16話
下着の入った紙袋を提げ、駅に向かって琴音と並んで歩く。
空はすっかり暗くなり、駅に続く道は学生よりも疲労感の漂う社会人の方が多くなっている。
「今日はカレーの気分ね〜」
「俺はラーメンかな」
「俺って一人称は禁止だって言ってるじゃない」
「二人きりの時ぐらい、いいだろ?」
俺という一人称は可愛くないらしく、優との繋がりを疑われるからダメらしい。
母と妹にも矯正されているが、長年かけて染みついたものだ、簡単には治らない。
そんなことを話しながら、線路のガード下へと差し掛かる。
冷たい空気が肌を刺し、頭上をゴォーっと轟音を立てながら電車が通過していく。
ガードの半ばまできて、電車の音が遠くなっていった――瞬間だった。
「ブーーーーッブーーーーッ」
琴音のAI端末から鼓膜を突き破るような警報音が空気を引き裂いた。
「近くに魔物がいるぞ、気をつけろ!」
琴音のサポートAIのラトスの報告に、周りにいた人たちが蜘蛛の子を散らすように逃げ出す。
背筋が凍るのを感じながら、視線をガード下の二つの出入り口に走らせる。
しばらくすると、琴音の後ろのコンクリート壁の影が蠢きはじめる。
そして、闇の中からローブを着た“人ならざる者”がフードの奥から睨むような赤い眼光を光らせながら、にじり出た。
最後に闇を吸い込んだような禍々しい大鎌が出てくる。
魔物は現界すると同時にその刃先をそのまま琴音の背中へと振り下ろす。
「琴音!!!!」
その刹那――耳を裂く金属音がガード下に響いた。
炎を模したノースリーブジャケットとスカートが翻った。
琴音はいつの間にか変身し、両手に持った片手剣を交差させ刃を受け止めていた。
二合、刃を交えると琴音は火花を残して後方へ飛び、間合いをとる。
「シェイドリーパー……」
その声にいつもの陽気さは一切ない。
リーパーはじわりと影に溶け輪郭を失い始める。
恐怖で足が地面に縫い付けられたかのように動かない。
琴音がこちらに駆け寄ってくる。
「私が合図したら逃げて」
「……でも」
「私はA級なんだから、心配しないで」
何かできることはないかと一瞬考える。
だが、魔眼を発動しただけで倒れるやつは足手まといだ――そう思い直し小さく頷いた。
「わかった」
琴音は俺を庇うように前へ出て、視線を素早く周囲へ走らせる。
耳に届くのは自分の心臓がドクドクと跳ねる音と琴音の荒い呼吸だけだ。
「ラトス、念のため救援要請を」
「もう出したよ、人を守りながらやるにはコイツはキツイ」
その時だった――。
琴音の死角、コンクリート壁の闇が歪んだ。
「そこね!」
琴音の剣が炎を纏い、歪みの中心へと閃く。
闇から現れてきた禍々しい布を狙い、横薙ぎに切り裂いた。
カンッと手応えのない乾いた音が響き刃が弾かれる。
切り裂かれた黒い布切れだけが空中を舞う。
琴音が慌てて振り返り、目を見開く。
「優!!避けて!!!」
振り返った瞬間、大鎌が自分めがけて振り下ろされていた。
景色の流れがゆっくりになり、音が消える。
死ぬ――そう思った刹那、背中に衝撃。
体が押し出され、横目に映ったのは、こちらに両手を突き出す琴音の姿。
「琴音っ!!!!!」
無理な体勢で大鎌を受け止めようとした琴音は凄まじい力で吹き飛ばされ、壁に叩きつけられる。
鈍い音がガード下に響き、彼女の体は力なく崩れ落ちた。
シェイドリーパーは琴音を見据えたまま影を伸ばす。
足音ひとつ立てずに静かに琴音へ近づいていく。
――琴音が殺される。
子供の頃から彼女は太陽のような存在だった。
側に居るだけで不安や焦燥がふっと溶けて、気がつくと笑い声をあげている。
俺がここまで自分を見失わなかったのは彼女や家族が居たからだ。
かけがえのない宝物なんだ。
呼吸が荒くなり、まるで全身の血が沸騰したかのように熱い。
怒りで目の前が真っ白になり、体が勝手に動きだす。
俺は咄嗟に目に入った鉄パイプを掴み上げる。
意識の奥で閃光が弾ける。
カチリ――と頭の中で小さな歯車が噛み合う音がし、膨大な情報が一気に脳内に流れ込む。
“魔眼”が発動した。
まずい、また倒れる――そう思ったが体はやけに軽く、情報も鮮明に処理できている。
よくわからないが俺は勢いのままに走りだす。
狙うのは琴音に向けて鎌を振り上げる魔物の頭部だ。
そして、魔力の影響か青白く模様を浮かべて発光する鉄パイプを叩きつける。
火花と甲高い音が木霊し渾身の一撃を防がれた。
刹那――突如、頭の中に映像が流れ、視界が二重に重なった。
映像ではリーパーが大鎌を勢いよく横薙ぎにし赤い飛沫が飛び散っている。
その映像に合わせて身を屈める。現実が遅れてその軌道をなぞり、空を切り裂く音だけが残った。
油断して大振りし、隙を晒したリーパーの首元めがけてパイプを突き出す。
手元に伝わる鈍い衝撃と共にリーパーが宙を舞った。
ガード下の壁に叩きつけられたリーパーは慌てて影に沈み込む。
脳裏に浮かぶ軌跡通りの背後からの縦振りの斬撃を躱す。
すかさず鉄パイプを横薙ぎにしリーパーの腹部を捉える。
重い感触が両手を痺れさせるが致命には至っていない。
リーパーは唸りながら間合いを開け、また闇に溶けた。
「バカのひとつ覚えも大概にしろよ」
次の映像が脳裏に流れるのを全神経を張り詰めて待つ。
しかし、何も起きる気配がない。
――まさか逃げる気か?
視線を走らせ、影の気配を探す。
その時――ガード下の向こう、歩行者用信号の下の空間だけが、異様に冷たいことに気がついた。
「あそこだけ魔力が濃い」
信号の近くの歩行者たちが、ギョッとした目でこちらを見る。
俺はそんな視線などお構いなしに魔力の集中している一点へと足を向ける。
そして――渾身の力を込め、何も映っていない場所に鉄パイプを振り抜く。
何かが破裂したような爆発音のような音が爆ぜ、肌がゾワリと逆立つ。
黒い布が四散し、鉄パイプも手元から先がなくなっていた。
やがて地面に散らばった黒い布は黒煙となり、影も残さず消滅していった。




