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第7話:記憶の回廊にて、声はまだ眠る①

 王都の夜は、異様なほど静かだった。

 月光が石畳を照らし、路地の影が長く伸びる。

 レイヴンたち4人は《中央記録院》の裏門へと辿り着く。

 そこは、王国の記憶を管理する最深部。

 語られぬ者たちの記録は、ここで封印され、改竄され、消されてきた。

 レイヴンは外套の裾を翻し、門の術式に《メモリア・コア》をかざした。

 青白い光が走り、封印がわずかに揺らぐ。

 その瞬間を狙い、フィオナが矢を放つ。

 矢は術式の核に正確に命中し、封印が完全に崩れた。

「侵入成功。だが、術式の余波が広がってる。」

 ミラはすぐに詠唱を始め、空間の揺らぎを祈りで鎮める。

 イリスは静かに言った。

「記憶院の術式は、破壊と同時に空間を不安定にする。急ぎましょう。」

 イリスはかつての記憶管理者として、内部構造を案内する。

「記憶の根源は、地下第三層。そこに、語られぬ者たちの“原記録”が眠っている。」


 地下一階:記録の回廊

 階段を降りると、空気が一変した。

 記録の回廊には整然と並ぶ記憶結晶が淡く輝き、静謐な光が壁を照らしていた。

 それは王国が「語るに値する」と判断した者たちの記録。

 英雄たちの勝利、王族の慈悲、僧侶の奇跡――彼らの記憶は美しく整えられ、語られることを前提に保存されていた。すべてが美しく、整えられていた。

 ミラが足を止める。

「祈りの記録がある……でも、どれも“美談”に書き換えられてる。」

 フィオナは足を止め、並ぶ記憶結晶のひとつに目を留めた。

  淡い光を放つその結晶は、彼女の師――祈りの僧・セレナの名を冠していた。

  眉をひそめ、フィオナはそっと手をかざす。

「これは、私の師の記録。けれど……彼女が語った痛みは、どこにもない。」

 結晶が微かに震え、奥から声が漏れた。

  「私は、祈った。だが、誰も救えなかった。」

 ミラの瞳が揺れる。

  彼女もまた、セレナの祈りを聞いたことがある。

 戦火の中、瓦礫に埋もれた子供たちの命を前に、セレナは泣きながら祈った。

  その祈りは届かず、ただ風に消えた。

  「彼女は、失敗を語った。なのに、記録には“奇跡の祈り”とだけある。」

 フィオナは唇を噛み、別の結晶に視線を移す。

  それは、かつて彼女が矢を放った戦場の記録だった。

「この戦場……私がいた場所。師と共に、最後まで戦った。 でも、記録には勝利しか残っていない。 仲間が倒れたことも、師が祈り続けたことも、記されていない。」

 ミラは静かに言った。

「語られた記憶は、語るに都合のいい形に整えられる。 痛みは削られ、誇りだけが残る。」

 フィオナは結晶から手を離し、矢筒に触れた。

  「師は、祈りの中で語った。『祈りは、届かないこともある』と。

  それでも、彼女は祈り続けた。 その記憶が、なぜ“奇跡”だけに書き換えられるの?」

 ミラは祈りの杖を握りしめた。

「語られぬ者の声は、ここに眠ってる。 でも、私たちが触れたことで、少しずつ目覚め始めてる。」

 フィオナは矢を一本抜き、結晶の前に立った。

  「語ることは、戦うこと。 私は、師の痛みを語る。 それが、沈黙に抗う者の務めだから。」

 ミラは頷いた。

  「語られた記憶の奥に、語られなかった真実がある。 それを見つけるために、私たちはここに来た。」

 二人の背後で、記憶結晶が微かに揺れた。

 語られぬ者たちの声が、静かに目を覚まし始めていた。

 レイヴンは結晶の列を見つめながら、低く、しかし震える声で言った。

「……ここは、語られた者の“影”を消す場所だ。」 拳を握りしめ、言葉を絞り出す。

