桜庭メルの心霊スポット探訪番外編:不朽の桜 中編
暗く狭い穴の中を、童話のおむすびよろしく転がり落ちていくメル。
「うぐっ……」
べしゃっ、と。穴の底に到達したメルの体が地面に投げ出された。
「いたた……」
打ち付けた頭を擦りながら、メルは体を起こす。
体のあちこちが少し痛むが、幸いにも怪我はどこにも負っていなかった。
「ここは……?」
そこはドーム状の洞窟だった。穴の底だというのにその空間はほんのりと明るく、メルは暖かな印象を受けた。
そして洞窟の中心には、1本の立派な桜の木が聳えていた。ソメイヨシノのように見えるその桜の木は、日光に似た色合いの光に包まれている。この空間において、その桜は光源の役割を果たしていた。
「あれは……枯れない桜?」
今は桜の季節ではない。にもかかわらず満開に咲き誇っているあの桜は、メルが探していた枯れない桜に違いない。
そして桜の木の下には、1人の女性が佇んでいた。女性は十二単のような和風の装束に身を包み、天女の羽衣のような薄い布を纏っている。
その女性の人間離れした美しさに、メルは思わず目を奪われた。
女性の姿をカメラに収めようとしたメルは、そこで初めてスマホが機能していないことに気付いた。
「ごめんなさいね、あなたを巻き込んでしまって」
女性は困ったように眉尻を下げて、メルに話しかけてきた。
「えっと……あなたは誰ですか?」
「名前なんてとうの昔に捨ててしまったわ。今は、そうね……サクラと呼んでくれるかしら」
「サクラさん。サクラさんはどうしてこんなところに?」
この洞窟はメルが穴に落ちた先にあったものだ。意図して人間が踏み入るような場所ではない。
だからそんな場所でメルを待ち構えていたサクラの存在は、メルにとって不思議でならなかった。
「この場所は、今の私にとって世界の全て。私はここから出られないし、ここ以外で私は存在できないの」
「閉じ込められてる、ってことですか?」
「いいえ、違うわ。私は私自身で、この場所に閉じ籠ったの」
「それは……えっと、どうして?」
慎重に言葉を選びながら、サクラへのインタビューを続けるメル。
時代錯誤な服装やこの空間の特異性から、サクラがただの人間でないことは明白だ。今のところサクラはメルに好意的に見えるが、いつどう転ぶか分からない。
「私がここにいるのは、姉を封印するためよ」
「お姉さんがいるんですか?」
「ええ。あなたも知っているわ。ついさっきまで、姉に追われていたものね」
「えっ……あの蛇がサクラさんのお姉さんなんですか!?」
メルの脳裏に人面蛇の姿が思い浮かぶ。
あの悍ましい姿の怪物と目の前の美しい女性は似ても似つかない。
「そうね……あなたには、きちんと初めから説明した方がいいわね」
「えっと、そうしてもらえると助かります」
今のところメルは事情を全く把握できていないので、何でもいいから情報が欲しいところだった。
「ねえ、あなたは神様って信じているかしら?」
「え?」
サクラの説明は、そんな宗教の勧誘のような一言から始まった。
「私はね、ずっと昔にはとある村で神様として崇められていたの」
「えっ、サクラさん神様なんですか!?」
「私は自分のことを神様だと思ったことはないわ。けれど私には作物を多く実らせる力と出産の手助けをする力があったから、村の人間には私のことが神様のように見えていたようね」
「へぇ~、凄いですね」
俄かには信じ難いような話だが、サクラの人間離れした美しさと超常的な佇まいは、かつて神だったという申告に説得力を与えていた。
「そして私の姉も同じようにかつては神様として崇められていたわ。姉には鉱石を生み出す力と、病を遠ざける力があったの。私と姉はその力で村を守って、村の人間は私と姉に感謝と信仰を捧げた。私達と人間はいい関係を築けていたと思うわ。けれどある時、村にクニテルという若い男が現れたことで全てが変わってしまった」
「そのクニテルっていう人が悪い人だったんですか?」
「いいえ、彼はとてもいい人だったわ。けれどいい人だったからこそ良くなかったのね」
「どういうことですか?」
「姉がクニテルのことを好きになってしまったの」
サクラの表情が愁いを帯びる。
「私達と人間は何もかもが違うわ。人間は私達と違って100年も生きられないし、私達と人間では子供を作ることだってできない。姉もそのことは分かっていたはずなの。けれどそれでも姉はクニテルへの想いを抑えることができなかった」
