21話
楽と一緒に訓練室を出て、エレベーターに乗りロビーに出る。
以前は余裕がなくて気にしていなかったが広い空間はがらんとしている。
壁には“魔物出現マップ“と書かれた大きなデジタル掲示板があり、都内の地図が映し出されている。
魔物を示している赤い点は山間部や郊外の方にはほぼなく、人の多い市街地に集中していた。
山奥に住むのが今のトレンドだ――翔太がそんなことを言っていたが、こういうことなのか?
「ソフィ、おっそいわよ!」
「ごめん」
静かな空間を揺らす琴音の声に、自然と肩が下りる。
気付けば口角が上がり足どりも軽くなっていた。
だが、琴音が突然目を見開く。
「え!?ブレイキンブレイカー!?」
「おうよ!モノホンのブレイキンブレイカー様だ!」
俺の隣に楽が居ることに琴音が驚き、お互いに自己紹介を交わす。
そんなやりとりを眺めていると、エレベーターホールの方から見たことのある人影が近づいてきた。
「香坂さん?」
「あ、ソフィアちゃ……さん」
探していたのだろう。香坂さんは足早に近づいてくるとほっと息を吐いた。
それから、「少し話がしたい」という香坂さんの案内で談話室と書かれた部屋までやってきた。
背の高い観葉植物に壁際にウォーターサーバー。
いかにも談話室らしい簡素な空間だった。
俺、楽、琴音の順にソファに座り対面には香坂さんが腰を下ろす。
「なんでガーデンの人が居るのか、わからないんですけど……」
「え?なんかノリで?」
後頭部をさすりながらそう答える楽に香坂さんは「緊張するな〜」と小さくこぼす。
「えっと……それで、ソフィアさんがSNSで注目を浴びている件なんですけど……」
「あ、それ、すごいバズってるのよね!ってあれ? 削除されてる……?」
「はい、報道機関から問い合わせが入っていまして、広報課からこちらの方に相談が来まして……」
そう説明する香坂さんの眼から一瞬、光が消えたような気がした。
――かなり大事になっているらしい。
「報道機関には“未成年者のプライバシー保護のため回答を差し控える”と返答しています」
「お役所回答極まれり、だな!」
「それとSNSの方は、同様の理由で削除申請を出しています」
「ありがとうございます」
あとで香坂さんに相談しようと思っていたが既に対応してくれていたみたいだ。
迷惑をかけて申し訳ない気持ちもあるが、感謝の方が大きい。
「それでも、噂が出回ったり、既に動画を見た人もいるので今後なにかあったら相談してください」
「はい、本当に助かりました」
胸の奥に溜まっていた不安がスッと軽くなるのを感じながら香坂さんに感謝を伝える。
「自分が言うのもどうかと思うのですが、お仕事頑張って下さい」
「はぅっ……ゴホンッ……はい」
これで話は終わりだろうし、あまり時間を取るのも悪そうだ。
そう思って立ち上がろうとした――その瞬間だった。
「そもそも!! 護衛対象が同席していないのはこちらを信用していないからでは⁉︎」
悲鳴に近い怒鳴り声と椅子が勢いよく地面に擦れる音が廊下から聞こえた。
香坂さんを除く俺たち三人は顔を見合せ、声のした廊下の方を覗き込む。
直後、談話室の近くにある会議室と書かれた部屋の扉が勢いよく開いた。
「私はこれで失礼します!」
中から出てきたのは、深緑の自衛隊制服を着こなした黒髪の少女だった。
「……朝倉澪じゃねぇか」
「……誰?」
「自衛隊のS級魔法少女、国の英雄よ」
“そんなことも知らないのか”と訴える琴音と楽の二人の冷たい視線に思わず肩が縮こまる。
翔太や晴香からその名前を聞いたことはなかったが有名人らしい。
コツ、コツと靴の音を響かせ、彼女はこちらに歩み寄ってきた。
「猪頭……それに動画の……?」
冷たい視線が楽と俺を交互に射抜く。
「芦ノ湖の英雄さまが何か用か?」
楽がそう言ったとき――ブチッと縄が切れたかのように彼女の顔が怒りに塗りつぶされる。
「……二度とその名で呼ばないで、私は英雄じゃない」
楽が地雷を踏み抜いたらしい。
静かな怒りを滲ませる彼女は睨むような視線を向けると足早に立ち去ろうとした。
しかし、サポートAIのついていない俺の腕に視線をとめるとその絶対零度の視線をこちらにも向けてきた。
「あなた……まさか、魔法少女じゃない……⁉︎」
「そうですけど……?」
「ここは魔法少女が来るところよ、覚悟もない素人が土足で踏み込む所じゃない」
「申し訳ありません、会議中とは存じず……私が彼女を談話室に案内しました」
香坂さんが俺を庇うように説明するが、彼女の怒りはおさまる気配がない。
「ここはマギ管だろ、自衛官のお前に入るなとか言う権利はねぇだろ?」
楽が油を注ぐ。
言ってることは正しいかもしれない――だがこういう時は静かにやり過ごす方が吉だったりするのだ。
「私は、マギ管の中に“敵味方識別ができてない人”を闊歩させるなと言っているのよ!」
「ソフィアは歴とした味方だ!オレ様が保証する」
「……何も知らないからそんな軽い言葉が出るのよ、白鷺さんが背中を任せないのがよくわかる」
その瞬間――今度は隣の楽からブチッという音がした。
「テメェ!!! リーダーはそんなヤツじゃねぇ!!」
「気にしてたの? “頼られない”ってことを」
「二人とも、落ち着いて……!」
琴音が必死に間に入り、俺は隣で今にも飛びかかりそうな楽の肩を抑える。
朝倉澪はそんな俺たちを冷たい眼差しで見下ろしていた。
「そこの銀髪みたいな覚悟がない素人も白鷺さんは絶対認めないわよ」
「アンタさっきから聞いてれば!! ソフィは私が危なかったとき命懸けで守ってくれたわよ!!軽々しいのはそっちでしょ⁉︎」
「……素人に守って貰ったの?」
琴音が怒ってくれることは正直、嬉しい。
けれど――俺と香坂さんじゃ、もう止められそうにない。
誰かここを収められる“人”が来てくれないか。
――先生が思い浮かんだが余計に悪化しそうだ。
詰んだかもしれない、そう思った時。
「朝倉一尉、何をしている?」
威厳に満ちた低い声が空気を一変させる。
張り詰めていた怒気は急速に萎み、全員が声のした方へと顔を向けた。
「……桂木総監」
朝倉澪にそう呼ばれた人は、深緑の制服に身を包み、胸元にはリボンや勲章がいくつも並ぶ。
老練な雰囲気と鷹のような鋭い眼光は立っているだけで周囲を圧倒する雰囲気を放っていた。
「交渉は決裂だ、時間を無駄にするな、帰隊するぞ」
「はっ」
朝倉澪が勢いよく敬礼し、桂木と呼ばれた人はこちらを一瞥すると、そのまま去っていった。
朝倉澪もそれに付き従い、背中が見えなくなる。
「はぁ……なんだったのアレ」
「チッ……」
「さぁ……」
ようやく呼吸ができるような、そんな解放感を感じながら三者三様の言葉を溢す。
そして香坂さんの「業務が……」というぼやきに謝りながら俺たちは慌てて解散したのだった。
その時、楽が拳を握りしめながら漏らした「分かってんだよ、リーダーが何か隠してんのは……」という言葉は妙に頭に残った。




