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第1話:沈黙の記憶、語る者の誓い

夜は、静かすぎた。

《アストラ・ノード》の回廊は、かつて“語り部の祠”と呼ばれていた。英雄たちの記憶を祈りと共に語り継ぐために築かれた聖域。石壁に刻まれた古代文字は、風が吹けば微かに光を放ち、過去の声を呼び覚ました。だが今、その光は沈黙し、空気は凍りついたように張り詰めていた。

月は雲に隠れ、星々は息を潜めていた。夜の帳が世界を覆い、時間さえも止まったかのような静寂が支配していた。

レイヴンは、黒い外套の裾を引きずりながら、研究棟の奥へと足を進めていた。彼の足音は石床に吸い込まれ、誰にも気づかれることなく響いた。瞳は冷たく、感情を押し殺したような光を宿していた。だがその奥には、怒りとも悲しみともつかぬ熱が、静かに燃えていた。

《アストラ・ノード》は、王国第七代王レオニスによって築かれた。かつては語り部たちが集い、記憶を祈りとして語り継ぐ場だった。だが第十代王の治世以降、語り部制度は廃止され、記憶は“秩序の素材”として管理されるようになった。語られぬ者の声は、秩序を乱すものとして封印されている。

それは、死者への冒涜だった。

それは、語られぬ者への裏切りだった。

研究棟の奥には、記憶装置が整然と並んでいた。青白い光を放ちながら脈動するそれらは、まるで誰かの心臓が静かに鼓動しているかのようだった。だがその鼓動は、どこか不自然だった。整いすぎている。均されすぎている。

レイヴンは一つの装置の前に立ち止まる。そこには《メモリア・コア》――アレンの名が刻まれた記憶核が鎮座していた。

《メモリア・コア》は、魂の残滓を吸収する魔力結晶を核に持つ。触れた者の魔力と記憶波長が共鳴することで、記憶が再生される。だが、強い感情を含む記憶は術者の精神を侵食する危険も孕んでいた。

レイヴンは手袋を外し、素手で《メモリア・コア》に触れた。冷たい感触が指先を包み、術式が反応する。光が広がり、彼の意識が記憶の中へと引き込まれていく。

──記憶の中──

炎が空を覆っていた。地面は焦げ、煙が視界を奪う。アレンは剣を握りしめ、影の背を守っていた。

「俺は、語られるために戦ってるんじゃない。守るためだ。誰かの痛みを、誰かの命を。」

その声は、確かにレイヴンの中に残っていた。だが、王国の記録にはその言葉は存在しない。代わりに、美しく整えられた勝利の記録が並んでいた。

「もし俺が戻らなかったら……俺の声を、誰かに届けてくれ。」

──現実──

光が収束し、レイヴンは目を開けた。彼の胸は苦しく、呼吸が浅くなっていた。アレンの記憶は、ただの映像ではなかった。それは、痛みだった。祈りだった。命だった。

「アレンは、語られぬ者を守った。だから、語られぬ者になった。」

その事実が、レイヴンの中で確かな形を持った。

「アレンの声を聞いた今、俺はもう沈黙できない。」

彼は《メモリア・コア》を懐に収め、研究棟を後にした。

──

森の奥、《沈黙の祠》へと続く石畳の道を、レイヴンは歩いていた。祠は、語られぬ者たちの記憶が眠る場所。王国の記録からも地図からも消された、忘れられた者たちの墓標。

祠は苔むした石壁に囲まれ、風に揺れる祈りの布が月光に照らされていた。中央には、古代文字が刻まれた石碑が静かに佇んでいる。

レイヴンが《メモリア・コア》を取り出したその瞬間、祠の奥から微かな気配が広がった。

誰かが、そこにいた。

祠の影から現れたのは、祈りの杖を手にした僧侶――ミラだった。

「……あなたが来ると思っていた。」

その声は、祈りのように静かで、確かな決意を宿していた。

「私は語り部の末裔。祠は、私たちが密かに守り続けてきた場所。王国の目から逃れるために、記憶と共に沈黙していた。」

ミラは石碑に手を添え、古代語で刻まれた“記憶共鳴陣”をなぞる。術式が淡く光り始めた。

「ここには、師エルノの記憶が眠っている。彼女は最後まで語ることをやめなかった。名もなき兵士の痛みを、祈りに変えて語り続けた。」

「その記憶は、王国の記録には残っていないのか?」

「削除されたわ。代わりに、彼女が語った兵士は“戦場の英雄”として美化された。死の理由も、言葉も、すべてが変えられた。」

その時、祠の外から風を切るような音が響いた。

月光の下に現れたのは、赤髪をなびかせた女――フィオナだった。

「《アストラ・ノード》であなたの痕跡を見つけた。師はかつて語り部と接触していた。祠の存在を、密かに教えられていたの。」

彼女の瞳は鋭く、だが揺れていた。

「師の記憶が歪められていた。痛みも、祈りも、どこにもなかった。」

レイヴンは《メモリア・コア》を記録台に嵌める。アレンの記憶が、青白い光となって広がる。

ミラは祈りの言葉を唱え、封じられた声を呼び覚ます。

フィオナは弓を背負い直し、石碑の前に立つ。

「語ることは、戦うこと。私は、矢で語る。」

その瞬間、祠全体が震えた。封じられていた記憶が、空気を震わせていた。

語られぬ者たちの記憶が、微かに光を放ち始める。

「……まだ、語られていない……」

誰かの声が、確かに響いた。

三人は石碑に手を添え、祠の術式と共鳴する光に包まれる



祠の空気が震え、記憶の光が広がった直後――

石壁の外から、重い足音が近づいてきた。

レイヴンが反射的に《メモリア・コア》を隠す。フィオナは弓に手をかけ、ミラは祈りの杖を構えた。

祠の入口に現れたのは、王国の記憶監査官――秩序の番人だった。肩章には銀の紋章、胸元には「第三区域記録監査局」の印が刻まれている。

「……ここに、未登録の記憶波動が検出された。」

その声は冷たく、感情を排した響きだった。

レイヴンは一歩前に出る。

「記憶は語られるためにある。封じるためじゃない。」

監査官は眉ひとつ動かさず、祠の内部を一瞥し、石碑に目を向ける。

「語られぬ者の記憶は、秩序を乱す。王国はそれを許さない。」

フィオナが矢をつがえる。

「なら、私たちは秩序の外で語る。」

ミラは静かに祈りを唱え、石碑の術式を再び起動させる。光が強まり、祠の空間が震える。

監査官は一歩退き、冷たく言い放った。

「語る者は、記録されない。いずれ忘れられる。」

レイヴンはその言葉に、静かに答えた。

「記録されなくても、語り続ける。誰かが聞く限り、記憶は生きる。」

監査官は何も言わず、祠を後にした。だがその背中は、確かに揺れていた。

祠の中に残された三人は、互いに目を合わせる。

語ることは、命を刻むこと。

語ることは、沈黙に抗うこと。

そして、彼らは再び石碑に手を添えた。

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