「痛みを削り、誇りだけを残す……それが“語る”ことだと? こんなものは、記憶の改竄だ。 生きた証を、都合よく塗り替えるだけの、偽りだ。」

 彼の瞳には怒りが宿っていた。

  それは、語られなかった者たちの痛みを知る者の、悔しさそのものだった。

 イリスは足を止めた。

  壁の一角――他の結晶とは異なる、沈黙に包まれた空間。

  そこに、ひとつだけ色を持たない記憶結晶が浮かんでいた。

  淡い光すら放たず、ただ空白のまま、静かに宙に漂っている。

 彼女はその結晶を見つめ、息を呑んだ。

「……カイル。」

 かつて彼女が封印した記憶。

  兄の名も、姿も、記録には残されていなかった。

  それは、王国の最深術式――《完全封印》によって、記憶の構造そのものが削除された結果だった。

「ここには、記録の“痕跡”すら残らない。

  語られぬ者の中でも、最も深く、最も徹底的に……“消された”者。」

 イリスの声は震えていた。

「私は……秩序を守るために、兄の記憶を封じた。

  彼が語った真実は、王国にとって“危険”だったから。」

 レイヴンが静かに目を向ける。

「それでも、彼は生きていた。語るべき声を持っていた。」

 イリスは頷いた。

「ええ。彼は、語った。 戦場の矛盾、王族の欺瞞、記録の改竄……

 でもその声は、王国にとって“疫病”だった。」

 彼女はそっと結晶に手を伸ばす。

 イリスの指先が、空白の結晶に触れた瞬間―― 空間が微かに震えた。

 それは風でも魔力でもない、記憶の層そのものが揺らぐ感覚だった。

 結晶は沈黙を保ったまま、しかしその中心に、かすかな脈動が生まれていた。 色のない光が、ほんの一瞬だけ、イリスの瞳に反射する。

「……っ」

 彼女は息を呑む。 耳の奥で、何かが囁いた。 それは言葉にならない、記憶の残響――

「……イリス……」

 兄の声。 確かに、彼女の名を呼んだ。 だがその声は、霧の中に沈み、すぐに消えた。

 レイヴンが気づく。

「今、結晶が……応えたか?」

 イリスは震える手を結晶から離す。

「封印が……揺らいでる。 完全封印の術式が、語る者の接触に反応したのかもしれない。」

 ミラが祈りの杖を握りしめる。

「語られぬ者の記憶は、語る者の存在に呼応する。 それは、記憶が“語られたい”と願っている証。」

 フィオナは矢を構えながら、結晶を見つめる。

「声が届いたなら、封印はもう絶対じゃない。 語る準備は、始まってる。」

 イリスは静かに呟いた。

「兄は……消されたはずだった。 でも、記憶はまだここにある。 語られぬ者の声は、沈黙の中でも、生きている。」

 結晶は再び沈黙に戻った。

 だがその周囲の空間には、微かな揺らぎが残っていた。

 それは、封印の亀裂。 語られぬ者の記憶が、語る者たちの存在に呼応し、目覚め始めた証だった。

 語る者たちは、無言のままその場を離れる。

  だがイリスの背には、確かに兄の声が残っていた。

「……イリス……まだ、終わっていない。」

 それは、記憶の拒絶――封印された者の沈黙が、今もなお続いている証だった。

「ここは、語られぬ者を“消す”ための場所でもあるの。

  記録から、記憶から、存在そのものを消すための……墓所。」

 語る者たちは、誰も言葉を発せず、ただその空白の結晶を見つめていた。

 その背に、記録の回廊を通り抜ける風が吹く。

  微かな揺らぎの中で、語られなかった声が、確かにそこに在った。

 それは、まだ語られていない。 だが、確かに“存在している”声だった。


 地下二階:封印の層

 階段を降りきった先――封印層の扉の前に、異様な静寂が広がっていた。 空間は冷気に包まれ、床や壁には複雑な術式が刻まれている。 だが、扉に近づいた瞬間、空気が一変した。

