第2回桜庭メルの自分探しの旅:彩女の森 五
「……驚きましたわ」
生まれたての小鹿のように震えながら、それでもなお立ち上がるメルを見て、ファンファーレは目を丸くした。
「フィアーレイを受けて尚立ち上がるのですね……」
「はぁ、はぁ……メルは……怖いのには慣れっこ、です、から……」
「強がりはお止めになって。呼吸をなさるのもお辛いでしょう?」
ファンファーレの言う通りだった。
息を吸う度に、氷が肺に突き刺さるような感覚に襲われる。息を吐くと魂まで一緒に吐き出してしまいそうだ。
あまりに強い恐怖によって、感覚器にすら異常が生じ始めていた。
「あなたはオヨロズの仇ですが、必要以上に苦しめるつもりはありませんわ。次のフィアーレイで確実に葬って……」
「がぁっ!!」
ファンファーレが言い終えるよりも先に、メルは自分の左手首に噛みついた。
鋭い犬歯が深々と肉に食い込み、洒落にならない量の血液が腕を伝ってだらだらと滴る。
「なっ……何をしていらっしゃいますの……?」
「精神干渉には自傷行為って、相場が決まってるんですよ……!」
「ど、どこの相場ですの……?」
「ふ~……おかげで頭が少しスッキリしました」
手首の激痛によって、メルの恐怖が僅かに軽減された。
体は震え、肺は冷えるが、それでも動くことはできる。
「さぁ……行きますよ、ファンファーレ!!」
「っ、ふざけないでくださいまし!」
翅の目玉から一斉にフィアーレイが照射される。
「あああああっ!!」
メルは全身を分厚い紫色の炎で覆いながら、フィアーレイへと真正面から突っ込んでいく。
フィアーレイは炎に阻まれ、メルにまでは届かない。
「くっ……!」
フィアーレイが通用しないことを悟り、ファンファーレは次の手を打つべく動き出す。
しかしその時には既に、メルはファンファーレの眼前まで迫っていた。
「てやあああっ!!」
炎の中から飛び出したメルが、ファンファーレの胸に目掛けて貫手を放つ。
目にも留まらぬ速さで放たれた貫手を前に、ファンファーレは身動きが取れず、
「がふっ……」
メルの右腕が、ファンファーレの胸を貫いた。
致命的なその一撃によって、ファンファーレの肉体が崩壊を始める。
「セイ、ロン……アソート……」
最後に友達の名前を口にしながら、ファンファーレは無数の粒子となって消失した。
「ふ~……怖かったぁ……」
ファンファーレの消失に伴い、メルを苛んでいた恐怖が消失する。
「いたぁい……」
自分の歯で作った噛み傷を、涙目になりながら治療するメル。
ただファンファーレが精神攻撃を得意としていたために、治療すべき怪我はそれくらいだった。
「常夜見さ~ん!終わりましたよ~!」
メルが声を張り上げると、どこからともなくスマホを抱えた魅影が戻ってくる。
「お疲れ様。きちんと勝てたのね」
「当然ですよ、メル強いもん。常夜見さんの方はどうでした?視聴者さん達と仲良くできましたか?」
「まあまあよ。そんなことより早く始めましょう」
「ですね~。えいっ」
メルが気合を入れながら右手を前方へと翳す。
するとメルの前方に光が集まり、それが徐々に人の形へと変化していく。
「あら……?私は……」
そして人型の光は、やがてファンファーレの姿を形作った。
「ファンファーレ、今のあなたはメルの能力によって作り出された分身です。ホワイトフィアーを始めとする能力は失われています」
戸惑うファンファーレに、メルは状況を簡潔に説明する。
「っ、オリジン……!」
メルが生み出した分身は、生前の記憶を完全に引き継いでいる。百万頭神の命を奪ったメルに対する憎しみは失われていない。
だがメルはファンファーレの憎しみの視線を涼しい顔で受け流した。
「あなたにはいくつか聞きたいことがあります……が、その前に。あなたとお話をしたいって方がいるので、まずはそっちと話してください」
「私と話を……きゃっ!?」
メルとファンファーレの間に、突如として黄金色の光の玉が出現した。
光の玉はぐにぐにと粘土のように形を変え、柴犬の子供のような小さな犬の姿を取った。
「あなたは……オヨロズ?」
「その通りだ、ファンファーレ。生まれ変わる前に、少しだけ時間を取らせてもらった」
命を落とした祟り神は、長い時間をかけて元の神格として生まれ変わる。
この小さな柴犬は、メルに殺されて転生する直前の百万頭神なのだ。
「ファンファーレ。君は彩女の森の怪異達に、精神干渉を施していたね?」
「っ……」
百万頭神の指摘に、ファンファーレはばつが悪そうに目を伏せる。
魅影も同じことを指摘していたが、やはりそれは事実だったようだ。
