桜庭メルの心霊スポット探訪番外編:幾世守家 四
「し、侵襲絡祓?何ですかそれ?」
メルは次から次へと出てくる未知の固有名詞に眩暈を覚えつつ、肩の上の燎火に尋ねる。
「……兄から昔聞いたことがあるのです。幽山を守る絡祓の中には、任務の最中に命を落とした祓道師の体を利用して造られた特別な絡祓、侵襲絡祓が存在すると……」
「死んだ人間の体を、ロボットに作り替えて利用するんですか?そんなの悪役のすることじゃないですか」
「仰る通りです。ですから私も、侵襲絡祓は兄が私を怖がらせるために創作した与太話だと思っていました。怪異の脅威から人々を守る正義の祓道師が、侵襲絡祓など製造するはずがないと。ですがあれは、あまりにも……」
燎火の視線につられ、メルは改めてその絡祓を観察する。
侵襲絡祓の話を聞いたからだろうか、その絡祓が人間のようだという感覚が、メルの中で一層強くなった。
「あれが人間かどうかなんて関係ないよ!」
嫌な想像を振り払うかのように、煌羅が声を上げる。
「メルちゃんの邪魔をするなら、私が倒すから!」
煌羅は『亀骨』を構え、侵襲絡祓と思しき存在に突撃した。
「――祓器、召喚」
それに対し、侵襲絡祓が機械音声を発する。その瞬間、侵襲絡祓の胸元から白い光が放たれた。
よくよく見てみると、侵襲絡祓の胸元には炎を模った小さなパーツが取り付けられている。
そのパーツは燎火や煌羅が祓器を召喚する際に使用する、ネックレスのペンダントトップとよく似ていた。
「まさか、絡祓が祓器を!?」
燎火の叫びを肯定するように、白い光が侵襲絡祓の右手に収束していく。
そして侵襲絡祓の右手に集まった光は、純白の刀身を持つ鉈を形作った。
祓器を手にした侵襲絡祓は、目にも留まらぬ速度で煌羅に接近する。
「はや、っ!?」
侵襲絡祓が振り下ろした鉈を、煌羅は何とか『亀骨』で受け止める。
鈍い金属音が響き、凄まじい衝撃によって煌羅の右腕がビリビリと痺れた。
「くぅっ……」
苦悶の表情を浮かべる煌羅の胸に、侵襲絡祓がそっと左手を添える。
「『虎嘯』」
「しまっ、きゃあああっ!?」
煌羅の体が盛大に宙を舞い、50mほど後方まで吹き飛ばされる。
「煌羅さん!?くっ、幾世守さん、悪いですけど一旦下ろしますよ!」
「は、はい!」
メルは担いでいた燎火をそっと地面に降ろす。
侵襲絡祓は右手の人差し指と薬指を煌羅に向け、祓道の発動体勢に入っていた。
「『青さ……」
「させませんっ!」
侵襲絡祓にドロップキックをお見舞いするメル。
吹き飛びながら放たれた侵襲絡祓の『青鷺』は当然の如く狙いが逸れ、あらぬ方向へと消えていった。
侵襲絡祓が体勢を立て直している間に、メルの瞳が赤い光を放ち、包丁の刃が紫色の炎を纏った。
「てやぁっ!」
メルが振り下ろした包丁を、侵襲絡祓は鉈の祓器で受け止める。
侵襲絡祓がメルに触れようと左手を伸ばしてきたのを、メルはバックステップで回避した。
「メルを吹っ飛ばそうったってそうはいきませんよ!」
祓道は基本的に中長距離での戦闘を得意とする。そのため接近してきた相手は、『虎嘯』の祓道で吹き飛ばすのが定石だ。
そのことを知っているメルは『虎嘯』を警戒しつつ、近距離を保つように立ち回る。
「メルちゃん、ごめん!」
ここで吹き飛ばされた煌羅が戻ってきた。
「煌羅さん!2人掛かりで一気に片付けましょう!」
「分かった!共同作業だね!」
メルと煌羅は息を合わせ、侵襲絡祓を挟撃する。
「てやっ!」
「あはっ!」
メルが前から、煌羅が後ろから、それぞれ包丁と『亀骨』を振り下ろす。
侵襲絡祓は一瞬逡巡するような素振りを見せ、それからメルの包丁を鉈で受け止めた。
結果防御しなかった『亀骨』が侵襲絡祓の肩甲骨の辺りに直撃する。
「かった……!?」
通常の絡祓であれば一撃で両断することのできた『亀骨』だが、侵襲絡祓が相手では刃が僅かにめり込んだだけだった。どうやら侵襲絡祓は外装からして絡祓とはモノが違うらしい。
侵襲絡祓の背中の傷から、バチバチと電気のようなものが迸る。
「煌羅さん煌羅さん、侵襲絡祓って電気で動いてるんですか?」
「う~ん?祓道で動いてると思うけどなぁ」
メルと煌羅は一旦そんな会話を交わしてから、再び二手に分かれて攻撃を仕掛ける。
