1話
――つい最近、俺たちの現実は信じられないほど大きく様変わりした。
俺がランドセルを背負って友達の家に集まっていた頃、「魔法」なんて物語やゲームの中の話でしかなかった。
2099年、アメリカの宇宙探査機ペルセフォネが持ち帰った“未知の物質”――
それが世界と人類の運命を大きく変えてしまった。
今や、テレビのニュースで“魔物の出現情報”が流れるのも、どこか当たり前の日常になっている。
NASAが持ち帰ったその物質はアメリカで起爆した核爆弾のウランと融合したらしい。
その結果誕生したのが「魔法」や「魔力」といった存在だ。
それらは、すっかり市民権を得て俺たちの生活に大きな影響をもたらした。
世界は劇的に変化した。
でも、俺が自慢できるのは「肌が白い」とか、女性によく間違われるとか、男としてはちょっと微妙なことくらいしかない。
そんなしがない男子高校生の俺は静かな朝のリビングでテレビ音をBGMにパンを齧っていた。
テレビには、見慣れた危機感を煽る赤いテロップが踊っている。
朝の顔として定着しつつある女性アナウンサーも、いつもの愛嬌のある笑顔を封印していた。
「午前6時ごろ、Bランク魔物の出現が確認されました。近隣住民の方は不要不急の外出を避け――」
「またか……」
一緒に食事を食べている父さんがため息をつきながら、コーヒーカップをそっとテーブルに置いた。
「お兄ちゃん、今日魔法適性検査だったよね!」
マグカップをコトッと机に置いた音が妙に響いた。
微妙な空気を察したのか、それともスマホに夢中で今のニュースなんて全然気にしていなかったのか。
妹の晴香が栗色のポニーテールがぴょこぴょこと揺らしながらキラキラとした目でこちらを見ている。
「そうだけど?」
魔法適性検査――魔法とか魔力とか、そんな概念が現れてから始まった新しい制度だ。
中学生になれば全員が受けさせられる。
でも、適性がある男なんてこれまで一人もいない。
だから、妹がこんなに目を輝かせる理由が、正直よくわからない。
「もしお兄ちゃんに魔法適性あったらどうしよう⁉︎ やっぱ魔法少年!? いや今は“魔法少女”って呼ぶしかないのかな? ねえねえ!」
晴香のテンションは相変わらず全開で父さんが渋い顔をしているのにお構いなしだ。
「いや、男の俺に魔法適性があるわけないでしょ……」
コーヒーカップの向こうから父さんが言葉を継いだ。
「晴香、あんまり危ないことに憧れすぎるなよ。父さんは、もし本当に魔法少女になったら……やっぱり心配だなあ」
そう言いながらも、どこか諦めにも似た苦笑いを浮かべている。
「わかってるって。危ないのも怖いのも嫌だけど……憧れちゃうんだもん、しょうがないじゃん」
晴香はそう言って、またスマホの画面に視線を落とした。
俺もパンと目玉焼きが冷めないうちに、と黙々と食事を進める。
……と思ったら、突然「ねぇ見て見て!」と晴香がスマホの画面を突き出してきた。
「これ、最近の私の推しのセイラちゃん! ガーデンのメンバーでキラキラで可愛いし、魔法もめっちゃ派手で映えるんだよ〜」
「へぇ〜」
動画配信サイトの画面にはAsteLiveの文字。
画面の中では、ふわふわとした茶髪を揺らした少女が派手な魔法を披露する。
「登録者数は三百万人もいて、ガーデンのコードマスターの環ちゃんとかも出るんだよ!」
――ああ、始まった。また晴香の“推し語り”タイムだ。
いつもこの調子で、突然スイッチが入るラジカセみたいに、俺の日常に“魔法少女の魅力解説”というBGMが流れ始める。
……まあ、友人にも似たような奴がいるせいで、最近話題の魔法少女には妙に詳しくなってしまった。
例えば、晴香が言っているガーデンのコードマスター“白鷺環”は、マギ管――つまり魔法少女管理機構に所属するS級魔法少女だけで結成された“ガーデン”のリーダー。
自衛隊と合同で作戦行動をすることもある、化け物じみた連中らしい。
一人一人にコードネームがあって、晴香みたいなファンも多い。
取り敢えず、まずはご飯を食べてくれと、内心でツッコミを入れていたら、ちょうど出かける用意の整った母の声が飛んできた。
「ほら晴香、そんな動画ばっかり見てないで早く食べなさい! 遅刻するわよ!」
「えー、もうちょっとだけ!」
晴香は名残惜しそうにスマホを胸元に引き寄せつつ、パンを口に放り込む
「それじゃ忘れ物はないわね」
魔物の出現情報なんてものが、今では当たり前のようにニュースで流れる時代だ。
子どもは保護者の付き添いや集団登校、車での送迎が常識になりつつある。
晴香は「はーい」と元気に返事をして、母と一緒にリビングを出ていった。
残された俺も、食器を流しに置きながら、
……最近は本当に、魔法少女とか警察の巡回が
当たり前になったよなと内心でぼやく。
――ふと、母さんがこちらを振り返る。
「優も、ちゃんと魔法少女の子や警察の人が巡回してるルートを通るのよ。絶対に変な道には入らないこと。わかった?」
「はいはい、わかったよ」
いつものことなので、適当に返事をして家を出る。
制服の襟を直し、駅へ向かう。
朝の空気は静かで、いつもと変わらない。
――後になって思えば、
あの日の玄関を出た一歩が、
俺の“非日常”の始まりだった。
そのときは、ただ、いつもの朝が続くものだと思っていた。