「私も君に精神干渉を受けた身だ。その立場から君に言わせてもらいたいことがある」
ファンファーレの肩がビクッと跳ねる。
「……何故精神干渉などという手段を取ったんだ。仮に精神干渉を受けずとも、私は君と友達になることを選んでいただろう」
「……え?」
呆気に取られて顔を上げるファンファーレ。
「君は私の精神を支配したが、それ以外は私に危害を加えなかった。それどころか君は私にとても良くしてくれた。共に食事をとり、私の毛繕いをして、1日中話を聞かせてくれた。疫病をもたらす祟り神に成り果ててしまった私にとって、君の優しさは救いだった」
「それは……私が自分の寂しさを埋めるために……」
「だとしてもだ。それに、私が今言ったことは他の皆も感じていることだ」
百万頭神のその言葉に合わせるように、森の中からセイロンとアソートが飛び出してきた。
戦闘が始まった時にどこかへと逃げ去っていた2体だが、戦闘の終結を察知して戻ってきたらしい。
セイロンとアソートは、ちょこちょことファンファーレの周りを走り回る。
「見ろ。セイロンもアソートも、こうして君を慕っている。君の精神干渉能力は失われたにもかかわらずだ」
「セイロン……アソート……」
ファンファーレが2体の怪異を抱え上げると、セイロンもアソートも嬉しそうに体を震わせた。
「精神干渉能力など使わずとも、君は友達を作ることができるんだ。私は最後にそれを伝えたかった」
「オヨロズ……」
ファンファーレの頬を涙が伝う。
「……そろそろお別れのようだ」
百万頭神の体が空気に溶けるように希薄になり始める。いよいよ生まれ変わりが始まろうとしているのだ。
「オヨロズ……また、会えますよね」
「……私が元の神格として生まれ変わるには、長い時間がかかる。待っていてくれるか?」
「はい。必ずまた会いましょう」
「ああ、必ず」
最後に約束を交わし、百万頭神は消失した。
「……なんか、いい感じの雰囲気が鼻につくわね」
「いいじゃないですか別に~。性格の悪さ出てますよ、常夜見さん」
空気を読んでここまで口を挟まずにいたメルだが、いつまでも黙って見守っている訳にも行かない。メルにも一応用事はあるのだ。
「ファンファーレ。さっきも言いましたけど、あなたにはいくつか聞きたいことがあります」
「……何でしょう?」
百万頭神ときちんと別れを済ませられたためか、ファンファーレの態度はいくらか軟化していた。
「まず1つ。あなたはメルが百万頭神と戦う前から、メルのことを憎んでましたか?」
「……百万頭神があなたに殺される前は、あなたを恨む理由などありませんでしたわ」
「そうですか……」
桜庭メル・クリメイトは「自分は桜庭メルの紛い物である」という認識を持ち、そのためメルに対して強い憎しみを抱いていた。
クリメイトの憎しみは「メルから生まれた」という事実に起因していたため、他のメルティーズも同様の憎しみを抱いているのかとメルは考えた。しかしファンファーレの話を聞く限り、必ずしもそうではないらしい。
「それともう1つ、他のメルティーズ……メルから生まれた怪異のことは、何か知ってますか?」
「いいえ」
ファンファーレは首を横に振った。
「オリジンから生まれたあの日以来、他の方々とは会ってすらいませんわ」
「やっぱりそうですか……」
他のメルティーズの情報を持っていないのはクリメイトもそうだったので、これに関しては最初から期待はしていなかった。
「聞きたいことはとりあえずこれで全部です。あなたはこのままここに置いて行きますから、他人に迷惑を掛けない範囲で楽しく暮らしててください」
「えっ……よろしいんですの?」
「だってそうしないと、その子たち可哀想じゃないですか」
メルはセイロンとアソートを指差した。
よく懐いている2体をファンファーレから引き剥がすのは流石に胸が痛い。
今のファンファーレは何の能力も持たず、ほとんど普通の人間と変わらない。このまま彩女の森に置いて行っても何も問題は無かった。
「あっ、そうだ」
ここでメルはあることを思いつき、唐突にフィンガースナップを繰り出す。勿論音は鳴らない。
「えっ、ちょっと桜庭さんどこに行くの?」
「ちょっと待っててください!多分5分くらいで戻ってきます!」
ファンファーレと魅影(とついでに視聴者)を彩女の森に置き去りに、メルがワープによって姿を消す。
向かった先は爆発の跡や焦げ跡が多く見られる荒野のような場所。
前回の配信でメルが訪れた、赤馬採石場跡地だ。
「ん……?」
ワープを終えたメルの耳に、硬いものをぶつけ合うような音が聞こえてきた。
物音はほぼ一定の感覚で繰り返されており、明らかに人工的に発生している。
