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第11話 赤羽さんは現代文に溺れる

「――というわけで、来週は前期期末テストを行うからちゃんと勉強しておけよー」


 ホームルーム|終了間際<しゅうりょうまぎわ>。担任の田中先生が事務的に放った言葉は、教室の一部に|激震<げきしん>を走らせた。


「なお、今回も赤点(30点未満)の者は、放課後一週間の|強制補習<きょうせいほしゅう>とする。補習期間中は部活動への参加は認めない」


 その瞬間、ガタッ! と大きな音が響いた。クラスの|陽<よう>キャ代表にして、校内最強の助っ人・|黄金井<こがねい>ヒカルが、机に突っ伏して絶命していた。特定の部に所属せず、あらゆる運動部から頼りにされている彼にとって、活動停止は|死活問題<しかつもんだい>なのだ。


          *


 ホームルームが終わるや否や、ヒカルが俺の席に詰め寄ってきた。


「頼む|湊<みなと>!勉強教えてくれ!!このままじゃ俺、みんなの期待を裏切ることになっちまう!!」


 ヒカルは俺の机に手をつき、必死の|形相<ぎょうそう>で|懇願<こんがん>してきた。


「意味がわからん。断る」


 俺は即答し、カバンを手に取る。俺の|平穏<へいおん>な放課後を、バカの介護に|費<つい>やす義理はない。


「そこをなんとか!赤点取ったら来週の助っ人に行けねーんだよ!頼む!ドリンクバー|奢<おご>るから!」


「……はぁ」


 必死すぎる。こいつから運動を奪ったら、ただの元気な筋肉ダルマしか残らないのは事実だ。  俺がため息をついていると、クイクイ、と制服の|袖<そで>を引かれた。


「……あ、あの……」


 隣の席の|赤羽<あかばね>|雫<しずく>だった。彼女もまた、顔色が悪い。


「私も……|便乗<びんじょう>させていただけませんか……。現代文だけはどうにもううまくできなくて……」


 |上目遣<うわめづか>いで、拝むように手を合わせる赤羽。


「……わかった。まとめて面倒見てやる」


「マジか! サンキュー!!」 ヒカルが復活する。


「でもよ、湊一人で俺ら二人を見るのは大変じゃね?」


「お前の|出来<でき>が悪すぎるからな」


「だ・か・ら! もう一人呼ぼうぜ!」


 ヒカルはそう言うと、まだ教室に残っていた派手なグループに向かって、デカい声を張り上げた。


「おーい|桃井<ももい>!今からファミレス行くけど、勉強教えてくんねーかー!?」


 教室中の視線が集まる中、金髪のギャル――桃井マリンがこちらを振り向いた。


「え、いーよー!ちょうどヒマだし!」


 軽ッ。  俺と赤羽が|呆気<あっけ>にとられていると、ヒカルが得意げに笑った。


「あいつ、見た目派手だけど学年10位以内のガチ|勢<ぜい>だから」


「「えっ」」


 俺と赤羽の声が重なった。 人は見かけによらないと言うが、限度があるだろう。


          *


 放課後のファミレス。俺たちは四人でボックス席を囲んでいた。配置は、俺の隣にヒカル。向かいに赤羽とマリン。赤羽はマリンの隣で、借りてきた猫……いや、水槽の|隅<すみ>のヤドカリのように|縮<ちぢ>こまっている。