しかし2度目は侵襲絡祓もただやられるだけではなかった。鉈を右手から左手に持ち替えながら、空いた右手の人差し指と中指を煌羅に向ける。
「『青鷺』」
侵襲絡祓が煌羅へと青い炎を放つ。
「わっ!?」
煌羅は咄嗟に攻撃を中断し、手斧の腹で『青鷺』を受け止めた。
煌羅の攻撃を阻止した侵襲絡祓は、そのまま左手の鉈でメルの包丁を受け止めようとしたが、
「舐めないでくださいっ!」
ガキィンッ!という鈍い音と共に、メルの強烈な一撃が鉈を弾き飛ばした。
無表情な侵襲絡祓が、驚いたように僅かに目を見開く。
「てやああっ!」
メルが上段から包丁を振り下ろし、紫色の炎が彗星のように尾を引く。
侵襲絡祓は回避行動として後方に跳ぶも間に合わず、胴体に大きな傷が刻まれる。
「煌羅さん!」
「はぁい!」
そして侵襲絡祓が跳んだ先には、『亀骨』を構えた煌羅が待ち構えている。
「やああああっ!!」
虚を突かれた侵襲絡祓は、全身全霊を込めた煌羅の一撃を回避することはできなかった。
『亀骨』の刃が完膚なきまでに侵襲絡祓の背中に叩きつけられる。まさしく会心の一撃といった手応えだった。
「カッ……」
侵襲絡祓の口から、悲鳴らしき機械音声が聞こえてくる。
うつ伏せに地面に倒れる侵襲絡祓。煌羅が付けた背中の傷から、電気めいた火花と焦げ臭い煙が上がる。
「ナイスコンビネーションだったね、メルちゃん!」
メルの側に駆け寄ってきた煌羅が笑顔を浮かべる。
「ま、まあ、そうですね……」
メルは表情を引き攣らせるが、実際2人の連携が上手く機能していたのは確かだった。
「でもまだ動けるみたいですから、早いとこ止め刺しちゃいましょう」
メルの視線の先では、侵襲絡祓が上体を起こそうとしているところだった。立ち上がることができない程度には損傷しているようだが、それでも祓道という攻撃手段を持っている以上は油断できない。
メルが引導を渡そうと近付いたその時、侵襲絡祓は不意に右手を高く掲げた。
その右手は、人差し指と小指だけがピンと立てられている。
「っ、メルちゃんまずっ……」
「『礫火天狗』」
その瞬間、侵襲絡祓の頭上でチロチロと炎が熾った。
小さな火種はあっという間に成長し、超高密度の炎の塊へと成長する。
「あっ……こ~れはヤバいですね!?」
「逃げようメルちゃん!」
煌羅がメルの手を引き、2人は侵襲絡祓に背を向けて走り出す。
「幾世守さん、掴まってください!」
「は、はいっ」
逃げる途中でメルは燎火を担ぎ上げる。
それとほぼ同時に、侵襲絡祓の頭上の炎の塊が炸裂した。
超高密度の炎の塊が、数百数千の火球となって一帯へと無差別に降り注ぐ。
「ひゃああああっ!?」
「きゃああああっ!?」
「わああああっ!?」
メル、燎火、煌羅。三者三様の悲鳴を上げながら、メル達は迫り来る炎の魔の手から逃れようと走る。
しかし人間の足で逃れるには、『礫火天狗』の攻撃範囲はあまりにも広すぎた。火球の着弾地点は既にメル達の背後1m以内にまで迫っている。
「あっ、これ逃げ切れなくないですか!?逃げ切れなくないですか!?」
「……メルちゃん、ごめん!」
「えっ、煌羅さ……」
メルの隣を並走していた煌羅が、突然メルの背中に左手を添えた。
「『虎嘯』!」
「えっ、きゃあっ!」
そして煌羅の祓道によって、メルは担いでいる燎火ごと大きく前方に吹き飛ばされる。
それによってメルと燎火は、『礫火天狗』の攻撃範囲から逃れることができた。
「きっ、煌羅さん!?」
慌てて背後を振り返るメル。
『虎嘯』で大きく移動したメル達と違い、煌羅は未だ『礫火天狗』の範囲から逃れられていない。
「ああ……よかったぁ……」
安全な位置まで移動できたメルを見て、煌羅は心の底から安堵した笑顔を浮かべる。
その直後に『礫火天狗』の無数の火球が降り注ぎ、煌羅の姿はメルと燎火からは見えなくなった。
「煌羅さん!?」
声を上げる燎火の隣で、メルはぐっと拳を握り締めた。
ここで煌羅を助けに炎の中に飛び込めば、煌羅の献身は無駄になってしまう。
爪をギリギリと掌に食い込ませながら、メルは燃え盛る炎を睨み付けた。
『礫火天狗』の炎は数分間燃え続け、その後まるで夢か幻だったかのように突然消失した。
