27話
耳をつんざく大きなローター音の重低音が腹に響き床板を振動させる。
――気がつくと俺は軍用ヘリの機内にいた。
目の前には陸自の制服っぽい魔法少女衣装を纏った朝倉澪。
いつもの冷たい表情で前だけを見据えている。
おかしい、なんで俺はこんな所にいるんだ?
昨日は晴香と一緒に夜遅くまでゲームをしていたはずなのだが。
――ゲームの影響か? 変な夢をみてるんだ、これは現実じゃない。
そう思っていると、右耳のイヤホン型の無線機から朝倉澪の声が聞こえてきた。
「作戦概要を再確認します」
その声に硬いシートに並ぶ八人の魔法少女たちが一斉に姿勢を正す。
「本日、8:20に出現したアンノウンを三号特別災害生物と認定」
一体なんの話をしているんだ。
そうツッコミたいが俺の口は動いてくれない。
それどころか手足すら自分の身体じゃないみたいに言うことを聞かない。
――いや、そもそもこれは俺の身体じゃない。
「トクサンは屏風山東斜面から南南西へ移動中。このままでは元箱根に到達、甚大な被害が予測されます」
トクサン……?
出ている単語を整理すると、箱根のあたりに危険度S級の魔物が出た、ということか。
“芦ノ湖事件”――頭の中にその単語がよぎる。
「メイジ隊は芦ノ湖へトクサンを誘導、機動力を奪った後は私が駆除します、以上」
「了解!」
全員が口を揃えて勢いよく返事をし、俺の喉も勝手に声を張り上げる。
張り詰めた糸のような空気が機内に充満する。
朝倉澪は一度呼吸を整えるように目を閉じている。
「ふふっ緊張してる?」
俺の口からそんな軽口が飛び出す。
これをソフィアに言われたのなら間違いなく南極のような凍える視線を向けられただろう。
「街の近くで厄災級が出たのは初めてだから……」
しかし、目の前の少女は目を伏せながらそんな不安をこぼした。
――誰かに憑依しているのかな?
ここでやっと状況が飲み込めてきた。
魔眼のせいなのか、芦ノ湖事件当時の朝倉澪の仲間の魔法少女に憑依?している。
「私たちも全力でバックアップするから、澪なら大丈夫よ」
「チャンスは一度、失敗は許されない」
身体の主が緊張をほぐそうとするが、朝倉澪の表情は硬いまま、深呼吸を繰り返している。
「もう!作戦の要がそんな顔しないの!みんなにも緊張が移るでしょ!」
朝倉澪はそう言われると、機内の床に向けていた視線を上げ、フッと笑みをこぼす。
「そうだな、ごめん、結月」
「ごめんじゃなくて、ありがとうだっていつも言ってるでしょ」
「ははっ、ありがとう、頼りにしてる」
「任せといて、バッチリ芦ノ湖まで誘導してあげる」
俺が知っている朝倉澪なら絶対に見せない柔らかい笑みにこの二人の関係が滲む。
こんなに頼れる人がいながら彼女は白鷺環の強さに執着していた。
――どうしてそうなったのか。
「メイジ隊、降下予定地点に到達」
「了解、じゃ、またね澪」
結月と呼ばれた彼女は朝倉澪に小さく手を振ると降下用のロープに手をかける。
朝倉澪は小さく頷きを返し、また前を鋭く見つめた。
***
「司令部、こちらメイジ、ポイントアルファに降下完了、送れ」
『司令部了解、目標は現在、屏風山山頂から東に三百メートル地点、移動中、送れ』
「メイジ了解」
遠ざかっていくヘリの音が山にこだまする。
その中、結月たちメイジ隊は廃校の校庭のような開けた場所に降り立った。
制服のような統一感のある衣装に身を包む少女たちは息つく間もなく隊列を整える。
そして、上空に待機している偵察用のヘリの無線を頼りに山道を進みはじめた。
しばらくすると遠くの方から地震のような地響きが轟きはじめる。
規則的に聞こえてくるそれは確かに“歩んでいる”のだとわかる。
――そして
現れたのは全長二十メートルはありそうな巨躯。
茶色の体毛に覆われた巨大なイノシシのその鋭い赤い双眸には理性の欠片も感じられない。
「こちらメイジ、目標視認、送れ」
木々を薙ぎ倒しながら、一本の線を引くように道を作るイノシシを結月は鋭く睨む。
――これがS級の魔物。
こんなのと戦うのとか絶対無理だろ。
進路上に立っただけで圧殺確定だ。
もし身体が動かせたのなら震えていただろう。
しかし、俺の目になっている結月は、他の魔法少女たちと迷いなく目を合わせ、静かに頷き合った。
「司令部、こちらメイジ、作戦行動を開始」
『司令部了解、マギバスター、状況を知らせ、送れ』
