24話
「おや、キミは月城ソフィアさん、だったか?」
――名前を聞かれただけ。
そのひと言で、中庭は静寂に包まれ、木々のざわめきだけが耳に届く。
そんな錯覚に陥るほどの存在感だった。
小柄で幼さを感じる外見とは裏腹に深い海のように蒼い瞳は理知的な光を宿していた。
「は、はい、月城ソフィアです……」
特にファンでもないのに、鼓動が早まり、名前を言うだけで精一杯だ。
「えっと……あなたは……」
「白鷺環、魔法少女さ」
知っています……
脳内でそんな返しをしながら、朝倉澪の言葉が浮かんでしまう。
「キミは覚悟がない、芯がない」――そう言われたらどうしよう……
不安で俺は地面に縫い付けられたように動けなくなる。
そんな俺の弁当袋へと視線を落とし、彼女はゆっくりと口を開いた。
「……ぼっち飯、ってやつかい?」
「ち、ち、ちがうわい!!!」
なんて、デリカシーのない人だ!
後から人が来るかもとか思ってそういうことは聞かないのが礼儀だろう。
「まぁ、静かにお昼を過ごしたい時もあるだろう、失礼なことを聞いたね」
「いや、そのフォローもなんか刺さるのでやめてください……」
「……キミは中々に面倒な人だね」
彼女の方こそ、女性化したり魔物に襲われたりと波乱だらけの繊細な漢心を理解していない。
そんなことを思っていると「食べないのかい?」と聞かれたのでベンチに腰掛ける。
「それで、なんで星河学園にいるんです?」
――何故、マギ管のナンバーワンと言っても過言じゃない人がここに居るのか。
誰もが思うであろう当然の疑問。
それを聞いた瞬間、彼女の瞳に冷たさが宿る。
そして、風のざわめきと造園業者のスコップの音だけが空間を支配する。
「答えを聞けば、キミはもう“そちら側”には戻れなくなる。それでも聞くかい?」
そう告げた彼女はどこか儚げにも見える。
でも、確かに彼女との間に一線がある――そう感じさせる力があった。
俺に、その一線を越える勇気は……
「今はやめておきます……」
まだなかった。
「……そっか、選ばないことも勇気の一つだ、じっくりと考えるのは悪いことじゃないさ」
彼女は俺の迷いを見抜くような視線を一度落とすと、俺の隣に腰掛ける。
「それはそうと、先日は楽が随分と迷惑をかけたみたいだね」
「いえ、気にしてませんよ」
「ならいいのだが、裏表がないのは彼女の美点だ」
彼女は小さく微笑んだあとスマホを取り出して指を素早く動かした。
ほどなくしてサングラスをかけたスーツ姿の男がビニール袋を手に現れた。
「環様、どうぞ」
「ありがとう」
丁寧に手渡されるビニール袋を受け取る白鷺さん。
学校の関係者だよな……? 強面の厳つい顔、ガッチリした体格にサングラスはそのスジの人にしか見えない。
「申し遅れました、私、矢島緑地開発、社長の矢島です」
「あ、どうも……」
彼はこちらに向けて綺麗なお辞儀をすると、背中を向けて静かに去っていく。
「白鷺さんの下僕?」
「う〜ん……業務提携の相手、といったところかい?」
「いや、こっちに聞かないでくださいよ……」
軽口のつもりだったが――おそらくこれ以上踏み込むなということだろう。
そして、彼女は受け取った袋の中から紙箱を取り出した。
「牛タン弁当……?」
「なんだい? 欲しいのかい?」
「いや……」
デカデカと“仙台名物”と書かれている箱を開け、紐を引く。
しばらくして、肉の香ばしい匂いがあたりに漂いだした。
「……なんで牛タン弁当?」
「昨日は宮城にいたからね」
牛タンを次々と頬張り、それをミルクコーヒーで流し込む白鷺さん。
「なんか思ってたのと違う……」
「マフィン片手に紅茶を嗜んだ方が良かったかい?」
正直、その絵面を想像していた。
マギ管の庭で優雅に紅茶をガーデンの仲間たちと嗜む――そんなイメージだった。
けれど、目の前の彼女は膝の上に牛タン弁当を置いてコーヒーを飲んでいる。
その姿は、ご令嬢というよりは昼休憩中のサラリーマンだ。
「いや、白鷺さんのこと、もっと厳しくて冷たい人なのかと思ってました」
「よく言われるのだが、ボクはみんなにどう見えているんだろうね?」
「マギ管の魔法少女の代表……みたいな?」
ガーデンのメンバーを束ねる司令塔。
だからいつもマギ管に居座っているのだと思っていた。
そんな印象を話すと、彼女はどこか遠い目をして小さく息を吐き出した。
「孤高はボクの理想じゃない」
小さくも力強いその声にまるで応じるかのように木々がざわめく。
「弱いところや足りないところはお互いに埋め合う――それがボクの在り方さ」
一人には限界がある、そう訴える強い眼差しから目を離せない。
心を掴まれる――これが“カリスマ性”というやつなのか。
そう思っているといつの間にか弁当を平らげた彼女は「さてと」と声を出して立ち上がる。
「ボクはもう行くよ、明日もここにいる予定だからキミさえ良ければまた来るといいよ」
そう告げると彼女はまるで周囲の音を引き連れていくかのように歩き始める。
「もし、キミがこちら側に来ることを選ぶなら、その背中は――ボクが守ってあげる」
俺の胸の奥に不思議と消えない灯火を残し、やがて小さな背中は見えなくなっていった。
しばらく呆然として、チャイムの音で現実へと引き戻される。
慌てて校舎へ戻る途中、さっきまでいた造園業者は誰も居なくなっていた。




