10話
九重さんの無言の”ついてこい“、という圧を受けながらエレベーターに乗る。
左上の階層表示がB2となったところで扉が開き、訓練室と書かれた部屋へと入る。
訓練室は一面が白い壁に覆われていて、体育館ほどの広さがある。
足音がやけに響き、上の方にガラス張りの場所があり、白衣を着たスタッフたちがこちらを見下ろしている。
九重さんは、ガラス張りの所から見下ろすのではなく、同じ高さに視点を置いた。
「これから、君の能力の確認を行う。その前に一つ質問する」
「なんですか?」
今にも、実験を始める、とか言い出しそうだ。
「君は”魔法“にどんな印象を持っている?」
思いもよらなかった質問に言葉に詰まる。
翔太や晴香なら憧れか?父は畏れていて、母はあるがままに現実的に受け入れているように見える。
俺は――
「わかりません。すごいとは思いますけど、怖いとも思います」
「そうか……多くの人は同じように考える」
俺の無難すぎる回答に九重さんは無感動に言った。
「九重さんはどう思っているんですか?」
「私は魔法が”嫌い“だ」
その言葉には確かな嫌悪が滲んでいた。
マギ管で魔法の研究に携わる人の口から出る言葉だとは思えなかった。
「7年前まではこの力は”Q因子物質“と呼ばれていた」
九重さんの声が一段低くなる。
その語り口にただならぬ気配を感じる。
「“奇跡の物質”だと持て囃すバカがそこら中にいた」
「……」
「こいつを医療に活用しようとした果てに魔物を産みだした、そして一つの都市を核で丸ごと焼き払う羽目になった」
息が詰まる、昨日見た夢の、ニュースキャスターの避難の呼びかけがフラッシュバックする。
「そんなことをしでかした連中がこの物質につけた新たな名前は……なんだ?」
「……魔法、ですか?」
この人は――まさに警鐘を鳴らしている。
「あんな惨事を招いたモノに魔法などと、ありえない」
言葉を挟むこともできず、俺はただその警鐘に聞き入る。
「理解できないからといって魔法などと呼ぶ、科学者を自称しながら愚かしいにも程がある」
その断言は、冷たく揺るぎない。
「科学者として、研究者として、私は“未知”に挑むことに誇りを持っている」
そして、嫌悪で染まった顔は、元の静かな無表情に戻る。
「だから私は、この力を解き明かし、いずれ“この世から消し去る方法”を探し続けている」
父と母がこの人に信頼を寄せた理由がわかった気がした。
マッドサイエンティストなどと、印象を持ったことが恥ずかしくなる。
――彼は狂ってなどなく、極めて冷静な科学者だ。
「……その、ごめんなさい」
「ん? いや、こちらも少し熱くなってしまった。冷静さを欠いていたな」
そこから、この能力測定に対する恐怖はスッと胸から消えていった。
様々な計測機器を身体に取り付けられ、”九重先生“から二十メートルくらいの距離でぽつんと立つ。
「ここからどうやって魔法を使うんですか?」
「いや、その前に能力確認の目的を説明しておこう」
少し、前のめりになっていたみたいだ。
先生は、冷静な表情でこの能力測定の目的を話し始めた。
「念のため、君の力の性質を最低限でも把握しておく必要がある」
先生は淡々と説明を重ねる。
「制御不能な力なら、君も周囲も危険にさらす」
「はい」
日本に7人しか居ない、S級に匹敵すると言われた力だ。
制御できるかは不安だが、何も分からずに大事な人を傷つけるのは嫌だ。
「だからまずは、自分の中の魔力の流れを知覚してみてくれ」
「どうやってです?」
先生は、漫画の修行編で師匠が言いそうなことを口にした。
そんなこといきなりできるほど天才じゃないぞ。
「目閉じて、深呼吸を4回だ」
言われた通りに、目を閉じて息を吸う。
確かに自分の奥底に何かが溜まっているのを感じた。
左目の奥がわずかに脈打つ感覚がし始めた。
――その瞬間だった。
急に左目が焼けるように熱くなり、次の瞬間には、脳内に大量の情報が濁流のように一気に流れ込む。
訓練室の壁の温度、先生の脈拍、筋肉の微細な動き、晴香の「お兄ちゃん大丈夫⁉︎」という声――
そして、聞いたことのある女性の「私と一緒に行動することよ!」という声までも。
――視覚情報が一気に流れ込み、思考がノイズに侵食されていく。
慌てて駆け寄ってくる先生の輪郭がぼやけていく。
傾いていく視界の中、最後に写ったのは、訓練室の天井だった。