『こちらマギバスター、上空待機中、いつでもやれる』
“マギバスター”無線上でそう呼ばれた朝倉澪の声が聞こえる。
それが彼女のコードネームなのだろう。
それを聞いた結月はハンドシグナルを仲間に送る。
――そして、迷いのない動きでイノシシの進路上に立ち腕を掲げる。
「アイスジャベリン」
手のひらの上に冷気が集まり瞬く間にできた氷の槍が形成され、風を裂きながら飛ぶ。
しかしその攻撃はまるで小枝を振り払うかのように首を振ったイノシシに弾かれる。
バリバリと氷が砕けた音だけが森の中に虚しく響いた。
それでも、この短気な獣を怒らせるには充分だったようだ。
「ブオォォォォォォ!!!」
鼓膜が破れそうな程の唸り声をあげ、体毛を逆立てる。
そして蹄で地面を何度も抉り、石が周囲に飛び散る。
――突進が来る。
「よし!撤収!誘導するよ!」
「はい!」
背中を向けて逃げるモノを追いかけまわす獣の習性を利用して誘導する作戦らしい。
――覚悟が決まりすぎている。
結月は強化された身体能力で、急斜面を木々を足場にして、飛ぶように移動する。
後ろからは全てを破壊しながら、追走する化け物の気配が徐々に近づいてくる。
これ、逃げ切れないのでは?そう思った時――
「援護します!ウォーターボール!」
前方を走る魔法少女からイノシシの顔面めがけて、水の塊が飛んでいく。
それに合わせて結月が振り向いた瞬間、巨大な怪物が眼前まで迫り強烈な獣臭が鼻を突く。
「ブリザード!」
狙いはイノシシではなく水の塊。
空中を浮遊する水は瞬時に凍りつき真っ白になった氷の塊がイノシシの視界を塞ぐ。
「回避!」
バァン!とイノシシが氷にぶつかったのと同時に三名の少女が横へ飛ぶ。
イノシシは結月たちを見失ったのか違う方向へと突っ込む。
距離が開いた所で結月が再び右手を掲げる。
それを合図に火力が集中する。
「アイスジャベリン」
「ロックブラスト」
「エアカッター」
これがプロの戦い方か……
力の差は歴然なのに連携で善戦している。
――氷と岩と風刃の波状攻撃が殺到し、体毛が飛び散る。
「メイジから司令部、目標への攻撃、効果を認めず」
『了解、引き続き芦ノ湖へ誘導せよ』
「メイジ、了」
攻撃が効かないことは承知の上だったのだろう。
また湖の方向へと走りだす。
――その時。
「結月、ちょっと待って、様子がおかしい」
イノシシは追いかけてくる様子がなく蹄で地面を叩き続けている。
地面に大きな杭を打ち込むような地響きが響き、後脚からは紫色のオーラがたちのぼる。
「何かくる、構えて!」
――その刹那
結月の横を巨大な影が目にも止まらぬ速さで駆け抜ける。
「……!アイスシールド!」
地面が大きく抉れ、頭の中まで揺れるような衝撃波が襲いかかる。
土埃と共に岩や木片が舞い上がり周囲に弾丸のように襲いかかる。
「くっ……がはっ……」
氷の盾が耐え切れずに砕け、吹き飛ばされる。
咄嗟に受け身をとり、結月は影が通った後へ視線をやる。
地面が抉れ、木々が根こそぎ倒されている跡が百メートルほど続いている。
凄まじい……これがS級の魔物の破壊力……
俺がこんなのを相手にしたら五分も持たないだろう。
「みんな大丈夫⁉︎」
「私は大丈夫だけど……」
結月はすぐに視線を素早く周囲へ走らせる。
さっきの水魔法を使っていた子以外は全員が地面に倒れ込んでいる。
「生存者は状況を報告!」
無線機からは“ザー“という音だけが聞こえ返答はない。
水魔法使いの子が全員の状態を駆け足で見て回り声を張り上げる。
「負傷者六名、重篤者なし!」
その間もイノシシは”仕損じた獲物“を確実に仕留めるために蹄を打ち鳴らす。
「コイツをここから離さないと死人が出るわね」
「ですね……」
結月は額を流れる血をサッと拭うと無線機を握りしめる。
「司令部、こちらメイジ、負傷者六名、救援を要請」
『司令部了解、任務継続は可能か、送れ』
「目標が負傷者の付近にいるので任務を継続する」
『了解、芦ノ湖までは距離200』
――たった二人でも戦い続けるなんて。
改めて、俺たちの当たり前はこういう人たちが力を尽くした結果なのだと痛感する。
――正直もう逃げて欲しい。
そう思うが、結月の後ろには負傷した仲間と俺たち一般市民がいる
だからこそ退かないのだろう。
二人は沈痛な面持ちで顔を見合わせ、迷いを振り払うように化け物を見据えた。




