第8話:記憶の回廊にて、声はまだ眠る②
レイヴンたちは、封印層を抜け、地下三階への螺旋階段を降りていた。
空気は重く、冷たい。まるで空間そのものが記憶の重みに耐えているかのようだった。
階段の先に広がるのは、円形の広間。天井は高く、壁一面に古代文字が刻まれている。中央には巨大な記憶結晶――《根源核》が浮かび、青白い光を脈打っていた。
無数の結晶が浮遊し、誰にも語られなかった声が微かに響いていた。
「ここが……記憶の根源。王国が語られぬ者たちの“原記録”を封じた場所。」
イリスが震える声で言う。
「図書塔は、語られた記録の保管庫。ここは、その影……語られなかった記憶が眠る場所。」
彼女は一歩踏み出し、壁の古代文字に目を留める。
ミラは祈りの杖を握りしめ、フィオナは矢をつがえる。
レイヴンは剣を抜き、静かに歩を進めた。
その瞬間、《根源核》が脈動を強め、空間が揺れた。黒い霧が広間を包み、温度が一気に下がる。そして、霧の中心に、ひとつの影が立ち現れた。
「……カゲ。」 レイヴンが呟く。
影の本体――かつて世界を救いながら、自らの存在を歴史から消した英雄。
彼は今、記憶の根源に現れた。
「語る者よ。お前たちは、語ることで世界を変えようとしている。 だが、語られすぎた記憶は、真実を歪める。 かつて、ある英雄の記録が神格化され、戦争の正当化に使われた。 その英雄は、ただ人を守りたかっただけだった。 だが、語られた記憶は彼を“武器”に変えた。」
その声は静かで、だが空間を震わせるほどの力を持っていた。
「それでも、語られぬ者たちの痛みを、私たちは無視できない。 祈りが届かなかった記憶も、語られるべきものです。」
ミラが一歩前に出る。
「語ることは、戦うこと。 沈黙に抗う者として、私は引かない。」
フィオナは矢を構える。
「お前は、俺の記憶でできている。 だが、今の言葉は……お前自身のものだ。」
カゲはレイヴンを見つめる。
「俺は、語る者として生きる。 語られぬ者の声を、俺の命に刻む。」
レイヴンは剣を握りしめる。
「ならば、お前はもう“影”ではない。 “光”になれ。」 影は静かに頷いた。
その言葉と共に、カゲの姿は霧のように消えた。だが、空間には彼の意志が残っていた。
その瞬間、《根源核》が震え、広間全体に記憶の波動が走る。空間が歪み、記憶の逆流が始まった。
壁の古代文字が光を放ち、空間に断片的な記憶が再生される。瓦礫の下で祈る子供。戦場で血に染まりながら祈る僧。名もなき兵士が最後に呟いた「俺は、ここにいた」の声。
語る者たちは、それぞれの記憶に巻き込まれるように立ち尽くす。
「お母さん……まだ、ここにいるよ……」
ミラは、かつて祈りが届かなかった子供の記憶に触れた。瞳が揺れ、祈りの光が結晶に宿る。
「祈りは届かないこともある。でも、それでも祈る。」
フィオナは、師・セレナの最後の記憶に触れ、矢を握りしめる。
「記録に残らなくても、俺はここにいる。」
イリスは、兄・カイルの記憶に再び触れた。その声は、空白の結晶の奥から響いていた。
「語られなければ、存在しない。それでも、俺は語る。」
レイヴンの中に、カゲの記憶が流れ込む。彼はその記憶を受け止め、剣を握り直す。
「俺は、語る者として生きる。影ではなく、光として。」
語られぬ者たちの声が、結晶から溢れ出す。
「……私たちは、忘れられていない。」
語る者たちは静かに目を閉じた。彼らの旅は、語ることの意味を問い続ける旅。そして今、影の干渉を越え、彼らは次なる戦いへと歩み出す。
だがその背後で、記憶の根源の奥深く――誰にも語られなかった“最初の記憶”が、微かに震えていた。それは、王国が最も恐れた記録。語られれば、秩序が崩れるほどの真実。
その記憶には、名もなく、声もなく、ただ“始まり”だけが刻まれていた。
「これは……誰の記憶でもない。世界そのものの記憶だ。」
レイヴンが微かな気配に気づき、呟く。
「語られたことのない始まり。それは、語る者すら知らない痛みかもしれない。」
ミラが続ける。
「でも、それを語る覚悟がある。」
フィオナは矢を握りしめる。
そして、その記憶に触れようとする者が、すでに動き始めていた。
《記憶枢機卿》――王国の記憶を統べる者。彼は、語る者たちの存在を“記憶の疫病”と呼び、完全なる封印を目論んでいた。
遠く離れた記録塔の最上層。枢機卿は静かに目を開けた。
「語る者たちが、根源に触れたか……ならば、記憶の秩序を守るために、彼らを消す。」
彼は手を掲げ、術式を起動する。記憶監視者――記録院直属の術式兵が目覚める。彼らは語る者たちの記憶波動を追跡し、根源核への接触を遮断する任務を帯びていた。
「語る者の記憶は、秩序を腐食する。」
そのうちの一体が、無感情に呟く。
そして、静かに動き始めた。語る者たちの記憶を追い、封印のための戦いが始まろうとしていた。