第4話:沈黙の祠と語りの誓い
灰色の空が夜の名残を引きずる中、語る者たちは塔を後にした。
戦いの余韻がまだ肌に残る。フィオナは矢筒を背に、無言で歩いていた。彼女の瞳には、師の記憶を守り抜いた誇りと、次なる戦いへの覚悟が宿っていた。
ミラは祈りの杖を胸元に抱き、静かに歩を進める。彼女の心には、封じられた声を解き放った瞬間の温もりが残っていた。語ることは癒しであり、灯火である――その信念が、彼女の祈りを支えていた。
ノアは少し離れて歩いていた。祖母エルノの《メモリア・コア》を懐に抱え、沈黙の祠へ向かう道を見つめていた。かつて幼き日に訪れたその場所が、今は語る者としての覚悟を試す地となる。
「……語ることが、こんなにも重いとは思わなかった。」
彼の呟きに、レイヴンが振り返る。
「重いからこそ、語る価値がある。誰かの痛みを背負う覚悟がなければ、語る資格はない。」
レイヴンの声は静かだったが、その奥には揺るぎない意志があった。
やがて、岩壁に囲まれた谷に辿り着く。そこに、沈黙の祠が静かに佇んでいた。
祠の扉は苔に覆われ、長い時を経てなお、語られぬ者たちの記憶を守っていた。
ミラが祈りの杖を地に立て、低く祈りの言葉を紡ぐ。
「語られぬ者の声よ、沈黙を越えて届きたまえ……」
その言葉に応えるように、祠の扉が微かに震えた。
フィオナは矢を手に取り、周囲に目を配る。
「この祠は、王国にとって“危険”な場所。監査官が退いたとは限らない。」
ノアは《メモリア・コア》を両手で掲げ、祠の扉に向かってゆっくりと歩み寄る。
「祖母の声を……もう一度、語らせてほしい。」
彼が結晶を扉の中央に触れさせた瞬間、淡い青白い光が広がった。
扉に刻まれた古代語が一つずつ輝き始める。
空間が震え、記憶の波動が祠の奥から溢れ出す。
──回想──
──その光に包まれた瞬間、ノアの意識が過去へと引き込まれた。
幼い頃、ノアは祖母エルノに手を引かれて、初めてこの祠を訪れた。
風が静かに吹き抜ける谷の底で、祠の扉は今と同じように苔に覆われ、沈黙を守っていた。
「ノア、この場所はね、語られなかった命が眠っているの。」
祖母の声は優しく、けれどどこか哀しみを帯びていた。
ノアは幼い瞳で祠を見上げながら、問いかけた。
「どうして語られなかったの?」
エルノは祠の前に膝をつき、祈りの布を広げながら答えた。
「語ることを許されなかったの。痛みを、悲しみを、誰かに伝えることが“秩序を乱す”とされたから。」
その言葉の意味を、幼いノアはすぐには理解できなかった。
ただ、祠の前で祖母が流した涙の理由を、胸の奥に刻んだ。
──現実──
──記憶の波動が祠の奥から溢れ出す中、ノアは目を開ける。
祠の扉が軋みながら開いていく。
その奥には、語られぬ者たちの名が刻まれた回廊が広がっていた。
古代語が淡く光を放ち、奥に広がる回廊が静かに姿を現す。
冷たい空気が流れ込み、語られぬ者たちの名が刻まれた壁が、闇の中に沈んでいた。
レイヴンは腰の袋から小さな灯火器を取り出した。
それは、金属とガラスでできた簡素な造りのもの。油を満たし、芯を整え、火打石で火を起こす。
カチン、と乾いた音が響き、火花が灯火器の口元に散る。
二度、三度――そして、ふっと小さな炎が灯った。
彼はその灯りを手に持ち、祠の中へと一歩踏み出す。
炎が揺れ、壁に刻まれた名が浮かび上がる。
「語られぬ者の声が、ここに眠っている。」
レイヴンの声は低く、祠の静寂に溶け込むようだった。
ミラが祈りの杖を胸元に抱き、そっと言う。