「よかった、すぐに見つけられそう……」
メルは音の聞こえる方向へと走り出す。この採石場で人工的な音を発生させる存在は1つしか考えられない。
大きな岩の陰に回り込むと、果たしてそこにはメルの目的の人物の姿があった。
「……何してるんですか?クリメイト」
そこでは桜庭メル・クリメイトが、2つの石をぶつけ合わせていた。
「げっ、オリジン!?アンタ何しに来たの!?」
メルを毛嫌いしているクリメイトは、メルの姿を見るや否や盛大に顔を顰める。
「いえ、ちょっとクリメイトに用事があったんですけど……何してるんですか?」
「何って、見れば分かるでしょ?打製石器作ってんのよ」
「それは現代だとあんまり見ても分からないですよ……」
想像よりも遥かに原始的な回答が返ってきたことに、メルは困惑を隠せない。
「なんでまた打製石器を……?」
「アンタがアタシをこんな何も無いところに置き去りにするからでしょ!?石器作るくらいしかやること無いのよ」
「それは……ごめんなさい」
どうやら退屈が原因でクリメイトの時代を逆行させてしまったらしい。メルは罪悪感を覚えた。
「それで?アタシに用事って何なのよ?」
「あっ、そうでしたそうでした」
打製石器のインパクトで危うく忘れかけたが、メルは配信を抜け出してここに用事を足しに来たのだ。なるべく早く戻らなければならない。
「あなたの引っ越しをしに来ました」
「は?引っ越し?」
「はい。こないだ言いましたよね?ここよりもっと暮らしやすいところを見つけるって」
「言ってたけど……」
前回の配信でのことだ。クリメイトも当然覚えている。
「人を待たせているのであまりのんびりしていられません。移動しますからメルの腕に掴まってください」
「ちょっと待って、いきなり何なのよ!?急に引っ越しだなんて言われても……ていうか、アタシに指図しないで!」
「掴まらないならメルから掴みますよ」
キャンキャンと抗議するクリメイトの腕をがっしりと掴み、メルは再びワープを始める。
そしてメルはクリメイトを連れて、再び彩女の森へと戻ってきた。
『あ帰ってきた』『おかえり』『どこ行ってたの?』『あれクリメイトちゃんいるくね?』
「はい、着きました。ここは彩女の森ってところです」
「何なのよホントに!?もっとちゃんと説明しなさいよ!」
「ファンファーレ。この子は桜庭メル・クリメイト。あなたと同じメルから生まれた怪異です」
メルは混乱するクリメイトをファンファーレに紹介する。
「ええ、存じておりますわ」
「この子友達いないんで、あなたが友達になってあげてくれますか?」
「……分かりましたわ」
まだメルへの憎しみは消えていないファンファーレだが、メルの言葉には素直に頷いた。
「オヨロズから言われましたもの、私は精神を支配せずともお友達を作れると。オヨロズと再会した時に顔向けできるよう、精神干渉能力がなくともお友達を作って見せますわ!」
ファンファーレは強い意気込みを露にすると、両手でクリメイトの右手を取った。
「は?お友達……?ってアンタ、ファンファーレよね?こんなところで何してるの?」
「お久し振りですわ、クリメイト。いえ、ほとんど初めましてのようなものでしょうか?」
「そ、そうね……直接話したことは無かったし……で、アンタはこんなところで何を?」
「ここは私のお家ですわ。そして今日からは、あなたのお家でもありますわね」
「ちょっと展開早すぎて付いてけないんだけど……えっ、アタシもここに住んでいいの……?」
「勿論ですわ!私たちは姉妹も同然ですもの!」
ファンファーレは少々強引で、クリメイトは少々押され気味だったが、それでも2人は和やかに会話をしていた。
メルに対して強い敵愾心を見せるクリメイトも、他のメルティーズに対してはそうではないらしい。ファンファーレが言ったように、姉妹も同然なのだろう。
「あの2人、仲良くやって行けそうですね」
「そうね。ああしていると本当に姉妹のようだわ」
「うんうん、仲良きことは美しきかなですよね。という訳で皆さん、第2回自分探しの旅はいかがだったでしょうか?」
「どういう訳でよ……?」
『どういう訳で???』『えっこの流れで締めるの?』『なんか締め方雑じゃな~い?』『打ち切り漫画か?』
「次回がいつになるのかはちょっと未定なんですけど、また第3回の自分探しの旅でお会いしましょう!それじゃ、バイバ~イ」
「急に終わったわね……」
視聴者からの指摘にもあるように、少々雑にメルはこの日の配信を終了した。
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