そして炎の中から現れたのは、体のあちこちが焼けた状態で倒れている煌羅だった。
メルはいち早く煌羅の下に駆け付け、膝をついてその容態を確かめる。
「ほっ……」
煌羅は辛うじて息が合った。全身に火傷を負っている以上油断はできないが、それでも最悪の事態は避けられた。
「私の脚が動いていれば……」
右脚を引き摺りながら歩いてきた燎火が、悔しそうに小さく呟く。
「だとしても同じことですよ。どっちにしても煌羅さんの『虎嘯』が無ければ、メル達は誰も『礫火天狗』から逃げ切れませんでした。むしろメルが燎火さんを抱っこしてたからこそ、メル達は2人とも助かることができたんです」
メルはそっと煌羅の頬に手を添えた。
「ありがとうございます、煌羅さん」
そしてメルは立ち上がると、煌羅に重傷を負わせた元凶へと近付いていった。
「……さっきの『礫火天狗』で振り絞ったみたいですね」
仰向けに倒れた侵襲絡祓は、体のそこかしこからバチバチと火花を放ち、いかにも故障寸前という有様だった。
『礫火天狗』を放つ前と比べて明らかに故障箇所が増えている。燎火が使えばたちまち動けなくなるほどの消耗を伴う『礫火天狗』だ、侵襲絡祓も無事ではいられなかったらしい。
だが故障寸前だからといって、このまま放置することはできない。残された力を振り絞り、第2第3の『礫火天狗』を使ってこないとも限らないのだから。
メルは無言で包丁を振り下ろした。
「かひゅっ……」
メルが首を切り離すと、侵襲絡祓の口から息のような音が漏れた。
首だけになった侵襲絡祓は、瞳をメルの方へと向けると、
「こ……殺してくれて……ありがとう……」
と言葉を発し、それを最後に動かなくなった
完全に機能を停止したのだ。
「……あなたにもきっと、事情があったんでしょうね」
今際の際に自らを殺した相手への感謝を口にした侵襲絡祓。死を希うような事情を抱えていたのかもしれないが、今となっては分からないことだ。
メルが燎火と煌羅の下に戻ると、燎火が真剣な表情で口を開いた。
「桜庭さん。やはり私はここに置いて行ってください」
「何言ってるんですか、そんなことできる訳ないじゃないですか」
メルは首を横に振ったが、燎火は尚も食い下がる。
「私も少しは回復しました。足はまだ動かせませんが、ある程度なら自分の身を守ることもできます。ですから連れて行くなら私ではなく煌羅さんを連れて行って、煌羅さんを守ってあげてください」
「だからできませんって」
「どうしてですか!?私はもうお荷物にしかなりません!そんな私を連れて行って何になるというのですか!?」
「いや、煌羅さんが意識無いのに、幾世守さんを置いていったら、メルじゃお屋敷の場所分からないじゃないですか」
「……あっ」
「このタイミングで天然やめてもらえます?」
燎火の顔が一瞬で真っ赤になる。
その表情を見て思わず噴き出すメル。煌羅が戦線離脱したことで沈んでいた気持ちが、ほんの少しだけ解れた。
「ほらほら、お荷物とか言ってないで早く行きますよ」
メルは意識の無い煌羅をお姫様抱っこの形で抱え上げ、燎火に背中を向けた。
「幾世守さん、メルにおんぶされてくれますか?今の煌羅さんは丁寧に持たないと危ない気がするので」
「はい……別にいいのですが、それはさっきまでの私は雑に持っていたということですか?」
「そういうことになりますね」
「私そういう桜庭さんの嘘つかないところ結構好きですよ」
燎火がメルの背中に負ぶさり、メルは重量を感じさせない動きで立ち上がる。
そしてメルは人間2人を抱えているとは思えないような速度で走り出した。
【ちょこっと解説】
侵襲絡祓の素体となったのは幾世守煤祢という、燎火や煌羅の祖父母世代の祓道師です。
同世代の中では最強の祓道師でしたが、怪異との戦いで命を落とし、その死体は侵襲絡祓として利用されました。
侵襲絡祓が使用する鉈型の祓器は煤祢が生前も貸与されていたもので、名前は『妙鰭』といいます。『妙鰭』の性能はほぼ『亀骨』と同じです。
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次回は明日更新します




