31話
やっぱり女湯は目の毒すぎる。
気まずさと罪悪感が限界になったところで俺は琴音を残して逃げるように風呂を出てきた。
施設内をちょっとふらつく程度なら一人で大丈夫だろう。
そう思った俺は白いブラウスに黒のスカートのモノトーンコーデを揺らしながら散歩を始めた。
この服は晴香に無理矢理持たされた着替えだったのだが、鏡の前に立つと悔しいくらいに似合っていた。
――自販機はどこかに無いだろうか?
風呂上がりの喉の渇きを冷たいジュースで潤したい。
そう思いながら誰もいない廊下を彷徨っていると俺は不意に足を止めた。
廊下の途中に神棚がある。
それ自体は割とありそうなのだが、その中央に据えられているものに違和感がある。
まるでお札のように立てかけてある写真。
そこには白鷺環と着物を着た壮年の女性が並んで写っていた。
「……遺影?」
仏頂面の白鷺さんと満面の笑みを浮かべる女将さんらしき女性。
なんで神棚に置いてあるんだ?
「あら〜、白鷺環ちゃんの写真見てるの?」
突然、背中から声をかけられる。
肩を揺らして振り返ると写真の女将さんが立っていた。
「彼女、うちの常連なのよ〜」
「そ、そうなんですか、でもなんで神棚に?」
常連さんの写真を神棚に置くのは色々問題があるんじゃないか?
「昔、箱根みたいな山間部は魔物が多くってね〜」
「それは……大変だったんじゃないですか?」
「客足もすっかり遠のいて、そこに芦ノ湖事件でしょう?もう箱根はダメかもって思ってたのよ」
魔物が多い中、S級が出た。
誰も寄り付かなくなるのは想像に難く無い。
この旅館も空室で溢れかえり、従業員の身も危険だと廃業も考えていたそうだ。
「でもある日、白鷺環ちゃんがうちに泊まりにきたの」
ここまで眉を寄せていた女将さんの口元が緩む。
「その日から魔物が激減してね、山は魔物が出ないだなんて話題にもなって人が戻ってきたの」
魔物に怯えるどころか、今までの日常が急速に戻ってきた。
そう話す女将さんはどこか恍惚とした表情だ。
「だから、白鷺環ちゃんは人間じゃなくて天上からきた神様なのよ」
従業員が木の苗を急速に成木にする白鷺環を見たとかで、それが神様説に拍車をかけていらしい。
翔太や晴香みたいなアイドル化してる人はよく見るけど……
神格化してる人を見るのは初めてだ。
「本人は神棚に祀られてるの知ってるんですか?」
「え?知らないわよ」
「嫌がるんじゃ……」
「あら知らないの?」
女将さんは胸を張り勝ち誇ったような笑みを張り付けた。
「日本国憲法第20条第1項!信仰の自由は保障されているのよ!」
うん、この人やばいな……
白鷺印の壺とか売ってきそう。
「あなた、もしかして環ちゃんのお知り合い?」
「え?えぇ……まぁ……はい……」
友人と言ってくれていた。
そう言うと厄介なことになりそうだったが嘘はつけなかった。
女将さんは目を爛々と輝かせ、右手を両手でがっしりと包み、茶封筒を握らせてくる。
「あらあら!!そうなの!!これあげるから、今度一緒に泊まりきてね〜」
――買収される……!
「なんですか?これ?」
封筒の中を恐る恐る覗き込むと細長い紙が五枚。
「ご宿泊優待券……」
「特別室をご用意しますから」
そう言って微笑む女将さんから絶対に白鷺さんを連れてこいという圧を感じる。
「マギ管に直接送ると、環ちゃん宛なのに……九重とか石動とかいう陰気臭いおっさん連中がくるのよ〜」
陰気臭いおっさん……
接客業をやってる人から飛び出すとは思えない言葉に絶句する。
そこにようやく風呂から上がったのか髪を下ろした琴音がやってくる。
「アンタ、また人に捕まってんの?」
「あら、お友達?」
「そうですけど……?」
俺がこれまでの経緯を話すと琴音は目が一気に輝いた。
「温泉旅行!しかも特別室!最高じゃない!!白鷺環様様ね!!!」
一瞬で買収されてしまった。
こうして、笑顔で圧を送り続ける女将さんに見送られてご機嫌な琴音と温泉宿を後にしたのだった。




