルを回した。

 コロン。出てきたのは、平べったい赤いタコのような生物。


「ああっ、メンダコ……可愛いけど、違う……!」

 二回目。メンダコ。

 三回目。オオグソクムシ。

 四回目。メンダコ。


「なんで……? どうして私の愛が届かないの……も、もう小銭がない……次がラスト……」


 額に汗を滲ませながら、赤羽は最後の三百円を握りしめ、悲壮な顔で俺を見上げた。


「青柳くん……お願い。私の邪念がセンサーに感知されてるの。君のような、虚無(きょむ)の心を持つ人間じゃないと……!」


「誰が虚無だ」


 断ろうとしたが、暑さと赤羽の必死な形相に負けた。

 俺は百円玉を受け取り、無造作に投入口へ入れた。


「期待するなよ。俺はこういう運はない」


「頼んだよ……私の右腕……」


「いつから右腕になった」


 ガチャ、コロン。

 乾いた音と共に落ちてきたカプセルは、不透明な黄色だった。

 赤羽がひったくるようにカプセルを開ける。


「――ッ!!」


 言葉にならない悲鳴が上がった。

 中に入っていたのは、黄金色に輝くダイオウイカのフィギュア。シークレットレアだ。


「か、神……! 青柳神(ゴッド)……!!」

「大げさなんだよ」

「すごい、すごいよぉ! 一生家宝にする……!」


 赤羽が満面の笑みで、その黄金のイカを俺に掲げて見せた時だった。

 通路の向こうから、聞き覚えのある、夏の暑さを倍増させるような明るい声が響いた。


「――ってかさー! マジここウケるんだけどー!」


 俺と赤羽は、同時に凍りついた。その声の主は、間違いなく桃井マリン。この学校外の、しかもこんな場所で遭遇すれば、「二人で遊んでいる」という事実は、月曜日の教室で格好のネタとして消費されるだろう。


 俺の平穏な日常(モブライフ)が、終わる。


「……逃げるぞ」

「えっ?」

「走れ!」


 俺はとっさに赤羽の手首を掴んだ。

 彼女は「ひゃぅ!?」と変な声を上げたが、構わず走り出す。


「ちょ、青柳くん!? イカが、イカが!」

「握っとけ!」

「帽子飛ぶぅぅ!」


 俺たちは人混みを縫うようにして、モールの裏口へと駆け抜けた。白いワンピースを翻し、麦わら帽子を押さえながら必死についてくる赤羽。繋いだ手首から伝わる体温は、この暑さのせいだけではないように感じられた。


          *


 駅前の、人気のない路地裏まで逃げ切った頃には、俺たちは汗だくだった。


「はぁ……はぁ……し、死ぬかと……」


「……なんとか、撒いたか……」


 残暑(ざんしょ)の夕暮れ。膝に手をついて呼吸を整える。蝉の声が遠くで聞こえた。

 ふと、周囲の明るさが変わっていることに気づく。空はすでに茜色(あかねいろ)に染まり、影が長く伸びていた。


 俺は腕時計を見た。 ……夕方の5時。カフェで優雅に読書をする時間は、もう残されていなかった。


「あ……」


 赤羽もそれに気づいたらしい。俺の手にある、汗ばんだ手で握りしめた本屋の紙袋を見て、彼女は申し訳無さそうに身を縮めた。


「ごめん……なさい。私のせいで……」


 彼女は黄金のダイオウイカを大事そうに胸に抱きながら、俯いた。

 せっかく可愛い涼し気な服を着ているのに、その姿は叱られた子供のようで、見ていて痛々しい。


 怒る気力も湧かなかった。

 それに、正直に言えば――自分でも驚くほど、悪い気分ではなかった。


「……はぁ」


 俺は今日何度目かわからないため息をつくと、ポケットからスマホを取り出した。


「スマホ、出せ」

「え……?」

「いいから」


 赤羽はビクッと震え、涙目で自分の小さなカゴバッグを探り始めた。


「か、カツアゲ……? ごめんなさい、もう小銭ないの……」

「違う」


 俺は自分のQRコード画面を突きつけた。


「連絡先だ」

「え……」

「お前、一人で放っておくと何しでかすかわからないからな。……次、またどっかで干からびて死にかけてたら、連絡くらいはしろ。助けるとは限らないが」


 それは建前だ。ただの、合理的なリスク管理。そう自分に言い聞かせる。


 赤羽はしばらくポカンとしていたが、やがてその意味を理解すると、夕焼けに負けないくらい顔を赤くして、パァッと表情を輝かせた。


「緊急連絡網……!」

「まあ、そんなもんだ」

「うん……! わかった!」


 赤羽はあたふたと自分のスマホを取り出し、俺の画面を読み込んだ。

 『ピッ』という電子音が、夕暮れの路地に響く。


「ありがとう、青柳くん!」


 彼女が見せた笑顔は、今日ガチャで当たりを出した時よりも、ずっと嬉しそうだった。


 こうして俺の休日は潰れた。

 カフェには行けなかったし、本も読めなかった。

 けれど、スマホの中に増えた「赤羽雫」という文字を見ても、なぜか後悔はしていなかった。


(……まあ、たまにはこういうのも悪くないか)


 帰り道。

 別れた直後に送られてきた『お辞儀をするメンダコ』のスタンプを見ながら、俺は小さく苦笑した。

第8話最後まで読んでいただきありがとうございます!


今回は初の休日イベント!赤羽さんの私服はお母さんが選んでいてヒロインらしいとても可愛い私服でした。ガチャガチャには9000円使ったそうです(笑)そしてやっと連絡先を交換しました!少し二人の距離はまた近づいたのかな……?


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