「……来たか。」

 レイヴンが剣に手をかける。

  術式の紋が青白く発光し、空間に魔力の波が走った。

  次の瞬間、記録院の防衛術式が起動し空間に魔力の波が走る。

「自動防衛機構。記憶の封印を守るための最終防壁よ。」

  イリスが低く呟く。

 床の紋から光の柱が立ち上がり、ゆっくりと形を変えていく。

 やがて現れたのは――半透明の守護体。

 顔は仮面のように無表情で、表情の代わりに記録文字が浮かび上がっていた。

「排除対象:語る者」 「記録違反:干渉行為」 その文字が、感情の代わりに意思を示していた。

 胴体は記録結晶の破片で構成された鎧。

  内部で光が脈動し、記憶の断片が揺れている。

  腕には巻物状の術式が絡みつき、動くたびに空間に干渉紋が展開された。

  脚部は地面に触れず、浮遊している。移動のたびに「記録照合中」という残響が空間に響いた。

 それは記録院に登録された“語る資格を持たぬ者”を排除するための存在―― 語られぬ者の記憶に触れようとする者を拒絶する、記憶の番人だった。

「排除対象:語る者。記憶の改竄を試みる存在。」

 守護体が滑るように前進し、巻物の術式がほどける。

  空間に記録文字が展開され、魔力の刃が放たれた。

 それは記録の断片で構成された刃――触れれば、記憶が一時的に乱れる。

 レイヴンが剣で受け止める。

「っ……重い。これは、記憶そのものを斬ってくる。」

 ミラが詠唱を始める。 祈りの光が空間の揺らぎを包み込む。

「この術式、記憶の波動に反応してる。私が祈りで干渉する!」

 守護体が空間に術式を展開し、複数の魔力刃を同時に放つ。

  レイヴンが一歩下がり、剣で防ぎながら叫ぶ。

「フィオナ、核を狙え!ミラ、今だ!」

 フィオナは矢をつがえ、守護体の胸部に露出した核を見据える。

「動きが速い……でも、核は露出してる。狙える!」

 守護体が再び突進する。 巻物がほどけ、空間に「記録遮断」の文字が浮かぶ。

 魔力の刃がレイヴンを狙い、彼は剣で受け止めるが、体勢が崩れる。

 その瞬間、フィオナの矢が放たれた。 矢は術式の隙間を抜け、守護体の核に正確に命中する。

 光が乱れ、記録文字が一瞬だけ消えた。

 ミラの祈りがその隙に術式の波動を抑え込み、空間が静まる。

 守護体は崩れ落ち、結晶の破片が空中に散った。 最後に、仮面に浮かんだ文字が消える。

「……排除失敗。記憶への干渉、許容。」

 術式の光が消え、封印層の扉が静かに開いた。

 イリスは扉の向こうを見つめながら言った。

「記録院は、語られぬ者の記憶を守るために、語る者を拒絶する。

 でも今、記憶が私たちを受け入れた。」

 レイヴンは剣を収め、静かに頷いた。

「語ることは、戦うことだ。 記憶に抗う術式すら、語る者の意志に応え始めている。」

 語る者たちは、封印層へと足を踏み入れた。

 その背後で、崩れた守護体の残光が、記録の残響とともに揺れていた。

 ここは《封印層》――王国が「危険」と判断した記憶を閉じ込める場所。

 壁には封印術式が刻まれ、結晶は黒い鎖に縛られていた。

 その多くは、語られぬ者たちの記憶だった。

 ミラが祈りの杖を掲げると、結晶のひとつが微かに震えた。

「この声……子供の祈り。

 戦火の中で消えた命。

 なのに、記録には“犠牲者なし”と書かれてる。」

 フィオナは矢を構え、封印の核に狙いを定める。

「語られぬ者の声を、閉じ込めたままにはできない。」

 イリスは震える手で術式に触れる。

 かつて自分が施した封印。

 それを、今、自ら解こうとしていた。

「兄の記憶も、ここにあった。

 私は……王国の秩序を守るために、彼を封じた。」

 レイヴンは剣を抜く。

「語ることは、秩序を壊すことじゃない。

 語られぬ者の命を、正しく刻むことだ。」

 彼の剣が封印の鎖を断ち切ると、空間が震え、結晶が光を放った。

 その声は、語られることを待ち続けた者の魂の叫びだった。

「……私たちは、忘れられていない。」

「……私たちは、忘れられていない。」

 その瞬間、他の封印も微かに揺れ始める。

 語られぬ者たちの記憶が、語る者たちの存在に呼応していた。

 イリスは静かに呟いた。

「図書塔は、語られた記録の保管庫。ここは、その影……語られなかった記憶が眠る場所。」

 語る者たちは、さらに深くへと進む。

 その足音は、沈黙の記録を揺らしながら、語られなかった真実の扉へと向かっていた。

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