万博が燃えている
夢洲が燃えている。大阪万博に焼死体が積みあがるのだ。
*
八月も下旬になると残暑は大人しくなり、大阪万博はいっそう混み合うようになった。それでも俺は大阪府民だから、最終日いっぱいまで万博をしゃぶりつくしたい。不人気と噂の国際赤十字・赤新月運動館に予約入場し、1時間待ちのウクライナ館にも並んだ。それほどに遊び尽くしていたのである。
晩7時になると日が落ち、一度は凪いだ会場に陸風が吹き始める。遠方からの客は出口ゲートに向かい始めて、地元民のためのボーナスタイムが訪れた。ようやく人気パビリオンの列が減り始めた夜分、さてどの列に並ぼうかと、ネットから拝借してプリントした特製地図を見ながら、一人でぶつぶつ呟く。この時間が楽しいのだ。
そのとき、奴らが来たのだった。
轟と爆音が耳をつんざいた。オーストラリア館の前で人をさばいている美形の白人女と、隣のサウジ館で熱心に展示を説明するアラビア男と、平たく厚ぼったい顔の大阪府民が、夜空を一斉に見上げた。
それらは不可視であった。夢洲の夜は黒かった。再び爆音が鳴り、白人女は耳を塞いだ。
そのとき俺は気づいたのである。これは「敵」の来襲だ。夢洲に集まる10万の地球人を殺すために、「敵」が飛来したのだ。
そう確信したとき、観客らの喧騒はぱたりとやみ、ウウウウウと空襲サイレンが鳴った。
空に赤い火花が散った。それは空中で分離し、六等星の群れが橙色に灯った。星屑のひとつひとつが風を切りながら地上に降り注ぎ、その幾つかはコアラの出店の幌を貫通し、大多数は歩道にかんからと落ちた。
脛の太さほどの鉄塊がその正体であった。オーストラリア人の女従業員がそれに興味をもち、眉をひそめて近づこうとした。
俺はピンと来て、女を跳ねのけるように覆いかぶさる。刹那、鉄塊はどんと火を噴いて、粘性のガソリンを周囲に撒き散らした。
ナパーム弾であった。「敵」は世界人類に空襲を仕掛けたのである。
横のサウジ館から人々が転がり出てきた。粘着した燃料から火が燃え移って、そろそろとパビリオンに焼け広がる。あっという間に白い壁は火炎に呑まれ、迷路状の通路から逃げ遅れた人々が、火炎の奥に人影となって消えた。
俺は黒ずんだ煙にむせながら、その女を抱き起こす。
アラビア男の一人が爆弾の直撃で死んでいた。観客は逃げまどっていた。この会場には避難経路の誘導がない。火のない方角に向かって、八方ふさがりになる。
会場を周回する大屋根リングは、全体が木造である。「敵」はそこに着目し、ナパーム弾の効果が最大と見積もったのだ。300億円の投じられた万博の象徴が、ちりちりと煙を上げて燃え始めた。燐光は清々しい赤橙色である。リングの上で夜景を観ていた客たちが叫喚地獄を逃れんと、火達磨の状態で下の地面に飛び降りた。高度10メートル超からでは、無論助かりはしない。
臨海の西ゲートは火中にあろう。逃れるならば東ゲートしかない。
俺はオーストラリア女の手を引いて走り出した。
*
オイルマネーが燃える。独裁国家が燃える。列強諸国が燃える。矜持が、決意が、虚飾が燃える。
ウウウウウ。空襲警報が鳴り響く。数十万の焼夷弾を投擲した「敵」は、今や満足げに沈黙を保っていた。小さな金属の棒が一面に落ちていた。
会場の中心には森がある。「いのちの輝き」について考えるための日本人アーティストのパビリオンが鎮座する地帯である。「敵」はそこにも入念に焼夷弾をばらまいて、植物を助燃材として焼き尽くした。
道路じゅうに死体の山があった。人は人の欠片に蹴躓いて炎に飛び込むのである。10万人分の肌色は一色に回帰した。
そのうちに女が足をくじいた。森を抜けて東側の広場に出ようとしたときであった。簡牘を模して木材で装飾された中国パビリオンは、キャンプファイヤーのように火柱を上げていた。
その館の前で、俺は不可解を目にする。火炎に囲まれた通路の真ん中で、日本人誘導員らが、外国人誘導員を嬲り殺しにしているのである。
「走れ!」
俺は白人女に言うと、その女はぶるぶると青ざめて震えた。
「わたしたちは、にほんへいに、ころされる」
「アホ言うな……」
そこで口をつぐむと、俺は帝国臣民であった。日本の行く手を阻む敵は須らく誅殺せねばならぬ。無論豪州は連合国の一員であった。夢に見た上陸作戦が終われば、ダーウィン市には若い女が腐るほどいよう――。
いけない。
俺の深層心理まで「敵」に呑まれるところであった。俺はぶんぶんと首を振って気をつけると、白人女の頬をひっぱたいて、「ほんまに死んでまうで」と叫んだ。
女が意識を取り戻して前を見ると、目線の先はアメリカ館であった。東ゲートのすぐそこまで来ているのである。隣のフィリピン館は布の展示であるから、真っ先に燃え落ちて巨大な篝火となっている。フランス館のディオールのドレスもよく燃えただろう。
ゲートの前に広場があった。そこにはミャクミャクがいるはずだったが、燦然とした会場には世界各国から集まった人の炭が転がっていた。
火炎の奥に、立ち往生する消防車の影がある。あと数百メートルの辛抱で、あるいは消防士が駆け寄ってくれるかもしれぬ。
「ああ」
そのとき、俺たちは脱力して地面に座り込んだ。東ゲートは目前だが、ゆめゆめ助かるまい。「敵」は俺たちを、最後までくじけぬ者を狙っていたのだ。
広場には独特の風が吹く。旋風に火炎が混ざり、夜空に向かって縦一直線に伸びて、朱に輝く柱となった。
死ぬときの感想に言葉の壁はない。彼女は俺の肩を抱き寄せた。俺たちは完全燃焼の熱風を肺に吸い込んで窒息死する。
いのちが燃えている。
*
俺は目をぱちぱちと瞬く。なんだか胸の苦しくなる夢を見ていた気がする。
さっきのオーストラリア館の女は、相変わらずぬいぐるみ屋のそばで客を誘導していた。出店の幌は無傷だ。俺と目が合うと、控えめに俺を手招きして、「いま、まちじかん、ないです」と言った。
無事で良かった。そう思いながら、俺は3度目のオーストラリア館入りを断ったのである。
万博のテーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」だそうだ。
いつ「敵」が来るかわからない。早めに来場されてはいかがか。




