閑話2-1 エレナ
倉庫で、銀髪の少女と肩を並べて戦った次の日の午後。
東京の繁華街の中にある少し広めの公園。
私はヤクザもどきから巻き上げた金で買った酒瓶を片手に足早にそこへやってきた。
繁華街の喧騒から少し離れ自分の靴音だけが響き始めた頃。
公園の片隅に何軒も並ぶブルーシートで覆われただけの住処が見えてきた。
私はその中の真ん中にある小さな住処の薄汚れたカーテンでできた出入り口をそっと横へずらす。
中を覗き込むと、ダンボールでできたベッドに中年くらいの男が寝転がっていた。
その男の背中に向けてそっと酒瓶を差し出すと男は首だけを動かして振り向いた。
そして――
「おいエレナ、こんなもんわざわざ買ってこなくていいって言ってるだろ」
顔を顰め面倒くさそうに言った。
「でも……久世さんにはいつもお世話になってるから」
「変な気を使わなくてもいいのによ〜」
久世さんは日本に流れ着いてから街を彷徨う私をこの場所に置いてくれた恩人だ。
豊かな暮らし、とはとても言えないが、安心して眠れる寝床があること。
それと、路上に人間の死体が散らばっていないこと。
それだけで私にとって、ここは天国だ。
不法滞在者という厄介者をわざわざ抱え込んで、生き方を教えてくれた久世さんに少しでもお礼がしたい。
私はその一心でグイグイと酒瓶を押し付ける。
やがて彼は諦めたように後頭部をぽりぽりと掻くと「ありがとうよ」と小さく呟いて酒瓶を受け取った。
そして、キュッと蓋を捻って開けるとそのまま豪快に口の中へ流し込む。
「かぁ〜!うまいっ!久しぶりに効くなぁ〜!」
「ちょっとずつ飲んでよね……」
「わかってるって、折角お前が一生懸命稼いだ金で貰った酒だ、味がわからなくなるまで呑むのは損ってもんよ」
「“稼いだ”っていうよりは“奪った”、だけどね」
移民や難民を厳しく取り締まる日本では、在留資格はもちろん、就労ビザがなければ職につくことは難しい。
ましてや私は十六歳だ。
だから、私は――奪うことでしか命を繋げない。
「どんな取り方をしようが金は金さ、それに汚れただのなんだのケチをつけられるのは食うもんに困ってない連中だけさ」
「そっか……」
「お前さんも難儀なこったな……アメリカで地獄ばっか見てきたのに心の中には、まだ“善良な心が”生きてやがる」
「ぜんりょう?」
久世さんは味わうようにお酒にまた口をつけると長々と息を吐いた。
「まだ日本に来て浅いからわからないか、お前さんは俺たちのような日陰じゃなくて本来なら光側を歩くべき人間だったってことだ」
――光。
その言葉を聞いて真っ先に思い浮かんだのは倉庫で一緒に戦った銀髪の女の子だ。
柔らかい雰囲気を纏いながら確かな強い意志を宿した瞳。
銃を前にしても物怖じをしない胆力。
そして――
私に向かって迷いなく差し伸べられた手。
生まれた時から祝福されている彼女と呪われた私。
それをくっきりと浮かび上がらせるようで最初はイラッときた。
それでも差し伸べられた手が“あの人”を思い出させ気になってしまった。
倉庫でヤクザたちから財布を抜いている際に近くに停まっている車の窓に銀色を見た時。
どうしようもなく恥ずかしさが込み上げて――
彼女に“失望”されていないかを確かめるために一度離れる振りをして、影からひっそりと様子を伺ってしまった。
そして彼女たちが謎の仮面の軍団の後に続いて倉庫へ入っていくのを確認した私は雨樋をよじ登り、高い位置にある窓から中を覗き込んだのだ。
窓から覗き見た彼女はずっと誰かのために怒り、必死になって刀を振るっていた。
その姿はとても高潔で――
気が付くと私は彼女の隣に立っていたのだった。
それからは本当に夢中で……
ほとんど何も覚えていない。
ただ――
「光っていうのは彼女みたいな人を言うんだと思う」
「その“彼女”とやらが誰かはしらねぇがな、エレナ、お前は日の当たるところを見ないようにしてるだけだ」
「……」
以前までの私なら、もう決して行けない場所に焦がれるなんて馬鹿馬鹿しい。
そう一蹴していたかもしれない。
でも――
彼女の“もう少し待っていてください”という言葉が今の私に微かな光を灯している。
「でも、私は……」
「不法滞在者だから、だろう?」
在留資格がなく、アメリカからも強制送還の要請が出ていることは間違いない。
そんな人間を本当に少女一人の力でアメリカに帰らなくてもいいようにできるのか?
