73話
名古屋駅からしばらく移動した後。
俺たちは街の中心部にある公園まで来ていた。
近くを通る大きな道路から絶え間なく車の音が聞こえてくる。
“矢島緑地開発”の文字と“関係者以外立ち入り禁止”と書かれたバリケードをくぐり中へ入る。
中にあったトラックの荷台から白鷺さんが小さな苗木を取り出し、それを耕した土の中へ植える。
手をかざした瞬間に急速に根を張り枝葉を伸びしみるみるうちに成長していく苗木。
俺たちは周囲を警戒しつつその様子を見て感嘆の声をあげていたのだが……
長い移動と、護衛による緊張のせいか、ふいに尿意を催してしまった。
俺は横にいた琴音にトイレへ行くと告げて離脱。
公園のトイレへといそいそと駆け込んだ。
メイド服の長い裾の扱いに悪戦苦闘をしながらも用を済ませて出てきた時。
ちょうど、男性用のトイレから矢島さんが出てきてバッタリと鉢合わせた。
彼も仕事中だ。
邪魔をしちゃいけないと思って、小さく会釈をしてそのまま横を通り過ぎたのだが。
「すみません、少しお話できませんか?」
突然、背中越しにかけられた声にピタッと立ち止まる。
そしてゆっくりと矢島さんの方を振り返り、人差し指で自分の顔を指差した。
「え?私とですか?」
矢島さんはそれに「そうです」と一言告げると、踵を返し背中を向け、そのまま歩き出す。
ついてこい、ということかな?
その背中をしばらく追いかけ――
彼はちょうど遠くに白鷺さんの姿が見えるオブジェの前で立ち止まる。
彼は護衛のプロだ。
そんな人からすると俺や琴音の動き方は素人すぎて見ていられないレベルだったのかも。
護衛対象と歓談しながら来るとは何事だ! と言われてもおかしくない。
俺は覚悟を決め、先手必勝とばかりに頭を下げる。
「ごめんなさい!」
そして、しばらく地面に埋まっている鮮やかな芝生を眺めていたのだが。
返事は一向になく。
恐る恐る視線を上げると矢島さんは眉根に皺を寄せていた。
「えっと、アイリスさん、それは何に対する謝罪ですか?」
「護衛というお仕事を誇りを持って遂行されている人からすると私たちの護衛という職務への向き合い方はよくなかったかなって……」
そう言って、彼の顔を伺っていると――
「ふっ……」
矢島さんは小さく吹き出し、サングラスを外す。
露わになった素顔には笑みが浮かんでいた。
「なんか、アイリスさんらしいですね……」
「あ、謝ることがですか?」
謝罪がよく似合うほど“やらかし”を重ねているのは琴音とか楽の方じゃないのか?
そう首を傾げていると彼はますます笑みを深め、ついにはお腹を押さえ出した。
「いやっ、そうじゃなくてっふふっ」
そして、ひとしきり笑ったあと、彼の眼差しはすっと真剣なものとなり、どこか熱が籠る。
「実は、アイリスさんにはお礼が言いたかったんです」
「お礼ですか?」
そんな矢島さんにお礼を言われるようなことをしただろうか?
思い当たることが全くないぞ……
そう思う俺とは裏腹に矢島さんは頷きを一つ返す。
「ええ、灰原が環様を撃った時、あなたが居なかったら私たちは全員この場には居なかったでしょう」
矢島さんはそう言ったあと、綺麗な所作で頭を深々と下げる。
「環様を守っていただき、ありがとうございました」
まるでお手本のような最敬礼。
それが自分に対して向けられていることにどうしようもなくむず痒さが込み上げる。
「い、いえ、むしろ、私たちの方こそ勝手に行動して人質になって白鷺さんを招く要因になっちゃってたって感じで……」
そんな、丁寧にお礼をいただくことなんて何もしてない。
そう言いたくて、手をアワアワと動かす。
矢島さんは何だか生暖かい目をこちらに向け続けている。
その眼差しに徐々に肩を縮こませていき――
「ドウイタシマシテ……」
絞り出すように出たその言葉に彼はようやく一つ頷いた。
「本当に貴女には感謝しているんです」
その真剣な眼差しは白鷺さんの護衛という役目への責任感の裏返しなのだろう。
ただ、これ以上は本当に居た堪れない。
頬をぽりぽりと掻いて、返す言葉を脳内で必死に探すが……
脳の神経は仕事を放棄したのか、どこまでも青く澄んだ青空だけが視界に映る。
「是非、何かお礼を、と思って機会をずっと伺っていたんです」
「いえ、そ、そんな、ただ、やるべきことをやっただけなので……」
「本当は何か謝礼の品をお渡ししたいところなのですが……」
矢島さんは少し残念そうに告げる。
俺としては美味しい店を紹介してくれる程度のお礼で構わないんだけどなぁ。
「個人的に物を渡すのは規定違反となってしまうので一つ忠告を」
「忠告、ですか?」
忠告、と聞いて、やはり護衛としての動き方が悪かったか。
そう思ったが――
「政府と近い立場の人間にはくれぐれもご注意を」
矢島さんの忠告は俺の予想とは全く違っていた。
政府に気をつけろ。
そう言う矢島さんの眼光は非常に鋭く、どこか遠くを睨みつける。
それを見ながら、ふと思った。
「あれ?矢島さんも内閣府直属って聞きましたけど……」
「“私は”良いんです」
「あ、ハイ」
有無を言わせない“圧”のようなものを感じ反射的に頷く。
「それで、どうして政府と近い人に気をつける必要が?」
「貴女が今、政府で接触を図りたい人間の一人だからですよ」
ついこの間、A級の魔法少女になったばかりの自分に接触を図りたいなんて――
イマイチピンと来ないけど。
矢島さんが今日まともに話したばかりの人を揶揄うような人には見えないしなぁ。
本当に接触を図りたいうちの一人なのだろう。
俺はゴクリと唾を飲み込んだ。
「どうして、接触を図ろうとしてるんですか?」
「貴女が日本でもトップクラスの戦闘能力を持っていると推測しているからです」
「私が……ですか……?」
「そうです」
「A級になったばかりですよ?私」
そう事実を述べたつもりだった。
だが、返ってきたのは矢島さんの大きなため息。
「本当にご自身がA級相当の力だと思ってますか?」
「え?は、はい」
A級の自分に政府は一体何を期待しているのか?
そう思っていると、矢島さんが先程よりも大きなため息を吐き出した。
「貴女のその謙虚さは好ましいとは思っていますが……」
そして、矢島さんの鋭い視線が俺の胸を貫いた。
「我々は貴女のことをS級相当の戦力と評価しています」
「え……」
その一言に思考が凍りつく。
自分がS級……?
「近接戦闘だけなら日本では敵う者はいないと評する者も……」
矢島さんが、さらに言葉を重ねようとした――その時。
「魔物だわ!!」
琴音が青い空を指差して叫んだ。