「それで……お姉さんとクニテルさんはどうなったんですか?」
「どうにもならなかったわ。クニテルは村の娘と結婚した。姉は結局、クニテルに想いを伝えることすらできなかったの」
「そんな……」
「私達は村の他の人間に対してそうするように、クニテルとクニテルの家族を守ったわ。私はクニテルの妻の出産を助け、姉はクニテルの子供を病から遠ざけた。けれどそうしている間にも姉の中では、クニテルと結ばれることができなかった悲しみと、クニテルの妻への嫉妬が募っていたのね」
メルはサクラの語る昔話に、固唾を飲んで聞き入っている。
「クニテルが村に現れてから10年が経った頃、遂に姉の感情は溢れてしまった。心が壊れてしまうほどの悲しみと嫉妬に身を窶した姉は、祟り神へと成り果ててしまったの」
「祟り神……」
「あなたも知っている通り、祟り神となった姉はあらゆるものを石に変えてしまうことができた。姉はその悍ましい祟りの力を使って、まずはクニテルを、次にクニテルの妻と子供を、それから村に住む全ての人間を、物言わぬ石の像に変えてしまったわ。私はそんな災いをもたらすだけの存在になってしまった姉を封印することに決めた。その為に私は、自分自身を大樹に変えたの」
サクラが桜の木の幹をそっと撫でる。
「この木が私の本当の姿よ。今の私のこの姿は、心だけを外に移した幽霊のようなものね」
「あの、どうして木になる必要があったんですか?」
「神様としての在り方を変えるためよ。さっきも言った通り私には作物を多く実らせる力と出産を手助けする力を持っていたけど、それでは姉を抑えることはできない。だから私は姉を封印することができるように、姿を変えることで神様としての力も変化させたの」
「なるほど……」
姿が変わると能力も変わる理屈はメルにはさっぱりだったが、それはそういうものとして受け入れることにした。
「けれど私が大樹に生まれ変わって在り方を変えただけでは、姉を封印するには足りなかった。姉を封印するにはもう1つ、姉を同じ場所に留め続けるために、姉が執着するようなものが必要だった」
「それって、まさか……」
「あら、鋭いのね。そうよ、私は姉が石像に変えたクニテルを、姉を封印するための要石として使うことにしたの」
クニテルには悪いことをしたわ、とサクラは顔を伏せた。
「クニテルの石像と私の霊力を使って、姉をこの地に封印することには成功した。けれどその封印は永遠のものではなかったわ。時が流れればクニテルの石像は朽ちていくし、私の霊力も少しずつ衰えていく。長い長い時間を掛けて、封印はゆっくりと綻んでいった。っそして石像が壊れてしまったことを切っ掛けに、姉の封印は解かれてしまったわ」
「え゛っ……」
それを聞いた瞬間、メルの表情が一瞬で青褪めた。
「そ、それって……もしかしなくても、封印が解けたのはメルのせいってことですか……?」
祟り神となったサクラの姉が現れる直前、メルの目の前で首がもげた祠の石像。話の流れからして、あの石像こそがサクラの言うクニテルの石像であることはほぼ間違いない。
メルはあの石像を壊したつもりは無いが、メルが近付いた途端に石像が壊れた事実は変えようがない。
「確かにあなたが近付いたことが、クニテルの石像が壊れる最後の切っ掛けになったことは否めないわ。正確にはあなたがではなくて、あなたが持っている呪物がと言うべきかしら。ボロボロになった石像には、強い呪力は毒だったのね」
「その……ご、ごめんなさい」
腰を負って頭を下げるメル。
しかしサクラの声色には、メルを責めるようなニュアンスは含まれていなかった。
「あなたが気に病む必要は無いわ。どの道もう封印は長くはもたなかったもの。例えあなたが今日ここに来なかったとしても、あと1ヶ月もすればきっと封印は解けてしまっていたわ」
「い、1ヶ月!?」
「ええ。だから今日ここにあなたが現れて、姉の封印が解かれたことは、むしろ幸運だったのかもしれないわ」
サクラは真剣な表情でメルの目を見つめ、メルとの距離を1歩詰めた。
「ねぇ、あなた。1つ、私のお願いを聞いてはくれないかしら」
「お願いですか?それは、その……内容によりますけど」
「私の姉を、殺してほしいの」
サクラのその言葉を聞いて、メルはまず自分の耳を疑った。