「灯りがあるだけで、記憶は語られ始めるのね。」
フィオナは矢を収め、周囲を見渡す。
「奥に、まだ語られていない声がある。私たちが聞かなければ、誰も気づかない。」
レイヴンは灯火器を高く掲げ、回廊の奥を見つめる。
その瞳には、語る者としての誓いが宿っていた。
「この灯りが消えぬ限り、俺たちは語り続ける。」
そして、語る者たちは祠の奥へと歩み出す。
灯火器の炎は、語られぬ者たちの声を照らしながら、静かに揺れていた。
今ならわかる。祖母が語りたかった声の重みを。
語られぬ者の痛みを、沈黙の中に閉じ込めたままにしてはいけない。
ノアは懐から《メモリア・コア》を取り出し、空にかざす。
祖母の記憶が、微かに震えながら応えていた。
「語ることは、命を灯すこと。沈黙は、命を閉ざすことなのよ。」
その言葉が、記憶の波動と共に空間に響いた。
ノアは静かに祠の中央へと歩み出す。
その瞳には、かつての迷いではなく、語る者としての覚悟が宿っていた。
そして、彼の歩みと共に、祠の奥に眠る記憶たちが、次第に光を帯び始める。
語られることを待ち続けた声が、確かに目覚めようとしていた。
ノアは震える手で《メモリア・コア》を手に持ち、祠の中央にある台座へと歩み寄る。
「祖母の声を……もう一度、語らせてほしい。」
彼が結晶を台座に嵌めた瞬間、青白い光が空間を満たした。
祠の奥に隠されていた回廊が姿を現し、壁に刻まれた語られぬ者たちの名が、淡く揺らめき始める。
その光の中で、ノアの耳に微かな声が届いた。
──ノア……聞こえるかい?
祖母エルノの声だった。優しく、どこか懐かしい響きが、記憶の波動に乗って彼の心に染み渡る。
──語ることは、命を灯すこと。沈黙は、命を閉ざすことなのよ。
その言葉は、幼い頃に祠で聞いた祈りと同じだった。
だが今、ノアはその意味を知っている。
語ることは、痛みを引き受けること。誰かの声を、自分の声として語ること。
彼の瞳に、静かに涙が浮かぶ。
それは悲しみではなく、誓いの証だった。
「……おばあさま、僕は語る者になるよ。あなたの声を、僕が灯す。」
その瞬間、祠の空間が震えた。
壁に刻まれた名が一斉に輝き、まるで眠っていた記憶たちが息を吹き返すように、淡い光が回廊全体に広がっていく。
祠の奥に隠されていた回廊が姿を現す。
ミラはその光に目を細め、祈りの杖を胸元に抱きしめた。
「記憶が……応えている。語られることを、待っていたのね。」
フィオナは矢を収めながら、静かに言った。
「この光は、沈黙を裂く声。語る者の灯りが、届いたんだ。」
レイヴンは灯火器を高く掲げ、炎の揺らぎが空間の波動と重なるのを見つめていた。
「記憶は、語られることで生きる。誰かが聞く限り、声は消えない。」
回廊の奥から、微かな囁きが響いた。
それは名もなき者たちの声。語られぬまま消えた命の残響だった。
ノアはその声に耳を傾けながら、台座の前に膝をつく。
「僕は……語る者になる。沈黙に抗い、命を灯す者として。」
ミラが祈りの杖を掲げ、語りの灯を空間に広げる。
「この先に、語られぬ王がいる。記憶の深層へと続く道……語る者の誓いを、この地に刻もう。」
フィオナはノアの肩に手を置き、静かに頷いた。
「語ることは、戦うこと。あなたの矢は、まだ放たれていない。」
レイヴンは回廊の入り口に立ち、剣を背に収めながら言った。
「語られぬ者の声を拾い集める旅は、まだ始まったばかりだ。」
語る者たちは、沈黙の祠を越え、記憶の深層へと歩き出す。
その背後で、語られぬ者たちの声が、確かに語り続けていた。