80話
ピンポン玉が、カッ、カッと台の上で弾む音が部屋中に響く。
翠嶺閣卓球大会も気がつけば決勝となり。
ここまで謎の迫力でマギ管が誇るS級魔法少女を圧倒してきた女将さん。
ラケットを二本使うという公式の大会でやろうものなら失格処分間違いなしの琴音。
その二人の勝負となった。
ちなみに、この大会の主催者の楽はというと。
開始早々、変身した挙句、「くたばりやがれぇ!!!」と全力でスマッシュを放ち――
宿の備品であるピンポン玉を粉々に粉砕。
全会一致であえなく失格となった。
白鷺さんは身長の低さで苦戦。
意外と負けず嫌いだったのか、それでもと部屋の隅の観葉植物を能力で操り始めたのでこれも即失格。
九重先生は運動力学がどうのとか解説を言いながらラケットに一回もボールを当てることなく空振りを連発。
霞野さんにストレート負けを喫していた。
そして――
どうやらこれまでの試合を振り返っているうちに決勝の決着がついたようだ。
琴音の背後でピンポン球が静かに音を立てて弾む。
「くそ〜、悔しぃ〜」
琴音が少し肩を落とし――
「しゃぁっ!!!」
女将さんが渾身のガッツポーズを決める。
「よーし、それじゃ、優勝は女将さんだな、隣で寝る権利は準優勝の琴音に渡すとして……」
そこへ楽が歩み出ると、“景品”となっていた俺を指し示す。
「ソフィアに好きな命令を一つしていいぜ」
その一言で女将さんの視線が俺の方を向いた。
頬を赤く染め、恍惚とした表情。
まぁ、白鷺さん絡みのお願いなんだろうな。
そう思ったが――
「えっと、ではアイリス様とのお写真を撮って頂いても良いですか?」
「そんなことで良いんですか?」
拍子抜けしてしまうほど、簡単にこなせそうなお願いだった。
写真ぐらいお安いご用だ。
俺は椅子から立ち上がると女将さんの横へ並ぶ。
そしてそれを垣守先輩がパシャリ。
自分のスマホを返して貰った女将さんはその写真をしばらく眺めたあと。
「あぁ……守護天使とのツーショット……」
まるで宝物のように大事そうに胸の中に抱え込む。
その様子を見て俺の脳裏に極めて嫌な予感が一つ浮かんできた。
「額縁に入れて、神棚に置くとかしませんよね……?」
「……」
それに対して女将さんは視線をただこちらに向けて頭を軽く下げるだけ。
あっ。
これ、飾られるやつだ。
なんとか阻止できないかと考えを巡らせているうちに「では、失礼します」と女将さんが退室。
遠ざかっていく背中に手を伸ばしているとそこへ白鷺さんの声が響いた。
「あの女将さんは写真を神棚に上げたりするのかい?」
「そうなんです……白鷺さんとのツーショットも飾ってありましたよ」
「それは……」
なんとも言えない微妙な白鷺さんの視線が女将さんが消えていった廊下に注がれる。
ここに更に「この町であなたは神様みたいに崇められてますよ」なんて言ったらどんな反応をするのか気になるが……
やめておこう。
こうして、箱根で過ごす夜は更け、今度こそ布団に入って寝るだけ。
だったはずなのだが――
部屋のトイレを使うとみんなに用を足す音や流す音が聞こえないか心配。
我ながら乙女らしいと思える理由で部屋がある階の女子トイレから出てきた時だった。
「ねぇ、ちょっと散歩しない?」
エレナにそう声をかけられた。
いや、眠いんだけど……
そう答えようとしたが、エレナのどこか影を帯びる表情に考えを改める。
「わかった……」
そして、エレナの背中を追いかけ、夜の箱根の街へと繰り出した。
少し生ぬるい風が肌を撫でる中、昼とはまた違った雰囲気の夜の温泉街を歩く。
そして、エレナは眼下を流れる川のせせらぎが聞こえる橋の上で立ち止まった。
彼女の艶やかな金髪の髪が風に靡く。
「私ね……」
川べりに連なる温泉宿が放つ、煌々とした人の営みを示すような灯り。
彼女はそれに視線を向けたまま、ポツリと話し出した。
「今、とても幸せ……」
「そっか」
「うん、屋根の下で朝を迎えて、まさか同年代の友達とこうして遊べる日が来るなんて思わなかった」