夢みがちな年頃で現実が見えてなかっただけ。
そう片付けられれば楽なのに。
それでも、小さな希望と諦観が今の私の中でせめぎ合っているのだ。
そんな私の内心を見抜いたのか、久世さんはドンッと酒瓶を置き、汚れた天井を仰いだ。
「魔物って奴はつくづく憎たらしいよなぁ……」
その声は怒りを通り越して、もう呆れるしかないというやるせ無さに満ちている。
「人を襲って、仕事も奪って、家族も奪って、みんな持っていってしまう」
「久世さん、家族がいたんですね……?」
「あぁ、娘と嫁さんがな、ある日、借金まみれの親父を捨てて出てったよ」
「そうですか……」
アルコールが入ったからなのか。
出会ってから自分の過去を一切話さなかった久世さんが、初めてそんなことを口にした。
「まぁ、アメリカで地獄を味わっただろうお前さんに比べりゃまだマシか」
「いえ、そんな……」
そんなことはない――
どちらが不幸だとかそんなことを争うのは不毛でしょ?
と言おうとしたのだけれど……
遠くから聞こえていた救急車のサイレン。
それが徐々に近づいてきて、やがて声をかき消すほどの音量になったのだ。
「なんだ?また、アル中で倒れるやつが出たか?」
“いつものこと”だとぼやくように呟く久世さん。
魔物や境遇の話をしていたからだろうか。
無機質で煩いサイレンの音がやけに自分の心を波立たせる。
――違う。
“あの音じゃない”と落ち着けようとしても、それが余計にあの日を彷彿とさせて――
私は頭を抱え込んでいた。
そう――
あの日。
それはなんてことのないちょっと特別な日になるはずだった。
私の十歳の誕生日。
プレゼント買ってあげると言って手を引いてくれる両親を満面の笑みで見上げていた日。
突如、街に現れた巨大なネズミに私は全てを奪われた。
両親が目の前で形を失うのを私は、ただ茫然と眺めることしかできなかった。
母の「逃げて!」という最期の言葉に泣き叫びながら必死に足を動かした。
それから、夥しい量の死体、銃声、サイレンの音の中を走り、疲れてただ泣き喚いていたところをある警官に保護された。
そして遠く離れた避難所でその警官に慰めるように抱きしめられていた時――
また最悪が起こる。
テレビや避難している人のスマホから一斉にまるで恐怖を煽るような重たいサイレンが鳴り響く。
テレビに映る“核攻撃に注意”という文字を現実感もなくただ唖然と眺めていると――
今まで自分が住んでいた街にきのこ雲が立ち上がった。
それから――
私は身寄りのない子供として施設に保護された。
同じような境遇の子供はたくさんいて、ずっと泣いている子、喧嘩に明け暮れる子、強くあろうとする子など様々だった。
私はその中でずっと俯いている子供だったのだが――
月に何度か訪ねてくる“あの警官”に頭を撫でてもらったり、お菓子を貰ったり、仕事の失敗談を聞かされるうちに次第に顔の角度は上向いていった。
しかしそれも長くは続かない。
魔力適性検査とやらで高い数値を記録した私は軍に徴兵されたのだ。
そこからは――地獄を見た。
魔物に蹂躙される街。
隣で笑い合っていたはずの仲間が次々と消える日々。
食べるものはマシになったけど、いつ死ぬかわからない極限の緊張。
魔物に襲われ助けられなかった人の悲鳴。
それらは私の心を確実に蝕んでいった。
そして――
自分でもうまく笑えている自信が無くなった頃。
偶然、魔物災害の救助中にあの警官とバッタリと出会った。
親切な彼は、壊れたように笑う私を放っておけなかったのだろう。
彼は、表情を悲痛に歪めながらこう言った。
「なぁ、エレナ、よかったらでいいんだが、俺の娘にならないか?」
そして私に向けて手を差し伸べる。
「伝手で日本行きの船に乗れる手筈があるんだ。それに一緒に乗ってこんなクッソタレな毎日とはさようならしよう」
「亡命だから向こうでの暮らしは大変だと思う。でも、君と一緒に笑いながら居られたら最高だなって……」
必死に言葉を並べる彼に私は久しぶりに心の底から笑えたような気がした。
「日本はとてもいいところだぞ、安全で、綺麗で、そして何より核を持ってない」
「もう、わかったって、……パパ」
私がそう言った彼の手に自分の手を重ねた瞬間――
彼はグイッとその手を引くと私の両脇に手を差し入れて持ち上げた。
見下ろしたその顔は満面の笑みで確かにこの時、彼は私にとっての“希望”だった。
しかし――
その“希望”も呆気なく奪われる。
長い長い船旅の中、日本での生活や文化、言語を学んでいた時。
突如として最凶と言われる危険度Sの鯨型の魔物――リヴァイアサンが現れたのだ。
船は一瞬で粉々になり私たちは暗い海へと投げ出された。
酸素を求めて必死にもがく中。
彼は一言「生きろ!」と叫ぶと囮になろうとしたのだろう。
巨大な鯨の方へ泳いでいってしまった。
私はそれに必死に手を伸ばすけど――
その手は届かず。
やがて意識が暗闇へと溶けていったのだった。




