第7回桜庭メルの心霊スポット探訪:ジメ子さん 前編
その日は強い雨が降っていた。
傘を差していても首から下が濡れてしまうような大雨。多くの人間が外出を控え、街は全体的に閑散としている。
「皆さんこんにちは。心霊系ストリーマーの桜庭メルで~す」
しかしそんな大雨など意にも介さず、メルは今日も今日とて屋外で配信をしていた。
現在メルがいるのはとある公園内の四阿。
屋根があるので雨は防げているが、地面で跳ねた雨が水煙となって四阿に侵入してくる。そのためメルは全身が薄らと湿っていた。
「えっと、前回の配信は番外編だったので……今回は心霊スポット探訪、第7回ですね~」
『この雨の中よくやる』『ナンバリングが律儀だね』
配信が始まると早速いくつかのコメントが書き込まれ、それらが機械音声で読み上げられていく。
「今回の配信からちょっと変わったことがあるんですけど~……じゃん!」
メルがスマホのカメラに向かって両手を広げて見せる。
「今回からサクラさんがスマホで撮影してくれることになったので、メルがフリーハンドになりました~」
『おお』『何その地味な変化』『サクラさんって誰?』
「サクラさんについては説明すると長くなるんで、この間投稿した『前回の配信に関して』の動画をご覧ください」
『あのタイトルとサムネイルが謝罪動画みたいなあれか』『なんであの動画あんなに謝罪動画じみてるの?』
サクラというのは簡単に言うとメルの背後霊だ。メル以外には見ることができず声も聞こえないが、物を動かすことはできる。
(ねえメルちゃん。私、上手くできているかしら?)
(コメントもちゃんと流れてきてるみたいですし、大丈夫だと思います!)
(本当?ならいいけれど……私、こういう新しいものには疎いものだから……)
サクラは元々1000年前の神様なのでスマホの扱いには苦心したが、メルと一緒に練習することで何とか人並みに扱えるようになった。
「さて今回の心霊スポット探訪、見て分かる通り大雨の中始まった訳ですが……実はこれには理由があるんです」
『理由?』『なになに?』『勿体ぶるな』
「今回はですね、なんと、初めて視聴者の方からリクエストをいただいた心霊スポットに行ってみようと思います!わ~、ぱちぱちぱち~」
メルの拍手の音は、雨音に紛れてあまり聞こえなかった。
「いや~、ありがたいですよねリクエスト。正直ここ最近はちょっとネタ切れ気味だったので、多分皆さんが思ってるより相当ありがたいです」
メルはポケットの中から四つ折りにしたA4サイズのコピー用紙を取り出した。
「リクエストしてくれた方からのメッセージをプリントアウトしてきたので読みますね」
『なんでわざわざプリントアウトしたの?』『送られてきたメッセージそのまま読めばいいだろ』
「スマホは撮影に使ってるのでメッセージ表示できないんですよ」
『機材カツカツで草』
メルもスマホではなくきちんとした撮影用のカメラが欲しいと前々から思っているのだが、購入を先延ばしにしてしまっていた。
「メッセージ読みますね。
桜庭メルさん、いつも配信を楽しく見させてもらっています。メルさんにリクエストなのですが、僕の通っている小学校で噂になっているお化けのことを調べてもらいたいです。
小学生の視聴者さんなんですね~」
『小学生がこんなチャンネル見るなよ』『ここの配信暴力的な表現のオンパレードじゃねーか』『なんなら出血もあるしな』
「僕の住んでいる街は、雨の日になると『ジメ子さん』というお化けが出ます。ジメ子さんは血塗れになった高校の制服を着ていて、いじめっ子を見つけて捕まえては殴り殺してしまうと言われています。僕の友達のお兄ちゃんの先輩がジメ子さんに殺されてしまったそうです。僕は絶対にイジメなんかしませんが、僕はジメ子さんが怖いです。メルさん、どうかジメ子さんを殺してください。
