29話
芦ノ湖事件の夢をみた次の日の土曜、俺は、琴音と共にバスに揺られていた。
車内は観光客でごった返し、大きなリュックを持った人やワンピースにサンダルと軽装な人まで様々だ。
「急に箱根に行きたいだなんて、どうしたの?」
「確かめたいことがあるんだ」
「……そう」
朝、飛び起きた俺はリアルすぎる夢の内容を確かめるべく琴音に電話をかけた。
急に芦ノ湖事件の殉職者の名前を尋ねる俺。
寝起きだったらしい琴音は豆鉄砲を食らったような顔が透けて見えるような反応をしていた。
――神崎結月。
それが芦ノ湖で奮戦の末、命を落とした少女の名前だった。
それを聞いた俺は、何かに突き動かされるように「箱根に行かないか?」
そう言っていた。
「次は、箱根神社入口、箱根神社入口」
車内に自動音声のアナウンスが流れ、窓の横のボタンを押す。
「すっごい人ね〜」
「こんなに人が多いとは思わなかったな」
バスを降り、人の流れに乗って歩き出した。
すれ違う観光客の表情は一様に明るく、ここにS級の魔物が出たとはとても思えない。
「山は魔物でないから、人が集まっちゃうわね〜」
山には魔物が出ない。
魔法少女の間でもその認識はあるみたいだ。
でも……
「なんで、魔物が出ないはずの山にS級の魔物が出たんだ?」
安全なはずの山にS級の魔物が出ていた。
夢の中の自衛隊にそのことを疑問視している様子はなかった。
そのことを尋ねると琴音が両手を腰に当てて胸を張る。
「フフンっ山が安全だ、って言われだしたのは二年くらい前からなんだよ」
そうだったのか。
「それまではむしろ山の方が魔物が多かったのよ」
「どうして急に減ったんだ?」
「さぁ?」
そこが重要なんじゃないか?
何かの前兆とかだったりしないだろうか。
両手をひらひらとさせる琴音に言いようのない不安が募る。
そんなやりとりをしながら歩いていると不意に道路の様子が変わる。
――道路の横の山には木々が薙ぎ倒され、薄っすらと草むしてはいるが怪物の大きな”突進跡“が三つ走っていた。
湖の方に目をやれば、夢でみたことのある駐車場が一部が崩落したまま残っている。
そして――
駐車場の手前の立ち入り禁止のフェンスの前には花がいくつか手向けられていた。
「ここが……」
神崎結月の最期の場所。
周りの景色は、時間の経過こそ感じさせるが夢でみたそのまんまだ。
並んでいる花たちに自分が持ってきたものを一束加える。
遠くから聞こえる土曜日の観光地の喧騒と静かに凪いでいる湖面は平和そのものだ。
でも、ここでこの平和のために命を賭けた少女がいた。
やっぱり、あれはただの夢じゃない。
――実際に起こったことなのだ。
朝倉澪はあの時どんな気持ちで引き金を引いたのか。
「琴音、大事な話があるんだけど……」
「な、なによ、改まって」
手を合わせたあと、俺は琴音にそう切り出した。
――ゴクリ、と琴音の喉が動く。
「私、魔法少女のライセンスを貰おうと思う」
「だ、ダメよ!私たち今は女の子同士じゃない!」
重たい決断を下した――そのはずだったのだが。
俺の決意は同時に口を開いた琴音の言葉にかき消されてしまった。
「……え?」
「……え?告白じゃないの?」
琴音はこちらに両手を突き出し、顔真っ赤にしたまま固まっている。
「違う!」
「あんな真剣な顔してたら告白しかないでしょ!」
「頭の中がピンク色すぎるだろ……」
「ムキー!!!」
俺のツッコミに琴音が歯をむき出しにして唸り声を上げる。
そして顔を見合わせるとお互いに吹き出していた。
「はははっ」
「フフッなんていうか私たちらしいわね」
「だな」
ひとしきり笑いあった後、琴音はしぶきを上げながら湖面を進む遊覧船へ視線を向けた。
「優のことだから、しっかりと考え抜いて出した答えなんでしょ?」
「うん、そのつもり」
「なら、いいんじゃないかな」
随分とあっさりとした答えが返ってきて拍子抜けしてしまう。
「それだけ?」
「うん、魔物討伐は原則としてソロは禁止だから私と組んでもらうことになると思うけど」
琴音は淡々とそう告げると勢いよくこちらを振り向いた。
「それより、折角箱根まで来たんだから温泉に入るわよ!」
「いや、男湯と女湯どっちに入れば……」
「女湯に決まってんでしょ!ほら、行くわよ」
琴音は俺の腕を掴んでずりずりと引っ張りだした。