そう呟くと、彼女は橋の欄干を握る手にギュッと力を込めた。
「でも、だからこそ、こわい……」
温泉宿の放つオレンジ色の柔らかい灯りを反射する彼女の瞳が小さく揺れる。
「何が怖いの……?」
「アメリカではみんな魔物に色んなものを奪われて苦しんでるのに、私だけこんなにいい思いをしていいのかなって……」
「それは……」
返す言葉が見つからなかった。
アメリカで死と隣り合わせの日々を送ってきたであろう彼女。
そんな人にぬくぬくと比較的平和に育ってきた自分がなんて声をかけたらいいのか分からない。
「ねぇ、私の昔の話、聞いてくれない?」
「いいの……?」
「うん、あなたにこそ聞いて欲しい」
「わかった」
それから――
エレナは川下の向こうの遥か彼方。
太平洋の向こう側を見つめるように、自分の過去を話してくれた。
目の前で魔物に奪われた家族。
核兵器によって焼かれた故郷。
次々に居なくなっていく戦友。
そして、娘になって欲しいと言われてできた新しい父親である警官のジェームズさんのこと。
「……その、ジェームズさんは今?」
「日本に亡命する途中で魔物に襲われて死んだわ」
「っ……!!」
先ほどからエレナが話す一つ一つの過去が俺の胸の奥を突き刺す。
「その彼の最期の遺言が“生きろ”だったから私は今まで必死に生きてきた」
エレナの生きることへの欲求はすごいと常々思わされることが多かったが……
こんな裏があったなんて思わなかった。
もし、この話を聞いたのが出会った時の赤の他人でしかなかった彼女だったらかける言葉が見つからなかっただろう。
でも――今は違う。
友達としてなら――
「良かった……」
口をついて出てきたのはそんな言葉だった。
「何が……?」
睨みつけるようなエレナの視線。
俺はそれに慌てて両手を振る。
「えっと、助けられて良かったなって」
「あぁ、そういうこと……それは本当にあなたと環姉さんには感謝してる」
「環姉さんって呼んでるんだ」
「えぇ、一応書類上は姉になったわけだしね」
特身制度を使ってエレナの戸籍を作るなんて荒技、白鷺さんは本当によくやってのけたものだ。
「それでなんだけど、エレナを助けたのは私たちのエゴの押し付けみたいなものだから気にしなくてもいいと思う」
「エゴ……?」
「うん、友達を助けたかったから助けたってだけだから」
そう。
俺たちがやったのは生きようと必死に足掻くエレナの姿を見て勝手に助けたいと思った結果。
彼女の意思とは関係なく、こちら側に強引に引き込んだだけ。
たったそれだけなのだ。
だから、エレナという特殊な例を作ったことの責任は俺たちにあるわけで――
彼女が何かを気にするようなことじゃない。
そう思った。
「そっか……」
エレナは一度空を見上げると、ゆっくりとこちらを振り返る。
そして、俺のすぐ近くまで歩み寄る。
思わず身構える俺の耳元にそっと顔を寄せ――
伝わる金色の糸が首元をくすぐるのと同時。
頬に伝わる柔らかい唇の感触。
「ありがと、Thank you.」
突然のキスに固まっているとエレナが揶揄うような笑みを浮かべる。
「ふっ、顔真っ赤だよ」
「い、いや、そ、そりゃ突然こんな……」
「海外では挨拶みたいなものだから慣れて」
エレナは唇の当たった部分に手を当ててぼーっとその場に佇む俺をよそに背中を向けてスタスタと歩き出す。
そして、橋の端っこまで行くとこちらに向けて大きく手を振ってきた。
「いつまで突っ立ってるの〜? 帰るわよ〜」
その声にようやく我に帰った俺は慌ててエレナのもとへ駆け寄ると――
二人で肩を並べながら、宿のある場所まで帰ったのだった。
「ソフィアって意外と大股で歩くわよね」
「……ダメ?」
「いや、そのギャップも素敵だわ」
これがアメリカの距離感なのか……
慣れるまで時間がかかりそうだなと思いながら、俺は熱いままの頬を冷やすために手で顔を扇いだのだった。




