76話
あれから、白鷺さんの護衛や魔物討伐に授業と忙しく過ごし――迎えた次の週の週末。
俺は、箱根の温泉旅館『翠嶺閣』が用意してくれた送迎バスに揺られていた。
最初は招待券は五枚だったので白鷺さんと俺、琴音、エレナに誰かを加えて行こう。
そう思っていたのだが……
この最後の一人を巡って、明日、自衛隊との演習の打ち合わせに参加する人たち。
楽、セイラ、霞野さんが揉めに揉めてしまったのだ。
結果――
「白鷺さんがゆっくりとできるようにできる限り穴埋めをするから楽しんできて」
そう送り出してくれた鴉羽さん以外の全員。
楽、セイラ、霞野さん、垣守先輩が一緒に来ることになった。
そしてそこに――
明日、自衛隊や政府関係者との会議があるというオペセンの石動さん。
なぜかしれっと居る九重先生。
彼らを加えて合計十人の大所帯になってしまったのだ。
最初はこの人数の予約をいきなり入れるのは厳しいのでは?と思ったのだが……
予約の電話を入れたところ女将さんは大喜びで、送迎用のバスまでサービスしてきたのだ。
箱根から東京までバスを無料で寄越すなんてさすがに大盤振る舞いすぎるんじゃないか?
そう思っていると――
バスはゆっくりと箱根の街の中へと入っていく。
そして、綺麗な瓦屋根が特徴的な威厳漂う温泉宿の前で停車。
「しゃっー! 一番風呂はオレ様のもんだぁ〜!」
ドアが開いた瞬間に楽が飛び出していった。
「ちょっとせんぱ〜い、チェックインが先でしょ〜?」
セイラがその背中に向けて声をかけるが、聞こえなかったのだろう。
楽は遠足に来た小学生のような足取りで入り口の扉の中へ吸い込まれていった。
「ボクたちも降りようか」
白鷺さんの一声に全員が立ち上がり順番に外へ。
そして、宿の中に入り――度肝を抜かれた。
女将さんを先頭にたくさん従業員が一列となり、出迎えてくれたのだ。
「ようこそ、魔法少女管理機構御一行様、皆さまをおもてなしできる今日この日を心待ちにしておりました」
女将さんがそう言って深々とお辞儀をするとそれに合わせて他の従業員の方も一糸乱れずに一礼。
「すご……」
琴音が零した感嘆の声に心の中で同意する。
九重先生や石動さんのことを“陰気くさいおっさん連中”呼ばわりしてた人とは思えないほど丁寧な接客だ。
出迎えが済むと代表者として石動さんがフロントへ。
その間に従業員の方が丁寧に一人一人の荷物を持ってくれる。
その様子をジッと眺めていた九重先生が感心するようにゆっくりと頷く。
「ふむ」
「どうかしたんですか?」
「この宿の泉質は塩化物泉だ」
「せんしつ……ですか?」
接客に感心しているようだったから聞いたのに……
帰ってきたのはよくわからない単語の連続。
「PHは8.4の弱アルカリ性、加水、加温はなし、非循環浴槽の、源泉かけ流しだ」
「はい?」
なんか先生が暴走してる……
「最初は三分〜十分程度の入浴に留め、徐々に慣らすのが理想だ」
「は、はぁ……」
「保湿力と保温も……」
誰か助けてくれと、話しかけてしまったことを後悔し始めていた――その時。
「はーい、温泉のウンチクを垂れるのはそのくらいにして部屋に行きますよ〜」
救世主が現れた。
「垣守先輩っ」
「待て、話はまだ……」
「終わり終わり、癒されに来てるのに温泉講習会みたいになっちゃってますから!」
そして、先輩は俺の手を引っ張ってエレベーターへ。
扉が閉まる寸前。
九重先生は今度は石動さんを捕まえてまた温泉講習を始めていた。
「あの人、いつもあんなだから……気をつけるのよ」
「素でアレなんですね」
「そう、プライベートも仕事中も何も変わらないのが九重慧だから」
垣守先輩のその説明を聞いたあと、俺たちは二人揃ってため息をついたのだった。
そもそも忙しいであろうあの人は何でいるんだ。
そんな疑問を浮かべていると電子音が目的の階に到着したことをお知らせしてくれた。
そして、フワフワのカーペットが敷かれた長い廊下を進み、一番奥にある部屋へ。
先輩がカードキーをかざしガチャリ、と扉を開いた――その瞬間。
「おぉ〜」
「これはすごいわね」
漂ってくる畳の匂い。
そして、部屋の豪華さに二人揃って感嘆の声をあげた。
入り口からパッと見ただけでも部屋が三つある。
これなら、今日泊まる女子組八名は余裕で収容できる。
そこまで考えてふと思った……
自分をナチュラルに女子として数えたこともだが……
これ、もしかしなくても今日は女子部屋で寝ることになるのか。
事情を知っている先生なら一緒の部屋で寝るのを許してくれるだろう。
でも――
あの人、眠り方講座とか始めちゃいそうだしなぁ。
そんなことを考えていると部屋の奥からセイラが顔を覗かせた。
「あっ、フィアちゃん〜お風呂行こうよ〜」
「お、お風呂……」
「なんでビックリした顔してるの〜?普通、温泉に来たらまずお風呂じゃない〜?」
そ、それはそうなんだが……
一応中身は男な訳で……
「垣守先輩……」
先輩に助けを求める視線を送るが彼女はゆっくりと首を横に振る。
「諦めなさい……今の貴女は誰がどう見ても女の子なんだから」
神はいなかった。
そもそも、温泉に来ているのだ。
こうなることは分かりきっていたはずなのにのほほんとバスに揺られていたやつが悪い。
俺はガックリと一度項垂れると、用意してあった浴衣を手に大浴場へ向かったのだった。
そして、大浴場のある一階に到着した時。
「ん?お前たちもこれから入浴か?」
風呂場の暖簾の前でバッタリと九重先生と鉢合わせてしまった。
「は、はい……」
「石動っちはどうしたの〜?」
「アイツは部屋に入るなり酒を開けた」
どうやら石動さんは無事に講座から解放されて休息に入ったようだ。
「全く、アルコールは眠りの質を悪くする上に脱水を招きやすい。だから入浴前は控えるのが合理的だと言っているんだが」
「そうなんですね……」
これはまずい流れだ。
そう察した俺は足早に横を通り過ぎて赤い暖簾をくぐろうとしたのだが――
「待て」
……間に合わなかったようだ。
「風呂上がりはしっかりと水分を摂る必要がある。特にここの泉質は保温性が強いから尚更だ」
「はぁ……」
「つまり、電解質……」
「はーい、風呂上がりに麦茶でも飲ませておきますね〜」
「それが良いだろう。スポーツ飲料は糖分が多く、体内の血糖値が――」
また先生はしたり顔で何やら喋っているが俺は先輩に手を引かれて赤い暖簾の中へ入ったのだった。




