第10話 Dr.ギャルの診療所
月曜日。
それは憂鬱の代名詞だ。だが、今週の俺には、別の頭痛の種が加わっていた。
『青柳くん! おはようございます! 緊急報告です! 現在、昇降口にマリンさん(台風)を確認!』
下駄箱で靴を履き替えていると、ポケットのスマホが震えた。画面には、切迫した文章と共に、柱の陰から隠し撮りしたようなブレブレの写真が添付されている。
一昨日、連絡先を交換してから、赤羽との距離は妙に縮まった。
彼女は俺を「友達」と認定したようだが、慣れていないせいか、その内容は会話というよりひたすらな「報連相」だ。
誰か他にも友達を作って、早くこの矛先を分散させてほしいものだ。
『そのまま直進して「おはよう」と言え。お前が思ってるほど、向こうは怖くない』
俺はため息交じりに返信し、そのまま教室へと向かった。
少し遅れて、背後からロボットのように直角に曲がり、マリンに向かって「オ、オハヨウゴザイマス!」と叫んで逃走する赤羽の姿が見えた。
マリンは「あ、おはよー! 今日も元気だねー!」と笑って手を振り返している。
……やはり、赤羽が勝手に気圧されているだけだ。
*
その10分後、事件は起きた。HR前にトイレへ向かおうと、廊下を歩いていた時のことだ。
「あ、ごめん!」
「ひゃぅっ!?」
前方で、男子生徒と赤羽がすれ違いざまに軽く衝突した。赤羽がよろめき、スクールバッグが壁に擦れる。
その拍子に、カバンにぶら下がっていた「黄金の物体」が何かに引っかかり――。
パキッ。
乾いた音が、廊下に響いた。
床に転がる、小さな黄金色のパーツ。
「あ……」
赤羽が凍りついた。
彼女が拾い上げたのは、昨日俺がガチャで当てた『黄金のダイオウイカ』――彼女が烏賊王と名付けた守り神の、一番長い足(触腕)だった。
「あ……あぁ……烏賊王……私の神様が……」
赤羽の顔から血の気が引いていく。
この世の終わりだ。深海の底で、最後の酸素ボンベが破裂したような絶望の表情。ぶつかった男子生徒も「え、あ、ごめん。大丈夫?」と声をかけているが、ショック状態の赤羽の耳には届いていないようだった。
(……マズいな)
俺は少し離れた場所で足を止めた。
どうする。LIMEで指示を出すか?
俺がスマホを取り出そうとした、その時だった。
「あー! 雫ちゃんじゃん! どしたの、そんなお通夜みたいな顔して」
通路の向こうから、派手な金髪が揺れた。桃井マリンだ。
赤羽にとっての苦手な台風。直視できない太陽のような存在。
「ひっ……!?」
赤羽がビクッと身を縮める。
壊れたイカを見られれば、「何それ変なのー」と笑われると思ったのだろうか。彼女は必死に手を後ろに隠そうとした。
「ん? あーっ! それ、一昨日発売の新作ガチャじゃん! しかもシークレット!」
マリンは赤羽の手元を覗き込み、一瞬で状況を理解したらしい。
そして、意外な言葉を口にした。
「うわ、折れてんじゃん! マジかー、これショックだわー。テンション下がるやつだわー」
そこには嘲笑はなかった。
あるのは、純粋な共感と同情。
「ちょっと貸してみ? 私、リペア道具持ってるからさ」
「り、りぺあ……?」
ポカンとする赤羽から烏賊王をひったくると、マリンは自分のポーチを取り出した。
中から出てきたのは、ネイルアート用の瞬間接着剤と、精密なピンセット。
「ここ、断面綺麗だからイケるっしょ。動かないでねー」
マリンはその場でしゃがみ込むと、慣れた手つきで作業を始めた。
長い付け爪をしているのに、その指先は魔法のように器用だった。
接着剤を極少量塗布し、折れた足をピンセットで正確に接合する。
「……す、すごい……」
「んしょ……はい、くっついた! ついでにトップコート塗って補強しとくねー。これで前より頑丈っしょ!」
所要時間、わずか三分。
マリンの手によって、烏賊王は完全復活を遂げていた。接合部はツヤツヤと輝き、傷跡すら見えない。
「はい、大事にしなよー」
「あ……」
「HR遅れないようにねー!」
マリンはニカっと笑い、赤羽の背中をバシッと叩いて、嵐のように去っていった。
廊下に残されたのは、復活した烏賊王を握りしめた赤羽だけ。
彼女はしばらく、マリンが消えた角を呆然と見つめていた。
*
昼休み。
俺はいつものように、誰とも群れずにパンを食べていた。
すると、スマホが震えた。赤羽からの定期報告だ。
『青柳くん。報告があります』
俺はパックの野菜ジュースを飲みながら、画面をタップした。
『マリンさんは、ただの台風ではありませんでした』
『彼女はたぶん、ホンソメワケベラ(他の魚をクリーニングしてくれるお医者さん)です』
添付された写真には、以前より輝きを増した烏賊王が写っていた。
(……お医者さんではないと思うが)
俺は小さく苦笑した。
赤羽のマリンに対する「怖い」という認識。それが、この一件で少し変化したようだ。
俺が遠隔操作で守らなくても、あいつは自分の力で(あるいは周りの力で)この生態系に馴染み始めているのかもしれない。
『よかったな。少しは仲良くできそうか?』
そう返信すると、すぐに既読がついた。
『まずは……今度、お礼にメンダコグミを渡してみようと思います』
俺はスマホを閉じた。
教室の向こうを見ると、赤羽が自分の席で、烏賊王を愛おしそうに撫でているのが見えた。
その横顔は、朝よりも少しだけリラックスしているように見えた。
俺は残りのパンを口に放り込み、午後の授業への英気を養った。
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第10話、いかがでしたでしょうか。 赤羽さんの守り神「烏賊王」が折れるという大惨事でしたが、救世主はまさかのマリンでした。 ギャルは優しいんです。ただ声とリアクションがデカいだけなんです。
これで赤羽さんの「対マリン用警戒レベル」が少し下がりました。 平和な生態系への第一歩です。
そして、相変わらず青柳くんをラジコンの操縦士扱いする赤羽さん。 このズレた距離感を「可愛い」と思っていただけた方は、ぜひブクマ・★評価で応援をお願いします!