……とのことですね~」
『殺してくださいで草』『教育に悪いだろこのチャンネル』
視聴者からのメッセージを読み終えたメルは、コピー用紙を仕舞ってカメラに視線を戻す。
「という感じでですね、視聴者さんから討伐依頼が寄せられたので」
『討伐依頼は草でしょ』
「今日は視聴者さんから教えてもらった街に来てます。ジメ子さんは雨の日に出てくるそうなんで、今日は雨降ってよかったですね~」
視聴者曰く、ジメ子さんは雨の日に出現する。だからメルはここ数日、住んでもいない街の天気予報をこまめにチェックし、最も降水確率の高かったこの日にロケを敢行した。
多くの人間が大雨を厭う中、メルはこの雨に喜びを通り越して感謝さえしていた。
「ジメ子さんが具体的に街のどこに出るかはリクエストくれた視聴者さんも知らないそうなんで、とりあえず適当に街をぶらぶらしてみます。街ブラロケですね~」
『そんな穏やかなもんじゃないだろ』
メルは立ち上がり、立てかけていた黒とピンクの傘を手に取る。
「それじゃあ心霊スポット探訪、やっていきましょう!」
そしてメルは傘を差し、大雨降りしきる街へと繰り出した。
ゆっくりと歩くメルの横を、スマホを構えたサクラがふよふよと浮いて並走する。
肉体を持たないサクラは雨に濡れることはないが、サクラが持つスマホは濡れたらお陀仏だ。だからサクラはスマホだけは傘の中に入るよう気を配っている。
「メル、この街に来る前にちょっとネットでジメ子さんのこと調べてみたんですよ」
人気のない街を歩きながら、メルは場繋ぎを兼ねて自ら調べた情報を視聴者に語り始める。
「そしたら怪談とか都市伝説とかをまとめてあるサイトに、ジメ子さんのページがあって。結構詳しいことが調べてあったんです。だからメル、そのサイトの管理者さんとメールでやり取りして、そのサイトの内容を配信で喋る許可貰ってきました。だから今からそのサイトに書いてあることそのまま喋ります」
『プライド無いんかお前』『丸パクり宣言じゃん』
「この配信が終わったら、アーカイブの概要欄にそのサイトのURLも張り付けておきますね」
一応メルもそのサイト以外にもいろいろと調べたのだが、結局そのサイトに書いてあることをそのまま喋った方が視聴者にとっても親切だという合理的な判断だった。
「ジメ子さんは雨の日に現れていじめっ子を殴り殺すそうですけど、この街では実際に雨の日に変死体が見つかることが多いんですって。でも亡くなった人達はいじめっ子じゃなくて大人の人で、全身の骨が折れていたり、人相が確認できなくなるほど顔の形が歪んでいたり、酷い暴行を受けていたようです」
『子供が殺されてはないんだ』『よかった』
「もちろん変死体が見つかる度に警察が捜査したんですけど、犯人が見つかったことは1回もないそうです。そして殺された人達のことを調べてみると、パワハラだったりDVだったり、いわゆる弱い者いじめをするような人達ばかりだったとか。だからジメ子さんが本当にいるのかは別にして、この街では雨の日に『いじめっ子』が何者かに殺されてるんです」
雨の音をBGMに淡々とした口調で語られる怪事件の概要は、背筋が凍るような薄ら寒さを感じさせる。
「じゃあなんでそんなことが起こるのかって話ですけど、最初にこの街で雨の日に変死体が発見されたのは今から28年前らしいんですね。で、28年前にこの街で何があったかって言うと、最初の変死体が見つかる少し前に自殺した女の人がいたんですって。そしてその人が自殺した原因は、職場での陰湿ないじめ……ここまで言えば、皆さんももう分かりますよね?」
『その自殺した女の人がジメ子さんになったってこと?』
「そうなんじゃないかって、メルが見たサイトには書いてありました」