 マリンがノートを広げる。そこには丸文字で、しかし|要点<ようてん>が完璧にまとめられた美しい記述が並んでいた。赤羽が目を丸くしてそれを見つめている。


「よし、やるぞ」


 俺は気を取り直して、ヒカルの英語の教科書を開いた。


「うげぇ……この長文、|呪文<じゅもん>かよ……」


 開始五分で頭を抱えるヒカル。


「いいかヒカル。単語は筋肉だ。文法はパス回しだ。基礎体力とルールを覚えなきゃ、試合にはならん」


「おお!なるほど!筋トレなら任せろ!」


 俺がヒカルにスポーツ理論で基礎を|叩<たた>き込んでいる横で、現代文のワークを開いた赤羽がフリーズしていた。


「……しずくっち、これなんて書いたの?」


 マリンが赤羽の回答を指差す。『この時の筆者の気持ちを答えよ』という設問に対し、赤羽の回答欄にはこう書かれていた。


『栄養失調による幻覚症状』


「……筆者は、なぜこんなに悲観的なのか……おそらく空腹で脳機能が低下しているのではないかと……」


 赤羽が大真面目に解説する。俺とマリンは同時に頭を抱えた。 論理的すぎる思考は、時に現代文の|情緒<じょうちょ>と|致命的<ちめいてき>に相性が悪い。


「あー、しずくっち難しく考えすぎ! ここはさ、『マジぴえん』ってことだよ」


「ぴ、ぴえん……?」


「そ。主人公、彼氏に既読無視されて病んでんの。だから答えは『不安』! 秒でしょ!」


 マリンの解説に、赤羽がハッとした顔をした。


「……なるほど。複雑な心理描写を、特定の感情コードに変換して処理する……」


 赤羽が感心したようにマリンを見つめた。


「すごいです……。私には、その発想はありませんでした……」


「えー? そお? 普通っしょ!」


 ケラケラ笑うマリン。俺の論理的な説明よりも、マリンの「感情直結型」の解説の方が、今の赤羽にはスッと入ってきたらしい。  マリンに教わりながら、赤羽のペンが進み始める。隣のマリンに対する恐怖心が、純粋な|称賛<しょうさん>へと変わっていくのが見て取れた。


          *


 すっかり日が暮れた帰り道。  方向が同じ俺、ヒカル、赤羽の三人で並んで歩く。


「いやー助かった!これで赤点|回避<かいひ>できそうだわ!」


 ヒカルが伸びをしながら笑う。


「湊、ありがとな!桃井も呼んで正解だったろ?」


「まあな。意外な戦力だった」


 俺が|頷<うなず>くと、赤羽も小さく同意した。


「はい。マリンさんはすごいです。」


「そりゃよかった。今度のテスト、頑張れそうだな」


 赤羽の顔には、確かな|手応<てごた>えが浮かんでいた。


          *


 そして翌週。運命のテスト返却日。


 放課後の教室は、|歓喜<かんき>と悲鳴が入り混じっていた。 隣の席で、赤羽が恐る恐る答案用紙をめくる。


「……あ」


 小さな声が|漏<も>れた。点数は58点。 赤点回避どころか、平均点すらクリアしている。


「よかったな」


「はい。マリンさんのおかげです」


 赤羽がホッと胸をなで下ろしていると、教室の後方からヒカルがドカドカとやってきた。


「見ろ湊!! 俺の完璧な仕上がりを!!」


 ヒカルは自信満々に、答案用紙を俺の目の前に突き出した。 英語の解答欄には、赤い丸がズラリと並んでいる。長文読解も文法もほぼ完璧だ。これなら80点は|堅<かた>い。


 ――だが、右上の得点欄には、|無慈悲<むじひ>な赤字で『0』と書かれていた。


「おい、なんで0点なんだよ! 全部合ってんのに!」


 ヒカルが涙目で俺に詰め寄る。


「先生の採点ミスだよな!? な!? これ80点はあるよな!?」


「……ヒカル」


 俺は答案用紙の左上を|指差<ゆびさ>した。


「名前」


「え」


 ヒカルの視線がそこへ向く。 氏名欄は、見事なまでに空白だった。


「嘘だろ……?」


 ヒカルが|凍<こお>りつく。  その背後に、補習担当の教師が無言で立った。


「あ、いや、先生! 中身は合ってるんです! 書き忘れただけで……!」


「|問答無用<もんどうむよう>。行くぞ」


「いやだぁぁぁ! 俺の80点んんん!!」


 ヒカルが机にしがみつくが、教師に首根っこを|掴<つか>まれ、ズルズルと教室から引きずり出されていく。


「湊ぃぃぃ! 助けてくれぇぇぇ!」


 廊下に響き渡る叫び声。  俺は冷たく手を振り、赤羽は静かに手を合わせた。

【今回の勉強会メンバーのテスト結果】


今回の前期期末テスト、学年順位の発表です。


1位:桃井マリン(学年8位) 見た目は派手なギャルですが、要領が良すぎるため学年トップ10常連。勉強も遊びも全力投球なハイスペック女子。


2位:青柳湊(学年24位) 基礎能力が高く、教えるのも上手い。


3位:赤羽雫(学年32位) 数学・理科は学年トップクラスだが、国語と社会が足を引っ張っている。今回はマリンの指導により現代文で平均点を死守し、順位を上げた。


4位:黄金井ヒカル(学年289位) 他の教科は赤点回避に成功したものの、配点の高い英語で「名前書き忘れによる0点」を叩き出し、総合順位で撃沈。補習室行きが確定した。 ※もし英語が80点なら、真ん中くらいの順位だったはず……。

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