62話
ゆっくりと車が停車して、ドアが開くと外の新鮮な空気が車内になだれ込む。
微睡の中にいた意識が肌を撫でる少し冷たい空気に徐々に浮上していき――
「ん……」
目を開けて顔を外に向けると、すっかりお馴染みとなったマギ管の正面玄関が煌々と明かりを点けてこの車を出迎えていた。
「着いたんですか……?」
「はい、私は車を置いてくるので先に行っててください」
「わかりました、運転ありがとうございました」
香坂さんにぺこりとお辞儀をしてそのままマギ管のドアをくぐってロビーに入った。
――その時。
正面からすごい勢いでセイラが駆けてきた。
彼女は両手を広げると勢いそのままに、ガバッと俺を抱きしめた。
「わっ……!」
その勢いに押されるように一歩後ろに下がり――
柔らかい温もりと甘い香りに包まれ、ボヤけていた頭が急に覚醒していく。
「せ、セイラ?」
突然、密着してきたセイラに戸惑いの声をあげていると、彼女のか細い声が鼓膜を揺らした。
「……ありがと」
彼女は、それだけ言うと腕を解いてニコッと見惚れるような笑みを浮かべた。
白鷺さんを守ることができたことに対するお礼だろうか?
突然のことに呆然と立ち尽くす。
すると、そこへセイラの後を追うように白鷺さん、霞野さん、琴音の三人がやってきた。
「ボクからもお礼を言わせてほしい、キミは命の恩人だ」
「す、すごくかっこよかったです」
「フンっ……」
白鷺さんと霞野さんは疲れが滲みながらどこかホッとしたような笑顔を浮かべていた。
それに対して――
俺と目を合わせようともせずそっぽを向く琴音はまだ怒っているみたいだった。
「それで灰原のことなんだが、警察、政府、マギ管を巻き込んで随分と対応に揉めていてね」
「そんなに大事に……」
苦笑いを浮かべながらそう説明する白鷺さん。
人間が魔物になって”魔王になる“と宣言した。
その結果、政府まで介入しているという話に思わずゴクリと唾を飲み込んだ。
「は、灰原は法的には“人”なんで討伐ができないんです……」
「無力化して逮捕も中々骨が折れそうだしね」
法的な扱いでは人間――つまり下手に相手に致命傷を与える事態になれば面倒になるということだろう。
少し空気が重たくなる中、白鷺さんの言葉をセイラが引き継いだ。
「それで、九重部長がまずは“人じゃない”ことを証明して法的に“魔物”と扱えるようにしないといけないって言っててね〜」
人じゃないことの証明、か。
九重さんがそう言って上の人たちが揉めているということは、灰原さんの縦に伸びた瞳孔や銃弾が効かないというのはまだ“材料”としては足りないのだろう。
「それで、灰原さんが人じゃなくなったことをどうやって証明するんですか?」
俺がそう尋ねると、その答えは背後から返ってきた。
「本人か、奴の眷属を捕まえて細胞を分析すれば魔物だという科学的根拠を得られると言う話らしいわ」
後ろからした冷静な声に振り向くとそこには慌てて来たのだろうか?
肩で息をする鴉羽さんが立っていた。
そして、彼女は額に浮かぶ汗を一度拭うとゆっくりと頭を下げた。
「ごめんなさい、私がこの問題の危険度を読み間違えたせいで貴女たちを危険に晒したわ」
「理央ちん気にしないで〜エレナの裏にあんなのが居るなんて誰も分からなかっただろうし〜」
「わ、私たちも軽率な行動が多かったと、お、思いますし……!」
「逐一、状況を相談するべきだったなって……」
エレナが“白”で裏に真犯人が居る。
そうなった段階でもう少し慎重に動くべきだった。
素人の蛮勇は危ない。
今回の件で秋山さんが言っていた武術の心得は、戦いに限った話じゃなかったんだと、やっと理解できた。
「あの倉庫への突入は仕方がないわ、私だってそうしただろうし……」
鴉羽さんはそう言うと一度視線を下げて俯いた。
そして、顔を上げると真っ直ぐな視線が俺を射抜く。
「それで……なんだけど、私からもお礼を言わせて、白鷺さんを守ってくれてありがとう」
「い、いえ……!」
鴉羽さんからの思わぬ感謝の言葉に俺は胸の前で手をあわあわと彷徨わせる。
「貴女には大きな借りができたわね。私にできることがあったらいつでも言って頂戴」
「あの……それなら、早速いいですか……?」
マギ管としては灰原さんのことが最優先。
それは今までの会話の流れで理解しているつもり。
でも、灰原さんの問題のついででもいいから、助けたい人がいる。
そのことを口にする前に俺が出しかけた言葉はセイラによって遮られた。
「エレナをアメリカに返したくない、でしょ〜?フィアちゃんならそう言うと思った〜」
「はい……特例を作るのは良くないっていうのは頭では理解しているんです。でも――」
俺はそこで言葉を一度切って、みんなの顔を一人一人見回していく。
思い浮かべるのは強い意志と諦観が同居しているような深い孤独を宿すエレナの瞳。
そして、俺が女の子になってしまった日に見た“夢”。
人がネズミに食い荒らされる地獄のような“アメリカの現状“。
「目の前の助けられる可能性がある人を地獄に送るなんて、できそうにないので力を貸して貰えませんか?」
俺はそう言うと、頭をゆっくりと下げる。
何もせずに見なかったことにして彼女を放置するのもできる。
淡々処理して本国に送り返すこともできる。
正しいのかそうじゃないかなんて分からない。
これはそれでも――やれることはやり尽くしたいという俺のワガママだ。
マギ管のロビーの床のタイルからゆっくりと視線を引き上げようとした瞬間。
「フィアちゃんにはいっぱい助けて貰ったから私は手伝うよ〜」
セイラのいつもの軽い調子の声がロビーに響く。
そして、それに続くように――
「命の恩人に頭を下げられると、ボクとしては断る理由はないかな」
「わ、私も手伝います!」
「借りは返す、それだけよ」
白鷺さん、霞野さん、鴉羽さんがそれぞれ同意を示し、胸の中にじんわりと熱いものが込み上げる。
しかし――
琴音だけが口を尖らせたまま、明後日の方向を向いている。
倉庫で約束を守らずに無茶をしてしまったのをまだ怒っているのだろう。
「えっと、琴音も力を貸してくれたら嬉しいんだけど……」
恐る恐る琴音の方を伺う。
しばらくの沈黙。
やがて、琴音は観念したかのように長い息を吐いた。
「はぁ……わかった、アンタは目を離すとすぐに無茶をしそうだから私が絶対に側に居てあげる」
「ありがとう琴音」
「言っておくけど今回のことを許した訳じゃないから!」
「うん」
琴音がいないと正直不安だったので彼女らしい返答にホッと笑みを零す。
「皆さんも忙しい中、私のワガママに付き合ってくれて本当にありがとうございます」
「キミは何が正しいかではなく、正しいと思えることを実行に移せるタイプなんだね」
「たまちゃんそれどういう意味〜?」
「なんでもないさ、ただ……キミが人を惹きつける理由が少し分かった気がするよ」
俺もセイラ同様、白鷺さんが何を言っているのか分からず首を傾げたのだが……
白鷺さんだけが訳知り顔でうんうんと頷いていた。
どういう意味なのか聞き返そうと口を開きかけたところで――
さっき現場にいた刑事さんたちが現れ、俺たちは事情聴取へとシフトしていったのだった。