『そうだったこれ全部受け売りなんだった』
メルがネットで拾ってきた考察を話し終える頃には、コメント欄もそれなりに盛り上がっていた。
そして話し終えるのと同時に、メルは雨の向こうに人影を見つけた。
「ん?あそこ、誰かいますね……こんな雨の中で何してるんでしょう」
『お前が言うな』『お前もだろ』
大雨の中で配信をしている自分のことを棚に上げ、メルは人影の存在を訝しむ。
しかし実際、その人影はメルが不審に思うのも当然だった。というのもその人影は、この雨の中で傘を差していなかったのだ。
「あの人、幽霊ですね」
『は?』『なに急に』『雨の日に傘差してないだけで幽霊認定かよ』
突然人影を幽霊と断定したメルに対し、否定的なコメントがいくつか寄せられる。しかしメルには、人影を幽霊だと確信できる根拠があった。
メルの左目、5枚の花弁で構成された桜の紋章が浮かび上がる「桜の瞳」には、幽霊・怪異・神格・祟り神を視覚的に識別する能力が備わっている。
幽霊は青色。
怪異は赤色。
神格は黄金色。
祟り神は黒色。
それぞれの色で、メルは存在の本質を看破することができる。
そして雨の向こうの人影は、薄らと淡い青色の光をその身に纏っていた。それはすなわち人影が幽霊であるということに他ならない。
「もうちょっと近付いてみましょうか……」
メルは慎重な足取りで人影との距離を詰める。すると雨に隠されていた人影の容姿が少しずつ見え始めた。
人影の正体はスーツを着た中年の男性で、メルにはごく普通のサラリーマンのように見えた。
そして男性はやはり傘を差しておらず、雨合羽などの雨具も身に付けていなかった。雨に打たれながら、ただ茫然と虚ろな目で立ち尽くしている。
『なんだあのおっさん』『明らかにヤバい人でしょ』
男性の正体が幽霊であるというメルの発言に懐疑的だった視聴者達も、男性の異様な佇まいを目にして違和感を覚え始めている。
「あの~、大丈夫ですか?」
恐る恐る男性に声を掛けるメル。しかし男性は返事をしない。
よくよく見てみると、男性の唇が絶え間なく動いている。何かをしきりに呟いている様子だが、雨音に紛れて声は聞こえない。
「あの~……?」
メルはもう1歩男性に近付き、男性の声を聞き取ろうと耳を澄ます。
「なんで俺がこんな目に遭わなくちゃならねぇんだよ使えねぇ新人ぶん殴ったぐらいでよぉそのくらい誰だってやってることだろなんで俺だけこんな目に俺を誰だと思ってやがるんだ俺がどれだけ会社に貢献したと思ってあの使えねぇ愚図のせいで俺の人生台無しだ何がパワハラだ暴力だあんなのただの教育だろうがそれなのにそれなのにそれなのにそれなのにそれなのに何で何で何で何で何で何で何で俺が俺が俺が俺が俺が俺が俺が」
「ひっ!?」
男性は鬼気迫る表情でうわ言のように何かへの恨み言を延々と呟いている。
その異様な雰囲気にメルが思わず後ずさると、男性は血走った目をギョロリとメルの方へ向けた。
「ふざけるなぁっ!!」
「え、ちょっ」
突如激昂した男性はメルへと掴みかかると、ずんぐりとした両手をメルの細い首へとかける。
男性の指がメルの肌に食い込み、万力のような力で首が締め上げられる。
メルは反射的に男性の腕を首から引き剥がそうとしたが、メルの手は男性の腕をすり抜けて掴むことができない。
「くっ……」
しかしメルは慌てず騒がず、冷静にスカートの中に右手を潜り込ませ、太もものホルダーから包丁を引き抜いた。
そうして手にした得物を、メルは無造作に男性のこめかみ辺りに突き立てる。
「ぎゃああああっ!?」
男性はメルの首から手を離すと、悶え苦しみながら光の粒子となって消滅した。
「ふぅ……」
メルは首元を軽く撫でながら溜息を吐く。その傍らでは、メルが取り落とした傘をサクラが慌てて拾い上げ、必死でスマホを雨から守っていた。