「え、ええっ!?お姉さんを殺すんですか!?」
「ええ。もう1度封印することが不可能である以上、姉を止めるには殺める以外に手は無いわ。けれどこの身を大樹に変えてしまった私には、もう姉を殺すことはできない。動くことのできない私の代わりに、あなたに姉を殺してほしいの」
サクラが洒落や冗談を言っているのではないことは、メルにもよく分かった。
例え姉であっても、人間や環境に被害を与えるならば排除する。サクラのその覚悟が、メルにもひしひしと伝わってくる。
「えっと……どうしてそれをメルに?」
「封印が解けそうなところに現れたのがあなただったから」
「あっなるほど……」
単純にして明快な理由だった。
「じゃあ分かりました。メルでよければ協力します」
「本当?ありがとう」
メルとしては封印に止めを刺してしまった負い目があるので、サクラの依頼を受けることにした。
「でもメル、お姉さん殺せるか分かりませんよ?あの石に変える息みたいなの浴びたら多分死んじゃいますし……」
「そこは大丈夫よ。あなたが協力してくれるなら、私の霊力を全てあなたに託すから。私の力があれば、姉の石化の力にも抗えるはずよ」
「あっ、そうなんですか?それならメルやれるかもです」
サクラの姉を殺すにあたって最大の障害となるのは、触れたものを石に変える息だ。
その最大の障害をサクラの力で防ぐことができるのであれば、メルにも勝ち目は大いにある。
「ふふっ、頼もしいわね。それじゃあ私の霊力、全てあなたに託すわ」
サクラが柔らかく微笑む。
するとサクラの背後の桜の木から、無数の花弁が舞い上がった。
「きゃっ!?」
メルは風を感じていないにもかかわらず花弁は洞窟内を循環し、花吹雪が洞窟を埋め尽くす。
サクラは宙を舞う桜の花弁の1枚を指で摘む。
「ごめんなさい、少し触るわね」
サクラはそう言って、手に取った花弁をそっとメルの左目に触れさせた。
眼球に直接触れられたというのに、メルは一切の痛みを感じない。
メルの左目と接触した花弁は、そのまま眼球に浸透するように消失する。
そして花弁の消失と同時に、メルの体が黄金色の光に包まれた。
「お?おお?」
メルは光に包まれた自分の両手を不思議そうに見つめる。
メル自身はまだ気付いていなかったが、メルの外見には変化が生じていた。
黒一色だったメルの髪の一部が、メッシュを入れたように桜色に変化している。更に桜の花弁が直接触れた左の瞳には、5枚の花弁で構成された桜の紋章が浮かんでいた。
「これであなたには私の霊力が宿ったわ」
サクラのその声で、メルは自分の両手からサクラの方へと視線を向ける。
するとサクラの体もまた、メルと同じ黄金色の淡い光に包まれていた。
「あれ?サクラさん、何か急に光ってます?」
「ふふっ、私が急に光り出したのではないわ。この光はあなたの目が私の霊力を宿して変化したことで初めて見えるようになったものよ」
「えっ、メルの目って何か変わってるんですか?」
「目以外にも変わっているから、後で鏡を見て確かめるといいわ」
話している最中に、サクラの体を包む光は徐々に弱まっていく。
「あれ……サクラさん、光が……」
「折角だから覚えておいて。あなたの目に映る黄金色の光は神格の光。この色の光を宿す者は神の力を持つ者よ。そしてあなたに全ての力を託した私が、この光を失うのは自然なことよ」
しかし薄くなっていくのはサクラが纏う光だけでは無かった。
サクラの体そのものも、まるで空気中に消えていく煙のように存在感が希薄になり始めている。
「サクラさん……」
「私が力を失ったことで、この空間も間もなく消滅する。そうなったらあなたは再び姉の目の前に戻ることになるわ。私が託した力を使って、必ず姉を殺してね」
「……はい、必ず」
メルは力強く頷いた。
「ああそれとここは外の世界とは時間の流れが違うから外の世界ではまだ1秒も経ってないはずよその辺りも上手く対処してねよろしく頑張ってね」
「ちょっと最後早口過ぎません!?」
尺の調整を誤ったサクラが最後に高速でメルに言葉を残し、とうとうサクラの体が完全に消滅する。
それと同時にメルの視界が花吹雪に覆い尽くされ、この洞窟に落ちてくる直前に感じたものと同じ浮遊感がメルを襲った。
「……え?」
気が付くとメルは穴に落ちる直前の場所に立っていた。