「前から思ってたんですけど、メルは幽霊に触れないのに、幽霊はメルに触れるのって不公平ですよね」
『今の一連の流れの後に出てくる感想がそれかよ』『もう幽霊殺すことに対して何の感情も動いてないじゃん』
メルからすれば、幽霊を1人殺したくらいでは今更何も思わない。サクラから傘を受け取り、濡れた顔を軽く拭ってから何事も無かったかのようにまた歩き出した。
「そう言えば皆さん、さっきの男の人が言ってたことって聞こえました?」
『いや』『聞こえない』『聞こえなかった』
「ですよね~」
男性が呟いていた内容は、その声の小ささと雨音のせいでメルが辛うじて聞き取れる程度だった。カメラの向こうの視聴者には、当然届いているはずもない。
「何かさっきの人、パワハラ上司みたいなことずっと喋ってたんですよ。使えない新人をぶん殴った~とか、あんなのただの教育だ~とか。だからあの人、ジメ子さんに殺されたパワハラ上司の幽霊だったのかも」
『ほんとかぁ~?』『確かにパワハラしてそうな見た目ではあった』
「人を見た目で判断するのはダメですよ~」
視聴者と雑談をしながら歩いていたメルの視界の端に、再び青い光が映り込む。
「ん?」
視線を向けると、そこにはまたしてもスーツ姿の男性。メルの目には男性の周りに青い光が見えたので、生身の人間ではなく幽霊だ。虚ろな目で俯きながら、何かを延々と呟いている。
メルが男性に近付くと、男性はちらりとメルに視線を向けた。しかしメルに襲い掛かるようなことはせず、すぐにまた視線を落として何かを呟き始める。
「……なんか、大人しそうな幽霊ですね」
メルは男性への印象を口に出すと、それ以上は何もせずに男性の横を通り過ぎる。
『殺さないの?』
「殺さないですよ~。メルはメルを殺そうとした相手しか殺さないんです」
『線引きあるんだ』
メルの基本的な考え方は目には目を。やられたらやり返すが、何もされなければメルの方からも何もしない。
「……なんか、幽霊多いですね~」
その後もメルは、何人もの幽霊と遭遇した。大雨のせいで人間は見かけないというのに、遭遇した幽霊の数は30分で10を超える。
「桜の瞳」を得てからのメルは、以前よりも幽霊を発見しやすくなっている。しかしそれでも心霊スポットではない普通の街で、短時間にこれだけの幽霊を見かけたことは初めてだ。
「しかも大体乱暴な幽霊だし」
掴みかかってきたサラリーマン幽霊の首を刎ね飛ばしながら、メルは溜息を吐く。
この街でメルが遭遇した幽霊の大半は非常に攻撃的で、そのような幽霊はメルを見るなり襲い掛かってきた。
今のところメルは襲ってきた幽霊の全てを難なく返り討ちにしているが、それでもこう次々と襲われれば嫌気も差してくる。
「そう言えばさっきサクラさんに教えてもらったんですけど、乱暴な人って死んで幽霊になった後も凶暴な幽霊になりやすいんですって」
『へー』『そうなん?』
「メルを襲ってきた幽霊がみんなジメ子さんに殺された人達なら、凶暴な幽霊ばっかなのも納得ですよね~。パワハラとかDVしてた人達ですもん」
話している間にもまたスーツ姿の中年男性の幽霊が飛び掛かって来たので、メルはその喉元に包丁の刃をねじ込んだ。
聞くに堪えない断末魔を上げながら、中年男性の霊が消滅していく。
「襲われたところで簡単に殺し返せるような幽霊ばっかりですけど……そろそろジメ子さんにも出てきてほしいですよね~」
こうして淡々と幽霊を返り討ちにしているだけでは、映像としての面白みに欠ける。
生配信のことを考えると、本命のジメ子さんをカメラに収めたい頃合いだ。
「お?」
そんなメルの願いが通じたのか、ここにきてメルは雨の向こうに赤色の光を発見した。




